第254話:エランセージュの力の原点

 ビュルクヴィストは絶望感にとらわれている。


 体内にはいったいどれほどの血管があると思っているのだ。このままではどう足掻あがこうともイプセミッシュをもとの状態に戻せない。いつわらざる心境だ。


 通常、骨と筋肉を除けば、人体のおよそ八割が血管だと言われている。その大半が損壊そんかいしているとなると、到底回復させられるものではない。


 治癒を専門とし、さらに高度な魔術を有する者が最低でも十人そろって初めて復元の準備に入れるかどうかだ。しかも治癒は長時間に及び、一度ひとたび術に入ったが最後、中断はできない。永続的に行使し続けなければならないのだ。


「絶望的ですよ、ルブルコス殿」


 虚無感きょむかんに襲われる。ルブルコスにしても同様だった。


「ビュルクヴィスト様」


 妖精王女の詩歌しいかが止まっている。いまだ意識が混濁こんだくしているものの、エランセージュは置かれている状況を察したようだ。


「も、申し訳ございません」


 慌ててビュルクヴィストの腕から逃げるようにして距離を取る。


 エランセージュ、実のところ男が大の苦手だ。ほぼ全身を衣類でおおっているのも寒冷地出身だからという理由だけではない。


 十二将なら知っている。彼女がどれほど美しく、愛らしいか。きめ細やかで透き通るような肌に瑠璃るりの長い髪と瞳、それでいて年齢以上に幼く見えるところや十二将で最も低身長といった部分も彼女の魅力の一つになっている。


 まるで人形のようと形容するトゥウェルテナやセルアシェルに対して、いつも返ってくる言葉がある。


「童顔で悪かったですね。背も低いですよ。どうせ私など貴女たちに比べれば」


 エランセージュもまた彼女なりに悩んでいたりするのだろう。トゥウェルテナたちからしてみれば羨望せんぼうの存在に違いないのだ。


「エランセージュ嬢、貴女は相変わらずですね」


 苦笑を浮かべているビュルクヴィストに、エランセージュはしきりに頭を下げている。その様子を横目でルブルコスが眺めている。この状況下でいったい何をやっているんだ、とあきれているのは言うまでもない。


「ビュルクヴィスト、我が神はそなたたちが必要だとお認めになられたからこそ転移させたのだ。そなたたちが有する何某なにがしかの力が必要なのだろう。この現状をどうとらえているのだ」


 ルブルコスの意識は二人から離れ、妖精王女に腕に抱きかかえられるヨルネジェアに注がれている。ビュルクヴィストからの答えはない。二人して不思議そうに互いの顔を見合わせている。何とも対照的な光景だった。


「ビュルクヴィスト様、私ごときがなぜ呼ばれたのでしょうか。とても役に立てるとは思えません。かえって私のせいで事態を悪化させてしまいました」


 忸怩じくじたる思いをみしめている少女然としたエランセージュを気の毒に思ったか。ルブルコスが視線を向けないままに言葉をつむぐ。


「エランセージュ、その方は魔術師であろう。得意とするのはどの魔術だ」


 魔術と言っても多種多様だ。大分類すると、まずは攻撃系とそれ以外、攻撃系にしても直接と間接、その混合もある。どの魔術と問われても簡単に答えられるようなものではない。


 これまでエランセージュは攻撃系以外、しかも間接的な後方支援魔術が得意だと言われてきた。自身でさえもそのように思っている。果たして、それは正しい認識なのだろうか。


「私の、私の得意な魔術、それは」


 明確な答えが導き出せない。改めて問われたことで、エランセージュは自分を見つめ直す。素直に心に問いかけてみる。


 確かにこれまでの数多あまたの戦いで、エランセージュは後方支援魔術をもって本領を発揮してきた。味方の力を上昇させ、またまもり、間接的に敵戦力をけずってきたのだ。


 それは自身が心から望んだ魔術なのだろうか。今さらながらにそれを言ったところで詮無せんなきことだとも思う。


 一方で攻撃系の魔術を極めたいとも思わない。それは団長のヴェレージャたちに任せておけばよい。正直なところ、魔術をもって敵を倒すことは致し方ないとしても、殺したり再起不能の傷を負わすことを快く思わない自分がいるのだ。


 幼い頃の記憶がよみがえってくる。


 極寒の地、シャラントワ大陸の北方辺境に点在する小さな村の一つで生まれたエランセージュは、あまりの寒さに身体を弱らせて死んでいく老若男女を見つめてきた。


 人口も少なく、医療などとても期待できない。魔術師さえ寄りつかない地では、弱った者から死んでいく。無常の世界だ。


 ある時、エランセージュはまさしく奇跡と呼ぶに相応ふさわしい光景を目の当たりにする。道に迷って、偶然にも村に辿たどり着いた一人の魔術師と邂逅かいこうするのだ。


 魔術師はエランセージュたちの前で、病に苦しむ者たちを次々といやしていった。額に手をかざし、聞いたこともない言葉を長々とつぶやいたかと思うと、病人たちが温かい光に包まれ、そして嘘のように回復していくのだ。


 幼いエランセージュにとって、あこがれをいだくには十分すぎるほどの出来事だっただろう。


(そう、あの時、私は初めて自分が何になりたいか気づいた。あの光景は今でも忘れない)


 たった一人の魔術師との出会いがエランセージュを変えたのだ。だからこそ、彼女は魔術師を目指した。その時の憧憬しょうけいを胸に仕舞いこんだまま、誰かの役に立つために。別れ際にかけられた言葉が脳裏をよぎる。


「いいかい、エランセージュ。魔術はね、自分のここにある魔力を燃やして使うんだ」


 自分の心臓を指差して言葉を紡いでいく。


「魔力は誰にでもあるけど、魔術は誰にでも使えるものじゃない。強い想い、強い心を持つ正しき者だけが使えるんだ」


 幼いエランセージュには、魔術師の言っている意味がほとんど理解できていなかった。今、こうして当時の言葉を思い出し、その一言一句を正しく繰り返しながら、心の中に仕舞いこんでいた想いをさらけ出していく。


「どんな魔術師になりたいのか、魔術を使って何をげたいのか。しっかり考えるんだ。エランセージュ、君はさとい子だ。君なら立派な魔術師になれると信じているよ」


(私、今の今までいったい何をしていたのだろう。こんなに大切なことを思い出せなかっただなんて)


 まさしく雷光が頭の先から足の先までけ抜けた瞬間だった。


 魔術師をこころざしたあの時の気持ちを決して忘れてしまったわけではない。日々のしがらみにとらわれ、ゼンディニア王国に渡ってきてからの様々な苦労の中で、エランセージュには大切なことを心の外に解放する余裕もなかったのだろう。


 もう迷わない。己自身が何故なにゆえに魔術師を目指したのか。魔術をもって何を成すのか。はっきりと認識できている。だからこそエランセージュは迷わない。瞳に強い光が宿る。


「ビュルクヴィスト様、私が目指すべき魔術師は」


 エランセージュの全身から光が発せられている。ビュルクヴィストもルブルコスも目を見張ってその様子を凝視している。


≪ようやく目覚めたか。それでこそ、そなたを呼び出した甲斐があるというものだ≫


 その声は三人に等しく聞こえている。


≪娘よ、今のそなたではまだまだ力不足だ。だからこそ、ビュルクヴィストの力も必要なのだ≫


「なるほど、そういうことですか。残念ながら、私が主役ではないのですね」


 相変わらずのビュルクヴィストだった。やはり目立ちたいのだ。レスティーの意図は正確に理解しているがゆえに、今回は渋々しぶしぶながら脇役に回るしかない。エランセージュの補助に徹する。それがここでの己の務めだ。


「ビュルクヴィスト様、この声は」


 小さくうなづいてから答える。


「私たちを魔術転移門で呼び出された御方ですよ。貴女も坑道でお姿だけは拝しているでしょう。レスティー殿です」


 説明はそこまでとばかりにルブルコスが強引に話を進める。


「エランセージュ、我が神からのお言葉を聞いたな。ならば準備するがよい。ビュルクヴィスト、私は妖精王女殿と話をしてくる」


 ビュルクヴィストはようやくにして合点がてんがいった。ルブルコスが初めて口にしたのだ。詩歌をかなでたものが誰であるかを。


「あの方が妖精王女殿ですか。この空間といい、先ほどまでの詩歌といい、納得ですよ」


 ビュルクヴィストの視線の先、妖精王女に話しかけているルブルコスの姿が確認できる。ここからでは内容まで聞き取れない。魔力を用いれば容易たやすいものの、それは逆効果というものだ。ビュルクヴィストはこらえるしかなかった。


「信じてよいのかしら。次はないわよ。害意を向けた瞬間に躊躇ためらいなく消すから。そのつもりで」


 妖精王女のおどしは冗談ではない。


 ルブルコスの説明を聞く限り、ヨルネジェアを襲った初撃はやむをない部分もある。あの少女はイプセミッシュの配下で、彼を護ろうとしたにすぎない。妖精王女から見ても、彼女が行使した氷の魔術に殺傷威力はなく、ヨルネジェアの動きを封じるためのものだった。


「運が悪かったとしか言いようがないわね。後ほど謝罪はしてもらうわよ」


 ルブルコスも頷くしかない。後先考えずに仕かけたこちらに非があるのは自明の理だ。


「承知した。我が神のご意向なれば、二度と間違いは起こらないであろう。妖精王女殿、その者は大丈夫なのであろうか」


 妖精王女がヨルネジェアを抱き、優しく頭をでている。詩歌による子守歌の効果は絶大だった。ヨルネジェアは既に泣き止み、妖精王女の胸の中で落ち着きを取り戻しつつある。


「ええ。この子にとって、イプセミッシュは唯一大切に思える人族よ。私も力を貸すわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る