第082話:蘇る記憶とその贖罪

 ほぼ同時に意識を取り戻した二人が、ゆっくりと起き上がる。互いに同じ動作だ。まずかぶりを何度か振りつつ、それから視線を交差させた。


 先に言葉を発しようとしたイプセミッシュが、鏡に映る己自身の姿に気づくと、驚愕きょうがくの声を上げた。


「これは、何だ。俺はいったい、何をしていたんだ」


 鉄面皮てつめんぴと言われ続けてきたその表情に、喜怒哀楽が生まれつつあった。再び視線がザガルドアに向けられる。


「おい、イプセミッシュ、お前、いつの間にそんな筋肉隆々りゅうりゅうの身体になったんだ」


 ひどく混乱しているのか、イプセミッシュ本人が、ザガルドアに対してイプセミッシュと呼びかけている。


 興奮するイプセミッシュとは真逆、ザガルドアは至って冷静に言葉を返した。


「ああ、記憶の封印が解けてしまったのだな。私の贖罪しょくざいは、成就じょうじゅされず、か。ザガルドア、この名前でお前を呼ぶのは、およそ十年ぶりだろうか」


 現ゼンディニア国王イプセミッシュ・フォル・テルンヒェン、その真名まなをザガルドア・ペデラムという。


 既に触れたとおり、物心ついた頃には孤児だった。ゆえに、真名といっても、それが本当の意味で真名かどうかは誰にも分からない。


「お前、何を言っているんだ。また独り言か。相変わらず貴族の坊ちゃんは違うな」

「その言葉、そっくりそのままお前に返そう。今や、お前こそが貴族なのだ。しかも、ゼンディニア王国の国王なのだぞ。イプセミッシュ、いやザガルドア、お前の記憶を封じたのは、この俺なのだ」


 正しくは、イプセミッシュの依頼を受けた一人の魔術師だ。そのつぶやきは、ザガルドアの耳に入っていた。


 理解が全く追いつかない。国王イプセミッシュことザガルドアは、記憶の奔流ほんりゅうにもてあそばれていた。


 これまで記憶の一部にかかり続けていた幕は、すっかり上がっている。そのうえで、なお整理しきれない。


「初めてお前と出会ったのは、かれこれ二十年前だ。あの時、私は継母ままははの策略にはまり、背中を剣で斬られながらも、命からがらにしてあの路地裏に逃げ込んだのだ。私は死を覚悟した」


 それを救ったのが、誰あろうザガルドアだったのだ。きっと、何かしらの縁があったのだろう。それが二人を引き合わせたのだ。


「意気投合するまで、さほどの時間を要さなかった。お前と私は、まるで実の兄弟のように暗闇の中で生き抜いてきた」


 次第に思い出してきた。ザガルドアだと思っていたイプセミッシュの言葉が、抜けた記憶の穴を補完していく。


「それから十年が経過した。お前も私も想像以上に強くなっていた。あの闇の世界から、光の世界へ飛び出したい。その思いは、よりいっそう強くなっていた」


 イプセミッシュには、温めていた計画があった。それを実行する段に、ようやくにして辿たどり着いたのだ。


「そう言えば、その頃、お前はよく裏路地を抜け出していたな。しばらく留守にすることも多かった。それは」


 イプセミッシュがうなづく。


 ザガルドアと出会ってからの十年間、必死に耐えて、己をきたえてきた。同時に、刺客を送り続ける三人の継母への対抗手段を確保すべく、反対勢力の貴族を探し出し、王位奪還の協力を仰いできた。


 それこそが、当時の国王にして父ウェイリンドア・フォル・ディオ・テルンヒェンが嫡子にして王位第一継承者たる己の使命だったからだ。


 ウェイリンドアは、正妻を若くして亡くしていた。イプセミッシュがまだ四歳の時だ。そこから、少しずつ歯車が狂い始めた。


 誰の差し金かは、いまだに分からない。国葬も終わらないうちに、立て続けに三人の妻を迎えたのだ。その後、わずか二年足らずで、三人それぞれに王位継承権を持つ子供が誕生する。


 それでも、ウェイリンドアは正妻との唯一の子イプセミッシュの王位継承順位だけは変えなかった。いくら三人が懇願しようとも、拒絶し続けたのだ。これだけは英断だったと言えるだろう。


 こうなると、三人が取るべき道は一つしか残されていない。すなわち、王位第一継承者イプセミッシュの暗殺だ。


「私が立ち上がると共に、協力者が一斉蜂起いっせいほうきする計画だった。実際に蜂起したのは、当初予定していた半分にも満たない数だった。あの女どもは、用意周到にも裏から手を回し、彼らを篭絡ろうらくしていたのだ」


 ザガルドアは口を差しはさまず、イプセミッシュの語るままに耳をじっとかたけている。目だけで、先に進めろと促す。


「そして、あの日を迎える。お前が十八歳、私が十七歳、血気盛んな年頃であった。王宮内には、私の帰りを待ち望む者たちもいた。その者たちの協力を得ながら、お前と私とで、立ちはだかる者、全てを斬り伏せた」


 二人は、ついに玉座の間に辿たどり着いた。もちろん、二人そろってだ。二人は、決して切れない強固な絆で結ばれていた。


「どれほど心強かったことか。お前は、私を守りながら、懸命に戦ってくれた」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 玉座の間の正面扉に手をかけながら、イプセミッシュが大きく息をついた。ここまで、どれだけの人の命を奪ってきたのか。心臓が激しく鼓動している。疲労も大きく、剣が重く感じられた。


「ザガルドア、お前はここに残れ。父上のもとへは、私一人で行く。既に満身創痍まんしんそういなのだ。これ以上の出血は、命に関わるぞ」


 突き放すように告げるイプセミッシュに対し、ザガルドアは考えることなく反論した。


「ふざけたこと言ってんじゃねえよ、イプセミッシュ。俺はお前の兄貴だぞ。弟を放って一人逃げるなんざ、死んでもごめんだぜ。俺たちは兄弟だ。行くなら、どこまでも一緒だ」


 イプセミッシュは、心臓の鼓動以上に胸が熱くなった。この男に出会えてよかった。心からそう思えた。


 だからこそ、死なせるわけにはいかない。そして、彼の夢をかなえるのは自分の役目だ。


「イプセミッシュ、お前の父さんを助け出し、そして俺たちが生きていたら、俺を王様にしてくれよな。永遠になんて言わないからさ。あの椅子に座るのはお前だ。俺はほんの少しだけ座らせてくれたら、それだけで満足なんだ」


 照れ笑いを浮かべるザガルドアを見て、イプセミッシュは思わず涙がこぼれそうになっていた。


「もちろんだ。さあ、共に行こう、兄貴。ここで決着をつける」


 イプセミッシュが力を込めて扉を蹴り上げる。両開きの扉が巨大音を響かせ、勢いよく内側に開かれた。


「反逆者の分際で、ここまでやって来るとわね。陛下も大いにおなげきだわ」


 玉座に座る父を見て、イプセミッシュはすぐさま違和感を覚えた。十年近く会っていないとはいえ、ここまで精彩を欠くものだろうか。目の焦点が定まらず、うつろに彷徨さまよっている。まるで病人のような有様だった。


「貴様ら、父上に、何をした」


 イプセミッシュは魔術に明るい方ではない。父が何かしらの魔術、恐らく精神干渉系だろう、の影響を受けていることぐらい、容易に想像できた。


「あら、人聞きの悪いことをおっしゃるるのね。さすがは反逆者ですわね。その顔を見るのも鬱陶うっとうしいですわ。お前たち、やってしまいなさい」


 玉座を囲むように三人の継母が立ち、彼女たちの前には護衛も兼ねた重装備の騎士が七人だ。


「イプセミッシュ、俺が騎士どもをやる。お前は、あの三人をねじ伏せて、父さんのもとへ一直線で進め」


 ザガルドアがいくら強いからといって、今の状態で騎士七人を相手にするなど、無謀にもほどがある。


「無茶を言うな。奴らは精鋭中の精鋭、しかも七人だぞ。対して、こちらは傷だらけのうえ、動きも鈍くなった私たちだけだ。二人で血路を開くしか道はない」


 互いに顔を見合わせる。共に覚悟を決めた目だ。


「ああ、そうだな。死ぬ時は一緒だ。もちろん、死ぬつもりなどないけどな。よし、一気に突っ込むぞ。俺についてこい、イプセミッシュ」


 二人は拳を突き合わせ、そして父の待つ玉座めがけて一直線にけた。

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