第138話:初顔合わせ

 完全に腰を抜かしたモルディーズ、さらには驚きのあまり固まってしまったマリエッタをよそに、ルシィーエットは泰然たいぜんとしている。さすがに先代賢者だ。全く動じた様子は見られない。


「魂も肉体も失いながら、なおも消えない妄執もうしゅう怨念おんねんだけが膨らんだ結果かい。あわれな姿に成り果てたもんだね。私の炎で綺麗きれいに浄化してやるよ」


 ルシィーエットが静かに右手をかかげる。ただ、それだけだった。空中に散った複雑な魔術文字が輝き、炎の花を咲かせる。次々と開いた花びらが重なり合い、宙に広がっていく。


「マリエッタ、いつまでほうけているんだい。あんたも手伝いな」

「は、はい」


 ルシィーエットの叱咤しったで、ようやく我に返ったか。マリエッタは急ぎ魔術行使のための詠唱に取りかかる。目を閉じ、精神を集中していく。


「ネヴィー・オウス・フェレメン・ロウク

 ルフーフ・レクシュ・ミトニ・エーゲ

 火と火を重ねて炎と成せ

 炎と炎を束ねて花と成せ」


 マリエッタが行使するのは火炎系中級魔術だ。直接火炎をもって敵を攻撃する魔術ではない。既に展開されている火炎系魔術をさらに活性化させるための、いわば燃料付加魔術だ。


 詠唱の成就じょうじゅとともに、ただちに解き放つ。


「行きます。加重活炎束火成オウルフェレーネ


 ルシィーエットの咲き誇った火炎花に、マリエッタの燃料が投下された。周囲一面を覆うほどに広がっていた炎の花が、さらに勢いを増していく。


 つた状の物体をとらえ、炎の中に閉じ込め、業火をもって燃き尽くしていく。苦しんでいるのか、炎から逃れようと左右に激しく揺れ動くも、無駄な足掻あがきでしかない。


 炎をまとう花びらが、上下左右から包み込むようにして容赦ようしゃなく襲いかかる。つかの間、怨嗟えんさの絶叫が響き渡った。


 なおも、炎は勢いを失わない。その余波は上空にとどまる有翼獣のもとにまで達している。ルシィーエットは視界の隅で、有翼獣に乗る二人の姿を捉えていた。


(なるほどね。あの者たちも視察に来ていたというわけかい)


 炎の勢いとは対照的に、怨嗟の声は次第に弱々しくなり、やがて青白い光が完全に色を失った。


「ルシィーエット様、あれはいったい何だったのでしょうか」


 マリエッタが振り返って、確認を求めてくる。


 マリエッタはルシィーエット大好きが高じるあまり、弟子を標榜ひょうぼうしているものの、もちろん公認ではない。何しろ、彼女はラディック王国第二王女であり、セレネイアの妹だ。王族や貴族が大嫌いなルシィーエットが、弟子にするはずもない。いわゆる押しかけ弟子的存在だ。


 アーケゲドーラ大渓谷がどういった場所かは、モルディーズが説明したとおりだ。


 深きなげきの幽谷ゆうこく、死者の魂はあまねくここに集められ、天にかえる。


「そんな生易なまやさしいものではないんだよ。大半は非業ひごうの死をげた者たちなんだ」


 王族や貴族どもに、何の罪もなく無残むざんに殺されていった者、あるいは志半こころざしなかばにして病や事故で亡くなった者など、気の毒な者たちなのだ。


 彼らは、死して肉体と魂を失った。決して消えないのが妄執、怨念、未練といった負の感情だ。悠久ゆうきゅうの時をて、それらの感情が積もり積もって、一体化していった結果だった。


「憎むは生ある全てのものだ。そうやって、次々と生を取り込み、己の一部として膨れ上がっていく。だからこそ、ここまでの巨大かい、いわば妄念塊もうねんかいとでも言おうか、になったんだろうさ」


 マリエッタがつらそうな表情でこちらを見てくる。王族の一員たるマリエッタにとって、容赦のないルシィーエットの言葉は、ある意味、心を砕かんばかりだ。


 この先、王国のために非情な決断を迫られる時が来るかもしれない。その時、マリエッタはどちら側に立つ者になっているのか。自信が持てない。


(そうだよ、マリエッタ。私の言葉をただ鵜呑うのみにするんじゃなく、自分の頭と心でしっかり考えな。この先、間違っても馬鹿どもの仲間入りだけはしてくれるんじゃないよ)


 そうなった時は、この私が叱ってやるよという言葉をみ込む。苦笑を浮かべつつ、ルシィーエットは別の言葉をつむぎ出す。


「マリエッタ、ご覧。最後の一本、あれが恐らくは親玉だろう。さて、どうしたものかね」


 ルシィーエットは思案しつつ、上空で滞空飛行を続ける二人に再び目をやる。


(そうさね、アコスフィングァを使うとしようか。魔術も任せるとしようかね)


 方針は決まった。未だ腰を抜かしたままのモルディーズを一喝いっかつする。


「モルディーズ、いつまで腰を抜かしているんだい。早くこっちへ来な。さもなくば、次の攻撃で巻き込まない保証はできないよ」

「そ、そんな、お助けを、ルシィーエット様」


 情けない声を出しながら、何とかいながらこちらに向かってくる。のがすまいとして、焼き尽くした妄念塊よりもはるか数倍に膨らんだ最後の一本がモルディーズを急襲する。


「モルディーズ、急ぎなさい」


 マリエッタが大声で叫ぶ。


「ここは任せて」


 急降下してきたのはフィリエルスだ。アコスフィングァをって、ほぼ垂直落下だ。


 鋭いくちばしと両の鉤爪かぎづめが、モルディーズに迫った妄念塊を易々やすやすはじき飛ばす。


 即時、戦線離脱、直後に襲い来るのは長槍ちょうそうだ。


 降下せず、もとの位置で待機していたフォンセカーロが、フィリエルスの離脱を見届けると同時、投擲とうてきしたのだ。


 長槍が重力の加速を乗せて、一直線に迫る。既にそれは巨大な一本の氷柱つらら、しかも大気中の水蒸気を呼び寄せ、周囲に幾つもの細氷柱をともなっている。


「来ているんだろ。やりな」


 氷柱が妄念塊を貫き、瞬時に凍結させていく。


 その直上で、炎の大輪が舞った。ルシィーエットが放った魔術よりも巨大な炎が高熱を伴って、幾重にも花びらを伸ばしていく。


 灼熱が大気を揺らしている。マリエッタは、あまりの熱さに思わず手で顔を覆った。


「ふん、やるようになったね」


 ルシィーエットが満足そうな笑みを浮かべ、炎が激しくぜる様を眺めている。


 凍結したばかりの妄念塊は、砕け散る前に炎の大輪の浸食しんしょくを受けた。急激な超低温から一気に超高温に見舞われる。


 完全凍結していた妄念塊はけることも、くだけることも許されず、ただ眼前から刹那のうちに消滅した。後に残るものは皆無だった。


「これでは、浄化どころじゃなかったね」


 ルシィーエットのつぶやきは誰にも聞こえない。聞かせるつもりもなかった。


 炎の余波が静まったところで、上空からフィリエルスたちが降りてくる。それぞれが、竜笛アウレトをもってたくみに有翼獣を操り、適切な足場を見つけて着陸する。


 先に声をかけたのはルシィーエットだ。


「こんなところで奇遇だね。あんたたちも視察に来たってわけかい」


 フィリエルスが丁重に言葉を返す。


「先代レスカレオの賢者ことルシィーエット様、まずはご助力に感謝いたします。我々だけでは、あれから逃げるのが精一杯だったことでしょう」


 頭を下げるフィリエルスにならって、後ろに控える四人も同様の行為に及ぶ。ルシィーエットは、面倒だとばかりにマリエッタの背に手を添えると、前に押し出す。


 マリエッタも慣れたものだ。いかにも王族らしく、相応ふさわしい礼儀をもって、かつ優雅に返礼する。


「頭を上げてください。持ちつ持たれつですわ」


 ルシィーエットに押し出される形で、歩み出てきた少女を一目ひとめ見て、フィリエルスは確信していた。この少女は間違いなく貴族だ。かつての自分と同じ匂いを漂わせている。二人の視線が交錯こうさくする。

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