第185話:セルアシェルの真価

 カイラジェーネが小虫でも払いけるがごとく、軽く手を振った。


 空間を裂いて、一筋の黒光が疾走しっそうする。即座に対応できたのはエランセージュだけだった。ディリニッツの前に光壁が立ち上がる。


「駄目、持ちこたえられない。影に」


 さらに魔力を込める。エランセージュのこめかみ辺りから汗が流れ落ちている。それほどまでに集中しなければならなかった。


 明らかに、カイラジェーネの一撃の方が強度で上回っている。


 ディリニッツはエランセージュの言葉を待つまでもなく、その威力を肌身で感じ取っている。途轍もない破壊力だ。直撃は絶対に避けなければならない。取るべき手段は一つだけだ。影にもぐる。それしかない。


 黒光こっこうが光壁とぶつかり、複雑な衝撃音となって四方にけ抜けていく。後には、無残むざんにも切断された光壁だけが残されていた。


「あら、残念ね。殺しそこねたわね。あの子が邪魔をしたせい。いえ、違うわね。私の力を察知しての逃亡、実に面白いわね。これでこそ、なぶり甲斐がいがあるというものよ」


 黒きもやがさらに活性化していく。カイラジェーネの意思に応じて変幻自在、浸食速度を高めながら周囲を闇に染めていく。


 それでなくとも視界が悪い状況だ。この闇によって、全てが漆黒に塗り込められてしまった。


「この私を存分に楽しませて頂戴ちょうだいな」


 漆黒の中、動けるのはカイラジェーネをのぞけば、魔術にひいでた者のみだ。トゥウェルテナと騎兵団の者たちにできることはない。


 それでなくとも、ホルベントが重傷を負っている現状、彼らはそばにつきっきりだ。


 ヴェレージャは魔力網を広げ、カイラジェーネの位置を特定しようとしている。エランセージュは仲間の支援に徹する。先ほどの光壁破壊からも分かるように、カイラジェーネの魔術は厄介極まりない。


 ビュルクヴィストの言葉が脳裏に浮かぶ。


(対魔術防御は大別すると二種しかありません。一つは魔術遮断結界を構築することです。もう一つは魔術防御力上昇の光幕を付与することです。それぞれに利点と欠点がありますよ)


 前者の利点は言うまでもなく、あらゆる魔術を遮断できることだ。欠点は表裏一体、結界内から外に向かっての魔術をも遮断してしまう。


 さらに、魔術遮断結界は一度展開すると、常に魔力を注ぎ続ける必要がある。高位の魔術師でも成功確率が低いのだ。


 大規模戦闘で行使される魔術遮断結界は、いわば亜種と言ってもよいだろう。一部の威力の弱い魔術は、あえて遮断せずに通過させてしまうからだ。


 後者の利点は個々に付与できるうえ、その者が行使する魔術のさまたげにならないということだ。欠点は一時的に対魔術防御能力を上昇させるだけのため、効果持続時間に制限があり、魔術遮断結界と異なり、完璧に防ぐこともできない


 戦闘においては、機動力の高い剣士などに付与して、魔術師をすみやかに倒すといった場合に多用される。


 エランセージュの選択は決まっている。個々に対して魔術防御特化の光幕付与を行う。


≪エランセージュ、私は不要だ。他の者に、特にセルアシェルは念入りに頼む≫

≪了解しました。この状況下、最適解は間違いなくお二人の力です。任せますよ≫


 ディリニッツは影にもぐったままだ。セルアシェルは影に潜れないものの、漆黒の闇こそが彼女の領域内、視界がふさがれていようと問題はない。


「シェーン・リン・セーラム

 フーウィ・ラーニム・アクセン

 立ち向かいし者に祝福を

 悪しき魔の力を阻む盾を授けたまえ」


 エランセージュは天に向かって両手を突き上げた。詠唱は祈りとなって、坑道内に広がっていく。


天舞光翼守護盾シェリフラニム


 光の幕が折り重なるようにして天から降りてくる。揺らめき、流れながら、エランセージュが付与対象と認めた者を優しく包み込んでいった。


「本当に頼もしくなったわね、エランセージュ。これで行けるわ」


 ヴェレージャが再び詠唱の準備に入る。今度こそ確実に仕留めなければならない。


 カイラジェーネはあまりに危険すぎる。魔術はもちろん、核をその身体に有しているのだ。滅ぼすには相応の魔術を使うしかない。狭小空間で強大な魔術を行使するのは危険極まりない。承知のうえだ。


≪ヴェレージャ、詠唱は待ってくれ。あの女の足元に闇溜やみだめを展開する≫

≪ちょっと、ディリニッツ、何を言っているの。まさか、ここで闇の腕ワギュロヴ顕現けんげんさせるつもりなの≫


 ディリニッツにはいささかの躊躇ためいもない。立ち止まっている時間さえ惜しい。


≪あの女を確実に仕留めるにはそれしかない。そして、闇溜こそが、この漆黒の中で取りうる最善策だ≫


 引き止めても無理だと理解した。


 パレデュカルとの一戦で用いた闇の腕ワギュロヴなら、確かに有効だろう。魔霊鬼ペリノデュエズでさえ逃れられないほどに強力なのだ。その分、術者への反動も大きい。


≪決めているのね。分かったわ。私は、どの魔術を放てばよいの。核を破壊するための魔術よ≫


 二人の話は終わった。


「先ほどの光壁といい、支援系魔術が得意なのね。よくできているわ。私でなければ破壊されていなかったと思うわ。でもね、私の時代の魔術師なら、もっと高度な結界を楽々と展開していたわよ。この私でさえ破れないほどのね」


 今度はカイラジェーネの番だ。標的を定め、再び手を一閃する。先ほど見せたものと同じだ。


 魔術ではない。今の身体、魔霊人ペレヴィリディスだからこそ発揮できる力だ。純粋な物理攻撃でもある。


 闇の中で、まばゆい光が疾走しっそうる。大気を激しく揺さぶる。高速振動は二つの力となって標的に襲いかかった。


 一つは摩擦によって生じた熱、もう一つは真空によって生じた刃だ。


 熱は大気を取り込んで発火、幾つもの炎と化した。魔術師を獲物とし、四方より押し寄せる。


 真空刃は後方でホルベントの看病に当たる騎兵団を獲物とし、こちらも同じく四方より飛来した。


 闇を味方につけたセルアシェルが迎え撃つ。


「フォーヴ・ルフ・リディ=エ

 ラヴァウ・ジュクウ・ラエンデ

 暗き底に眠りし貪欲どんよくなるものよ

 無明むみょうの闇の内へと汝らがにえを捧げたてまつる」


 セルアシェルの魔術が即時発動する。


 既に暗き闇は自らの領域内だ。さらに、そこに闇を上塗りしていく。漆黒に漆黒をかぶせ、闇の効力を飛躍的に高めるのだ。


 セルアシェルは様々な魔術を行使できる反面、群を抜く強力な魔術を持ち合わせていない。ある意味で、器用貧乏とでも言えるだろう。では、なぜ彼女が十二将の地位に立つのか。


冥減衰無深沈闇ファヴリディウク


 闇が浸食する。カイラジェーネの放った炎を覆い隠し、威力を減衰させていく。炎の色が徐々に失われていく。


 真空刃も同様だった。闇にさえぎられ、そこから前に進めなくなっている。いったい、どれほどの闇を塗り固めれば、このようなことが可能なのか。


 視覚や知覚では、闇の深さ、厚みを感じ取ることはできない。


 セルアシェルは左腕を真っすぐ突き出すと、人差し指を標的に向けた。


「闇よりなお暗き冥獄みょうごくより来たれ」


 闇の中でセルアシェルが何をしているのか、把握できているのは十二将のみだ。これこそが彼女の真価なのだ。


 一つ、一つの魔術はヴェレージャやディリニッツに遠く及ばない。彼女はその一つの魔術を複数に分解、様々な効果を付与したうえで連撃できるのだ。


 中でも彼女が最も得意とする冥減衰無深沈闇ファヴリディウクは、自らの領域内に深き闇を生み出し、闇を幾重にも塗り固めることで無限とも言える力を引き出せる。


 セルアシェルの闇の前では、あらゆる力が減衰し、そして別の闇力を用いて根本から抹消する。この力があるからこその十二将であり、ディリニッツの頼れる右腕、隠密騎兵団副団長なのだ。


射貫いぬ深闇矢ヴァリゼ


 セルアシェルは、左手人差し指を寸分の狂いもなく照準に合わせて闇弦やみづるを引きしぼり、一気にた。


 照準はもちろんカイラジェーネだ。深闇矢ヴァリゼは無限、闇が作り出す矢は減衰しきった炎と真空刃を次々と射貫き、撃ち落していく。


 セルアシェルの目は、カイラジェーネを正しく捕捉した深闇矢ヴァリゼに注がれている。


 正確無比、喉を貫通していった。人ならば致命の一撃だ。


 カイラジェーネは倒れない。喉に刺さった深闇矢ヴァリゼに手を伸ばし、無造作に引き抜く。血さえこぼれない。忌々いまいましそうに深闇矢ヴァリゼ一瞥いちべつ、大地に叩きつけた。


「やってくれたわね。美しいこの私に傷をつけるとは。女、許さないわよ」


 カイラジェーネの全身から黒き靄があふれ出す。両手を前方に突き出そうとしたところで、その動きが止まった。

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