第184話:新たな敵の正体

 熱の勢いが増していく。妖刀は氷壁を削りながら、剣身を取り巻く熱によって氷を蒸発させていた。明らかに氷壁の方が劣勢だ。


 それでよかった。ヴェレージャの作戦なのだ。魔力をそそぐと見せかけて、実は徐々に減衰げんすいさせている。そう、わざと氷壁を溶かしているのだ。


 理由は二つある。一つは魔力の無駄遣いをけること。もう一つは今の状況を見れば分かる。


 激しい昇華しょうかによって、狭小空間には水蒸気が満ちあふれている。視界は閉ざされ、白もやの中にいるも同然の状態だ。


 そして、白靄を漂う水蒸気はただの水蒸気ではなかった。


「これで終わりよ」


 男の身体には、大量の水蒸気がまとわりついている。特に顔付近で白靄が濃密さを増し、完璧に視界を遮断している。


 白靄を振り払おうと、男は懸命に手を動かし続けている。その動きが次第に緩慢になっていった。


 白靄の中から言葉にならない言葉がれてくる。ヴェレージャは仕上げとばかりに気流を操り、男の周囲に白靄を凝縮させていった。


 密閉空間では、繊細な魔力操作が必要になる。さすがにヴェレージャだった。細やかな制御をもって、男を昏倒こんとう状態まで追い込んだのだ。


「お前が人ならば、絶対不可欠なのが呼吸よ。だから、お前の周囲の空気だけ細工をしたわ」


 大気が流れ、白靄が晴れていく。


 男はうつ伏せで倒れ込んでいる。苦しみに満ちた声を途切れ途切れに発し、のどをひたすらきむしっている。


 所有者たる男との意識共有が途切れたためか、氷壁を削っていた妖刀も地に落ちていた。


「正体は分からないままだけど、お前は危険な存在、敵とみなして、ここで始末するわ」


 大気に溢れた水蒸気が、伏したままの男のもとへけ下りていく。その過程で水気は急速に冷やされ、凍気と化した。


 大地に触れ、跳ね上がる。凍気が踊り、男の周囲に正円を描き出していく。


「セクルー・ ポジフィ・エコセ・ジェシオン

 ときとどめし永久とこしえなる凍棺とうかんと化せ」


 ヴェレージャの短節詠唱が響き渡る。息も絶え絶えの男は、凍気が描いた正円の中で微動だにしない。もはやあきらめたか。


凍獄氷寒渡流門ナジェスティエーネ


 魔術が発動した。


 凍気が激しく踊り出し、うず状となって一気にり上がっていく。渦は円錐えんすいを作り上げ、男を封じ込めた。


 内部は極寒の嵐が吹き荒れている。またたく間に男の身体は氷によって包まれていった。


「何とも見事な凍結界とうけっかいだわね。この時代に、ここまでの使い手がいるなんて僥倖ぎょうこうだわ。是非とも、一手ご指南しなんいただきたいわ」


 どこから現れたのか。


 一人の女が、ヴェレージャの作り上げた凍結界を物珍ものめずらしそうに見つめている。結界に手を触れたり、視線を近づけたりと、好奇心旺盛な行動だけを見ると、まるで子供のようだ。


「こうなっているのね。面白いわね。私の術とは違うわね。でも、惜しいわね。雑とでも言うのかな。もう少し魔術の錬成精度を上げた方がよいわね。あの子、どう見てもエルフよね。何だろうな。弱くなっているのかしら」


 女の顔がヴェレージャたちの方に向けられる。仕草だけは子供っぽいのに、見せた笑みはあまりに妖艶ようえんすぎる。見た目どおりの年齢とはいかないようだ。


(な、何、この女は。どこからともなく現れたのは、あの男と同じ。敵意が見えないのも同じ。でも、この震えはいったい)


 ヴェレージャは無意識のうちに、自身の身体を抱きすくめていた。


「少し遊んでもらえないかしら」


 女の人差し指が、優しく凍結界に触れた。


 ヴェレージャにはえた。触れると同時、女がごく少量の魔力を流し込んだのだ。


 結界に幾筋いくすじものひびが走る。鏡が割れるがごとく、硬質音が周囲をざわつかせる。


「馬鹿な。私の凍結界が」


 ヴェレージャが呆然ぼうぜんとするのも無理はない。強固なまでに氷で閉じられた結界なのだ。破壊されるはずがない。


 絶対的な自信をもって作り上げた凍結界が、いとも簡単にくだかれていた。しかも、指一本触れただけだ。強大な魔術を行使したわけでもない。


「この剣術馬鹿は邪魔なだけよね。私が回収しておくわね。問題ないでしょう」


 女が両手を軽く打ち鳴らす。それだけだった。男の姿はき消えていた。


 もはや、その気配さえ感じられない。どこか別空間にでも転移させたのか。女の力が尋常ではないことは明らかだ。


「そうそう、あの男、名乗らなかったようね。失礼よね。代わって私が説明しておくわ。あれの名はジェンドメンダ、ツクミナーロとかいう剣術流派の師範だったらしいわ」


 女も詳しいことは知らない。ただ、不祥事を起こして破門になったといった程度だ。何百年、何千年前のことかも分からない。師範ということで、それなりの手練てだれだったのだろう。


「残念ながら死んでいないわよ。貴女の魔術を視ていたけど、空気を変質させたわね。素晴らしかったわ。私の時代だったら、もっと手っ取り早い方法を選んだのでしょうが、この狭小空間だものね。最適解だと思うわ」


 褒められても全く嬉しくない。ヴェレージャは、女の言葉にただしかめ面を浮かべるだけだ。


 女からの攻撃意思は直接感じない。ヴェレージャは、女の馬鹿丁寧な説明を受けて、制御量にあやまちがあったかと首をかしげる。


 敵だとは認識している。油断は禁物だ。それでも、女の話術に誘いこまれてしまう。


「人を窒息死させるに十分だったわよ。貴女の制御が完璧だった証拠ね。でも、それでも、あれは死なないの。もちろん、この私もね」


 別のところから声が飛んできた。声の主はギリエンデスだ。


「やはり魔霊鬼ペリノデュエズなのか。そのほうの説明を信じるのであれば、人ならば確実に死に至っている。死なないのであれば結論は一つ。人ではないということだ」


 女が突然、大声で笑い出した。それは嘲笑ちょうしょう、冷笑、失笑、いずれであったか。


「あら、このようなところに魔人族がね。実体に見えて、そうでないのかしら。どうでもよいわね。それにしても、魔霊鬼ペリノデュエズと見間違うとは、貴男の目は節穴かしら。あの目を有しているのよね」


 いやみにしか聞こえない。ギリエンデスは渋面じゅうめんを浮かべつつ、うなづいてみせる。


「貴男の目にうつったとおりよ。私は魔霊鬼ペリノデュエズではないわ。先ほどのあれもね。では、人かと問われると、それもまた違うわね」


 今度の笑みはまさしく妖艶だ。獲物を捕らえて、決して逃さない。


「私のことは、そうね。魔霊人ペレヴィリディスとでも呼んでくれて構わないわ。魔霊人ペレヴィリディスのカイラジェーネよ。よろしくね」


 博識のギリエンデスでさえ初耳だ。過去、そのような存在を聞いたことがない。ヴェレージャたちも同様だった。


 カイラジェーネは獲物となる一同を見渡す。笑みの裏に、残忍さを忍ばせて。


「気づいているのでしょう。私の身体には、心臓の代わりに核があるということをね。どう、すごいでしょう」


 カイラジェーネと名乗った女は、自らを至高の存在と呼び、彼女が神と崇める存在によって作り出されたと言う。悦に入って言葉を繰り出すカイラジェーネに、誰もがついていけない。


「今はまだ数も少ないけど、これからこの主物質界は、私たちの神と私たちの手によって作り変えられるのよ。私たちが支配するためにね」


 完全な魔霊鬼ペリノデュエズでもない、人でもない。いわば人でありながら、心臓ではなく、魔霊鬼ペリノデュエズの核を有するといったところか。


 そして、カイラジェーネは最後に恐ろしいことを口にした。主物質界を支配すると。


「お前たちはジリニエイユによって生み出されたとでも言うのか。何が神だ。ふざけるな」


 ディリニッツがたまらず影から飛び出し、声高こわだかに叫んだ。明らかに激高げきこうしている。


「私たちの神の御名みなを口にしたわね。しかも、呼び捨てとは許しがたいわ」


 カイラジェーネのまとう気が一変した。人としての魔気まきが、ジリニエイユの名を聞いた途端、魔霊鬼ペリノデュエズとしての邪気に豹変ひょうへんする


 全身からすさまじいばかりの黒きもやき出している。


下郎げろうが、おのが身の程をわきまえるがよい」

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