第183話:予期せぬ敵との攻防

 坑道の入口がすぐ目の前に迫った。


 あれ以来、魔霊鬼ペリノデュエズとの小競こぜり合いはあったものの、大規模戦闘には至っていない。率先してギリエンデスと死霊団が退しりぞけていたからだ。


 それもあってのことか。この湿度の高い狭小空間から、ようやくにして抜け出せる。全ての者が解放感をいだき始めた矢先だった。


 それは起こった。


 突然、トゥウェルテナの身体が真横に吹き飛んだ。他でもない、ホルベントの仕業だ。


 彼女の立っていた位置、そこに今はホルベントがいる。その身体を一本の妖刀が刺し貫いていた。腹部中央をて斜め上方、心臓の真裏から切っ先が抜け出している。


 ホルベントの口から、うめき声とともに血の花が散った。


「ホルベント」


 岩壁に衝突した痛みをこらえたトゥウェルテナの絶叫が響く。全ての者の動きが止まってしまっている。


 ハクゼブルフトやノイロイドなど騎士団の者をはじめ、誰一人として攻撃に気づけなかった。


 それは、彼らの背後からやって来たのだ。つまり、彼らには目もくれず、標的を完全に絞っていたことを意味する。


 妖刀を手にした男が、ホルベントの足元にしゃがみ込んでいた。視線がわずかに持ち上がる。顔には狡猾こうかつで残忍な笑みが広がっていた。


「ほうほう、我が攻撃に気づくとはな。予想外だったぞ。戦闘経験が豊富と見える。さすがは年の功とでも言うべきか。しかも、我が狙いを察知、盾となったか。挙げ句がこのざまでは締まりも悪かろう。すぐに楽にしてくれよう」


 妖刀が引き抜かれる。ホルベントの口から再び血の花が咲き、さらに腹部と背部からも血が噴き出す。


 ようやくにして呪縛じゅばくけたか。最初に仕かけたのはギリエンデスだ。


 ただちに、ホルベントと敵の男との間に光壁を展開する。遅れじと、ハクゼブルフトが男めがけて魔槍まそう投擲とうてきうなりを上げて飛来する槍が男をとらえる。


「ほうほう、魔術付与されているか。直撃はけねばな」


 余裕の態度だ。男は真正面から魔槍と相対すると、妖刀を無造作に突き出す。金属と金属がぶつかり、鋭くも甲高い音が木霊こだまする。


「馬鹿な。超高速飛来する魔槍を剣一本で受け止めたというのか。しかも、あの細い切っ先で」


 ハクゼブルフトは、驚愕きょうがくの眼差しで起こった出来事を理解しようとした。これは現実か。頭が拒絶してくる。


 魔槍の推進力は途切れていない。なおも前進しようと試みている。双方の切っ先は極小点で接していた。微動だにしない。


 妖刀を握る男は片手持ちだ。見た目の身体つきとは裏腹に、恐るべき膂力りょりょくを秘めている。


「何者だ。いったい、どこから現れたのだ」


 温厚で知られるハクゼブルフトが珍しく怒声どせいを上げた。当然だろう。ホルベントに重傷を負わせ、さらに自身の魔槍をも、あのような形で封じているのだ。


 男からの返答はない。


 ホルベントは光壁のおかげで、とどめの一撃を受けることなく、ノイロイドたちによって救出されていた。


「ホルベント老、しっかりしてください。意識を強く保ってください。すぐに傷をふさぎます」


 慌ててけ寄ってきたトゥウェルテナが、ホルベントの手を握り締める。


「ホルベント、ホルベント、私のためにどうして。お願いよ、死なないで」


 大きな手を何とか持ち上げ、トゥウェルテナの頭に触れる。


「これしきのことで死んだりはせぬよ。儂の身体は頑丈がんじょうさだけが取柄とりえだからな。それよりも、そなたは無事か」


 何度も首を縦に振るトゥウェルテナの瞳からは、涙がこぼれ落ちている。


「無事で何よりだ。だから泣くでない。まだ儂は死んでおらぬぞ」


 空元気からげんきとでもいうのか、トゥウェルテナを安心させるために笑って見せるホルベントだった。


 実のところ、身体をわずかにり倒したことで、致命傷だけは辛うじて受けずに済んでいた。幾つかの臓器はそうもいかない。確実に妖刀で貫かれ、血が止まらないのだ。このままでは失血死はまぬかれない。


「どいてください。私がます」


 進み出たのは十二将の一人エランセージュだ。支援系魔術を得意とする彼女は、治癒系魔術にもひいでている。


「さすがに頑丈というだけのことはありますね。これなら、止血すれば何とかなるでしょう。ただし、しばらくは戦闘に参加できませんよ。傷ついた臓器を完璧に元どおりに治療することは不可能ですからね」


 エランセージュは右手を患部にかざすと、即座に詠唱に入った。


 光壁の外では、前方にいたギリエンデスと死霊団、さらにヴェレージャとセルアシェル、第三騎士団のハクゼブルフトとペリオドットが男と対峙たいじしている。


 既に魔槍はハクゼブルフトの手元に、妖刀は男の手に納まっている。


(まさか魔霊鬼ペリノデュエズか。いや、我の目でとらえられないはずはない。いったい、奴は何者なのだ)


 ギリエンデスの思考をよそに、男が居並ぶ者たちを睥睨へいげいする。


「ほうほう、我を相手に、たったこれだけで挑んでくるとはな。随分となめられたものよ」


 嘲笑ちょうしょうを浮かべる男の姿が、視界から消えた。誰もその動きを追えていない。


「遅すぎる」


 次の瞬間、男の姿はハクゼブルフトとペリオドットの前に現れていた。妖刀がなめらかに、左斜め下段より逆袈裟ぎゃくけさ疾駆しっくする。


 二人は全く動けない。構えることさえできず、一刀のもとに切り伏せられるのを待つだけだ。二人にとっては、確実なる死へのいざない、時の流れが異様に長く感じられた。


 突然のこと、男は途中で軌道を修正した。剣身に何かが衝突する。それも立て続けに三つの硬質音が響く。


「お前たち、命拾いしたな」


 男は妖刀を下げた状態で、大きく退しりぞいていた。妖刀によって弾かれたものが大地に斬り落とされている。魔光矢まこうやだ。


 男の視線が、光壁のすぐ外側に立っているノイロイドに注がれる。


「味な真似をする。弓使いまでいたとはな。ご丁寧なことに魔術付与もされているか。楽しませてくれるではないか」


 男は余裕の態度を崩さない。余興が一つ増えようが、全く影響はない。それほどまでに実力差があるということだ。


「ハクゼブルフト、ペリオドット、今のうちに槍を構えて」

「あ、ああ。済まない。ノイロイド、助かった」


 男に向かってギリエンデスが問いかける。そこには多分に焦燥感が含まれていた。


「貴様、その剣術をどこで体得たいとくしたのだ。それはまぎれもなく三大流派が一つ、ツクミナーロ流の剣術ではないか。しかも、貴様が手にする剣は、よもや」


 信じられない思いのギリエンデスとは対照的に、男は悦に入った笑みを浮かべ、妖刀を数回振ってみせる。


「ほうほう、詳しいではないか。どうやら、この時代にもツクミナーロ流は消滅せず、脈々と継がれてきているのだな。素晴らしい。実に素晴らしい」


 男の姿がまたもや消えた。


 次の狙いは誰か。無論、弱い者からだ。戦いにおける鉄則だ。男の目には、既に順列がついている。


 ハクゼブルフトとペリオドット、その次は彼女だった。


≪セルアシェル、奴は貴女の前に来るわ。だから動いては駄目よ≫


 声を発したのはヴェレージャだ。セルアシェルにのみ通じる念話で語りかける。


 ヴェレージャはここまで何もしてこなかったわけではない。男と対峙たいじしたその時から、幾つもの手を打ち続けているのだ。


 一つは言うまでもなく魔術詠唱、もう一つは魔術文字、さらにもう一つは魔術巻物だ。三段階で魔術を仕込んでいる。


 男の姿が、予測どおりにセルアシェルの眼前に飛び出た。妖刀は既に上段に位置している。振り下ろすだけでセルアシェルは真っ二つになる。


 セルアシェルは動けなかった。いや、ヴェレージャの言葉を信じて、あえて動かなかった。


「女、いさぎよし。苦しまずに殺してくれようぞ。その後は、たっぷりと」


 上段に位置した妖刀が振り下ろされ、セルアシェルの頭上に迫る。


「ほうほう、今度は魔術か」


 妖刀はそこから動かない。セルアシェルを包むように展開された氷壁が、完璧にはばんでいたからだ。


 分厚ぶあつい氷に触れた途端、剣身が凍りついていく。このままでは男の身体まで凍結してしまう。


 男は一切の躊躇ためらいもなく妖刀を簡単に手放すと、再び後退を選んだ。


「それは魔剣アヴルムーティオです。すぐに離れてください」


 ギリエンデスが警告を発する。ヴェレージャは知っている、とばかりに呼応した。


「承知しているわ。だから、抜かりはないわ」


 男の手を離れようとも、凍りついた妖刀は意思をもって、氷壁をくだこうとやいばを食い込ませていく。さらに剣身から凄まじい熱を発し、氷を溶かし始めているのだ。


 ヴェレージャの魔力が氷壁に注がれる。今のところ、妖刀の力とは拮抗きっこうしている。


「さて、いつまで維持できるであろうな」


 男は腕組みをしたまま、ただ状況を見つめるだけだ。その余裕の態度が、ヴェレージャにはしゃくさわった。


「お前こそ、私たちをなめないでもらいたいわね」


 ヴェレージャがさらに動く。

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