第097話:精霊の解放と新たな武器

 召喚術をほどこしたソミュエラはもちろんのこと、他の者にはえていないものがレスティーの目にはっきりとうつっている。


 背後からしなだれかかるフィアも、風斬りの剣フリュヴァデルを視て、落胆の表情を浮かべている。


 召喚術師は文字どおり、魔術陣を用いることで、同界または異界の住人を呼び出し、使役する。召喚には膨大な魔力と呼び出す対象によって様々な対価が必要となる。


 ソミュエラとはあの時に対峙たいじできなかった。召喚術師としての力がどの程度のものか明瞭には分からない。


 そのうえで、召喚した精霊を剣に定着させる力はないと断言できる。彼女が持つ八振りの剣、全てに付与された魔術が異質だったからだ。


 恐らくは様々な付与術師の力を借りているのだろう。問題はソミュエラではない。付与術師にあった。


ひどいな、この剣は。そなたたちの目でもとらえられるよう、具現化しよう」


 レスティーは指先を剣身に走らせ、精霊語を唱えた。


"Visdi-sdjav."


 剣身に刻まれた魔術文字を通して、精霊の姿が次第にあらわになっていく。


「まさか、こんなことって」

「いったい何をやったんだ、ソミュエラは」


 レスティーの具現化により、今や二人にも目の前に浮かぶ精霊の姿が確認できていた。衰弱しきりのその姿を、ヴェレージャは悲しみをたたえた瞳で見つめ、ディリニッツはこんなことをしたであろうソミュエラに怒りをぶつけている。


「そなたたち十二将の名誉のために言っておくが、あの者の仕業しわざではない。あの者は、精霊を召喚しただけであり、剣への定着は付与術師によるものだ」


 風斬りの剣フリュヴァデルは標準的な片刃長剣だ。剣身の素材にしても、一般的なはがねが用いられている。言うならば、どこにでもある長剣と変わらない。


 そのような何の変哲もない長剣に、精霊を定着させること自体がそもそもの間違いなのだ。精霊を定着させるためには、剣身に特殊な素材を用いなければならない。


 付与術師は、そのことさえ知らなかったのだ。腕があまりに悪すぎたとしか言いようがない。根本的な仕組みを理解しておらず、精霊の意思を無視して強引に定着させてしまった。


ゆえに、精霊は傷つき、衰弱してしまっているのだ。この剣を使い続ければ、いずれ精霊は消滅してしまう」

「レスティー様、何か方法はないのでしょうか」


 ヴェレージャの問いに答えたのはキィリイェーロだった。


「愚かな術師よ。精霊を何と心得こころえておるか。我らエルフ属にとって、精霊は敬愛し、いつくしむべき存在だ。それを剣ごときに定着させるなど、許せぬ行為ぞ」

「では長老、どうすればこの精霊を救えるのか。方法をご存じなのですか」


 キィリイェーロは、ただ黙って首を横に振るだけだ。


 方法は知っている。自分にできることは何もない、という意味合いだ。それを可能とする者がただ一人だけいる。三人の視線がレスティーに注がれる。


「精霊を解放するのは容易たやすい。だが、ここまで衰弱しきった精霊をいやすことは私にもできぬ」


 レスティーは右腕全体に魔力を集中させると、腕の周囲に複数の魔術陣を描き出していく。


 光り輝く七陣が浮かび上がる。陣はそれぞれの色に塗り分けられている。レスティーの右腕、指先付近がもっとも淡いみどり、そこから規則正しい階調で濃度が高くなっていく。


 レスティーの肩先、三人にはいまだ見えないフィアの位置が最も濃い碧になっていた。


「フィア、準備はよいか」

「ええ、もちろんよ、私の愛しのレスティー」


 完全にっていた気配を、三人が知覚できるところまで戻す。


「ま、まさか、風の精霊」


 驚愕きょうがくのあまり、ヴェレージャの口から思わず言葉がれ出していた。レスティーが左手の指を唇に添え、それ以上は無用とばかりにさえぎる。


「定着の魔術を解除する。この剣はくだけ、二度と使い物にはならぬ。構わぬな」


 ヴェレージャとディリニッツに向けた問いだ。二人は、一も二もなくうなづいた。


 レスティーが右手を剣身に添え、静かに魔力を流し込む。剣身を壊さないよう慎重に魔力圧を加え、きざまれている魔術文字を分離させていくのだ。


「魔術文字が」


 ディリニッツのつぶやきがこぼれる。


 レスティーの指先付近に展開された魔術陣、もっとも淡い碧の陣がいっそう強く輝くと同時、剣身が粉々こなごなに砕け散った。そして全ての魔術文字が霧散むさんする。


 解放された風の精霊が、自分の置かれた状況に戸惑っているのか、目の前の魔術陣に入って来ようとしない。


 それを見たフィアが、風の精霊に向かって優しくささやく。精霊語だ。


"Kloemang sammit fratiyg llmeig."


 フィアの声を耳にして、風の精霊の表情が一変した。衰弱しきっているものの、歓喜に満ちれている。今度は迷いなく、レスティーが展開した魔術陣に身を投げ入れた。


 魔術陣を七陣で構成したのには、れっきとした理由がある。


 今、剣に定着させられていた風の精霊が存在するのは主物質界だ。レスティーの指先の陣は最も淡い碧で、主物質界に近い環境を維持している。


 そこから段階を踏むごとに、風の精霊が本来住むべき精霊界の環境へと近づけていくのだ。


 通常の精霊なら、一足飛いっそくとびに主物質界から精霊界に戻せば、それで事足りる。ここまで衰弱した精霊の場合、身体を癒さなければ界越えの負荷に耐えきれない。


 七陣を一つずつくぐることで、精霊の身体は徐々に癒され、精霊界へと戻る準備を整えるのだ。


 レスティーは無論、いくらフィアの力をもってしても、主物質界で精霊を完全に癒すことはできない。完璧な状態に戻すためにも、精霊界に戻す必要があるのだった。


 風の精霊が七番目の魔術陣、最も濃い碧の陣を潜り抜ける。そのまま甘えるようにフィアの胸の中に飛び込んでいく。


「私の愛しのレスティー、この子はもう大丈夫よ。少しだけ私の力を与えてから、風の精霊界に戻すわね」

「フィアのおかげだ。心より感謝する」


 レスティーからの言葉なら、どんなものでも嬉しい。これが二人きりなら、甘えて、照れているところだ。ここにはエルフ属の三人もいる。フィアはりんとして答えた。


「私の愛しのレスティーの頼みよ。断るなんてあり得ないわ。それに、この子たちは私が守るべき存在だもの」


 レスティーが右腕を軽く振って魔力を解放する。展開していた魔術陣全てが消え去った。胸に抱かれたままの風の精霊が、レスティーを見つめている。


 本来、精霊は人とは相容あいいれない存在だ。信頼関係を築き上げるのが難しく、だからこそ、その関係が構築できた時、精霊は大いなる力をもたらしてくれる。


 此度こたびの件では、この風の精霊は術者の召喚に応じ、主物質界に顕現けんげんしたものの、問答無用で剣に定着させられてしまった。信頼関係も何もあったものではない。二度と人の要請に応じることはないだろう。


 その精霊が、じっとレスティーを見つめたまま微動だにしない。レスティーはフィアと風の精霊にだけ聞こえるように精霊語を発した。


≪そなたには長らく辛い思いをさせてしまった。人を代表して、心より謝罪する。このとおりだ≫


 レスティーが風の精霊に頭を下げる。風の精霊は不思議そうにレスティーを見つめている。次いで、フィアを見上げるようにして視線を向け、短く言葉を交わした。


 レスティーはあえて聞かなかった。風の精霊がフィアのもとから飛び立ち、ゆっくりとレスティーに近づいてくる。確かめるように周囲を旋回せんかい、レスティーの差し出した左の手のひらに降り立った。


 どのような会話がなされたのか、それは二人だけの秘密だ。


≪フィア、彼女を風の精霊界へ≫

≪ええ、任せておいて≫


 再び、レスティーの周囲を一回り、フィアのもとに戻った風の精霊が、導かれるようにして風の精霊界へと戻っていく。


 彼女の姿が大気に溶け込むようにして、次第に薄れていき、やがて完全に見えなくなった。


「香術師対策として手に入れた剣であっただろう。そなたたちには済まなかったな」


 ヴェレージャが冷静に答える。むしろ、これでよかったのだと割り切れた。


「実態を知ってしまった以上、あの剣を使う気にはなれません。これでよかったのです。何より、私たちは二人ともに剣術が苦手なのです。付け焼きでは、あの男に勝てないでしょう」

「仮に、あの剣を使ったとして、どのような戦術を考えていたのだ」


 今度はディリニッツが答える番だった。ソミュエラから聞かされた話を織り交ぜつつ、魔術での攻撃はヴェレージャが、間接的な剣と魔術での攻撃は己が受け持つことを簡潔に説明する。


「ならば、あの剣の代わりと言っては何だが、これをそなたたちに渡しておこう」


 レスティーが取り出して見せたのは、全長およそ二十セルク、美しい光碧こうへきの羽だった。先端が細く鋭利な錘状すいじょうで、短く切りそろえられた羽が光沢を放っている。


風碧雷襲羽プリュミロワゼルという。それなら剣技も必要ない。しかるべき時に放てばよい。その威力は、私が保証しよう」


 一本ずつ、うやうやしく受け取る二人だった。

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