第234話:五人の魔霊人

 アーケゲドーラ大渓谷の最高地点は標高八千メルクを超え、極寒と低酸素に支配されている。


 吹きすさぶ風は雪氷せっぴょうまとい、侵入する者を排除しようと容赦なく打ちつける。ここでは火と熱は全く役に立たない。風嵐と水氷が活性化を許さないからだ。


「ふむ、ジェンドメンダとカイラジェーネが失せたか。下位の二つとはいえ、高位ルデラリズの核を移植した魔霊人ペレヴィリディスを倒すとはな。あの者どもをめるべきか」


 表情一つ変えず、興味なさげにつぶやく男が一人、雪に覆われた岩石の上にたたずんでいる。ジリニエイユだ。


 極寒も低酸素も彼に影響を与えることはできない。エルフとしての肉体をほぼ失っている身体は、今や最高位キルゲテュールと同化しているのだ。


 驚異的な最高位キルゲテュールの力が彼を守護している。完全同化されず、自我を保ち続けられているのは、ひとえにジリニエイユの研究がもたらす最大の恩恵だった。


≪まだ五体もいるではないか。中でも上位三体は別格だ。彼奴きゃつらを差し向ければよいではないか≫


 最高位キルゲテュールから見れば五体、ジリニエイユから見れば五人がいつの間に現れたのか、ジリニエイユの前に片膝かたひざをついたまま控えている。


 彼らも最悪の気象条件に左右されていない。身体は人に見えるものの、高位ルデラリズの核の一部で構築されたそれは主物質界の常識外だ。


 睥睨へいげいするジリニエイユに対して、彼らは一様に頭を下げたままだった。上下関係は明白で、最高位キルゲテュールと半同化状態かつ仮初かりそめの命を授けてくれたジリニエイユは絶対的存在なのだ。


 彼の言葉なくして、彼らが勝手な行動をすることは決してない。


おもてを上げよ。お前たちの意思を聞こうではないか」


 ジリニエイユから見て、右手より力順に横一列だ。五位の者からジリニエイユが尋ねていく。


「ガドルヴロワ、お前はどうだ」


 わずかの逡巡しゅんじゅん、いつもならジリニエイユは上位の者から優先して物事を進めていく。それが今に限っては逆だ。


 他の四人はどうだろうか。横目を向けるものの、一切の感情が読み取れない。同じ核から生み出されたとはいえ、そこに共存関係は一切ない。


 すきあらば寝首をき、食うことで己の力を増す。それが本能なのだ。だから迷わず答えた。


「私は谷底に行きたく。そこに面白そうな者がいます」


 詳しく述べる必要はない。ジリニエイユもあえて聞こうとはしない。どちらにとっても、目障めざわりな敵を少しでも殺せるならそれでよいのだ。


「よかろう。では谷底へ行くがよい。次だ。ゼーランディア、お前はどうする」


 こちらは逡巡なく、即答だ。


「私はガドルヴロワと共に谷底へおもむきたいと考えております。お許しを頂戴できればと」


 実はガドルヴロワとゼーランディアは、人であった時は実の姉弟という関係だ。もはや一心同体と言っても過言ではない。


 複数の剣を自在に使いこなすガドルヴロワ、弟を支援しつつ自らも強力無比な魔術を扱うゼーランディアは、その界隈かいわいでは知らぬ者がいないというほどの実力者だった。


 二人はある事件に巻き込まれ、さらに裏切りによって悲惨な死を遂げた。その二人を拾い上げたのがジリニエイユだ。それ以来、姉弟はジリニエイユに心酔しきっている。


「ケーレディエズ、ニミエパルド、ヒオレディーリナ、お前たちには我から」


 言葉を遮る者がいた。不敬にもほどがある。その者に向けて殺気に満ちあふれた敵愾心てきがいしんがいっせいに飛ぶ。


「私の目的は唯一絶対だ。命に従う義理はない。そうだろう」


 感情を廃した声だ。


 七人の魔霊人ペレヴィリディスにあって、最強たるヒオレディーリナだけは特別な存在、例外中の例外だった。


 二つの意味がある。


 一つは彼女が死んでいないということだ。彼女はジリニエイユの核移植実験第一号であり、自ら志願して生きたまま高位ルデラリズの核を体内に受け入れている。結果として彼女は成功した。人としてほぼ不死と化し、さらには強大な力を手にしたのだ。


 もう一つは彼女の目的だ。その目的を果たすためだけに彼女は生きている。ジリニエイユの命にさえ絶対服さない。実験体になる際に交わした約定やくじょうでもある。約束ではない。約定だ。すなわち魔術誓約をもって取り決めたもので、それをたがえることは死を意味する。


 そのこと自体、他の四人は一切知らされていない。


「うむ、そうであったな。済まぬ。そなたは好きにするがよい」


 ジリニエイユが躊躇ちゅうちょなく引き下がり、ヒオレディーリナの意向を受け入れ、あまつさえ謝罪までしたのだ。驚愕きょうがくせざるを得ない。


「ジリニエイユ様、よろしいのでしょうか」


 思わず声を発してしまったニミエパルドに、ジリニエイユは冷たい視線を向けるだけだ。それだけでニミエパルドは口をつぐんでしまう。


 この差はいったい何だろうか。それを考える余裕さえ与えない。ヒオレディーリナを除く四人にとって、ジリニエイユはそれだけ絶対的存在なのだ。


「出すぎた真似を、大変申し訳ございません」


 辛うじて謝罪の言葉だけを口にする。ジリニエイユは一顧いっこだにせず、二人に向けて命を下した。


「お前たちはあの三姉妹を何としてでも殺せ。恐るべき力を手にしておる。さらには多くの者にもまもられておる」


 眼光鋭くにらみつけるジリニエイユの目が告げている。お前たちにできるのかと。


 二人にも、人であった時の、そして今は魔麗人ペレヴィリディスとしての意地がある。できないと言うわけにはいかないのだ。


「御意のままに。必ずや、三姉妹の命を奪ってみせましょう」


 もはや興味も失せたか、ジリニエイユは鬱陶うっとうしそうに軽く右手を払う。既に背を向けている。行けということだ。二人は無言でうなづくと、その場から即座に姿を消した。


「私も行く」


 もともと言葉数の少ないヒオレディーリナだ。告げるなり、ジリニエイユの意向を確認するまでもなく去っていった。もはや気配の一片も感じられない。


(さて、どこに向かおうか)


 一瞬にして高度二千メルクをけ下ったヒオレディーリナは雪氷を踏み締め、右手に握った剣を振っている。


 剣軌はゆるやかなようで厳しい。それでいて吹きすさぶ雪氷嵐に逆らうことなく、むしろ連れ合いつつ流れている。美しい剣舞を見ているようでもある。


 一連の動作を終え、納刀する。残心を取る必要もない。


 先ほどから遠慮がちに向けられる視線には気づいている。ここまで降りてくることを見越して監視要員を配していたのだろう。


(用心深いジリニエイユだ。仕方ないわね)


 ヒオレディーリナにとって監視など何ら問題にならない。邪魔なら殺すだけだ。たとえそれが魔霊鬼ペリノデュエズであってもだ。


 ヒオレディーリナの実力をもってすれば、高位ルデラリズでも容易たやすほうむれるだろう。七つの核のうち根核ケレーネルを授けられた魔霊人ペレヴィリディス最強は伊達だてではないのだ。


(そうだ。ここには、あの子たちも来ているに違いないわ)


 僅かにほおに赤みが差す。楽しみを見つけた嬉しさからか。ヒオレディーリナが両の瞳を閉じる。


 納刀していた剣を再び抜刀ばっとう、大地を覆う雪氷に突き立てる。左手を柄頭つかがしらに添えて静かに魔力を注ぎ込んでいく。


(あの子の魔力は、そうね、これだったかしら)


 剣を中心に魔力網が四方へ広がっていく。最初に接触した魔力は、ここからおよそ三千メルクほど下った地点だ。一人の男がいる。


(気づかれた。微弱なのにすごいわ。魔剣士かしら。手合わせしてみたい)


 素直な気持ちだ。強い剣士なら誰でもよいというわけでもない。自身の目的を果たすことこそが最優先だ。そのためにこそ探しているのだから。


 男は触れた魔力に敵意がないことを感じ取ったのだろう。攻撃は来なかった。


 そこから千メルクほど下がった高度二千メルク地点では大量の魔力反応が返ってくる。残念ながら、ヒオレディーリナが期待する魔力ではない。その中で知っている魔力は僅かに二つだ。


(あら、嬉しい誤算だわ。生きていたのね。あの子の前に、先に挨拶しようかしら)


 向かうべき先が見つかった。ヒオレディーリナは剣を引き抜き、納刀すると同時、凄まじい跳躍力を見せ、一気に崖縁がけふちを越えていった。


 自由落下していく身体が雪氷嵐せっぴょうらんり刻まれ、美しい鮮血を散らす。


 高度六千メルクを超えるここでは、液体はすぐさま凍結を迎える。人であるままに高位ルデラリズの核を受け入れたヒオレディーリナの血は深紅だ。魔霊鬼ペリノデュエズの特徴たる濃緑は見られない。


 それでも一切影響を受けない。強靭な魔霊鬼ペリノデュエズの身体のなせるわざだった。


 落下からおよそ二十五フレプトだ。ヒオレディーリナはさやからの抜刀と同時、力任せに上下に、さらに自らを中心に円状にいだ。


 薙ぎの威力は雪氷嵐を斬り裂き、自身から遠ざける。ヒオレディーリナの身体は大気の幕に覆われ、落下が止まった。


 目的地は真下だ。視界にとらえる。


(誰も気づいてくれない。残念ね。あら、そうでもない)


 二人の視線が交差する。ヒオレディーリナは歓喜、相手は驚愕といったところか。


 納刀前に一振り、それが推進力となりヒオレディーリナの身体は静かに降下していく。そして、高度二千メルク地点に何ら問題なく降り立った。


 視線をらすことなく、見知った顔に向けて歩を進めていく。


「お久しぶりね、ビュルクヴィスト。元気そうで何より」

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