第233話:パレデュカルの警告と決別

 シュリシェヒリの里に、まもなくとばりが下りようとしている。


 下りきったと同時、目を持つエルフの勇士たちがいっせいに魔術転移門をくぐり、決戦の地たるアーケゲドーラ大渓谷へとおもむく。シュリシェヒリの存亡をもけた戦いが、まもなく始まろうとしている。


 静寂に包まれた神殿前、そこにトゥルデューロの姿があった。かたわらには妻プルシェヴィアもいる。


 二人は無言のまま寄り添って、高度をたがえながら天頂に輝く藍碧月スフィーリア紅緋月レスカレオ槐黄月ルプレイユの三連月を見上げている。


 まだ低い位置だ。美しくも冷たい輝きをあまねく投げかける光が、この後の天文現象で闇に包まれるなど、やはりにわかには信じがたい。


 三百二十四年の周期をもって迎える皆既月食だ。三百二十四年前のあの時、二人も魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いに加わっていた。


「また同じことが起きるというのか。我らはどうなってしまうのだろうか」


 トゥルデューロとプルシェヴィア、二人がいだく思いはいつだ。この戦いに勝利できるのか。そして、何よりも娘ラナージットの将来だ。


「私たちにとって、三百二十四年は長いようで短いわ。あの時と同じなら、また多くの犠牲者が。でも、今の私たちには決定的に違うところがある」


 言うまでもなく、レスティーよりさずけられたシュリシェヒリの目だ。


 あの時も目を有する者はいた。それでも、侵入した百三十体ほどのなりそこないセペプレに対して圧倒的に足りなかった。その五倍、およそ六百五十人近くいた里のエルフの中で、五十にも満たない数では如何いかんともし難かったのだ。


 今はどうだろうか。現在、里内にはおよそ二百人のエルフが住まう。そのうち百八十人ほどが目を授かっている。


 数の比だけで言えば、三倍以上になるものの、対して魔霊鬼はなりそこないセペプレではない。数は少なくとも、最低でも中位シャウラダーブ、ほぼ間違いなく高位ルデラリズを相手にしなければならない。


 彼らはヒューマン属との共闘をこばんでいる。最終標的をジリニエイユに定めているからだ。が悪いのは変わらないのかもしれない。


「厳しい戦いだ。それでも、絶対に勝たねばならない」


 勝利できたとしても、トゥルデューロとプルシェヴィア、いずれが欠けても駄目なのだ。二人そろって生還し、そして愛する娘と再会する。それが二人の心からの願いだ。


「プルシェヴィア、この戦いに勝ったとしても、生きて帰れる保証はない。だからこれだけは言わせてくれ。俺のような者と一緒になってくれて本当に有り難う。お前には迷惑のかけっぱなしだったな」


 プルシェヴィアは黙って聞いてくれている。トゥルデューロはなおも続ける。


「俺の命に代えてでも、お前だけは必ずまもってみせる。俺が死んでも、お前だけは生きて戻って娘を、ラナージットを頼む」


 悲壮感はない。柔らかな笑みをもって、いとしい妻プルシェヴィアを見つめる。


「貴男は私が護ります。貴男より私の方が強いのですよ」


 トゥルデューロは心から思った。ああ、これだ。この微笑みを見て、一瞬にして心を奪われてしまったのだ。サリエシェルナへの未練はあったものの、トゥルデューロは現実を選択した。


「プルシェヴィア、ああ、そうだな。その前に」


 トゥルデューロの視線が神殿正門の頂上、精緻せいちな技術で創り出された彫像に腰かける男に向けられた。


「いつまでそこにいるつもりだ。悪趣味だぞ。降りてこい、パレデュカル」


 トゥルデューロの声に呼応して、漆黒をまとう影が風と共に颯爽さっそうと降り立つ。


「さすがに気づくか。なまってはいないようだな。安心したぞ、トゥルデューロ。久しぶりだな、プルシェヴィア。元気そうで何よりだ」


 この重要な時にいったい何用があって、わざわざシュリシェヒリの里までやって来たのか。トゥルデューロにはパレデュカルの意図が全く分からない。


 プルシェヴィアをかばうようにして前に進み出る。万が一の戦闘に備えるためだ。


「ここでお前とやり合うつもりはない。警告をしに来ただけだ」


 トゥルデューロもプルシェヴィアも怪訝けげんな表情を浮かべてパレデュカルを見つめる。


 トゥルデューロは無論のこと、プルシェヴィアも因縁いんねんめいた関係だ。何しろ、パレデュカルがれていた亡きミジェラヴィアは実姉、そしてプルシェヴィアだけが知っている。


 ミジェラヴィアもまたパレデュカルが好きだった。お互いが思いを秘めたまま、辛い別れとなってしまったのだ。


「警告だと。それにお前、あの時はあえて尋ねなかったが、その右脚は」


 前回の再会時には、ラナージットのことで頭がいっぱいだった。それにパレデュカルのことだ。機能不全の右脚は、己自身の魔力によって回復させたのだろう。その程度にしか考えていなかった。


「お前にはえているだろう。そうとも、魔霊鬼ペリノデュエズの力だ。異界からの召喚で食われた俺の右脚は、人ごときの魔力でどうこうできるものではない」


 トゥルデューロは言いたいことが山ほどある。今はそれらを全て呑み込む。


「お前の警告とやらを聞こう」


 プルシェヴィアが背後からトゥルデューロの腕を心配そうにつかむ。あまり刺激するなという意味合いだ。パレデュカルも気づいたのだろう。わずかに苦笑を浮かべている。


「俺が信用できないか。ここまでの俺の言動を見れば、それも仕方あるまい」


 プルシェヴィアが初めて口を開く。


「ダナドゥーファ、貴男はラナージットを救い出してくれました。私たち二人ともに深く感謝しています」


 その先を言うのははばかられた。言えば、確実にパレデュカルを責めてしまう。


 ラナージットの母という側面だけなら感謝もできる。シュリシェヒリの里のエルフという側面からでは、決して許容できないことばかりだからだ。


 サリエシェルナのためとはいえ、裏切り者のジリニエイユと結託、挙げ句の果てには滅するべき魔霊鬼ペリノデュエズの力を受け入れている。


 プルシェヴィアにはパレデュカルが理解できない。だからこそ、この言葉だけを残した。


「ミジェラヴィア姉さんが、泣いているわ」


 思った以上にパレデュカルの心を深くえぐっていた。どれほど時間がとうとも、ミジェラヴィアへの思いは変わらないのだろう。その顔が苦悶くもんゆがんでいる。


 断ち斬れるトゥルデューロ、断ち斬れないパレデュカル、二人の差異は決定的でもある。


「お前たちに何が分かると言うのだ。愛する者が次々とこの手からこぼれ落ちていく。俺の喪失感は、誰であろうとどうにもできぬのだ」


 サリエシェルナを連れら去られて以来、パレデュカルは壮絶な覚悟をもって生き長らえてきた。その過程で捨てるべきものは容赦なく捨ててきた。


 普通の人生を歩んできたなら、決して捨てないようなものまでもだ。もはや後悔したところでどうにもならない。だからこそ手段も選ばない。


「トゥルデューロ、友として警告する。この戦いにおいて、俺の側につけ。プルシェヴィア、お前もだ。さもなくば」


 パレデュカルが右手を宙に走らせる。空間が切り取られ、あるものが映し出されていった。それを前にして、トゥルデューロもプルシェヴィアも息をむしかできない。


「ラナージットのそばだ。使い魔、そして魔装人形トルマテージェだ。俺の命令にのみ従う。それが何であろうと絶対にな」


 顔を真っ赤に染め、今にも襲いかからんばかりのトゥルデューロにプルシェヴィアが両手でしがみつき、何とか抑止している。


「娘を人質に取るというのか。パレデュカル、腐りきってしまったな。もはや友でも何でもない。ここでお前を」


 殺気が収まらない。トゥルデューロは問答無用で魔術の詠唱に入った。


「駄目、貴男。ラナージットの命がかかっているのよ。冷静になって」


 プルシェヴィアの言葉も耳に入らない。


めよ、トゥルデューロ」


 一喝いっかつだ。動きが止まる。


 割って入ったのは長老キィリイェーロだった。パレデュカルの魔力を感じ取り、急ぎけつけてきたのだ。トゥルデューロとパレデュカルの間に立ち、右手の杖を突きつける。


「パレデュカルよ、戻ってジリニエイユに告げるがよい。好き勝手にはさせぬ。我らシュリシェヒリの総力をもって必ずち果たすとな」


 にらみ合いが続く。互いに火花を散らしつつ、何らかの応酬を繰り広げているようにも見える。


 落ち着きを取り戻したトゥルデューロ、かたわらで見守るプルシェヴィアにも声はない。先に視線を切ったのはパレデュカルだ。


きょうがれた。ジリニエイユには伝えておこう。キィリイェーロ、アーケゲドーラ大渓谷がお前の墓場となる。お前だけでなく、シュリシェヒリの者全てがだ。覚悟して来るのだな」


 キィリイェーロを睨みつけ、視線をトゥルデューロとプルシェヴィアに向ける。言葉の代わりに目で告げる。


 空間を切り取っていた映像が消え失せ、代わってパレデュカルの背後、鈍い硬質音を響かせながらに魔術転移門が開く。


「パレデュカル、今この時をもって貴様は敵だ。もしも俺たちの娘に手を出した時は」


 トゥルデューロの言葉を受けても、パレデュカルの表情に変化は見られない。視線を外すことなく、黙したままだ。


 後退あとずさりするパレデュカルの姿が魔術転移門の中へと吸い込まれていく。


「ラナージットの命は俺の掌中しょうちゅうだ。努々ゆめゆめ忘れるな。アーケゲドーラ大渓谷で待っている」


 その言葉を残し、魔術転移門が消失した。


「パレデュカル」


 トゥルデューロの憤怒ふんぬに満ちた絶叫が空へとけ上がっていく。


 娘を、かつての友を思う彼の心情を、天に輝く三連月はどのように受け止めただろうか。

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