第235話:ヒオレディーリナの正体
ビュルクヴィストは、フィリエルスによって搬送されてきたホルベントの容体を一目見た瞬間に悟った。
(完全治癒は無理です)
エランセージュにさわりを聞いた際に嫌な予感はしていたのだ。
治癒魔術を
(やはり
さすがに魔術高等院ステルヴィア院長たるビュルクヴィストの力をもってしても、
血の浸食をできうる限り遅らせるための補助的治癒でしかない。
最も確実な方法は、一刻も早く術者を仕留めることに尽きる。ビュルクヴィストは信じている。必ずや成し遂げてくれることを。
そして、ようやくにしてその時が訪れる。
(
ビュルクヴィストが意識を血の流れから治癒そのものへと切り替える。
血管に流し込んでいた氷礫を解除、体外へと放出する。そのうえで新たな氷礫を生成、ホルベントの血管内へ浸透させていった。
今度は血管内で少しずつ溶けていく氷礫だ。ホルベントの自己治癒力、すなわち血流の強さに応じて溶けるように魔術制御されている。
ビュルクヴィストは氷礫を完璧に制御しつつ、ホルベントの血流を魔力を通して観察している。さすがにホルベントは歴戦の雄だ。年齢を感じさせない回復力を見せている。
ビュルクヴィストは
(これは)
魔力が向けられている。敵意、害意は
ビュルクヴィストはホルベントに意識を向けながらも、大半をそちらに
互いの視線が交差する。
(まさか)
大気の
右手が優雅に振られた。大気を
ビュルクヴィストは視線を切れない。彼女の行動に釘づけ状態だ。意識が完全に彼女に持っていかれている。明らかにホルベントへの治癒が
彼女は高度二千メルク地点、ビュルクヴィストたちが集う大地に何ら問題なく、柔らかく降り立った。視線は常にビュルクヴィストに向けられている。
右手の剣を鞘に納刀、長い
ビュルクヴィストからおよそ十歩間、そこで立ち止まる。
「お久しぶりね、ビュルクヴィスト。元気そうで何より」
優しげで温かみのある声だ。一度聞けば決して忘れられない。まるで母に
「ジェンドメンダは死んだわ。ねえ、私が代わろうか」
ビュルクヴィストが口を開きかけたところを手で制し、彼の眼前で
「そうでした。こちらを優先しなければ。少し」
待ってください。口にしようとしたところで思い
(今の彼女の力を見せてもらうにはちょうどよい機会ですね。それにあの状態は)
ビュルクヴィストは思いを振り切るかのように、一度だけ
「では、お願いできますか。方法はお任せいたしますよ、ヒオレディーリナ」
小さく
(危なかったです。容姿は変わらずとも、私よりもはるかに年長者です)
言葉はない。表情に変化も見られない。ヒオレディーリナは
納刀したばかりの剣を鋭く抜刀、静かに左下段に置く。
ビュルクヴィストの後方、居残っているラディック王国の者たちが騒ぎ立てている。
「騒ぐんじゃないよ。黙って見ていな」
ルシィーエットの言葉には誰も逆らえない。騎兵団の者たちは無論のこと、たとえ国王であってもだ。そのイオニアは剣を握る女に視線を向けたまま、静観の構えを崩していない。
(生きていたんだね。それにしても、いったい何なんだい)
下段に置いた剣が大気に溶け込んでいく。剣身が消えていく。常人にはそうとしか映らない。
実際に消えたわけではない。ヒオレディーリナの魔力を受けた剣が大気と一体化した結果だ。
ヒオレディーリナによって描かれた
ジェンドメンダの
剣を振り抜いたヒオレディーリナは手首を軽く返すと、ホルベントの様子を確認するまでもなく即座に納刀した。剣の
彼女の立ち居振る舞いに注目していた者たちは、ここで初めて気づく。ヒオレディーリナが動いていたことに。そして剣が振られ、今まさに納刀されたことに。
「終わったわ」
誰にともなく、それだけを告げる。ビュルクヴィストが頭を下げてくる。
見守っていた騎士団の中から様々な声が上がっている。大半が感嘆と賞賛、それ以外は彼女の容姿、とりわけ
「相変わらずね。悪い気はしないけど」
彼女が言わんとしているのは、ヒューマン属からの反応だ。僅かに視線を
ヒオレディーリナの表情がビュルクヴィストの時よりも柔らかくなっているように感じられる。
「ルシィーエット、そう」
その先の言葉は決して口にしない。時の流れはあまりに残酷すぎる。
ヒオレディーリナがルシィーエットを知ったのは、彼女がレスカレオの賢者になる前のことだ。そこから交流が始まり、ルシィーエットのレスカレオの賢者就任を経てなおしばらく続くものの、途中でいきなり途絶えてしまう。
ヒオレディーリナが突如として消息不明になってしまったからだ。原因は分からない。理由も告げず、ヒオレディーリナは去ってしまった。
「ナダセニミファ、ディーナ」
<訳:久しいね、ディーナ>
二人の視線が交差する。先に口を開いたのはルシィーエットだ。語りかける。リンゼイア大陸における共通語ではない。
「スティ・ラァ」
<訳:そうね>
ヒオレディーリナが短く応じる。二人が交わす言葉の意味を知り得るのは、この場にはビュルクヴィストを除けば二人だけだ。その一人が
「エルフ語ですか」
エンチェンツォの言葉を受けてモルディーズが答える。
「そうですね。それにしては、あの方には」
そう、ヒオレディーリナはエルフ属なのだ。
彼女はタトゥイオドの里の出身、成人を迎える前から早々に里を出て、各大陸を回りながら剣技の腕前を
エルフ属には珍しく、魔術は得意としていない。行使できないわけではない。賢者などの一部の高位魔術師と比して、という意味合いだ。
「はい、エルフ属特有の耳ですね。それが見られません」
好奇心旺盛な二人は聞きたくてたまらない。この場の状況が断じてそれを許してくれない。黙って見守るしかできない。
ヒオレディーリナとルシィーエットの交わす視線のさらに奥、そこで
「ディシニ・リィハ・ウィフ」
<訳:聞かないの>
ヒオレディーリナの問いかけにルシィーエットが苦笑を浮かべている。
「ディセニィ・エジェヌ・アゾリェ」
<訳:聞いてほしいのかい>
僅かの感傷か。今度はヒオレディーリナが苦笑を浮かべ、緩やかに首を横に振った。
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