第021話:一騎打ち

「これはいったいどういうことですか、クルシュヴィック」


 セレネイアは、もはやクルシュヴィックが正常な状態でないことをはっきりと認識している。


 この場を覆い尽くす巨大な結界が尋常ではない魔力量で構成されていることもそのあかしだ。


 制止すべきはウーリッヒではない。クルシュヴィックだ。


 剣の技量だけなら、ほぼ互角と言えるだろう。クルシュヴィックが魔術を扱えるとは、これまで聞いたこともない。扱えるなら、圧倒的にが悪くなる。膂力りょりょくはクルシュヴィックがはるかに上回っている。


 第一騎兵団団長として、また第一王女として覚悟を決めなければならない。


「見てのとおりですよ、姫様。どうやら、貴女の命運もここまでのようですな」


 口のを吊り上げるクルシュヴィックに、セレネイアは嫌悪感を覚えつつ、言明した。


「クルシュヴィック、とても残念です。もはや貴男を敵と見なさねばなりません。私自らの手でちます」


 セレネイアが剣を抜いた。


(クルシュヴィック、どうしてこんなことに)


 錯綜さくそうする感情を断ち切れないまま、セレネイアはクルシュヴィックと対峙たいじする。


 セレネイアが手にするのは、ラディック王国に代々伝わる魔剣アヴルムーティオだ。銘をラ=ファンデアという。


 魔術付与がほどこされたこぼれ一つ起きない剣は、国王が必要と認めた時に限り、第一騎兵団団長に貸与される。


 使い手によって、その形状を変える異質の剣でもある。ゆえに、剣が有する固有能力は前団長だったクルシュヴィックも熟知している。


「ほう、姫様の手になると、ラ=ファンデアはそのような形態を取るのですな。私の時とは大違いだ」


 今、ラ=ファンデアは片手の両刃剣もろはけんの形状を取っていた。身長十六セルクのセレネイアが持つには、約八セルクの剣身はやや長めで、幅狭はばせまい作りになっている。


 彼女の体型や膂力を考えると、片刃長剣の方が向いているかもしれない。両刃剣になっているのは、ひとえに彼女が二流派の剣術を使いこなすからだ。


「貴男が手にしていた時は、剣身がとても長い両手両刃剣でした。ラ=ファンデアを上段より振り下ろす貴男の美しい所作しょさに、私は何度もせられたものです。それが、このようなことになろうとは」


 記憶の中のクルシュヴィックの姿を思い出す。セレネイアは悪夢を振り払うように頭を横に振った。


「ほうほう、これは嬉しいことをおっしゃってくれますな。私も姫様の成長を身近で見られて、よかったと思っているのですよ。今やこれほどまでに美しくなられた。少女と大人の狭間はざまといったところでしょうか。味わうに、ちょうどよい頃合いとも言えましょう」


 背筋を虫がい上がるような強烈な不快感を覚える。


 セレネイアの大部分を支配しているのは、底知れない恐怖だ。気力を振り絞って、ラ=ファンデアを落とさないよう握り締めてはいる。立っているのが辛くなってきた状況だ。


「姫様、よくおえになっていますな。しかし、限界に近いのではありませんかな」


 その原因こそ、クルシュヴィックが放つどす黒いもやだった。


 今やそれが結界内に充満しつつある。既に身体の周囲にまで及ぶに至り、セレネイアたち騎士団はじわじわと力を奪われ続けているのだ。


 セレネイアは横目で団員たちの様子をうかがう。精鋭中の精鋭を連れてきただけのことはある。意識を失って倒れている者は一人としていない。


 それも時間の問題だった。何人かの者が手にした剣を落としている。剣は手にしているものの、盾で身体を支えるのがやっとの者もいる。彼らが戦力として当てにならないのはもはや明白だった。


「クルシュヴィック、貴男に一騎打ちを申し入れます。よもや逃げはしないでしょうね」


 けだった。戦えるのはセレネイアのみだ。クルシュヴィックには手駒としているウーリッヒが健在だ。一対一でも厳しいのに、二対一では到底勝ち目はないだろう。何よりクルシュヴィックには一騎打ちを受け入れる必要性もないからだ。


「私と一騎打ちですか。いつもの冷静な姫様とは思えませんな。この状況では致し方なしといったところですな。よろしい。ここは姫様の心意気に免じて、受けて立つとしましょう」


 クルシュヴィックは右腕をぶらりとさせたまま、剣を構えようとさえしない。


 力を奪われ続ける中、セレネイアはラ=ファンデアを正眼せいがんに構える。


 周囲にまで気を配っている余裕はない。目の前の敵、クルシュヴィックを倒すことだけに意識を集中する。


(負けられない。こんなところで絶対に。もし、私が破れたら、ここにいる皆は)


 先を考えることはめた。


 細胞の一つ一つにかつを入れ、セレネイアは全神経をぎ澄ませていく。頼るべきは自らの腕のみだ。きたえた剣術を駆使くしする以外に、切りひらく道はない。


 剛の剣術ビスディニア流で倒すのは難しい。クルシュヴィックもその使い手、しかもセレネイア以上の腕前だからだ。


 一撃必倒の剣が有効でない以上、柔の剣術カヴィアーデ流で倒すしかない。多撃必倒で仕留しとめる。


 これは稽古けいこではない。剣には歯止めもほどこされていない。まぎれもない実戦なのだ。稽古なら打ち身や骨折程度で済むものが、実戦では一歩間違えば即、死につながる。


 どんな手を使おうとも勝たなければならない。


 セレネイアは深く呼吸を繰り返し、正眼に構えたラ=ファンデアをおもむろにやや下段に下ろしていった。


 セレネイアの動きを確かめたクルシュヴィックも、ようやくにして構えを取った。得意の右八相みぎはっそう、剣は両手持ちだ。


 かつてセレネイアも憧憬しょうけいを持って見つめていた姿が、目の前にある。


 右手人差し指がやや浮き気味だ。いつもの癖だった。ここから一呼吸もしないうちに最上段へと移行する。


(深い呼吸を続けるのよ。止めない、吸う、吐く。繰り返し、続ける。全ての意識を集中させるのよ)


 セレネイアは全神経をクルシュヴィックの右手人差し指に集中させた。


 剣を交える時が迫っていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 レスティーとエレニディールことスフィーリアの賢者の姿は、クルシュヴィックが作り出した半円状結界の外側、そのいただきにあった。


 結界内では、まさにセレネイアとクルシュヴィックが相対しているところだ。


 レスティーには既に勝敗がえていた。


「エレニディール、あの娘は」

「彼女がセレネイア、ラディック王国第一王女にして第一騎兵団団長です。もう一人は、副団長のクルシュヴィックですね。おかしいですね。なぜ二人が戦っているのでしょうか」


 結界外に二人がいるなど、誰も気づいていない。それも当然だ。レスティーは完璧に魔力制御を行い、気配の一片いっぺんすららしていないからだ。


「あの男は魔霊鬼ペリノデュエズだ。それも中位シャウラダーブだな。先ほど倒した低位メザディムとは比較にならない。依代よりしろとなった男はまだ日が浅いのだろう。同化しきれていない」


 エレニディールが驚愕きょうがくの表情を浮かべつつ、疑問を口にする。


「クルシュヴィックが。どうして彼ほどの男が魔霊鬼ペリノデュエズにつけ込まれたのか」


 レスティーはあえて答えない。必要はないと判断したからだ。


「あの男、クルシュヴィックを救い出せますか」

「今なら可能だ。望むのか」


 エレニディールは逡巡しゅんじゅんした。自身が切望しているわけではない。セレネイアとクルシュヴィックの関係を知っているからこその思いだ。


 その程度のことで友の手をわずらわせてしまうのか。果たして、それは正しい選択なのか。煩悶はんもんする。迷いは一瞬だ。


「いえ、貴男の手を煩わせるのは私の本意ではありません」


 お互いが構えた。


 セレネイアは斜め下段、クルシュヴィックは上段を取っている。セレネイアの誘いにクルシュヴィックが乗るつもりだ。


「先の先を取りにいくか。だが、無理だ。惜しむらくは未熟すぎる」


 何か手を打つべきだ。エレニディールが問いかける。


「どうしますか」

「これもティルフォネラのいざないか。氷刃矢フィシュラムを」


 二人の間に詳細な説明など必要なかった。


「承知しました」

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