第020話:イプセミッシュの根幹

 玉座の間を静寂と共に寒気が支配している。


 刻は雷聲らいせい発する旬、初の六日が終わろうとしている。この時期は日較差にっこうさも大きく、特に陽光がなくなると、途端とたんに冷え込むのが常だった。


 イプセミッシュは六将たちの退出後もここに一人残り、長考を続けていた。


 まもなく、報告を受ける時間になる。退出を命じていたディリニッツも早々にやってくるだろう。


 イプセミッシュは眉間みけんを強くんで、玉座からゆっくりと立ち上がった。ここのところ、やたらと疲れが目立つ。年齢のせいだろうか。それとも、他に要因があっただろうか。


 考えても仕方のないことだ。窓際までのわずか数歩の距離を、おっくうに感じる自分がいる。


 玉座の間には魔術光が灯され、ほどよい明るさを保っている。外は完全な暗闇だ。本来なら、頭上にあるはずの三連月も雲の中に隠れてしまって姿が見えない。


 イプセミッシュは窓越しに遠く外を眺めながら、幼き頃を思い出していた。


 現ゼンディニア国王イプセミッシュ・フォル・テルンヒェン、その名が示すとおり今でこそ貴族だが、元来がんらい彼は貴族の生まれではない。


 物心ついた頃には、既に孤児としてしか生きる道がなかった。両親の顔はもちろん、兄弟姉妹がいるかどうかも知らない。


 めのような裏路地で寝泊りし、いつも飢えに苦しんでいた。口にできるものなら、手当たり次第、何でも飲んだり食べたりしてきた。盗んだり、拾ったり、恵んでもらったり、手段は選ばなかった。選ぶ余裕など到底なかった。


 当然、盗みは犯罪だ。何度も見つかっては、全身がぼろぼろになるまで殴られたりもした。


 彼に手を差し伸べる大人は皆無だった。いつか、この境遇から脱してやる。それだけを目的に生きてきた。この掃き溜めから脱出するには、力が必要だった。誰も逆らえないほどの圧倒的な力だ。


 ある時、彼に一つの幸運が訪れた。そこから彼の第二の人生といっても過言ではない、新たな道が開けていく。それはまた別の話だ。


 幼少期の記憶こそが、今のイプセミッシュの原動力になっている。それを他者に吐露とろしたことはない。


 イプセミッシュは常に孤独で、むしろそれを好んだ。本心はどうか分からない。表面的には、そう振る舞ってきたのだ。


(あれに頼ろうとしている俺は間違っているのか。信じれば必ず裏切られる。俺がこれまでの人生で学んだ最大のことだ。人を信じるなど、愚か者のすることだ)


 イプセミッシュの根幹が、ここにある。


 最後は常に一人だという達観した考えもその一つだ。仲間、同志、友、聞こえのよい言葉は幾つもある。結局、何をするにしても、重要な決断は一人でなさねばならない。


 だからこそ、イプセミッシュは絶対的な力を求めた。いただきに立ってこそ、その力も発揮できるのだ。


(そうだ。力こそが全てをねじ伏せる正義なのだ。俺にとって、十二将もただの駒に過ぎぬ。無論、それは奴らも同じことだろう。はなから、俺を信じてなどいまい。力、その一点において、俺につき従っているだけだ)


 イプセミッシュは、己の歩んできたこれまでの生き方を悔いていない。むしろ、一切ぶれなかったことを誇りにさえ思っている。


(ああ、それでいい。何の文句があろうか。これまで俺はそうやって生きてきた。そして、それを貫き通して死んでいく。ただそれだけだ)


 三連月は隠れたままだ。


 イプセミッシュは、闇に包まれた外に視線を固定しつつ、おぼろげな記憶をつかもうと手を伸ばす。


 これまで一度たりとも届いたことがない。掴めそうで絶対に掴めない。うっすらと幕が下りたように、そこで弾き返されてしまうのだ。


(いつもと同じか。この記憶だけが、何故なにゆえに思い出せないのだ。いったいどんなものなのか。俺の根幹にも関わっているのだろう。いつか、必ず掴んでやる)


 イプセミッシュは迷いを振り払いつつ、嫌な気分を落ち着かせる。


「ディリニッツ、来ているな」


 即答が返ってくる。


「陛下のおそばに」

「定刻だ。その男からの報告を聞こうか」

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