第094話:二人の友情は途絶えることなく

 ビュルクヴィストは柔和な笑みをもって、エランセージュを見つめている。 


「苦労されているようですね。では、お嬢さん、ザガルドア殿の意向もあります。私のもとで修業してみる気はありませんか」


 此度こたびの戦いまで時間も残されていない。ビュルクヴィストは即断即決を求める。


「貴女に異存さえなければ、今すぐに魔術転移門をくぐって、ステルヴィアにご招待しましょう」

「わ、私ごときが、ビュルクヴィスト様の指導を、しかもステルヴィアで」


 混乱のあまり、おろおろするエランセージュをイプセミッシュがなだめる。


「エランセージュ、これをのがせば、二度と訪れることのない好機だ。陛下のご意向でもある。ビュルクヴィスト殿のご厚意に甘えるがよい。そのうえで、今一度己を見つめ直すのだ」


 筆頭たる彼の言葉は、途轍もなく重い。


「結果として、それでもなお、おまえが十二将の地位を返上するというなら、私は止めはせぬ」


 とどめの言葉はザガルドアだった。


「行ってこい、エランセージュ。これは俺からの命令でもある。しっかり鍛えてもらえよ」


 ザガルドアとイプセミッシュの視線がビュルクヴィストに向けられる。うなづきをもって応える。


「決まりましたね。善は急げと言いますし、すぐに立ちましょう。お嬢さんはこちらへ」


 ビュルクヴィストに促され、エランセージュが歩を進める。途中で立ち止まり、イプセミッシュに、ザガルドアに身体を向けた。


「陛下、そして真のイプセミッシュ様、お心遣いに心より感謝申し上げます。必ず戻ってきます」


 二人に向かってお辞儀するエランセージュの背に言葉をかけたのはヴェレージャだ。


「エランセージュ、頑張ってくるのよ。戻ってきたら私が直々じきじきに手合わせしてあげるわ」


 他の十二将からも思い思いの声が上がっている。エランセージュは感極まって涙が出そうだった。


「ロージェグレダム殿、ルブルコス殿、お二人とはゆっくり話をしたかったのですが、また別の機会に。次に会うとしたら戦場でしょう。では、お先に失礼いたしますよ」


 二人はただ首肯しゅこうするのみ、言葉は不要だ。


 ビュルクヴィストに伴われ、エランセージュが魔術転移門をくぐる。直前、エランセージュは振り返り、自分を見つめる全員に頭を下げた。


 再び硬質音が鳴り響く。二人の姿をみ込んで、魔術転移門が完全に閉じられていった。


「行きましょう、ディリニッツ。陛下、私たちもここでいったんおいとまいたします。片づけておかなけれなならない重要な問題がありますので」

「そうか」


 その一言だけだった。問題が何かなど聞く必要もない。ザガルドアもイプセミッシュも、とりわけこの二人を信頼している。


 ヴェレージャもディリニッツも優れた魔術師であり、ディリニッツに至っては、王を守る影にして最後の盾でもある。その二人に自由を許した。


「ディリニッツ、長らく俺の影を務めてくれたお前に感謝する。もはや、その必要はなくなった。これからは、お前自身の意思に従って行動してくれ。それが俺の望みだ」


 ザガルドアの言葉に思わず胸が熱くなる。


「私は、私自身の意思に基づいて行動したまでのこと。陛下から、そのようなお言葉を頂戴するなど、恐れ多いことでございます」


 片膝をついたままのディリニッツが明瞭に答える。


「そうか。ならば、何も言わんぞ。決戦の時までに戻ってくるんだな」

「そのつもりです。私たちが負けない限りは」


 ヴェレージャの言葉にイプセミッシュが反応した。


「お前たちは戦いにおもむくのか。それほどの強敵なのか。私たちにできることは何かないのか」


 あくまでエルフ属の戦いだ。他属、ましてや十二将たちを巻き込むなど考えられない。


 何も言わずに戦いに赴くのは、信義にももとるだろう。


「これはエルフ属、とりわけ私の里フィヌソワロ、ディリニッツの里シュリシェヒリを取り巻く問題です。戦いに敗れることはないでしょうが、敵に一人だけ厄介やっかいな男がいます。香術師こうじゅつしなのです。シュリシェヒリの長老が詳しいとのことで真っ先に向かうつもりです」

「香術師か。珍しい相手だな。それならば、ソミュエラが詳しかったのではないか」


 三人の視線が、いっせいにソミュエラに向けられた。


「ソミュエラ、香術師の力を知っているの」

「過去に何度か戦ったことがあるわ。敵にすれば非常に厄介よ。しかも、その男もエルフ属なのでしょう。風に乗せて自在に香を使われたら逃げ場がないわ。致死性の香もあるのよ」


 ヴェレージャとディリニッツが互いの顔を見合わせた。


「戦うなら、二人ともに風をまといなさい。少なくとも貴方たちの力なら、それで香を防げるわ。ただ至近距離までは近づけない。確実に魔術封じ、もしくは魔術効力を弱める香も使ってくるはずね」


 ソミュエラは常時、左右の腰に四本の剣を吊るしている。そこから一本の剣を取り出し、二人の前に差し出す。


「香術師を仕留めるために作り上げた剣よ。風を纏って、ぎりぎりまで相手に近づきなさい。近づいた瞬間、風を解放、同時のその剣を振るいなさい。この風斬りの剣フリュヴァデルなら確実に仕留められるはずよ」

「俺が預かろう。助かる、ソミュエラ」


 ソミュエラが持つ八振りの剣は、それぞれが異なる特徴を持っている。威力や効果は、本人のみぞ知るといったところだ。


「たまたま風斬りの剣フリュヴァデルを持ち出したのだけど、よかったわ。何となくそんな予感がしていたのよ。これで一つ貸しよ。戻ってきたら、必ず返してもらうわね」


 無口のうえ、滅多めったに笑わないソミュエラが、饒舌じょうぜつなうえ微笑みまで見せている。その影響からか、いつになくあどけなさの残る表情が印象的だった。


「全てまとまったようだな。では、私たちも行動を開始するとしよう。ザガルドア、此奴こやつらを借りていく。戻った時の成長ぶりを楽しみにしておくがよい」


 自信満々に告げたルブルコスが、きたえるべき四人を引き連れて、この場を後にする。同様にロージェグレダムも動く。


「儂もここで退散するとしようかの。では、指名された者たちよ、ついて参れ」


 動き始めたところで、ふと足を止める。ロージェグレダムは振り返ることなく、言葉をつむいだ。


「ザガルドア、今はイプセミッシュ殿下と呼ばねばな。そなたはザガルドア殿と積もる話もあるじゃろう。時をおいてからでも構わぬ。そして、これだけは伝えておかねばの」


 わずかの間、ロージェグレダムは再び口を開く。イプセミッシュは無言のままだ。


何故なにゆえ、儂がそなたを破門にしたか。おのが胸に手を当てられて、よくよくお考えなされ。正しき答えを導き出せたなら、破門を解くのもやぶさかではないでな」


 静かな笑い声だけを残して、ロージェグレダムも去っていった。


 ザガルドアとイプセミッシュ以外、十二将も全て退出した。文官たちも、ザガルドアの命を受け、エンチェンツォだけを残して玉座の間から出ていく。


「エンチェンツォ、ご苦労だった。お前の考えた超法規措置とやらは、後ほど聞かせてもらう。使いの者に呼びに行かせる。自室で待機していてくれ。俺はイプセミッシュと話がある」

かしこまりました、陛下。では、私もこれにて失礼いたします」


 エンチェンツォの姿が見えなくなったことを確認してから、先に言葉を発したのはイプセミッシュだった。


「ザガルドア、お前は一人でここに残るのか。何だったら、私と共に来たらどうだ」

「相変わらずの心配性だな。俺は一人でいいさ。考えておきたいこともあるしな。それよりも、お前は大丈夫なのか。あのご老体こそ、お前を破門した張本人なんだろ。理由は分かっているのか」


 イプセミッシュは首を横に振るだけだ。ザガルドアはそれを見て、さもありなんという表情でイプセミッシュを見返した。


「やはりな。気づいてないとは思っていたが。お前は、自分自身のこととなると何も分かっていないからな。じゃあ、俺が兄貴として教えてやる」


 相も変わらず、損な生き方をしている。偽らざるザガルドアの思いだ。


「稽古をつけてもらっている間、そして俺を支えている間、ずっと生よりも死を強く意識していただろ。お前は自分自身のためじゃなく、人のため、とりわけ友のために生きることを優先している。死すらもいとわずにな」


 ザガルドアは記憶が戻った際に色々と思い出していた。イプセミッシュは常にザガルドアのために動いてくれていたのだ。


 王族たるイプセミッシュだ。ザガルドアを見捨ててしまえば、もっと楽に立ち回れたに違いない。彼は決してそうはしなかった。


「お前の意識の中心には、常に死がある。誰かのために己を犠牲にするのは素晴らしいことかもしれん。だがな、お前自身を救ってやれるのは、他の誰でもない。お前自身なんだ。お前はもっと自分自身を大切にしろ。あのご老体は、お前の剣筋を一目見て、それを見抜いたんじゃないのか。俺はそう思うぞ」


 自分でも照れたのか。最後の言葉だけは、あらぬ方向に身体をひねるザガルドアだった。


「イプセミッシュ、俺はな、十二将はもちろんだが、誰よりもお前を失いたくないんだ」


 イプセミッシュはイプセミッシュで、今の顔を親友たるザガルドアに見られたくなかった。なぜなら、彼の目からは涙がこぼれ出していたからだ。


「相変わらず涙もろい奴だな、お前は」

「うるさいな、ザガルドア。お前が俺を泣かせるからだろ。そんなことを言われたら、誰だってこうなるに決まっている」


 玉座に座るザガルドア、その横で涙するイプセミッシュ、二人の友情は決してこの先も途絶えないだろう。


 二人はその思いを強く実感していた。

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