第131話:二人の攻防

 今のヴェレージャに冷静さを求めるのは無理というものだ。ビュルクヴィスト同様、彼女もまた怒髪天どはつてんく状態にある。


 魔力柱による隔絶結界が消えても、いまだフィヌソワロの里内全域には魔術効果半減の仕かけが残されたままだ。


「関係ないわ。クヌエリューゾ、ここでお前を仕留めて、エレニディールを救出します」


 啖呵たんかを切ってみせる。


 風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレの行使により、ヴェレージャの魔力はほぼ枯渇こかつしている。もはや、一撃必殺の最上級魔術は行使できない。


 発動できたとして中級魔術、それも一度のみだろう。無論、切り札はある。


 レスティーから授けられた風碧雷襲羽プリュミロワゼルだ。しかるべき時に放てばよい、と言われているものの、その然るべき時がいつなのか分からない。


(悩んでいても仕方がないわ。今は、クヌエリューゾを倒すことが最優先よ。エレニディールは、きっとビュルクヴィスト殿が)


 背後にいるであろうビュルクヴィストに思いをせ、迷いを断ち切る。ヴェレージャは、残された全魔力を使って中級魔術の詠唱に入る。しかも、彼女自身が苦手と答えていた系統だ。


「ヴァ=ルグ・ン・イリュ・ヴィエデ

 灼熱のほのおよ大輪となりて咲き狂え

 舞いぜ全てを灰とかえせ」


 ヴェレージャに比べて、まだ魔力に余裕のあるディリニッツが再び影にもぐる。


(ヴェレージャにせがまれて一度だけ見せた俺の炎熱系魔術、まさか習得していたとはな。中級魔術の中では高難度だぞ。しかも、短節詠唱とは恐れ入る。この土壇場で行使するとはな。ならば、俺は俺の役割を果たすだけだ)


 ディリニッツは確信している。いくら殺傷能力の高い炎熱系魔術であろうと、中級魔術、しかも魔力効果半減下ではクヌエリューゾは倒せない。


 頼りの綱は風碧雷襲羽プリュミロワゼルしかない。


(問題は使いどころだ。レスティー様によれば、その時が来れば分かるということだった。待つしかない)


 ヴェレージャの短節詠唱が成就する。即時、発動する。


焔輪狂華爆灰滅リュヴィグリンデ


 クヌエリューゾの頭上高く、七つの焔の大輪が咲き誇る。一際ひときわ大きな焔輪えんりんが中心核となり、その周囲に花弁のごとく六輪の焔弁えんべんが開く。


 焔が揺れ動き、次第に熱を帯びていく。熱の高まりとともに焔が重なり、こすれ、ぜる。


「見事な炎熱系魔術ですね。このような焔を見るのは初めてです。ヴェレージャ、めて差し上げますよ。それでも、私には届きませんがね」


 クヌエリューゾは、双刃剣テピンシュルヴを呼び寄せようと右手を剣に伸ばす。本来であれば、クヌエリューゾの意思に従って手元に戻ってくるはずだった。


「なるほど、姿を消した暗黒エルフの男ですか。貴女の伏兵でしょうか。実に面白いです。操影術そうえいじゅつの使い手を、このようなところで見ることができようとは」


 双刃剣テピンシュルヴは、ディリニッツの操影術によって影ごと封じられている。剣の片刃には魔術無効化が付与されている。その効果が発揮するのは、刃をもってった時のみだ。刃に触れず、影を支配された今、付与された効力は意味をなさない。


「魔力効果が半減されようとも、七輪全てが直撃すればどうかしらね。クヌエリューゾ、その身でとくと味わいなさい」


 焔弁の一つが爆ぜ、無数の焔となって宙に散っていく。散った焔は、再び重なり合い、舞い踊りながらクヌエリューゾに降りそそぐ。


「愚かですね。この程度の焔で、私を倒せるとでも思いましたか」


 降り注ぐ焔にも全く意に介さない。クヌエリューゾは落ち着き払って、再びオペキュリナの託宣せんたくを開く。その中の一節が静かに読み上げられる。


「水に飲まれしダランメルドは死者とともにくさりゆく。

 炎に巻かれしオドゥニユルは死者とともに燃え尽きる。

 砂と化した愚かな女のなげきが深き影を落とす」


 燃え盛る焔が、唐突とうとつに勢いを失っていく。クヌエリューゾを焼き尽くすはずの焔は、その身体に付着する直前で全てが砂と化していった。


「いけない。ヴェレージャ殿、今すぐ逃げなさい。あの男が持つ書物はオペキュリナの託宣です。あらゆるものを退廃させる、禁書中の禁書です」


 ビュルクヴィストの助言はあまりに急すぎた。魔術発動中のヴェレージャにとって、制御の乱れは魔術の逆流を招きかねない。結果として、反応が遅れた。


 オペキュリナの託宣の効果はなおも継続している。頭上に残った六輪の焔をも、みるみるうちに砂へと変えていった。


「このままではヴェレージャ殿が。エレニディール、今は我慢してください。私の命に代えても、貴男だけは必ず救い出します」


 既に焔輪狂華爆灰滅リュヴィグリンデは完全に効力を失っている。ヴェレージャを縛るものは何もない。ビュルクヴィストは躊躇ためらいなく、己とヴェレージャの身体を強制的に入れ替えた。


 魔術による位相いそう反転だ。ヴェレージャを安全地帯に退避させるとともに、彼女がもともと立っていた位置にビュルクヴィストが現れる。


 オペキュリナの託宣の効力が、彼をみ込んでいく。


 ヴェレージャの言葉にならない悲鳴が響く。ビュルクヴィストに回避するすべはなかった。いや、そうではない。位相反転魔術を行使するとともに、もう一つの魔術を発動させていたのだ。


 凍結界とうけっかいという。全身を氷で覆い尽くす、高度かつ危険な防御術だ。


「完璧には、防ぎ切れませんでしたか。こうなっては、やむを得ませんね」


 氷に包まれたビュルクヴィストの左手の先から、既に砂塵化さじんかが始まっている。凍結界で全身を覆うよりも先に、左手だけがオペキュリナの託宣に浸食しんしょくされていたのだ。


 当然であろう。クヌエリューゾによるオペキュリナの託宣の効力発動の方が、圧倒的に早かったからだ。


 このまま放置すれば、左腕のみならず、全身へと広がっていく。砂塵化が進めば、いくら魔術防御をほどこそうとも無駄なのだ。ビュルクヴィストも理解している。


 右手を覆う氷を鋭利なやいばに変えると、すみやかに左ひじから下を斬り落とす。切断部位がまたたく間に氷で覆われていく。痛みも出血も一切ない。左肘下の部位は、大地に落ちるまでに全てが砂となって消えていった。


 壮絶さの中に、美しさを秘めた光景だった。ヴェレージャもディリニッツも完全に声を失っている。


「左肘下のみで済みましたか。重畳ちょうじょうですね」


 発動していたオペキュリナの託宣の効力が、ようやく消滅した。ビュルクヴィストも全身を覆う凍結界を解除、足元に視線を向けた後、振り返る。


 安堵の吐息といきれる。クヌエリューゾを起点として、前方へ扇状に砂塵化が走り抜けていた。そこにあった生きとし生けるものが砂と化し、崩れ去っている。


 唯一、影響を受けなかったものがある。エレニディールを閉じ込めた黒きおりだ。


「ご安心を。エレニディールを失うなど、私にとっても受け入れがたきことです。黒き檻は負の力、きょの力、オペキュリナの託宣と同質です。相互干渉の心配もありません。これが何を意味するかは聡明な貴男だ。お分かりでしょう。ビュルクヴィスト殿」


 ビュルクヴィストが怪訝けげんな表情を浮かべている。クヌエリューゾとは、まぎれもなく初対面だ。彼の名前すら知らない。フィヌソワロの里に足を踏み入れること自体、初めてなのだ。


(どうして私の名を。エレニディールから聞かされたというわけでもなさそうです。それにしても、何かがおかしいですね。この男からわずかにれ出ている魔力波長、どこかで)


 はたと気づくビュルクヴィストだった。


「なるほど、そういうことでしたか。ええ、もちろんです。貴男が口にした言葉の意味は、理解していますよ。そのうえで、私からも問いたいのですが、よろしいでしょうか」


 クヌエリューゾが鷹揚おうよううなづいてみせる。


「ええ、何なりとお尋ねください。答えられる範囲で、お答えいたしましょう」

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