第130話:オペキュリナの託宣

 一人の男が悠然ゆうぜんと立っていた。敵意を一切感じさせない、親しげな笑みを浮かべている。それでいて堂々とした風格がただよってくる。


 いつもの飄々ひょうひょうとした態度は鳴りをひそめている。この現状をかんがみれば、至極しごく当然だろう。


「魔術高等院ステルヴィア院長ビュルクヴィスト殿」


 ディリニッツが呆然ぼうぜんつぶやく。ヴェレージャも、先の十二将集結時に一度だけ顔を合わせている。言葉をわしたことはないものの、自身が率いる水騎兵団の副団長エランセージュの指導をになってもらっている。


 それに関しては、大いに感謝しているものの、何故なにゆえに突然現れたのか。警戒心は消せないでいる。


「警戒させてしまいましたか。申し訳ないことをしましたね。ご覧のとおりです。敵意は全くありません。お久しぶりですね、ディリニッツ殿。そして、そちらのお嬢さんはヴェレージャ殿でしたね」


 ビュルクヴィストは大仰おおぎょうに両手を持ち上げ、何も所持していないことを知らしめる。ヴェレージャの警戒が完全にけたわけではない。


 何しろ、魔術の発動は口さえ動かせるなら可能だ。そうは言っても、あのステルヴィアの院長だ。あざとい真似をするはずもない。


「ビュルクヴィスト殿、改めまして、十二将が一人ヴェレージャです。こうして言葉を交わすのは初めてになります。以後、お見知りおきください。また、貴殿には大変感謝しております。私の可愛い部下、エランセージュの指導を引き受けてくださいました」


 柔らかな笑みを絶やさず、ヴェレージャの言葉に静かに耳を傾けている。


「これはご丁寧に痛み入ります。エランセージュ嬢は、貴女の部下でしたね。彼女は実に優秀です。ただ、少しばかり自信を失っていたようですね」


 本来ならば、ゼンディニア王国内、もっと言うなら十二将内で解決できればよかった問題だ。ザガルドアはそれができないと判断した。だからこそ、本音では頼みたくもないビュルクヴィストに頭を下げて、エランセージュの指導を依頼したのだ。


 ヴェレージャは薄々うすうす気づいていた。エランセージュがずっと思い悩んでいたことに。


 エランセージュは感情を表に出さない。言葉数も少ない。悩みは、大別すると二種だ。他人に相談して最適解をもらうことで解決するもの、自分自身の内面で突き詰めて自力で解決するものの二つだ。


 ヴェレージャは考えていた。前者が必要になり、エランセージュから相談されたなら、いつでも適切な解答を与えられる。また、後者なら、それは己に自信があるかどうかの問題だ。


 いずれにせよ、時が解決してくれるだろう。ここに大きな認識の差異があった。二人にとっての、時の流れだ。ヴェレージャはエルフ属、エランセージュはヒューマン属、生きている時間がそもそも違う。


 ヴェレージャの言うところの時の流れは、すなわちエランセージュにとっての寿命にも等しい。悠久の時を待っているわけにはいかないのだ。


「時間もありません。私がここに来た理由からお話しておきましょう」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 左膝を大地に落としたまま、エレニディールは何とか耐えている。力を奪われ続け、立ち上がる力は残されていない。頼みの魔術も、今や完全に封じ込められている。万事休すだった。


「魔力柱による結界は、長時間持続できるものではありません。邪魔が入るとは思えませんが、万が一の可能性をも排除するのがこの私です。貴男の意思を無視するのははばかられますが、これも我が神のおぼし召しです」


 右脇に抱えていた書物を再び両手で持ち、開く。


「やはり、オペキュリナの託宣たくせんですか」

「そのとおりです。古の魔術師ゾンゴゾラムが書きしるした託宣、その七冊の内の一冊ですよ」


 クヌエリューゾが手にするオペキュリナの託宣には、人を堕落させ、欺瞞ぎまんに満ちた者を争わせ、その心ごと崩壊させるための啓示が事細かに記されている。


「私が読み上げる啓示にあらがうことは、たとえ貴男でもできませんよ」


 クヌエリューゾが最もふさわしい一節を見つけ出す。唇がまたも震える。


「暗き神々はかくのごとくおおせられた。

 影におぼえたる者に相応ふさわしき罰を何であろうか。

 控えし下僕げぼくども、あまりにおそれ多きこととて無言を貫かん。

 暗き神々はかくのごとく仰せられた。

 我が意を受けたる者どもに言葉なきはいかなる所以ゆえんか。

 控えし下僕ども、言葉発するも神々の意に沿わず。

 暗き神々はかくのごとく仰せられた。

 価値なき愚者はことごとく影に落ちたるが罰なり。

 黒きおりもちて永遠に封じて恐怖を刻まん」


 高らかに読み終えた。クヌエリューゾがゆっくりと書物を閉じる。エレニディールに絶望を味わせるために、あえてそうしたのだ。


「エレニディール、私と共に参るとしましょう」


 東西南北に配された魔力柱から、およそ幅三メルクの魔力壁が押し寄せる。それぞれの魔力壁が結合、正立方体の檻を形成する。


 エレニディールの四方は、完全に閉じられている。脱出経路として残されたのは、頭上のみだ。立つことさえかなわないエレニディールに、なすすべはない。


 魔術が封じられている以上、脱出は不可能だ。今のエレニディールにできることは、ただ一つだけだ。全ての魔力を、魔術行使に向けるのではなく、ふところから取り出した直系一セルクにも見たない宝珠ほうじゅそそぎ込む。


(我が友レスティー、また貴男に頼ることをお許しください。どうかお願いいたします)


 エレニディールの残った魔力、その全てを宝珠が吸収していく。


 握り締めた宝珠がきらめきを残し、その手の中から消えた。力尽きたエレニディールの身体が大地に倒れ込むと同時、四方を囲む魔力壁が覆い被さり、唯一の開口部たる頭上にふたをした。


「エレニディール、貴男は永遠なる新生エルフ王国で私とともに歩むのです。その訪れはもうまもなくです。楽しみですよ」


 エレニディールを閉じ込めた魔力柱による黒き檻は、フィヌソワロの里の内外を隔絶かくぜつする結界同様の効果を有している。


 外部から破壊することはもちろん、エレニディールの魔力がたとえ全快したとしても、内部から破壊することもできない。


 黒き檻の封を解く方法はただ一つだ。クヌエリューゾが手にするオペキュリナの託宣に記された、とある一文を口にする、それしかない。


「いざ、神の御許みもとに」


 黒き檻が、わずかに大地から浮かび上がった、その時だ。隔絶結界を構成する四本の魔力柱が、すさまじい力によって、刹那のうちに消滅してしまったのだ。クヌエリューゾは慌てる素振りさえ見せない。


「ふむ、いったい誰が。考えたところで、意味はありません。既に、私の使命は、完遂かんすいしているのです。この黒き檻が破壊される心配は、皆無かいむですからね」


 クヌエリューゾの右手が黒き檻に向かって差し出される。浮かび上がった黒き檻は、先ほどの衝撃により大地に戻っている。それが再び上昇を始める。


 絶対に壊してはいけない宝物が収められているかのごとく、ゆっくりと静かに天に昇っていく。


「待ちなさい、クヌエリューゾ」


 ヴェレージャが叫ぶ。魔力柱による隔絶結界が消滅すると同時、ディリニッツはヴェレージャを伴い、操影術そうえいじゅつを即時発動、クヌエリューゾと対峙する位置で影から抜け出してきたのだ。


 ビュルクヴィストは、と言うと、ディリニッツのでも一緒に、という嘆願たんがんを断り、別行動を取っている。


 ビュルクヴィストの目的はクヌエリューゾなどではない。あくまでも弟子たるエレニディールの救出にある。操影術に頼る必要もなかった。


 魔術転移門以外の移動術を複数持っているビュルクヴィストが、その一つを行使する。ディリニッツたちが影から出るのに合わせて、彼は黒き檻の背後に姿を現していた。


(これは完全隔絶結界ですね。私でもこれを外から破壊するのは不可能です。解封条件は)


 ビュルクヴィストの視線が、クヌエリューゾの持つ書物に注がれる。


(何というものを、持ち出してくれたのですか)


 まさしく、怒髪天どはつてんくだ。


 ビュルクヴィストは、己のこぶしを無意識のうちに強く握り締めていた。

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