第132話:クヌエリューゾの正体

 怪訝けげんな表情は、もはやそこにない。ビュルクヴィストは全てを見通す清冽せいれつな視線をもって、クヌエリューゾの内面を貫く。


「では、お答えいただきましょう。貴男は、いったい誰なのです」


 この問いには、クヌエリューゾもきょかれたか。動きが止まった。表情に変化は見られない。逆に、ビュルクヴィストの視線がさらに鋭利さを増していく。


「異なことをおっしゃいますね。ビュルクヴィスト殿は、私が誰か、と問われる。私は私であり、他の誰でもありません。私こそ、フィヌソワロの次期長老クヌエリューゾです。それ以外の答えは持ち合わせておりませんよ」


 不敵な笑みをやさない。クヌエリューゾとビュルクヴィストの視線がぶつかり合い、目に見えない火花を散らす。互いに腹の探り合いだ。


 ビュルクヴィストの表情が、わずかばかりやわらいだように見えた。確信したゆえの結果だ。


「それは大変失礼いたしました。おびいたしますよ、クヌエリューゾ殿。いえ、ジリニエイユ殿と呼んだ方がよろしいかな」


 クヌエリューゾの両眼が大きく開かれる。一筋の光が走る。まるで雷が落ちたかのようだ。直後に響いた甲高い放笑ほうしょうが、いっそうの不気味さをかもし出す。


「これは笑いが止まりませんね。私としたことが、最後の最後でめを誤るとは何たることでしょう。まさか、このようなところに貴男が現れるとは。全くの予想外ですよ」


 クヌエリューゾの身体から魔力があふれる。隠す必要がなくなったからだ。姿形すがたかたちが変わるわけではない。まとう魔力だけが大きく変質していく。


「よく分かりましたね、ビュルクヴィスト殿。こうしてお会いするのは、かれこれ二百五十年ぶりでしょうか。貴男は、あの当時とあまり変わっていませんね」


 クヌエリューゾをおおう魔力が、波打つように揺れている。ビュルクヴィストによって正体を看破かんぱされた今、制御の必要性がなくなったからだ。


「ここでクヌエリューゾ殿を見た時から、おかしいと思っていましたよ。巧妙に隠していましたが、魔力質が重層になっていましたからね」


 その一つが、過去にビュルクヴィストが感じ取っている魔力と同質だったのだ。さらには、魔霊鬼ペリノデュエズを自在に使役できる者など、彼が知る限り一人しか存在しない。ジリニエイユだけなのだ。


「逆に言えば、私でなければ見抜けなかった、ということです。その意味では、貴男が言ったとおり、全くの予想外でしたね」


(これも、お見通しだった、ということでしょうね。全く恐れ入りますよ。さて、これからどう行動するか、ですね。)


 黒きおりを目の前にして、ヴェレージャは戸惑いを隠せない。この檻が自分の手に負えないことは自明の理だ。


 さらには、今しがたのビュルクヴィストとクヌエリューゾとの間でわされた会話の内容こそだ。理解の範疇はんちゅうを超えている。ディリニッツも全く同様だった。


 クヌエリューゾの背後を取ってはいたものの、ヴェレージャとビュルクヴィストが入れ替わった状況を見極め、すぐさま影を伝ってヴェレージャの隣に移動していたのだ。彼もまた二人の会話についていけない。


 ディリニッツはジリニエイユと同郷ながら、相当の年齢の開きがあるゆえ、これが初対面だ。しかも、シュリシェヒリの長老にして実弟でもあるキィリイェーロとは、魔力質があまりに異なっている。


 通常、親兄弟など血のつながりを持つ者の魔力は、同質もしくはそれに近しい質になる。今、ディリニッツが感じ取っているクヌエリューゾの皮を被ったジリニエイユの魔力は、キィリイェーロのそれとは似ても似つかぬものだ。


くやしいけど、この檻は私たちの力ではどうにもできないわ。無効化するための方法を探している時間もない。鍵は、クヌエリューゾが手にするあの書物でしょうね。貴男の操影術そうえいじゅつで近づくことはできないかしら」


 ディリニッツはもくしたまま、ただ首を横に振る。クヌエリューゾならまだしも、ジリニエイユのことだ。操影術を破る方法も知っているだろう。


 何しろ、操影術はキィリイェーロより伝授された秘術であり、キィリイェーロは実兄ジリニエイユより伝授されているからだ。


「ビュルクヴィスト殿が言ったとおり、クヌエリューゾがジリニエイユならば、俺の操影術は通用しない」

「本当にジリニエイユという男なの。姿形は、どこからどう見てもクヌエリューゾだわ」


 ヴェレージャの疑問はもっともだ。姿形はもちろん、仕草や口調などの特徴もヴェレージャの知るクヌエリューゾであり、にわかに他人だと言われても信じようがない。


(私は、魔力質が重層になっていることに気づけなかった。頭からクヌエリューゾだと信じて、対抗するすべだけを考えてきた。そして今、エレニディールを救うことさえできない。私の力などこの程度、悔しいわね)


 ディリニッツが、ヴェレージャの肩にそっと手を置いた。わずかに力をめる。


「己の力を過信はしていないだろう。上には上がある。レスティー様は、言うに及ばず、ビュルクヴィスト殿もまたその一人だ。彼が、クヌエリューゾではなく、ジリニエイユと見定めた。道理で、風碧雷襲羽プリュミロワゼルも反応してくれなかったわけだ」


 クヌエリューゾを倒すべき切り札は、しかるべき行使の時が訪れないままに終わってしまった。二人は悟った。


「俺たちが、ここでできることは、もう何もない。悔しいな。ビュルクヴィスト殿にゆだねるしかない」


 項垂うなだれていたヴェレージャが顔を上げる。互いにうなづき合うと、その視線をクヌエリューゾと対峙たいじするビュルクヴィストの背に向けた。


「ビュルクヴィスト殿、貴男に見破られた以上、隠す必要もありませんね。ええ、そうです。姿形こそクヌエリューゾですが、彼は私の完全なる支配下です」


 ビュルクヴィストに疑問はない。むしろ当然との思いが強い。


「初めて会った、あの時と同じですね。貴方の実体は遠く離れたところに隠れたままだ。違うのは、自身の分身体ではなく、他人の身体を支配しているということです。ところで、その後、左腕の具合はいかがですかな」


 クヌエリューゾを通して、ジリニエイユの精神に少なからず衝撃を与えただろう。


「理知的ながら、人の嫌がるところを的確に突いてきますね。私も聞きたいことがあります。私の左腕を焼いたルシィーエット嬢はお元気ですかな。貴男の姿を見るに、彼女もまた当時の姿のままでしょうかね」


 ビュルクヴィストは言葉を発せず、首肯しゅこうのみを返した。それで十分だった。ルシィーエットがレスカレオの賢者を引退、その肉体が老いていっていることを教えるつもりなど毛頭ないからだ。


 それにジリニエイユのことだ。薄々は気づいているに違いない。


「そうですか。それは何よりです。いずれ、ルシィーエット嬢と相まみえる機会もあるでしょう。その時を楽しみにしておきましょう」


 もはや時間も残されていない。フィヌソワロの里での戦いは、クヌエリューゾを操るジリニエイユの勝利で終わろうとしている。


 ビュルクヴィストにも、エレニディールを閉じ込めている黒き檻を破壊するなど不可能だ。ジリニエイユの目的が目的なだけに、エレニディールの命を奪うような真似はしないだろう。


 何のために、ここまで出向いてきたのか。敵の掌中しょうちゅうに落ちたエレニディールを救えないまま、連れ去られてしまうなど己の沽券こけんにも関わる由々ゆゆしき事態だ。


「時間です。ここで貴男とやり合うつもりもありません。弟子思いのビュルクヴィスト殿、エレニディールはいただいていきますよ」


 再び嘲笑ちょうしょうを浮かべる。ビュルクヴィストは仕かけられない。仕かける時でもない。


(あの方のことです。必ず来ます。あの一撃が。全てを賭けるのはその時です。それまでは)


 唯一、失われていない里の中心部に立つ魔力柱が、クヌエリューゾの右手に誘導されていく。


「二人とも、離れてください」


 ヴェレージャとディリニッツがあわてて飛び退く。眼前で黒き檻が魔力柱に内包されていく。


 誰もが、その光景を見つめることしかできなかった。

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