第133話:複雑な痛み分け

 魔力柱に内包された黒きおりが、緩やかに上昇を始めた。


 内外は完璧に隔絶かくぜつされている。外部からは、いかなる攻撃をもってしても魔力柱を破壊することはかなわない。


 ヴェレージャとディリニッツは固唾かたずんで見守るしかできない。


「直接、魔力柱に攻撃を加えても無効化されるだけです。ジリニエイユ殿、やはり最後の最後で詰めを誤りましたね」


 ビュルクヴィストは、ある一点のみを注視している。本来ならば、魔力柱がそびえ立っている位置、すなわち残された最後の起点だ。


 黒き檻をより堅牢けんろう化するため、魔力柱が移動した結果、起点が丸裸まるはだか状態なのだ。


 急速に空がかげり出す。フィヌソワロの里の上空、無数の雲が吸い寄せられるかのようにつどっていく。


(待っていましたよ)


 起点に視線を集中、ビュルクヴィストは即座に魔力同調を行使した。自身の視野を通して、脳裏に投影された映像を相手の脳裏へと直接転送する魔術だ。


 魔力同調は、第三者であれば誰でも可能、というわけにはいかない。絶対条件は、転送したい者の魔力質を知っていることだ。ビュルクヴィストの魔力が、転送先たる相手の魔力と同調する。


 フィヌソワロの上空高く集った雲が、幾重にもなり、白雲から黒雲へとその姿を変えていく。


 風がうなりをあげて吹き荒れ、宙に散った水蒸気を巻き込みながら、分厚ぶあつい黒雲の下方から上昇気流となってけていく。


 風と水蒸気を大量に含んだ黒雲が圧縮され、水蒸気は氷の粒となって、さらに上昇、やがて衝突しながら下降へと転じる。


「来ました」


 刹那せつなすさまじいばかりの雷光が寸分の狂いもなく魔力柱を作り出していた起点を直撃した。遅れて巨大な爆発音にも等しい雷鳴がとどろき、耳をつんざく。


 雷光の直撃を受けた起点は、跡形もなく粉々に吹き飛び、さらに大地をも深くえぐり取っていった。起点を失った魔力柱が大きく揺らぎ、消滅していく。


「次から次へと鬱陶うっとうしいですね。まだ伏兵ふくへいがいたということですか。ビュルクヴィスト殿、確かに貴男という存在に対する詰めは誤りましたが、魔力柱が消滅しようとも結果は変わりませんよ」


 魔力柱を失おうと、黒き檻はなおも上昇を続けている。内包された時に比べると、上昇速度が遅くなっているだけだ。クヌエリューゾの言葉どおり、何ら影響を受けていないことは明らかだった。


「私の詰めに、全く影響を与える心配はないのです。このまま、エレニディールはもらい受けますよ」

「いえ、やはり貴男の詰めは甘かったですよ」


 ビュルクヴィストは、忸怩じくじたる思いを抱えたまま、エレニディールの救出という最大の使命は放棄している。


 彼の真の狙いは、別のところにある。そして、そのための詠唱も既に完成している。


誘撃裂射爆襲光テゾロンドゥア


 一筋の光矢が放たれていた。的は絶対に外さない。矢には誘導魔術も組み込まれている。


「雷光の衝撃はすさまじいでしょう。貴男は一瞬、魔力柱に気を取られましたね。破壊不可能と分かっていながらも、やはり黒き檻、いえエレニディールが心配だったのでしょう。そのすきに、私の詠唱は成就しました」


 エレニディールが取り戻せないなら、次に手に入れなければならないものが何か、おのずと決まる。


 冷静なクヌエリューゾと向き合って詠唱を開始したところで、対抗する時間とすべを与えてしまうだけだ。


 ビュルクヴィストは、その時間と術を無にするため、あえて隙を作らせたのだ。天からの雷光もその一つにすぎない。


「このような非力な魔術矢で、私を倒せるとでも。見くびられたものですね」


 クヌエリューゾの左手が上がる。指先に魔力が凝縮していく。その魔力質は完全にジリニエイユのそれだ。


 魔術を発動する余裕はなかった。だからこその力任せの荒業あらわざだ。魔力のかたまりそのものを放射、ビュルクヴィストの光矢にぶつける。


 状況を確認したビュルクヴィストの口角が上がる。


「そうでしょう。対抗するには、その手段しかありません」


 クヌエリューゾの目前で、放出した魔力の塊と光矢が激突する。


 魔力の火花が散り、互いを打ち消そうとり合う。ビュルクヴィストの魔術は効果半減を受けている。対して、クヌエリューゾの放った魔力は自らが作り上げた仕かけゆえ、当然のごとくその効果外にある。


 結果は明白だ。硬質の金属音にも似た響きを残して、光矢が砕かれる。粒子となった魔力が霧散していく。


「この程度ですか。他愛たわいも」


 それ以上、言葉が続かなかった。意図しない衝撃が全身をけ抜ける。


「そんな、馬鹿な」


 視線をわずかに下げる。クヌエリューゾがそこに見たのは、己の心臓に突き刺さる一筋の光矢だった。無意識のうちに、光矢を抜き去ろうと両手が動く。


「この時を、待っていましたよ」


 光矢は、さらにもう一本隠されているのだ。ここまでは全てがお膳立ぜんたてにすぎない。ビュルクヴィストは不敵な笑みを浮かべた。


 狙いどおり、最後の光矢がオペキュリナの託宣せんたくを確実に射貫いぬいたのだ。それで終わりではない。射貫き、いざなわれ、クヌエリューゾの遠く背後で旋回せんかい、そして術者の命じるままに戻ってくる。


 一連の魔術は、ここに成就した。


 誘撃裂射爆襲光テゾロンドゥアとは、主となる光矢に複数本の影矢をひそませ、敵を撃つ魔術だ。影矢には、魔術付与を行うことで様々な効果を生み出せる。


「ジリニエイユ殿、痛み分けですね。その矢の威力ではクヌエリューゾ殿に致命傷を与えられないでしょう。ましてや、貴男の本体には何の影響も及ばない。エレニディールとオペキュリナの託宣では、あまりに天秤の釣り合いが悪すぎますがね」


 対峙たいじして以来、初めて見せる怒りの形相ぎょうそうだ。遠く離れた場所にひそむ、ジリニエイユの憤激ふんげきがここまで伝わってくる。


「してやられましたね。貴男の狙いがオペキュリナの託宣だったとは。今になって思えば、あの時も貴男だけは冷静に物事を判断できていました。いささか、貴男を甘く見ていたようだ」


 二人のにらみ合いが続く。先にきらって、視線を切ったのはクヌエリューゾだった。


「オペキュリナの託宣を失ったのは誤算でした。もはや取り戻す時間もありません。エレニディールという大きな獲物は掌中しょうちゅうにできました。これでよし、としておきましょう」


 クヌエリューゾの右手が宙に走る。


「ビュルクヴィスト殿、あちらのお二人に、伏兵もまだいましたね。アーケゲドーラ大渓谷で相まみえるといたしましょう。それでは、ご機嫌よう」


 ビュルクヴィストの眼前から、クヌエリューゾの姿がき消えた。その姿の移動先を追って、ビュルクヴィストは上空に視線を向ける。


 空からしか手出しできないところまで上昇している黒き檻、そのかたわらにクヌエリューゾが浮かび上がっている。


 居ても立っても居られないディリニッツが、クヌエリューゾに向けて魔術を発動しようとする。それをビュルクヴィストが制止した。


「無駄ですよ、ディリニッツ殿。いくら攻撃しようとも、致命傷を与えることはできません。ここは貴男の魔力を温存しておいてください」


 再びビュルクヴィストとクヌエリューゾの視線がからみ合う。どちらにも勝利を喜ぶ感情は見出みいだせなかった。


 失ったものを考えれば、クヌエリューゾ、いやジリニエイユの勝利であることは間違いない。ビュルクヴィストは表情こそ平静を保っているものの、内心でははらわたが煮え返っていた。


 クヌエリューゾのくちびるが、ゆっくりと動くのを見た。


「受けて立ちますよ。エレニディールは、必ず私の手で取り戻してみせます」


 ジリニエイユの魔力が薄れていく。それと共にクヌエリューゾと黒き檻も消失した。気配も感じ取ることはできなかった。


 黒き檻が去った宙を見上げ続けるビュルクヴィストに、ヴェレージャもディリニッツも何と声をかけてよいか分からない。


 後悔だけが残るむなしい結末に、二人は胸を締めつけられる思いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る