第042話:ジリニエイユとの対決

 しばしの沈黙の後、ジリニエイユが静かに語り始める。


「今でこそ、我らエルフ属は主物質界で三里に分かれて暮らしているが、千数百年前までは、とある王の統治下、一まとめとなって過ごしていたのだ。その王の名をゾーヴィエル・キュリウエ・デン・ヒュザルウィーという」


 古代エルフ語だった。精通はしていないものの、パレデュカルも理解ならできる。だからこそ、その意味をすぐに悟ったのだ。


 ヒュザルウィーとは、正当なる王位という意味だ。


 デンとは継承順位一位を表し、キュリウエとはその者の位を示す。ここでは、最高神官王ということだ。


 そして、サリエシェルナの誠なる名はサリエシェルナ・アラガメーリ・ドゥリム・ヒュザルウィー、すなわちエルフ属の正当王位継承者であり、その順位は三位、位は王女となる。


「私が調べた限りでは、既に継承順位一位と二位の王子は身まかられている。ゆえに、サリエシェルナ姫こそがエルフ属を束ねるべき、新たな王となられる御方なのだ」


 眩暈めまいがしてくる。


 パレデュカルは平衡感覚を保てないほどに動揺していた。あり得ないと思う半面、サリエシェルナのこれまでの立ち居振る舞いを間近で見てきた者として、さもありなんという思いがないわけでもない。


 それでも、にわかには信じ難い。


「ならば、なぜ姉さんを奴隷として扱っているのだ。お前の言う畏怖いふの念とは、その程度のものなのか」


 ジリニエイユの言動は全く一致していない。サリエシェルナを奴隷として扱っている時点で、畏怖の念はないに等しい。パレデュカルは何よりもそのことが腹立たしくてならない。


「手厳しいな。お前の言いたいことは分かる。これには訳があるのだ。サリエシェルナ姫を守るためでもある」

「訳などどうでもいい。俺の姉さんを今すぐ解放しろ。そのうえで、お前が暗黒エルフになっている理由を教えろ」


 パレデュカルは憎悪ぞうおをむき出しにしてジリニエイユに迫る。軽く受け流したジリニエイユは深いため息をつきつつ、言葉をつむぎ出す。


「その気の短さ、相も変わらずだな。何度も注意してきたはずだぞ」


 一呼吸置いて、ジリニエイユが続ける。


「まあよい。お前が私と共に来るというなら、サリエシェルナ姫を託してもよい。私をこばむのであれば、姫は永遠とわに私のものだ。私の宿願をすためには姫が絶対に欠かせないのだ」

「ふざけるな。お前の宿願など、俺にとってはどうでもいいことだ」


 憤怒ふんぬの形相でジリニエイユをにらみつける。ジリニエイユは全く意に介していない。


「ダナドゥーファ、落ち着くのだ。まずは私の宿願を聞くがよい。聞けば、お前も納得できるであろう」


 冷静さを幾分かでも取り戻したか、パレデュカルはジリニエイユに続けるよう促す。


「私はサリエシェルナ姫を新たなエルフ属の王にお迎えし、かつての一大王国を復興してみせる。サリエシェルナ王女が支配する新王国の樹立だ。我らエルフ属は王女のもとで一致団結、主物質界の頂点に君臨する」


 パレデュカルは今さらながらに思い出している。ジリニエイユの思想はシュリシェヒリ内でも極端にかたよっていた。


 特に、エルフ属は主物質界に降り立ったその時からあらゆる者よりも優れた一属であるという主張だ。彼のこの徹頭徹尾変わらない思想は、今なお継続しているのだ。


「私はこの宿願を成就するためだけに働いてきた。フィヌソワロ、タトゥイオドの長老たちも、こぞって私に賛意を示している」


 唯一反対したのが、あろうことか自身の弟たるキィリイェーロのみだった。ジリニエイユにとって、まさに青天の霹靂だ。それは許し難い裏切り行為に他ならない。


「あの愚弟だけを排除するのは容易たやすい。だが、里内には愚弟を支持する者も多い。それでは駄目なのだ。王国復興は一属の意思統一があってこそ成立するのだからな」


 ジリニエイユにとっての切り札、それこそがサリエシェルナ姫なのだ。そして、もう一つある。


 ジリニエイユは右手をふところに入れると、厳重に封印梱包されたものを取り出した。パレデュカルの前にかざして見せる。


 この状態でさえ、かなり強力な魔力を内包していることが分かる。しかも、清浄なる美しい魔力だ。


「まさか、それは」


 あり得ない。持ち出すすなど、あってはならないことだ。パレデュカルはジリニエイユの暴挙が許せなかった。


「ダナドゥーファ、見るがよい。この神秘的な美しさを。我らが新王国を象徴する宝具にこそ相応ふさわしいと思わぬか」


 封印梱包を解いたジリニエイユが手にしているのは銀麗の短剣スクリヴェイロと称される宝剣だった。


 かつて、エルフ属の王国が隆盛を誇った太古の時代、王の下に三種の宝具が収められた。古代エルフ属の優れた錬金術師がすいを尽くして生み出した秘宝中の秘宝であり、もはやその技術を再現することは不可能と言われている。


 代々の王にのみ身にまとうことを許された、いわば王権の象徴でもある。


 今は、三里の長老が正統なるエルフ属の証として、それぞれの宝具を厳重に管理している。


 すなわち、シュリシェヒリに受け継がれし銀麗の短剣スクリヴェイロ、フィヌソワロに受け継がれし赤輝の指輪ツィシミヌウェ、タトゥイオドに受け継がれし金清の冠ペレンディスだ。こららを総じて、三種の宝具と呼ぶ。


「銀麗の短剣スクリヴェイロを無断で持ち出したというのか。俺の知る限り、それは神殿に保管されているはず。まさか」

「理解が早くて助かる。そうだ。私が手にしている銀麗の短剣スクリヴェイロこそ真なる宝具、シュリシェヒリの神殿に安置されたものは、私が魔術で作り出したまがい物よ」


 取り返すべきものが、これで二つになった。


 一つはもちろん姉サリエシェルナ、もう一つは銀麗の短剣スクリヴェイロだ。神殿のものが偽物なら、里を守護する結界にも影響してくる。宝具はすさまじい魔力を内包しており、里全体を覆う巨大な結界も宝具の魔力に大きく依存しているのだ。


「今頃、シュリシェヒリはどうなっていることやら。想像するだけで笑いが止まらぬな。私の宿願を不遜にも拒む愚か者には、ちょうどよい薬になるであろうよ」


 ジリニエイユは嘲笑ちょうしょうの声を上げつつ、今度は左手を懐に差し入れる。


「これが何か分かるか」


 取り出したのは、結晶体らしきものだった。双三角錐そうさんかくすい状の形をしている。ここから見る限り、漆黒に塗り潰され、内部に何が閉じ込められているかまでは分からない。


「この禍々まがまがしさはいったい」


 あまりのよどみに気分が悪くなる。パレデュカルはその結晶体を凝視できなかった。


 たとえるなら、銀麗の短剣スクリヴェイロは清らかな魔力、この結晶体はよこしまな魔力といったところだ。正反対の力と言えよう。


「さすがに、そこには気づくか。ならば、ダナドゥーファよ。その目で、そうだ、シュリシェヒリの一属にのみ伝わるその目で、じっくりてみるがよい」


 パレデュカルは言われるがままに目を開いた。その瞬間、強烈な吐き気に見舞われ、胃の中のものを全てぶちまけていた。肉や魚を食べていなくてよかった、などとくだらないことを考える余裕はあったものの、最悪だった。何より感情が目の前のものを拒否している。


「私も最初はそうだった。こやつらの毒々しい魔力を生身で浴びれば、誰でもそうなる」


 もはや躊躇ちゅうちょしている場合ではない。パレデュカルは覚悟を決めた。ふらつく身体に活を入れて、詠唱にかかる。


「イーレ・アムジェ・オーヴェ・ルーイエ

 アズロー・レヴァーク・イェレ・ローヴォ

 果てなき深淵に眠りし我が炎よ

 主が声に応じてここに顕現けんげんせよ

 怒れる業火ごうかとなりてあらゆるものを灰と化せ」


 姉サリエシェルナと共に自分を育ててくれた恩人、かつての師でもあった男は、もはやいない。


 目の前にいるジリニエイユは、自分の知るジリニエイユではない。この男は狂人だ。ここで止めなければならない。それが恩人でもあり、師でもあった男に対する己の責務だ。


 パレデュカルの詠唱が成就した。ジリニエイユは動かない。


深業炎華滅烈紅グ=リュ・ディフォージョ


 パレデュカルが最も得意とする火炎系魔術の中でも最上級に位置する深業炎華滅烈紅グ=リュ・ディフォージョは、短節詠唱でありながら完全詠唱よりも威力が高くなっている。定められた詠唱に対して、彼独自の魔術を織り込んで再構築しているからだ。


 生半可な魔術ではジリニエイユはおろか、手にする結晶体を焼き尽くすことはできない。パレデュカルは今の自分が持ちうる最大の攻撃魔術を放ったのだ。


「見事だ。最上級魔術もさることながら、魔術改変による威力増大には目を見張るものがある。ダナドゥーファ、師としてお前を誇りに思うぞ。それでも、まだ私には届かないのだ」

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