第041話:かつての師弟の邂逅

 パレデュカルは夜陰やいんまぎれて、はるか前方を進む馬車を追っていた。


 あの情報屋に頼んで正解だった。酒場の店主という姿は完全な見せかけだろう。


 闇市の会場さえ探り出せなかったパレデュカルは、時間との勝負ということもあって結局のところ彼に依頼したのだ。


 看板娘ことリゼルシェに接触、探り出してほしい内容を伝え、潤沢じゅんたくすぎる資金を文字どおり手に握らせた。相場など当然知らない。時間と情報は金に代え難い。


 目を丸くして驚くリゼルシェが、何とも愛らしかった。


「お兄さん、これはもらいすぎ。成功報酬は前金で払う必要はないよ。それに、私たちを買いかぶりするのもよくないよ」


 この若さで正直な娘だな。パレデュカルはそう思ったものの、口には出さなかった。


「店主は君を信頼している。だから、君をつなぎ役として俺に紹介した。俺は彼を信用している。ゆえに君も信用している。その金は俺が支払うべき正当な対価だ。受け取っておいてくれ」


 手に握らされた金とパレデュカルを何度か交互に見つめ、リゼルシェは納得したのか、ようやく微笑ほほえんだ。


「お兄さん、ちょっと変わっているね。お兄さんのような依頼者って、初めてだよ。だいたいの連中は支払いをしぶるか、値切ってくるのが毎度だからね。要求だけは高いのにね」


 リゼルシェが屈託のない笑みを見せる。自分や叔父を信用していると言ってくれたことが、よほど嬉しかったのだろう。


「彼は叔父なのか」

「この酒場の店主ナヴァールジは、幼くして両親を失った私をここまで育ててくれた。彼の期待にはこたえないとね」


 当たり前のように言いのけるリゼルシェの頭を、思わずでてしまうパレデュカルだった。その迂闊うかつさに、リゼルシェが手を払いのけようと動く前に慌てて手を引っ込める。


「済まない、ついやってしまった。君が少女に思えたものだから」

あわれみは要らないよ。そんな目で見られるのも嫌だし」


 ほおを膨らませつつ抗議するリゼルシェに、パレデュカルは素直に頭を下げて謝罪した。


「本当に済まない。妹がいれば、こんな感じかと思ってしまった。それに、俺も君と同じく両親を亡くしている。その顔さえ知らないしな。兄弟姉妹がいたかも分からない。俺は生まれ落ちた時には戦災孤児だった」

「お兄さんも大変な目にってきたんだね。じゃあ、私たちは同志だね」


 そのようなやり取りをしつつ、リゼルシェは二日後のこの時間、再び酒場に来るように告げた。


 たった二日で依頼した情報が全て完璧に集められるのだろうかと思った。そこは二人を信用している。パレデュカルは彼らにけるしかなかった。


「分かった。二日後に、また来る」


 立ち上がって出て行こうとするパレデュカルに、リゼルシェが声をかける。


「期待してくれていいよ。お兄さんの依頼は、たった今から私の最優先事項になったから」


 そして、彼らがもたらしてくれた情報は、パレデュカルにとって望みうる最上のものとなった。


 今、馬車内にいるのは五人だ。


 一人はもちろんこの闇市の最大目玉商品たるエルフ女の奴隷、残り四人は警護についているやからだ。


 魔力の流れだけでは、エルフ女の奴隷が姉サリエシェルナかどうか分からない。姉の魔力なら、すぐでにも分かりそうなものだ。恐らくは、魔力を判読できないよう操作されているのだろう。


 他の者は、三人が物理的な武器を、一人が魔術を主とする傭兵だった。


 ナヴァールジが最初に教えてくれたとおり、魔術師は五人で相違ない。他の四人は馬車からつかず離れずの距離を保ちながら移動を続けている。


 出発してから相当の時間を要している。誰一人として魔力切れを起こしていない。それだけ見ても、この連中の実力がうかがい知れた。何より、馬車内にいる魔術師が一番の問題だった。


 この魔術師の男は、群を抜いて膨大な魔力量を有している。出発直後こそ、己の魔力を隠そうともせず周囲に垂れ流し状態だった。パレデュカルが接触を図ったその一瞬で、完璧に魔力を制御してしまっている。


 恐らく、この男がエルフ女の魔力も操作しているのだろう。今では男の魔力を感じ取るのも難しくなっている。


(まさか、本当にあの男なのか。そうだとしたら、なぜだ。なぜ、あの男がこんなことを)


 考えても仕方がないことだ。どのみち、この先で戦闘は避けられないだろう。その時に全てが明らかになる。


 パレデュカルは雑念を捨て、馬車を追うことだけに集中した。そのせいもあったのだろう。自分の背後から、何者かがつけてきていることに全く気づかなかった。


 馬車は大街道をひたすら進むこともあれば、道なき道を進むこともあり、目的地まで最短で駆けているとは到底思えない。敵襲に備えての対応策に違いない。


 あるいは、進路を目まぐるしく変えることで尾行者をあぶり出そうとしているのか。いずれにしても容易な追跡ではなかった。


 出発してからようやくのこと、御者が手綱を絞り、馬車を引く馬たちに減速の指示を出した。馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて完全に停止した。静寂に包まれた夜の空間に、馬たちの荒い呼吸音のみが通り過ぎていく。


 パレデュカルはすぐさま周囲の状況を確認した。


 馬車が止まった場所は、大街道からかなり外れた森の中を走る一本道だ。誘い込まれた感があるものの、考えても仕方がない。


 地面は比較的柔らかな土壌で構成されているようで、馬の脚が沈み込んでいる。当然、馬車のわだちは深く刻まれていた。


 一本道の左右には、五メルク程度の木々が等間隔で植わっている。明らかに、人の手によって整備された道であることが分かる。


 道幅は馬車二台が十分にすれ違えるだけの余裕があり、木々の枝が道の頭上にまで伸びている。完全に天を覆うには至っていない。


 整理すると、魔術で戦う環境として、大きな問題はないということだ。パレデュカルはまもなく戦闘になるであろうことをひしひしと感じ取っていた。


 馬車内から剣を手にした三人の男がゆっくりと下りてくる。さすがに五人も乗っていると、相当に窮屈きゅうくつなのだろう。各々が手足を大きく伸ばし、緊張した筋肉をほぐそうと身体を動かしている。


「お前たち、しばらくは離れていてよいぞ。ここは私が見張っている。用を足すなり、好きにしていろ」


 くぐもった男の声が聞こえてくる。三人は、その声に応じるようにして早々に木々の茂みの中へと消えていった。


 邪魔者がいなくなったとばかりに、馬車内に残っていた男がエルフ女の奴隷を連れてようやく姿を現した。エルフ女の姿は見えない。物理的に見えないのだ。


 首、両手首、両足首に奴隷錠が装着されているのだろうが、それらは外から見えない。全身を覆うように外套がいとうが被せられている。


 残り四人の魔術師は、馬車を囲むようにして木々の中に姿をくらましている。パレデュカルは仕かけどころを図っていた。視線は男から片時も離さない。


「さて、出てきたらどうかね。出発時から、ずっと我らをつけてきているそこの魔術師よ」


 先手を打たれた。パレデュカルは誘いに乗るしかなかった。


 ここまでの道中、互いに姿が見えない中で駆け引きを繰り返してきたのだ。男が意図的にこの状況を作り出していることも理解していた。


「光を」


 男の声に応じて、木々の中にひそむ男たちが魔術光をともした。ほのかな、それでいて十分すぎる明るさをもって周囲を照らし出す。


 エルフ女の背後に立つ男の顔が、初めて明らかになった。


「やはり、お前なのか。ジリニエイユ、なぜだ。なぜ、こんなことを。それに、お前」

「久しいな、ダナドゥーファ。私がシュリシェヒリを出て以来だな。予想ではもう少し早くたどり着くと思っていたのだがな。どうやら、お前に期待しすぎていたようだ」


 ジリニエイユと呼ばれた男は、パレデュカルと同様、暗黒エルフだった。パレデュカルは混乱するまま、疑問を矢継ぎ早に口にする。


「ジリニエイユ、お前は突然里からいなくなってしまった。俺に一言も告げずにな。あの里で姉サリエシェルナを除けば、唯一お前だけが俺を認めてくれた。俺に生きるすべを教えてくれたのもお前だ。お前は俺の師でもあった」


 次から次へと、思いが口から溢れ出てくる。止まらない。


「それに、今の、その肌の色は」


 パレデュカルにとって、ジリニエイユはそれだけ大きな存在だった。


いまだ師と言ってくれるか。嬉しいものだな。私はお前が来るのを待っていたのだ。この女を餌にすれば、お前は必ず食いついて追って来るだろう。そう確信していた」


 ジリニエイユは女が纏っている外套をぎ取った。奴隷錠が装着されているものの、その姿はまぎれもなく姉サリエシェルナだった。


「姉さん、サリエシェルナ姉さん。俺だ、ダナドゥーファだ。無事で、無事でよかった」


 言葉にならない。パレデュカルは駆け寄ろうとするも、ジリニエイユが制した。


「止まれ、ダナドゥーファ。まずは私の話を聞くがよい。案ずることはない。お前が考えているようなことはないぞ。この私が、お前の姉サリエシェルナには指一本触れさせてはおらぬからな」

「その言い方だと、お前は触れているのか。俺の大切な姉さんに」


 ダナドゥーファは既に戦闘態勢に入っている。魔力を凝縮しつつ、ジリニエイユの返答次第では即座に詠唱にかかるつもりだった。


下衆げす勘繰かんぐりはよせ。私も男だが、高貴なる者への畏怖の念は持ち合わせているぞ」


 意味が分からない。高貴なる者とは、いったい誰のことだ。ジリニエイユと会話を重ねていくたびに疑問だけが増えていく。


「どういうことだ。高貴なる者とは誰のことを言っているのだ」


 怪訝けげんな表情のジリニエイユも、ここにきてようやく会話が嚙み合っていないことを悟ったのだろう。


「ダナドゥーファ、お前は何も知らぬのだな。よかろう、お前には知る権利がある。一から説明してやろう。よく聞くがよい」

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