第045話:二人は敵か味方か

 黒焔こくえんがその役目を終え、顎門あぎとへとかえっていく。


 パレデュカルの魔力は完全に枯渇こかつしていた。出し惜しみなく、最上級魔術を二発、さらに改変上級魔術も使ったのだ。これでジリニエイユを滅ぼせていないようなら、もはや打つ手がない。


 いかなジリニエイユでも、異界から召喚した黒焔をしのぎきり、生存しているとは思いたくもない。


「なかなか楽しめたぞ。魔術師よ、約束どおり、その方の右脚をもらい受ける」


 顎門から再び吹き出した黒焔が右脚に絡みついた。足首辺りから螺旋らせんを描きながら、ゆっくりとつけ根に向かってい上がってくる。不思議と熱さも、さらには痛みさえも感じなかった。


「魔術師よ、またいつでも我を召喚するがよい。その方の魔力はなかなかに美味であった。ゆえに、再びの召喚を許そうぞ。さらばだ」


 その言葉を最後に、顎門が完全に閉じられた。浮き彫りになっていた漆黒の空間も徐々に薄れていく。


かえったか。ああ、俺はいつか必ず黒焔を使いこなしてみせる」


 名残惜なごりおしくもあり、また無事に還せたことから安堵の気持ちもあった。


 パレデュカルはちりになったであろうジリニエイユと、姉サリエシェルナの無事を確認するため、一歩足を前に踏み出そうとした。


「これが、代償というわけか」


 普段の調子で右脚から前に出そうとした瞬間、パレデュカルは勢いよく転倒していた。確かに右脚はそこにある。あるが、力が全く入らない。右手で叩いてみるも、痛覚どころか、一切の感覚が失われていた。


 たかが右脚一本、されど右脚一本だ。失って初めて分かる。これほどまでに不便とは、パレデュカルは五体満足でいられることの有り難さを今さらながらに痛感しているのだ。


 魔力が枯渇した状態で、何者かに襲撃されたら防ぐ手立てがない。パレデュカルは何とか左脚一本を使って、倒れている姉サリエシェルナのもとへ急いだ。


「姉さん、サリエシェルナ姉さん、目を開けてくれ」


 サリエシェルナは気を失っているのか、パレデュカルの呼び声にも一切反応を示さない。まるで、生気が抜けてしまったような状態だ。


「姉さんの心臓が、止まっている。馬鹿な、そんなことがあってたまるものか」


 サリエシェルナの心臓に手を当てたパレデュカルは凍りついてしまった。


 確かに心臓が止まっている。全く鼓動が戻って来ないのだ。


 防御結界が間に合わず、黒焔を浴びてしまったのか。もしそうなら、姉の身体は火傷やけどを負っているはずだ。着衣にも焼けた跡などは見られない。


「頼む、動いてくれ。姉さんを、死なせないでくれ。姉さんが死んでしまったら、俺は、俺はもう」


 パレデュカルは先ほどから懸命に蘇生そせいを試みている。胸骨の上に両手を重ね、何度も何度も圧迫を繰り返す。


「無駄なことだ。ダナドゥーファ、サリエシェルナ姫は死んだのだ。お前自身の手であやめたのだよ」


 パレデュカルの手がはたと止まる。今、最も聞きたくない声だった。


「ジリニエイユ、生きていたのか。あの黒焔を浴びて、なぜ生きていられるのだ」

「簡単なことだ。私自身、黒焔を浴びていないのだからな」


 ようやく、気づいた。


 パレデュカルは完全にジリニエイユの手のひらの上で遊ばれていたことに。先ほどまでパレデュカルの目の前に立っていたジリニエイユは、本物ではなかったのだ。


「ここにいないお前を相手に、俺は踊らされていたというわけか」

「ダナドゥーファ、そう自分を責めるでない。まだまだ私の方が上だということだ。お前がドズロワの街を訪れた時から、何もかもが始まっていたのだ」


 言われてみれば、確かにそうだ。


 シュリシェヒリを出て以来、六十余年も一切手がかりらしいものが見つからなかったのだ。それがドズロワのあの酒場に足を踏み入れてからというもの、面白いように情報が集まってきた。


 ようやく舞い込んできた幸運に浮かれてしまったか。もっと慎重を期すべきだった。今さら悔やんだところでどうにもならない。


「やっと、見つけたぜ」


 パレデュカルの後方から、真紅の長髪をなびかせた女がけ込んでくる。表情はよく見えない。口調から相当に立腹りっぷくしていることだけは分かった。


「食らうがいい」


 すさまじい熱量を伴った紅蓮ぐれんの炎を、数発続けざまにち込んだ。


「お前のせいで、こんな田舎いなかくんだりまで引っ張り出され、しかも本体は安全なところに退避とか、あり得ねえだろ。この傀儡術師くぐつじゅつしめが」

「はあ、また貴女ですか。私はね、面倒な女は嫌いなのですよ。ねえ、ルシィーエットちゃん」


 ルシィーエットが切れた。


「殺す、ぶっ殺す」


 ちゃんづけされるのは最大の屈辱だ。彼女は自身を淑女しゅくじょだと思って疑わない。周囲の男たちは、いやめておこう。


「私の炎は、お前がどこにいようとも確実に実体を見つけ出して焼き尽くす。とくとその身で味わえ」


 切れたルシィーエットは誰よりも恐ろしい。


 問答無用とばかりに、即座に詠唱にかかる。


「ネヴィリ・ファローヴォ・ロージェクス

 ウィ・リーヴェ・ヴィレージュ・ラウクーウェ

 アル・ラウ・ジケーユ・パレガローノ

 我が意を受けし絶大なる炎の力よ

 あまねく次元を超えてその意を示したまえ

 万物ことごとくここに焼き尽くせ」


「ああ、遅かったですか。完全に切れてしまっていますね。相変わらず、沸点が低すぎますよ」


 さらに後ろから一人の男が姿を見せた。どうやら、女とは味方同士のようだ。息を切らしているところから見るに、きっと女に置いていかれたのだろう。運動能力は高くないようだ。


「灰も残さず、焼き尽くしてやるぜ」


 ルシィーエットの瞳が赤く輝いたようにも見えた。


 真紅の長髪が舞い踊る様は、見る者によっては女神に、また鬼神にも見えるだろう。それほどまでに神秘的な姿でもあった。何より美しい。それはパレデュカルも認めざるを得なかった。


灼火重層獄炎ラガンデアハヴ


 ルシィーエットの最強最大の魔術が、文字どおり火を吹いた。


 この魔術はルシィーエットだけが行使できる固有魔術だ。あらゆる次元の壁を通り抜け、隠れひそんだ敵にさえ大打撃を与えることができる。


 ジリニエイユにとって、最悪の魔術と言っても過言ではない。


 ルシィーエットは灼熱の炎を凝視しつつ、微動だにしない。炎が確実に敵を捕らえたかどうか、見極めているのだ。


「やりましたか」


 男がルシィーエットに問いかける。


「うるせえ、ビュルクヴィスト。来るのが遅えぞ。ちんたらしてんじゃねえよ」


 ビュルクヴィストと呼ばれた男が苦笑を浮かべつつ、言葉を返す。


「仕方がありません。私は貴女のように、肉体派ではありませんからね。それより、あのエルフの傀儡術師は逃げてしまったようですね」


 皮肉めいた口調に聞こえたか、ルシィーエットが苛立ち紛れに鬱陶しそうに言葉を返す。


「だから、うるせえと言ってるだろ。ああ、逃がしちまった。片腕ぐらいは焼いただろうけどな。完全に焼き尽くすには至っていねえ。ちっ、相変わらず逃げ足だけは早い野郎だ」

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