第162話:ミリーティエへの思い

 ザガルドアがこちらに向かって真っすぐやってくる。いったい何事だろう。ミリーティエは訳が分からなくなっていた。


 今の彼女を支配しているのは疎外感そがいかんだ。劣等感はそこから派生したものにすぎない。


 孤高を愛する賢者と言えば、確かに聞こえだけはよいだろう。かつての自分が、まさにそうだった。


 魔術研究に没頭している時期は、一人でいるのがさも当たり前で、他者と交わる必要さえ感じていなかった。いざ賢者になって初めて痛感した。一人でいることへの苦痛、耐え難い恐怖、そして周囲からの異常なまでの重圧をだ。


「今はどうなんだ、ミリーティエ。ああ、遠慮なく呼び捨てるが、構わないな」


 まるで心を読んだかのごとく尋ねてくる。どこまで、心のうちを見透かしているのだろうか。


 ミリーティエは、それ以上は近寄らないでほしいと思いつつも、悪い気はしなかった。他人との距離感が非常に大きい彼女にとって、先ほど会ったばかりの初対面にも等しい者をこの距離まで近寄らせている。


 自身、驚き以外の何ものでもなかった。軽く手を伸ばすだけで、身体に触れられる近さにザガルドアが立っている。


無粋ぶすいな質問だが、許してくれ。ミリーティエ、いくつだ」


 尋ねた本人が苦笑している。ミリーティエの表情を見れば、一目瞭然だ。いきなり何を言っているんだ、いう顔をしている。


「変な勘繰かんぐりはするなよ。年齢のことだぞ」


 少しだけ肩の力が抜けたか。わずかにミリーティエの表情がやわらいだように見える。


「ご質問の意図が分かりかねますが。私は、二十六になります」


 咄嗟とっさに、まさかという言葉を飲み込む。ミリーティエにはすっかり見抜かれてしまっている。よくある反応なのだろう。


「顔に出ていますよ、ザガルドア殿。どうせ私は童顔ですから。年齢相応には見えないでしょう。もう、慣れました」


 慣れているとはいえ、傷つかないわけではない。ミリーティエは幾分かほおふくらませ、抗議にならない抗議の声を出した。


「済まなかったな。童顔を気にしているのか。その必要はないと思うが。可愛いんだしな」


 気色けしきばんで、ミリーティエが詰め寄ってくる。


「ザガルドア殿、私を馬鹿にしているのですか」


 そんな彼女の行動を、ザガルドアは面白そうに見つめている。遠目から、しかも横目で見ているルシィーエットにしても同様だ。


 ザガルドアと話をしていると、どうも調子が狂って仕方がない。ミリーティエは戸惑いを隠せないでいる。


「おいおい、どうしてそのような解釈になるんだ。普通はめ言葉と受け取るはずなんだがな。可愛いと言われることがいやなのか。それとも、美しいと言った方がよかったか」


 不思議そうに聞いてくるザガルドアが、ミリーティエには理解できない。まるで未知の生き物と話をしているかのようだ。


 男が女に対して、可愛い、美しいと言った場合、確かに誉め言葉なのだろう。ミリーティエの解釈上では、親しい間柄あいだがらの場合に限る。


 初対面に等しい男に言われて、ミリーティエが真っ先に抱く感情が、胡散臭うさんくさいなのだ。如何いかんともしがたい。


「い、嫌ではありませんが。そのような言葉は、もっとお互いのことを知ったうえで使うべきものではないでしょうか」

「そうだな。夫婦や恋人なら当たり前の言葉だろう。それが友人だった場合は、駄目なのか」


 小首をかしげるミリーティエが、独り言のようにつぶやく。


「友人、ですか。そうですね、気が置けない友人ならよいのではないでしょうか」

「ならば、何の問題がある。俺とお前は既に友人だろ」


 口を半開きにしたまま固まっているミリーティエに、ザガルドアは笑みを浮かべる。


「えっ、私とザガルドア殿が、えっ、どうして」

「別れ際に言ったぞ。王国の門はいつでも開いている。俺たちは、いつでも訪問を歓迎するとな」


 ゼンディニア王国からの去り際、声をかけてくれたことは間違いない。嬉しい言葉だった。たとえ社交辞令であったとしてもだ。


「それは、ザガルドア殿が国王として、私が賢者として、あくまで」


 ミリーティエの言葉を、ザガルドアが自ら口を開くことで制する。


「ミリーティエ、どうしてお前はそこまで卑屈ひくつな捉え方をするんだ。それに俺は社交辞令など使わんぞ。俺が気に入らない者は、賢者だろうと、どこぞの国王だろうと、俺の王国には絶対招き入れない」


 言い忘れていたかのように、つけ加えることも忘れない。


「ビュルクヴィストのように、魔術転移門で好き勝手に訪問してくるような奴もいるにはいるけどな」


 ビュルクヴィストに対しては、まさに嫌味いやみでしかない。記憶が戻る前のザガルドアにとって、ビュルクヴィストは天敵中の天敵でもあった。


 今でこそ、そこまでは思わないものの、何かにつけて口を出してくる目障めざわりな存在だという思いに変わりはない。


「俺だけじゃない。イプセミッシュ、フィリエルス、フォンセカーロもお前の友人だ。機会があったら、他の十二将の奴らにも会ってくれ。きっと同じ年頃で気の合う奴も見つかるだろう」


 ミリーティエの瞳に光るものが見える。心から嬉しく思う一方で、この人はどうしてここまで優しくしてくれるのだろうと不思議に思わなくもない。


 彼女の葛藤かっとうを知らずして、ザガルドアは視線をらせ、見えないふりをした。


「私の、友人。嬉しいです。ザガルドア殿、本当に、有り難う」


 ミリーティエの表情が大きく崩れる。そのまま背を向けたザガルドアが、ルシィーエットたちのもとへ戻ろうとして一歩踏み出し、そして止まった。


 振り返ることなく、言葉をつむぎ出す。


「ミリーティエ、友人として助言しておくぞ。様々な表情ができることも分かったしな。笑みをやさない方がいいぞ。その方がずっと可愛い。まあ、もとがよいからだろうな」


 ミリーティエは、何と返すべきか分からないまま立ち尽くしている。


「俺はな、可愛らしさも、美しさも、等しく女の武器の一つだと思っている」


 ザガルドアは、武器の一つと言った。政治などにおいては、得てして、主に男を篭絡するために使われがちだ。悪い意味で捉えられることも多いが、決してそうではない。どのように使うか、その使いどころは個々に大きく依存するからだ。


「賢者だからといって、威厳だけが全てではないだろ。肩肘かたひじ張らず、もっと気楽にやったらどうだ。ビュルクヴィストを見ろ」


 あれがよい見本だと言わんばかりに指差す。思わず釣られて、ミリーティエもビュルクヴィストに視線を向けてしまう。何事かとこちらを見るビュルクヴィストを、二人はあっさり無視して続ける。


「お前は、賢者である前に、一人の人、一人の女なんだ。何でも一人で背負い込もうとするな。もっと他者を信じろ。そして頼れ。言っただろ。俺たちは、いつでも歓迎するとな」


 ザガルドアの背中に向けて、深く頭を下げるミリーティエの瞳から涙がこぼれ落ちていく。これほどまでに心が温かく感じられたことはない。氷のごとく固まっていた心が、ゆっくりと溶けて、ほぐれていく。


 戻ったザガルドアに、まず先に声をかけたのはルシィーエットだ。


「世話になったね。感謝するよ。このとおりさ」


 ルシィーエットもまた、深く頭を下げ、礼を尽くす。


してくれ、ルシィーエット殿。俺はミリーティエの友人として話をしただけだ。礼を言われるようなことは、何もしていないさ」


 ルシィーエットは軽く首を横に振ってから、答える。


「それでもだよ。私は、あの子に何をしてやれたんだろうね。今となっては、何もしてやれなかった。あの子には済まないと思っているよ」


 本来、ルシィーエットこそ次期魔術高等院ステルヴィア院長に就任するはずだった。それを本人が断固として拒否した。


 理由は至極単純だ。他人を指導するなど、願い下げだ、私にできるはずがないだろう、なのだから。


「貴女は、当時から武闘派でしたしね。教えるのはたくみではありませんが、面倒見はよいではありませんか。ミリーティエはもちろん、正式な弟子でもないマリエッタ第二王女も随分と可愛がっていますね」


 先代オレグナン院長は、ルシィーエットのそういった部分も高く評価していたのだ。だからこその次期院長推薦だった。ビュルクヴィストもオントワーヌも、ルシィーエットこそが就任すべきだったと今でも思っている。


「うるさいね。今さら過去の話を持ち出したところで何になるんだい。院長なんて、あんたの方がよほど相応ふさわしいよ。私はね、ミリーティエの育て方を間違ったんじゃないかと思わずにはいられないんだ。それだけが心残りだね」

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