第119話:ロズフィリエンの変貌

 ヴェレージャの意思を受けた竜巻が、カドムーザの周囲を覆う魔力のよどみ、すなわち不浄なる大気を清浄なるものに戻す。


 役目を終えた竜巻は、宙へとかえった風とともに天翔あまかけ、清らかな大気を取り込んでさらなる竜巻を形成していく。


 ヴェレージャの行使した風姫浄空竜静麗シェルーメイネアは、風系中級魔術ながら、魔術性能だけを見れば上級魔術にも匹敵する。


 生み出された新たな竜巻は周囲の樹木を覆い尽くし、まとわりついていた澱みをことごとく吹き飛ばしていった。


 ようやくにして、竜巻の威力が減衰していく。ヴェレージャが魔力制御を手放したあかしでもある。


「やはり、この澱みが原因かしら」


 どこか釈然としない。独り言をつぶやきつつ、ヴェレージャが小首をかしげている。


「魔力の減衰率げんすいりつは、貴女の感覚としてどの程度でしたか」

 

 同じ思いだったようだ。エレニディールが好んで行使する魔術は水氷系だ。エルフ属でもある彼は、風系が使えないわけではない。


 当然、風姫浄空竜静麗シェルーメイネアが有する本来の威力も熟知している。それゆえの問いかけなのだ。


「半分程度とまでは言いませんが、それに近いですね。詠唱から発動までの時間も、いつも以上にかかっています」


 見立てどおりだ。この里内では、魔術効果は半減する、と考えておくべきだろう。時間さえあれば、半減をもたらす根本原因を探し出し、除去してしまいたいところだ。


「これがクヌエリューゾの掌中しょうちゅうということですね。ビュルクヴィスト様のお言葉を借りると、この要因は大地にある、ということでしょうか」


 エレニディールは確信をもってうなづく。


「探し出している時間はなさそうです。魔術効果半減を大前提に、事を構えなければなりません。こうなると、魔力温存がより重要になってきますね」


 二人が真剣に悩んでいる横で、ロズフィリエンは我関せずとばかりにヴェレージャの賞賛に熱を入れている。


「ヴェレージャはすごいね。以前にも増して、魔術の威力が強くなっているよ。さすがは私の許嫁いいなずけだ」


 一人、えつるロズフィリエンを前に、二人は深いため息をつく。


「ロズフィリエン、先にカドムーザまで上がって長老の様子を見てきてくれるかしら」


 ヴェレージャに頼られることがよほど嬉しいのか、すぐさま承諾する。


「任せてくれ。それにしても、以前に比べて視界が開けたような気がする。不思議と大気も流れている。これもヴェレージャのおかげだね」


 能天気な言葉だけを残して、ロズフィリエンは早々にカドムーザに向かって樹々を登っていった。


 エレニディールが可哀相かわいそうな子供を見るような目で、ヴェレージャをなぐさめる。


「そのような目で見ないでください。まるで、私があわれな女に思われているようで心外ですよ」


 詰め寄るヴェレージャは、いつもの彼女だった。一歩踏み出した途端、やはりつまずいた。足元に何も落ちていない、ただの平らな地面だ。小枝の一本や枯れ葉は落ちていたかもしれない。そこに躓く要素は全くない。


「あっ」


 声がれると同時、頭からエレニディールに突っ込んでいた。細身のエレニディールが軽々とヴェレージャを受け止める。


「こういうところは、子供の頃から全く変わっていませんね」

「それは、言わないでくださいよ」


 抱き起こしたヴェレージャはうつむき加減ながらも、その顔が赤く染まっている。エレニディールはあえて気づかないふりをした。


「私たちもカドムーザに上がりましょう」


 二人は中心地に足を踏み入れ、魔力を解放してからというもの、常に全身に風を纏っている。大気を侵食していく香術師こうじゅつしの力は、一切目に見えない。そのためにも防御の風を纏い続ける必要がある。


 魔力の消費は極力控えたいところだ。それを言っている場合ではなかった。


 二人が風の力を借りて、軽々と樹々をけ上がっていく。


 一足先に登っていったロズフィリエンは、文字どおりの木登りだった。それに比べて、数倍の速度で頂上付近に造られたゲフィードナのカドムーザに到着した。


 周辺一帯はヴェレージャの風姫浄空竜静麗シェルーメイネアによってほぼ清浄化されたものの、カドムーザ内からは異様なほどの澱みが感じられる。


 ロズフィリエンの姿は見えない。既に中に入っているようだ。


「よくも、このような状況で中に入れるわね。ここにいるだけで、むせ返りそうになるわ」


 エレニディールも同感だった。中にいるのは、ゲフィードナとロズフィリエンのみだ。シュリシェヒリ同様、長老には必ず補佐がついているはずだ。その姿がない。


「ここで突っ立っていても始まりません。私たちも入りましょう。ヴェレージャ、言うまでもありませんが、常に風を」


 緊張の面持ちでうなづく。


 エレニディールが扉に手をかけ、手前に向けて開け放つ。刹那せつな、カドムーザ内にまっていた濃密な澱みが一気に押し寄せてくる。


 対策なしに、まともに吸い込めば、あっという間に意識を失ってしまうだろう。エレニディールもヴェレージャも、風をまとっていながらも、思わず手で口を押えていた。


 清浄な風と衝突した澱みのかたまりが、いとも簡単に引き裂かれていく。ヴェレージャは風を呼び寄せ、右手に巻きつけると、カドムーザ内へと導いていく。


 風を循環させ、ある程度までカドムーザ内の清浄化を図る。完全浄化したいところだが、その時間はない。扉は開けたままにしておく。


 エレニディールが先頭でカドムーザ内に入っていった。


「ロズフィリエン、長老の容体ようだいはどうなの」


 近づきつつ、ヴェレージャが問いかける。ロズフィリエンはゲフィードナのそばにしゃがみ込んだままだ。横たわって、見る影もない長老の右手を、自身の両手で包み込むようにして握り締めている。


 くちびるが小刻みにふるえている。一心不乱に祈りを捧げているようにも見える。返答がないのは、このためか。


 ヴェレージャはなおも気づかない。


「止めなさい、ロズフィリエン。さもなくば、貴男を始末します」


 エレニディールが一喝いっかつ、あえて激しい言葉を投げつけた。彼の詠唱を中断させるためだ。それが功を奏した。意識が乱れ、詠唱が途中でさえぎられる。


「邪魔をするな。これはもはや用済みだ。楽にしてやろうという時に」


 ゲフィードナの右手を叩きつけるように離し、忌々いまいましげに立ち上がる。二人に向けられたロズフィリエンの顔は、二人が知るものとは似ても似つかない。恐ろしい形相ぎょうそう変貌へんぼうしている。


「エレニディール、囲まれています」

「分かっていますよ。貴女がやりにくいなら、私がロズフィリエンを」


 ヴェレージャは、思案するまでもなく即座に首を横に振った。


「外の連中を頼みます」


 短い言葉の中に、確固たる意思が感じらる。


 心根の優しいヴェレージャのことだ。しかも、ロズフィリエンは親同士が決めたとはいえ、許嫁でもある。情けをかけることなく、敵として処断できるだろうか。


 エレニディールはそれだけを心配していた。弟子を思う師の心というものだ。


(ビュルクヴィストも、私に対してこのような思いなのでしょうか。師というものは、やはり責任重大ですね)


「私の心配事は杞憂きゆうに終わりそうですね。ヴェレージャ、貴女に任せました。外は私が責任をもって」


 エレニディールが入ってきたばかりの扉から出て行く。それを尻目しりめに見届けたヴェレージャは、ロズフィリエンと対峙たいじする。


「ロズフィリエン、それが今の貴男なのね。もう、優しい貴男には戻らないのね」


 この澱みの中で、どれほどの時を過ごしてきたのだろう。ロズフィリエンには、ヴェレージャの言葉も届いていないようだった。獰猛どうもうな目つきでにらみつけてくる。


「うるさいぞ、ヴェレージャ。前々から思っていたんだ。いつかお前を屈服させ、俺の前にひざまずかせてやろうとな。今なら許してやるぞ。俺に永遠の忠誠を誓え。一生、可愛がってやろうではないか」


 下卑げびた笑みが満面に広がっている。口は裂けそうなほどに吊り上がり、唾液だえきしたたり落ちている。


「残念だわ。もとに戻らないなら、許嫁という関係もここで解消ね。私が望んだものでもないし、未練もないわ」


 ヴェレージャの目がわずかに細められる。氷の微笑をたたえた十二将最強の魔術師が、目の前の男を仕留めるべき敵と定めた瞬間だった。

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