第118話:全ては敵の掌中に

 二人の世界に浸りきっていたロズフィリエンは、エレニディールの存在に全く気づかなかったようだ。


 蚊帳かやの外に置かれていたエレニディールは、先ほどからここにいましたよ、と言いたいところだった。それよりも早く、ロズフィリエンがまくしたてくる。


 さすがに、ヴェレージャでさえもこの状況にはついていけない。


「ロズフィリエン、落ち着きなさい。私たちは、たった今、ここに到着したばかりなのよ。何が起きているのか説明しなさい」


 ヴェレージャの叱責で我に返ったか、冷静さを取り戻したロズフィリエンが答える。


「私としたことが、本当に済まない。次の新月までまだあるというのに、クヌエリューゾが独断で長老継承儀式を執り行おうとしているんだ。私は、そんな勝手なことは認められないと強く中止を要請したんだが」


 クヌエリューゾは無論のこと、誰もロズフィリエンの言葉に耳を貸さない。それどころか、取り巻き連中をけしかけてくる始末だ。


 多勢に無勢、ロズフィリエンに味方する者はほぼ皆無、もはやお手上げ状態に陥っている。二人の到着はまさに渡りに船に違いない。


 悔しさのあまり、ロズフィリエンは奥歯をみしめている。


「いつなのですか。それよりも、長老ゲフィードナは何をしているのです。彼が、このような横暴を許すはずもないでしょう」

「そ、それが」


 言いよどむ。エレニディールは察した。


「既にクヌエリューゾの術中ですか」

「そうなのです。私には、どうもせなくて」


 はっきりと言葉に出さないロズフィリエンに、ごうやしたか、ヴェレージャが威圧感たっぷりに詰問きつもんする。


「はっきり言いなさい。私たちは今、フィヌソワロの里で何が起きているかを知りたいの。それが分からなければ、対処もできないわ。貴男の考えは、どうでもよいのよ。事実だけを簡潔明瞭に述べなさい」


 ヴェレージャの思わぬ一面を垣間かいま見たロズフィリエンは、戸惑いを隠せない。なおも、詰め寄ってくる彼女に圧倒されたか、訥々とつとつと語り出す。


 彼によれば、ここ数ヶ月の間、長老ゲフィードナは寝たきり状態になっているという。それまで、長老として里の内外を行き来、精力的に活動していた彼が、突然倒れてしまったのだ。あまりの急変ぶりに、里の誰もが人為的攻撃を疑った。


「里内の魔術師総出で原因究明に当たりました。長老のお身体のみならず、その周辺までも念入りに調査したのです。それでも分からないのです。日に日に衰弱していく長老を見ているのがつらくて」


 ヴェレージャとエレニディールが顔を見合わせる。お互いにうなづき合う。


「クヌエリューゾも放置できませんが、まずはゲフィードナの容体ようだいてみましょう。クヌエリューゾ配下の者たちに気取けどられず、彼のもとまで案内できますか」


 二人は、いまだ魔力を極端なまでに制御している。それが功を奏した。通常状態に戻していたら、里内のほぼ全ての者に察知されていただろう。


「何とかできると思います」


 ヴェレージャがすぐさま口を挟もうとしたものの、エレニディールが制止する。


「急ぎましょう」


 ロズフィリエンを先頭に、二人が続く。共通して抱くのは、里内に入った時からの違和感だった。


 通常なら、門を守護する警備の者が複数人立っている。それらの姿が全く見られない。里の中心へと向かうこの道にも、人の気配が感じられない。まるで里全体が死んでしまったかのように、静寂に包まれている。


 静寂だけならまだしも、それ以上に絶望、諦念ていねん、屈服、無気力といった数々の負の感情が満ち溢れている。


(何が起きているのでしょうか。クヌエリューゾに、ここまでの恐怖政治がけるとは思えません。何か別の力、里内に入る前から感じているあの魔力によるものと考えるのが妥当でしょう)


 誰に見られることなく、三人は里の中心部に向けて黙々と進んでいく。用心に越したことはない。二人はなおも魔力を制御し続けている。


 エレニディールもヴェレージャも、いざという時のための訓練は積んできている。魔力を封じられた際の立ち回り方だ。


 魔力封じの方法は幾種類もある。極小範囲でその効果を限定制限するものから、極大範囲であらゆる魔術を無効化してしまうものまで、千差万別せんさばんべつだ。


 魔術師にとっての最悪は、言うまでもなく、全ての魔術を完全封殺ふうさつされ、無力なただの人になってしまうことに尽きる。それは死と同義、回避する能力を否応いやおうなしに身につけておく必要がある。


 ここまで随分と歩いてきた。里の中心部まで、まもなくの距離だ。近づくにつれ、魔力のよどみがよりいっそう強まっていく。明らかに、人を寄せつけないために生み出されたものだ。


 エルフ属は魔力保有量も多く、魔術行使にけた者が多い。この澱みに耐えられる者は数少ないだろう。長老ゲフィードナを衰弱させている要因も、これに相違ない。


(それにしても、解せないのは私の方です。ヴェレージャは、既に気づいていますね。ロズフィリエンが何故なにゆえ、ここまでの魔力の澱みに気づかないのか)


 エレニディールは、前を一人行くロズフィリエンの背を見つめながら思案している。


(これは)


 ロズフィリエンは、ヴェレージャの許嫁いいなづけでもあり、次期長老の座を巡ってクヌエリューゾと争っている。顔見知りということもあって、彼に対して熱心に注意を払っていなかった。


 迂闊だった。先ほどまでは気づかなかった。


 彼の全身が、限りなく薄い膜状まくじょうのもので包まれている。よくよく目をらしてなければ分からないほど、精巧に隠されている。


(クヌエリューゾの香術師こうじゅつしとしての力というわけですか。これで納得がいきます。もはや、里内全域がクヌエリューゾの掌中しょうちゅうなのですね)


 不味まずい状況だ。ロズフィリエンの行動は、全て筒抜けと考えて間違いないだろう。


(故郷を思って、できる限り手荒な真似は控えようと思っていましたが、そうはいかなくなりました)


 声は発しないものの、しきりにヴェレージャが何かを訴えかけてくる。エレニディールは、承知しているとばかりに首を縦に振る。歩みの速度を落として、ロズフィリエンと幾分かの距離を取る。


 ロズフィリエンは全く気づいていない。念には念を入れて、彼に聞こえないほどの小声で語りかける。


「貴女にも視えたようですね。残念ながら、ロズフィリエンは、いえ、この里中がクヌエリューゾの掌中です。私たちはまさに危ない橋を渡ろうとしています」


 けるわけにもいかない。覚悟を決めるしかない。エレニディールは、仕かけどころを定めた。


「ゲフィードナのカドムーザに到着すると同時です。多少の破壊には、目をつむりましょう。貴女も準備だけはおこたらずに」


 歩くこと二十メレビル、ようやく長老ゲフィードナのカドムーザが見えてきた。シュリシェヒリの長老のカドムーザ同様、目を見張るほどの大樹の高い位置に造られている。


 周辺から漂ってくる陰鬱いんうつとした大気の澱みを前に、ヴェレージャは思わず口を押さえる。


 横目でロズフィリエンとエレニディールを見る。ロズフィリエンが平然としているのに対し、エレニディールは極力呼吸を浅くして、大気を吸い込まないように努めている。


「ロズフィリエン、貴男、これほど澱んだ大気の中で平気なの。何も感じないの」


 意味が分からない、といった表情を見せてくる。ヴェレージャは信じられない思いだった。


「どうしたんだい、ヴェレージャ。ここは、いつもと何も変わらないよ。君は外の世界が長く、久しぶりに故郷に帰ってきたばかりだから、そう感じるのかもしれないね」


 何を暢気のんきなことを、と言いたいところだ。ここで議論しても詮無せんなきこと、ヴェレージャは早々にロズフィリエンとの話を打ち切り、視線をエレニディールに転じる。


「カドムーザの周囲が特に濃密ですね。ヴェレージャ、貴女の風で全て吹き飛ばしてください。ロズフィリエン、貴男は邪魔者が来ないように周辺監視を」


 我が意を得たりとばかりに頷くヴェレージャと、状況がみ込めていないロズフィリエンが好対照だ。


 ヴェレージャが長老ゲフィードナのカドムーザに向けて、右手をかかげた。これまで制御しきっていた魔力を、ここで一気に解放する。


 詠唱が始まる。


「シェーレ・ルフウ・リエージェス

 メーレン・ファウ・レイ・ルーケイア

 天翔あまかけし清らかなる風の乙女たちよ

 そらに響きたる我が声を聞き届けたまえ

 聖なる力を持ちて悪しき存在をことごとく退しりぞけよ」


 ヴェレージャの足元から風が急速に巻き上がる。右手に導かれ、空へと解き放たれる。


風姫浄空竜静麗シェルーメイネア


 暴風と化した上昇気流が、ヴェレージャの右手から一気に駆け上がっていく。周囲の樹々を揺さぶり、枝や葉をまき散らしながらカドムーザを瞬時に包み込む。


 ヴェレージャは制御に集中しつつも、風の様子を観察し続けていた。

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