第264話:邪魔者の排除

 トゥルデューロが行使する魔術は炎熱魔術だ。エルフ属には珍しく、風嵐や水氷魔術を不得手ふえてとする。


 パレデュカルも同じく、それらを苦手としていた。しくも、二人は森を愛するエルフ属とは真逆の力、火炎に最大適正がある。幼い頃から気が合ったのは、そういう部分があったからかもしれない。


「カヴァディ・ズナラタン・ディ・ザーリィ

 ハーミヤ・ザォエシェー・エジヌ・ダーミィ」


 エルフ語による詠唱が続く。


 プルシェヴィアは頭を抱えつつも、夫トゥルデューロの魔術を横目で確認、彼女も詠唱に入った。


 プルシェヴィアは四姉妹の中で、きミジェラヴィアと同じ力を有する。そして、魔術構築速度と威力はミジェラヴィアをも上回っている。トゥルデューロをまもる、と言った言葉に嘘偽うそいつわりはないのだ。


「エーレ・ペーレン・ソアルー・ファノフィウル

 ラナラダ・エズウ・オロトゥー・セヒリニ・アークム」


 プルシェヴィアもまたエルフ語、さらに短節詠唱だ。


 構築速度は短節詠唱にうところが大きく、プルシェヴィアは複数の魔術言語に精通、改変構築の才能が群を抜いてすぐれている。


 次期補佐役を蹴って、そのうえトゥルデューロと結婚したことは、当時のシュリシェヒリの里である種の伝説にさえなっている。プルシェヴィアはそれほどまでの逸材なのだ。


 あまりに勿体ない、とは、トゥルデューロを除くシュリシェヒリの里全員の総意でもあったりする。


「ファーレス・エディオラ・レメネディレ

 ラズール・アレニ・リディ・キュオラム

 ルクゼン・ザローネア・イジェ・レーネイ」


 トゥルデューロの詠唱が刻一刻こくいっこく成就じょうじゅに向かっていく中、パレデュカルは全く動きを見せない。両腕を軽く下げたまま身構えもせず、詠唱する気配さえない。


 トゥルデューロの性格はいやというほど知っている。それをいさめるのがいつもプルシェヴィアということもだ。


「突っ立ったままとは随分と余裕だな。これでも食らうがいい」


 トゥルデューロの詠唱が成就した。キィリイェーロも補佐役も彼に任せたままだ。こうなった彼を止められるのは一人しかいない。


荒灼源炎熱華ピィアニエフィロ


 トゥルデューロもまた知っている。


 パレデュカルが先に仕かけてくることはない。彼が先に仕かけるのは、相手を確実に殺す時のみだ。口では皆殺しと言いながらも、心の中ではそうではない。


 トゥルデューロはわずかに安堵あんどしつつも、パレデュカルに対する攻撃の手は一切ゆるめない。敵に回ったとはいえ、それが彼に対する敬意でもあるからだ。


 パレデュカルの周囲の岩石が次々とぜる。大地がひび割れ、亀裂きれつを広げていく。亀裂の底、灼熱しゃくねつの炎がき上がるその時を待ちわびている。


 大地の揺れがさらに強くなっていく。あと一押しさえあれば、亀裂の底の炎が容赦なくパレデュカルをみ込み、焼き尽くす、いや肉も骨もかしてしまうだろう。


ほむらに呑まれろ」


 トゥルデューロの右手が静かに持ち上げられる。それが合図だ。完全に上がり切った時、炎が眠りから覚める。


 なおも動きを見せないパレデュカルにトゥルデューロがいぶかしげな目を向けるも、魔術の発動を止めるわけにはいかない。


(許せ、我が友よ。せめてもの情けだ)


 瞳を閉じたトゥルデューロが呼吸を一つ、おもむろに右手を頭上へといざなう。


 その時だ。横で最愛の妻プルシェヴィアがかなでる旋律せんりつが聞こえた。


「ル・ヒューレン・ファナーラ・セパミーリ」


 まぎれもなくプルシェヴィアが最も得意とする魔術だ。


 抑揚よくようを大きくかせたプルシェヴィアだけが行使できる固有旋律魔術は、術者たるプルシェヴィアを起点にして、彼女以外の全ての魔術を眠らせる。


 すなわち、この効果範囲内にいる限り、どのような魔術師であろうとも赤子同然と化すのだ。


 燃え盛っていた灼熱の炎も完全に沈黙している。炎は勢いを失い、灼熱の色も消えている。大地もまた静まり、一切の揺れも存在しない。


「相変わらずだな、プルシェヴィア。恐ろしい力だ。いささかも衰えていない」


 パレデュカルが賞賛しょうさんの声を投げかけてくる。一方のトゥルデューロは肩を落とし、怒られた子供のごとく小さくなっている。


「貴男、少しは発散できましたか」


 プルシェヴィアが先に声をかけるのはパレデュカルではない。当然、夫たるトゥルデューロだ。


 全く男って仕方がないわよね、といった表情であきれつつも、毎度のことだ。腹立たしくもあるし、だからこそ余計にいとしくもある。


「す、済まない、プルシェヴィア」


 これまで何度も同じことを繰り返してきている。学習効果がないというのも困りものだ。苦笑と小さな説教で済ませてきたプルシェヴィアにも、わずかながらに問題があるかもしれない。


 もっとも、ほぼ全てがトゥルデューロの問題だ。生死をけた戦いで同じ過ちを繰り返していては身がもたない。だからこそ、プルシェヴィアは心を鬼にして言い放つのだ。


「貴男、普段ならまだ構いません。私も支えられますからね。ですが此度こたびの戦いは状況が全く違います。次に同じ過ちを繰り返したら」


 一度言葉を切る。もはや意味深いみしんどころの話ではない。トゥルデューロが息を詰めて緊張しているのがよく分かる。


「お、同じ過ちを、繰り返したら」


 あえて復唱ふくしょうする必要もないところを、トゥルデューロは沈黙が耐えられなかったのだろう。


「はい、離婚ですよ」


 天使のごとき微笑ほほえみを見せながら、巨大な爆弾を落とすプルシェヴィアだった。


「り、離婚」


 戦いの最中にありながら、トゥルデューロはあまりの衝撃に固まってしまっている。


 エルフ属は長命ということもあり、同属での結婚が通常だ。幼い頃から親同士が決めた許嫁いいなずけを持つ場合も多く、ヴェレージャもその一例にすぎない。


 里によって多少の違いはあれど、基本的には一対一、生涯しょうがい一人の相手を愛する。同属同士に限っては重婚は認められていない。結婚も離婚も本人同士の合意に基づいて成立し、面倒な手続きなども存在しない。


 合意以外の方法としては、こじれにこじれた場合などに備えて調停制度も用意されている。いわば至れり尽くせりといったところだ。


 悠久ゆうきゅうにも近い時を生きるエルフ属にとって、結婚とは他属と異なり、お互いをゆっくり知りながら愛し合っていく、そういったものだ。ゆえに離婚率も相応に低い。


 それだけにプルシェヴィアの口から離婚の言葉が出たことは、非常に大きな意味を持つ。


 当事者を除く里の者たちがさわがしい。離婚しろとはやし立てる声が大半だ。多くの者があわれみをもってトゥルデューロを見守っている。


「おい、お前たちの夫婦漫才はいつまで続くんだ。緊張感も何もあったものではないな」


 敵のパレデュカルでさえ苦笑を浮かべている。裏を返せば、二人の仲はむつまじいということだ。ある意味、それをうらやましくも思う。もちろん、その感情は表に出しはしない。


 パレデュカルは表情を引き締めると、言葉を紡ぎ出す。


「トゥルデューロ、お前では俺の敵になりぬ。お前の手の内は知り尽くしている」

「それはお互い様だろう、パレデュカル」


 トゥルデューロの言葉どおりだ。幼い頃から切磋琢磨しあった仲だ。互いの長所、短所は言うに及ばず、魔術や武具を用いての戦闘、その戦術など、あらゆることを知っている。


 違うとすれば、トゥルデューロはシュリシェヒリの里に閉じこもっていた一方で、パレデュカルは姉サリエシェルナ探索で里を離れ、外界で暮らしてきたことだ。


 その差異は想像以上に大きい。外界を知らないトゥルデューロに、それを理解しろというのはこくと言うものだ。


「俺が恐れるのはプルシェヴィア、お前の旋律魔術、そしてキィリイェーロ、お前の停滞魔術だ。それ以外の有象無象うぞうむぞうに用はない」


 パレデュカルが左手のひらを胸前でゆっくりと開く。


 彼の立つ位置は、言うまでもなくプルシェヴィアが行使した旋律魔術の効果範囲内だ。無論、パレデュカルも魔術が使用できない。


 彼の手のひらの上だ。明らかに術で構築された立方体が浮かんでいる。


「私の旋律魔術で魔術は眠っても、貴男のもう一つの力は何ら影響を受けないということですね」


 パレデュカルの口角がわずかに上がる。そこにどのような意味がめられていたか。


「邪気によって創り出されたこの立方体は、邪魔なお前たちを排除するためのものだ」


 立方体上部の一面が開く。邪気はすなわち黒きもや、立方体内から勢いよく噴き出すと、またたく間に大気を、大地を侵食していく。


 パレデュカルの狙いは決まっている。名指しした二人だ。黒き靄がキィリイェーロとプルシェヴィアを覆い尽くす。


「プルシェヴィア、長老」


 開いていた立方体の一面が音もなく静かに閉じられる。同時に黒き靄は立方体内に吸収され、嘘のように消え去った。二人の姿もない。


 トゥルデューロの声だけ虚しく響く。


「さあ、虐殺の時間だ」


 パレデュカルは居並ぶシュリシェヒリの者たちを睥睨、ゆっくりと魔術詠唱に入った。

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