第287話:魔霊人としての姉と弟

 まさか他人の口から殻毅術かくきじゅつという言葉を聞くとは思いもしなかった。少なくとも、このリンゼイア大陸に生まれた者は知らないはずだ。


 殻毅術は既に失われて久しく、魔術と体術を組み合わせたこの術はユルゲンディオ大陸発祥と伝えられている。当然ながら、この時代に使い手は存在せず、ただ古文書のたぐいに簡易な説明が残されているのみだ。


 ソミュエラは偶然、殻毅術について触れた古文書を手に入れる機会があり、それ以来、あくまで趣味の一つとして一人で研究を続けてきた。いつしか没頭するほどにはまり込んでしまった。知識欲のかたまりとも言えるソミュエラの本領発揮と言えよう。


 数年かかって、ようやく形らしきものを見つけたものの、実戦で効果的に使うには心許こころもとない。そこからは手詰まりの状態だ。何しろ、殻毅術の完成形が分からない。


 そこに現れたのがガドルヴロワであり、もしかしたら彼なら何か知っているかもしれない。そう思った途端、勝手に口が開いていた。


「貴男はユルゲンディオ大陸の出身でしょうか。殻毅術の完成形がいかなるものか」

「知っていますよ」


 ガドルヴロワがソミュエラの言葉をさえぎる形で即答を返す。ソミュエラは当然のこと、離れた位置に立つゼーランディアでさえ、いささか驚きの表情を浮かべている。


 ゼーランディアの視線は弟の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを追い続けている。


「最初の問いは、ええ、そうです、になりますね。私たち姉妹は確かにユルゲンディオ大陸出身です」


 ソミュエラはここぞとばかりに食いつく。


 こちらは対照的だ。背後のヴェレージャとディリニッツは、知識欲という深い泥沼に沈み込んでいくソミュエラにお手上げといった表情に変わっている。


「ソミュエラ、お前は何をやっているんだ。今がどういう時か分かっているのか」


 振り返りもせず、ぶっきらぼうに言葉を返してくる。


「うるさいですよ、ディリニッツ。もちろん分かっています。私にとって、最も重要なことが何かぐらいは」


 分かっていたことだ。こうなったソミュエラは、自身が興味を失うまで止まらない。しかも、あろうことか両手にした二振ふたふりの剣をさやに仕舞ってしまうほどなのだ。


 頭をかかえるディリニッツと、彼の肩を優しく叩きながらなぐさめるヴェレージャ、二人ともソミュエラには相当に苦労させられているようだ。


「無駄よ。私にとって、と言ったでしょう。今のソミュエラには何を言っても通じないわ。しばらく待つしかないわね」


 しきりにかぶりを振るディリニッツが、視線の片隅で予期しない動きをとらえた。


 珍しくソミュエラが両手を後ろに組んでいる。その左右の指が一定間隔で動いているのだ。


 エルフ属特有の指手申伝ダルドゥラだ。無論、里によって若干の違いはあるものの、おおむね共通項は多い。


 この際だ。なぜソミュエラが知っていたのかはさておき、二人は彼女の意図を即座にみ取る。ソミュエラの指手申伝ダルドゥラはごく短時間のうちに終わった。


 ディリニッツとヴェレージャは互いに顔を見合わせ、うなづく。伝えられた内容を意訳するとこうなる。


≪時間を稼ぐ。対策をひねり出しなさい≫


 何ともソミュエラらしい。丸投げ同然とも言えよう。それでいて腹も立たない。


 千剣姫せんけんき、決して彼女の前で口にしてはいけない、の異名を有する、十二将きっての才媛、それがソミュエラだ。


 彼女は近衛このえ兵団副団長を務め、ある意味で参謀的な立ち位置でもある。筆頭ザガルドア改めイプセミッシュを長きにわたって支えてきたその手腕は、誰もが認めるところだ。


 エンチェンツォが目指す軍事戦略家なる要職が既に存在するなら、真っ先に彼女こそが就任すべきだろう。残念ながら、彼女にその気は一切ない。


 彼女にとって、知と武は表裏一体、知識を得るために剣技が必要で、剣技を極めるために知識が必要なのだ。どちらか一方を優先するなどできない。


「本当に知っているのでしょうか。既に失われて久しいのです。失礼ですが、貴男は魔霊人ペレヴィリディスなる存在なのでしたね」


 ソミュエラが言わんとしていることを即座に理解したガドルヴロワが言葉を返す。


「私も姉も殻毅術が全盛を極める時代を生きてきました。かくいう私もその使い手の一人でした。姉は違いますが」


 戦い始めた最初の印象とは随分と変わってきている。ソミュエラはこの落差をどう判断すべきか迷っている。突き止めるためには、もう少し踏み込んでいく必要がある。


「後ろの二人から聞いていた魔霊人ペレヴィリディスとは随分と異なるようです。人としての、そして姉弟としてのきずなが深く感じられてなりません」


 意表を突かれたか、ガドルヴロワの顔に驚愕きょうがくの色が見られる。その中にわずかに悲哀ひあいが溶け込んでいることをソミュエラは見逃みのがさなかった。


 何を思ったか、ガドルヴロワもまた両手にした剣を鞘に納め、さらには宙に浮かぶ五振ごふりまでも消し去った。正確に言うなら、宙に収納したとでも言うべきか。一連の動作内でガドルヴロワからは魔力波が感じ取れなかった。


(私に感じ取れなくとも、二人ならあるいは。魔霊人ペレヴィリディスには二つの気があるとも聞きます。本当に厄介やっかいですね)


 思わずため息が出てしまう。目敏めざといガドルヴロワが反応を示す。


「私との話は退屈たいくつでしたか。でしたら」


 その先は言わせまいとばかりにソミュエラはあわてて言葉をつむぎ出す。


「これは失礼いたしました。少し考え事をしていたせいで、不快な思いをさせてしまったのなら謝罪いたします」


 素直に頭を下げるソミュエラを、ガドルヴロワは不思議そうに、まるで珍しい生き物でも見るかのように眺めている。不快ではなかったのだろう。その証拠に分からないほどの笑みが浮かんでいる。


(弟が笑みを見せている。珍しいわね。あの女、油断ならないわ)


 生きたまま核を埋め込んでいるヒオレディーリナは例外として、ガドルヴロワは魔霊人ペレヴィリディスの中で最も人に近い思考、感情をなおも残している。


 ソミュエラの直感は正しく、魔霊鬼ペリノデュエズとしての殺戮さつりく本能と人としての本能が彼の中で拮抗きっこうしつつ、主導権を握ろうと戦っているのだ。


 ゼーランディアは違う。彼女もまた人としての思考、感情を残すものの、その向かう先は弟ガドルヴロワただ一人であり、他者に関する興味は全くない。


 言い換えれば、他者は魔霊鬼ペリノデュエズとしての殺戮対象でしかない。弟を堕落だらくせしめる女、ソミュエラはこの瞬間、ゼーランディアにとって狩るべき存在となった。


 攻撃の意思をまとって彼女の右腕が持ち上がる。その動作に気づけたのは一人のみだ。


「姉さん、駄目だよ。まだね。この人と少し話がしたいんだ。待ってくれないかな」


 先ほどまでの口調とは一転している。冷酷さだけがめられた言葉は、およそ人のそれではない。お願いという名の強制でもある。


 ゼーランディアに逆らう気など毛頭ない。すぐさま持ち上げかけた右腕を下ろすと、躊躇ためらいがちに言葉を振り絞る。


「ご、ごめんなさい。ガドルヴロワ、私を嫌いにならないで」


 くちびるみ締めるゼーランディアの弱々しい声にガドルヴロワは振り返り、笑みを浮かべてみせる。今度は明確にそれと分かる笑みだった。


「私が姉さんを嫌いになるなどあり得ないよ。だから何の心配も要らない。私たち姉弟はずっと一緒だよ」


 ようやく安堵できたのか、ゼーランディアの表情に幾分柔らかさが戻る。


「ええ、そうね。私たちはずっと一緒ね」


 そこでめておけばよいものの、つい感情任せに言葉が出てしまう。


「ガドルヴロワ、その女には気をつけて」


 言った瞬間に両手で口を押さえるものの、もはや後の祭りだ。明らかに余計な一言だった。激しい後悔が襲ってくる。


 視線をソミュエラに戻していたガドルヴロワは振り返ることなく、言葉をつむぐ。それは姉ゼーランディアではなく、ソミュエラに向けたものだ。


「姉が失礼しましたね。許してください。貴女を侮辱ぶじょくするつもりはないのですよ」


 今度はガドルヴロワが頭を下げてくる。


「頭を上げてください。失礼はもちろん、侮辱もされていません。何も問題はありません」


 先ほどと同じく、驚きの表情を浮かべている。いったいどこにその要素があるのか。ソミュエラには理解できない。


「住まう大陸の違いもあるのでしょうが、この時代は私の生きた時代と比べて随分と異なる部分が多いですね。人のいとなみなど」


 言葉を切る。誰に聞かせるわけでもなくただつぶやく。


 切り替える。


「さて、殻毅術について知りたいのでしたね。具体的に何を知りたいのですか」


 あやうく、全てを、と答えそうになったソミュエラは慌てて言葉をみ込む。具体的に、と問われているのだ。告げるべき言葉を選ばねばならない。


「貴男の時代に伝えられていた殻毅術の術理の全て、そして殻毅術の最終形を教えていただけないでしょうか」

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