第286話:分断された戦い

 三振みふりの剣が各々意思を持ったかのごとく自在に宙を舞っている。魔力誘導の賜物たまものか。


 さらに両手に一振ひとふり、都合五振ごふりの剣が不規則でいながら、連携の取れた息をもつかせぬ攻撃を繰り出している。


「実に厄介やっかいですね」


 相対しているのは十二将序列五位のソミュエラだ。同じく左右の手に握る二振ふたふりをもって、迫り来る剣戟けんげきをいなしている。それにも限界がある。


 敵の五振りに対して、こちらは二振り、必然的にけられない攻撃がソミュエラの肌をいていく。今のところ、何とか薄皮うすかわ一枚、かろうじて避け続けている。


 肌を伝って流れる血が永久凍土の大地に赤い小さな斑点を生み出していく。このままでは、いずれとらえられてしまうだろう。そうなれば深手は必至ひっし、戦局を変えるための手をすぐに打たねばならない。


 ここはアーケゲドーラ大渓谷の谷底だ。陽光は完全にせ、わずかに差し込む月光が唯一の明かりとなっている。覚束おぼつかない足元での戦闘、それでなくともこごえるほどに極低温の環境がいちじるしく体力をけずっていく。


 既に互いの剣を重ね合わせること数十回に及ぶに至り、明らかにソミュエラの動きが悪くなっている。


「まずいわ、ソミュエラの動きが一段と悪くなってきている。ディリニッツ、何とかあそこまでもぐれないの」


 ヴェレージャの焦燥感しょうそうかんは誰もが等しく持ち合わせているものだ。ディリニッツもそれができるなら、彼女に言われるまでもなくしている。


「この一帯の影が封じられている。あの女の仕業しわざだ」


 本来、ほぼ光のない大地は闇の支配領域だ。永久凍土であろうと、そこに闇がある以上、ディリニッツの操影術そうえいじゅつは効力を発揮する。それが先ほどから全く機能しない。


 ディリニッツとヴェレージャの視線の先、一人の女が悠然ゆうぜんと立っている。淡紫たんしの長い髪が強風になびくことも気にめず、魔術制御に集中している姿は幻想的でもある。


「あの女が有する魔力量は異常すぎる。いったい幾つの魔術陣を多重展開しているんだ」


 永久凍土に敷き詰められた魔術陣は彼女の髪と同色、淡紫の光を放ち、複雑な紋様もんようと文字を浮かび上がらせている。積層型多重魔術陣と称されるもので、大地に描き出した根幹魔術陣をかなめにして四方と上空に展開されている。


「今のところ全部で七つよ。まだ増えそうよね」


 ヴェレージャは嘆息たんそくらすと、後方に残った者たちに素早く視線を動かす。そこはまさに乱戦だった。


 今まさに行われている戦闘の構図はこうだ。


 すなわち、得体えたいの知れない女魔術師と男剣士に対して、ソミュエラ、ヴェレージャ、ディリニッツの十二将三人で迎え撃っている。


 トゥウェルテナと負傷したホルベントは、フィリエルスのアコスフィングァで出発地点の高度二千メルク地点に戻り、さらに後方支援の頼みのつなたるエランセージュは、唐突に出現した魔術転移門に吸い込まれてしまった。


 残ったのはラディック王国の騎兵団のみだ。ハクゼブルフト、ペリオドット、ノイロイド、エヴェネローグの四人に、高度二千メルク地点からソミュエラとともに下りて来た十二将序列六位のブリュムンド、そして坑道組のセルアシェルが合流している。


 十二将五人にラディック王国騎兵団の勇士たち、この戦力ならば敵なし状態であっても何ら不思議ではない。それが苦戦防戦一方に立たされている。


 それもそのはず、ブリュムンドたちが相手にしているのは魔霊鬼ペリノデュエズ、しかも中位シャウラダーブ七体なのだ。それぞれが独自能力を有し、さらに中位シャウラダーブとしては実力上位、その内の二体は高位ルデラリズに近い位置にいる。


 万が一にでも、ここで高位ルデラリズに格を上げるようなことになれば、全滅の可能性が格段に高まる。何としてでも仕留しとめなければならない。


 至難しなんわざと言ってよいだろう。なぜなら、ここにいる者たちの中に魔霊鬼ペリノデュエズる目、すなわちシュリシェヒリの目を持つ者がいないからだ。


「互いの援護は期待できない。眼前の敵を倒す。それだけに集中しないと全滅するぞ」


 ディリニッツの想いは皆に伝わっている。焦りは禁物だと分かっていながら、どうにも状況を打破する糸口が見つからない。


 戦闘が始まって十数メレビルがつ。突然、空から降って来た二人を前に、決して油断していたわけではない。


 先行して周囲の状況を確認していたヴェレージャたち三人と、それ以外の間隔が開きすぎていた。そこにくさびを打ち込まれる形で空間を割って飛び出してきた二振りの剣が凍土をえぐり、さらに魔術陣が展開されてしまった。


 魔術陣を境にして不可視の障壁が発生、それによって行き来が遮断しゃだんされている。完全に二手に分断されてしまっているのだ。


「セルアシェルが残っているのがせめてもの救いだ。あちら側は魔術が行使できるようだからな」


 心配そうな視線を向けているディリニッツをからかうかのようにヴェレージャが軽口を叩く。


「可愛いセルアシェルですものね。それはもう心配よね」


 ディリニッツが、いきなり何を言い出すんだといった表情で振り返る。不可解だ。どうしてヴェレージャが勝ち誇ったかのような態度になっているのか、皆目かいもく検討もつかない。


「意味が分からないな。セルアシェルは私の部下だぞ。それにまだ子供だ。心配して当然だろう」


 それを聞いて、深いため息をこぼすヴェレージャがますます分からない。二の句を継ごうとしたところで、先を越される。


「はあ、これだから苦労するのね。いい、ディリニッツ、貴男はもっと女心というものを学んだ方がよいわよ」


 これは私が一肌ひとはだ脱がないと、と勝手に暴走しているヴェレージャがまた大変なことになっている。ディリニッツも同様に深いため息しか出てこなかった。


「おい、ヴェレージャ、今はこんな話をしている場合ではない。あれの対処法を考え出さないと本当に」


 言葉がさえぎられる。


 にぶい硬質音が宙をいたのだ。ソミュエラの左手に握る剣が剣身中央部で折れた、いや男が繰り出したぎの剣で切断された音だった。


「魔術付与した剣をり落としますか」


 わずかに生じたすきを男が見逃みのがすはずもない。薙ぎに払った剣が即座にひるがえる。無駄な動きが一切見られない、実になめらかな剣技だ。


 異なる剣軌けんきを描いた剣が、やや斜め上方からソミュエラの左肩口に落ちてくる。


 ほぼ棒立ちのソミュエラにはけようがない。男の剣がソミュエラの肩をえぐり、なおを加速しながら斜め下方へとけ下りていく。


「この魔術陣は魔力を外に出せなくするためのもの。体内にとどめ置く限り、練り上げられます」


 肩口から入った切っ先が狙いたる心臓に到達できずにいる。肉に食い込んだまま、切っ先が微動だにしない。


「面白いですね。貴女のような使い手がこの時代に残っていたとは驚きです」


 魔力制御に集中しつつ、逐一ちくいち男の様子を観察し続けている女が声を飛ばす。


「ガドルヴロワ、どうしたの」


 ガドルヴロワと呼ばれた男は軽く左手を挙げ、心配ないと無言で伝える。女は安堵したのか、いっそう魔術制御の力を強めていく。


 分からないほどの笑みを浮かべたガドルヴロワが小声でつぶやく。


「ゼーランディア姉さんは私が絶対にまもるよ。だから姉さんも私を護って」


 ガドルヴロワはいさぎよく剣を引き抜くと、一歩後退、ソミュエラとの距離を取り直す。


殻毅術かくきじゅつですね。体内循環する魔力を練り上げて筋肉をはがねのごとき強度、硬度に引き上げる術です。達人ともなれば、魔力を用いずとも筋組織を変化させられるそうですよ」


 戦いが始まって以来、無言を貫いていたガドルヴロワがいきなり雄弁ゆうべんな語りを繰り広げている。ソミュエラは一瞬戦いを忘れ、呆気あっけに取られてしまった。ガドルヴロワも彼女の表情から読み取ったのか、苦笑を浮かべている。


「これは失礼いたしました。つい無駄話をしてしまいましたね。ああ、申し遅れました。私はガドルヴロワ、そして姉のゼーランディアです」


 振り返って姉の位置を指し示す。今、この瞬間は敵とは思えない。律儀りちぎな男だと感じつつ、ソミュエラも悪い気はしない。


「ご丁寧な挨拶あいさつ、恐縮ですね。私はゼンディニア王国十二将が一人、ソミュエラです。背後の二人は同じくヴェレージャとディリニッツです。それにしても、貴男は物知りなのですね」

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