第288話:報われない努力の意味とは

 語るよりも早い。


 ガドルヴロワは右の手刀を鋭く振り下ろすと、左手首の橈骨とうこつ動脈を瞬時に切断していった。


 深紅と濃緑、二種の血が同時に激しくき上がる。


「な、何をしているのですか。死にますよ」


 唖然あぜんとするソミュエラは、ガドルヴロワが魔霊人ペリノデュエズであることを失念しているのか、命の心配をするに至っている。彼があまりに人らしく振る舞っているせいだろう。


「貴女は優しいのですね。よくておきなさい。今から切断した橈骨動脈を修復します」


 ガドルヴロワは既に殻毅術かくきじゅつを発動している。ソミュエラに分かったのは発動の瞬間だけだ。あわてて目をらすも、それ以外のことはよく分からない。


「ま、待ってください。私、苦手なのですよ」


 言ったところで待ってくれるはずもない。今のソミュエラの目で何とかとらえられるのは魔力のうねりのみだ。


 ガドルヴロワの身体を巡る魔力はそれとなく分かる。量や質、形状、強度、硬度といったたぐいになってくるともはやお手上げだ。


 その間にもガドルヴロワの殻毅術は終わりを迎えようとしている。あれほど盛大に噴き上がっていた二種の血は、今や皮膚をわずかにらす程度に減少している。深く切断された傷口も見事に修復され、ここから見る限り、あとさえ残っていない。


「貴女に質問です。何層でしたか」


 何とも直截的ちょくさいてきな問いかけだ。視えないソミュエラに答えるすべはない。くやしさと恥ずかしさで赤面してしまう。


「意地悪な質問ですね」


 ガドルヴロワが突然声を上げて笑い出す。何が笑いの要因になったのか。ソミュエラからしてみれば、笑う要素など皆無かいむだ。


「なるほど、なるほど。そのように返してきましたか。やはり歳月の流れを感じてしまいますね」


 うつむき加減のソミュエラを気の毒に思ったか。敵のはずのガドルヴロワが助け舟を出す。


「今回だけです。後ろにいるエルフ属のお二人に尋ねてみてはいかがですか。そうでないと、前に進めませんから」


 彼は何と言ったのか。前に進めない。確かにそう言った。


 ソミュエラの視線が素早くヴェレージャとディリニッツに注がれる。やや遅れてガドルヴロワも視線を転じる。


「橈骨動脈に五層よ」


 先に答えたのはヴェレージャ、次いでディリニッツも応じる。


「傷口に三層だ。いずれも魔力は必要最低限、極薄ごくうす精緻せいちさだな」


 両手を叩く音、それはまぎれもなく拍手だった。ガドルヴロワは素直に二人をたたえている。


「お見事です。さすがはエルフ属ですね。悠久ゆうきゅうの時を生きるエルフ属は変わらない。変わったのは、いえ、無駄話ですね」


 ソミュエラは複雑な感情を無理に押し隠す。


 幼い頃に兄を亡くし、ほぼ一人っ子状態で育ってきた彼女は、何でも一人でできなければならない、という意識が強い。十二将内の姉的存在として面倒見がよいのも、そういったところから派生している。


「ヴェレージャ、ディリニッツ、有り難う。助かったわ」


 何でもないわ、とばかりに手を軽く振りながらヴェレージャが言葉をかける。


「ソミュエラ、これで貸し二つよ。それと、もっと私たちをたよりなさいな。何でも一人でやろうとする貴女の悪いくせよ」


 無駄な力が抜けたのか、ソミュエラの顔にわずかにみが戻ってくる。


 しかってくれる仲間が、友がいる。何と有り難いことだろう。ソミュエラは実感している。


「ええ、そうするわ」


 再びガドルヴロワと相対あいたいする。互いに静の状態だ。先ほどまで命のやり取りをしていたとは思えない。


「残念ですが、今の貴女では殻毅術を使いこなせないでしょう。第一段階で脱落したも同然です」


 手厳しい。それだけではない。なぜか優しさも感じられる。


「魔力の流れを視覚としてとらえる必要が絶対的にある、ということでしょうか」


 首が縦に振られる。おもむろにソミュエラの左肩を指差す。


「貴女が咄嗟とっさに使った殻毅術、私かられば魔力の使いすぎです。あの半分程度で十分に私の剣を弾くことができたでしょう。そして、なおも傷口がふさがっていません」


 ガドルヴロワが実演して見せたのだ。本来の形こそがそこにある。


「悔しがることはありません。貴女は殻毅術は失われたと言った。それを手解てほどきもなく、独自で会得えとくしたのでしょう。賞賛に値します」


 賞賛と言われたところで嬉しさはない。第一段階で脱落なのだ。


「私には才能がないのです。だから、努力するしかないのです。努力が必ずしもくわわれるとは限りません。天賦てんぷの才を持つ者は、凡人の血のにじむ努力を軽々と超えていきます」


 ソミュエラ自身がそのことを痛感している。


 彼女は何でも人並ひとなみ以上にこなす。才媛さいえんの名は伊達ではない。一方で彼女は特化型ではない。一つのことを突き詰めて極めているわけではないのだ。


 ある能力だけに限って見れば、彼女を上回る者などごまんといる。特化型と万能型、優劣はつけようがない。ソミュエラも頭では理解している。心のどこかに理解できない、納得できない小さな引っかかりがあるのだろう。


 ガドルヴロワは度々たびたびうなづき返してくる。彼は彼なりに思うところがある。口を開こうとした矢先、別の声が後ろから飛んでくる。


「そうよ、そのとおりよ。努力が報われることなどないわ。だから、何なの。何だと言うの。求めるのは努力の結果ではないわ。努力のはるか先、そこに何を見つけるか、何をつかみ取るかよ」


 ゼーランディアのなかば切れ気味かつとげのある言葉にソミュエラは固まってしまっている。ヴェレージャもディリニッツも同様だ。


 対照的にガドルヴロワだけは頷きながら笑みを向けてくる。また出過ぎた真似をしてしまったかと思ったゼーランディアにとって、弟の笑顔は何よりの褒美ほうびだった。


「姉さん、有り難う。まさに私が言おうとしていたことだったよ」


 ゼーランディアはまだ何か言いたそうにしている。姉の素振そぶりからそれと気づいたガドルヴロワが手振りをもって姉に先を譲る。まさに以心伝心だ。


「見てみなさい」


 ゼーランディアが周囲に展開された七つの魔術陣を順に指していく。


積層型せきそうがた多重魔術陣よ。私の努力の結晶、何度も血反吐ちへどを吐きながら、それでもあきらめずにようやく掴み取った私が行使できる最大魔術よ。この領域内にいる私と弟以外の全ての魔術を完全封殺ふうさつする」


 本当にそうなのか、と振り返るソミュエラに、ヴェレージャとディリニッツが頷きをもって答えを返す。


「私の努力は報われた。ようやく尊敬する偉大な魔術師に肩を並べるに至った。そう思ったものよ。でも、違ったわ。何も報われてなどいなかった。私がそこで歩みを止めてしまったから」


 ゼーランディアの目がはるか遠く、天空に輝く三連月に向けられている。


「その先にあるもの、そうね、真実とでも言っておきましょう、に気づけなかった」


 最後の言葉は心の底からしぼり出すような口調だ。そこからは一切の感情が読み取れない。何を思っているのか。何を考えているのか。


 三連月が投げかけるそれぞれの光が、空のある地点で三つに折り重なる。刹那せつなまばゆきらめきが大気を震わせた。


 ゼーランディアは煌めきに集中したまま微動だにしない。姉の異変に気づいたのだろう。ガドルヴロワも彼女が見上げる空に目を素早く走らせる。


 煌めきは次第に大きく、強くなり、ゆるやかに降下してくる。その様はまるで誰ともなしに見せつけているかのようでもある。


「美しい光の煌めき、やはり、そうなのですね」


 ゼーランディアのつぶやきはガドルヴロワにのみ届いている。彼もまた同じ想いをもって、煌めきの降下を無言のまま追っている。


「姉さん、今すぐ私のそばに」


 弟の呼びかけに我に返ったか、ゼーランディアは視線を戻すと、急ぎ弟のもとへける。


 その間にも光の煌めきは高度を下げ、ゼーランディアが宙に展開している魔術陣と接触した。接するやいなや、魔術陣から発せられる淡紫たんしの光が異物を排除しようと抵抗を試みる。


 光の煌めきはいささかも揺るがない。


 薄氷はくひょうを割るかのごとく、張り詰めた硬質音が響き渡る。


 ゼーランディアによって構築された積層型多重魔術陣は、魔術完全封殺のための密閉領域と化している。領域内は無論のこと、領域外からのあらゆる侵入を許さない、極めて特殊な魔術陣なのだ。


「私の、魔術陣が」


 淡紫の光はなすすべなく、光の煌めきの透過を許してしまう。彼女の魔術陣が破られるのはこれが二度目だ。一度目のことは思い出したくもない。


 ゼーランディアは右手で弟ガドルヴロワの左ひじ辺りを強く握り締めている。無意識のうちに力が入っているのだ。


 ガドルヴロワは肉体的な痛みを感じない。その代わり、姉の感情が痛いほどに伝わってくる。ガドルヴロワは右手を姉の右手に重ね、二度三度と軽く叩いた後、握り締めた。


 ゼーランディアが落ち着きを取り戻す。


「取り乱してしまってごめんね」


 姉の謝罪にガドルヴロワはただ首を横に振るだけだ。二人が見つめる先、光の煌めきはついに地上に達していた。

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