第320話:聖域の管理者

 モレイネーメの語りがようやく終わった。


「気づいたら、私はここにいたわ。あの不思議な神のごとき力が何だったのか。今でも分からないままよ」


 ゼーランディアとガドルヴロワは混乱のきわみにある。傍観者ぼうかんしゃのビュルクヴィスト、エランセージュも無言をつらぬいている。


 今の今まで信じていたことが全ていつわりだった。それがようやくにして判明したのだ。姉弟にとって、モレイネーメにとって、あまりに不幸な出来事だった。


 唯一、救いとも言えるのは、姉弟が想う最愛の者がモレイネーメだったことだろう。だからと言って、幻視香げんしこうを用いたクヌエリューゾを許せるはずもない。


 ビュルクヴィストは両のこぶしを強く握り締め、怒りをおさえている。この事情を知っていたなら、フィヌソワロの里で対峙たいじした際、間違いなく別の手法を取っていただろう。


 ジリニエイユにあやつられていようがかまわず、確実に息の根を止めるための方策をだ。


「『我が子よ、この永遠なる氷棺ひょうかんを無にす者が現れたとき、そなたは長き眠りより解き放たれる』。不思議な声は、私に語りかけたわ。ようやく、その刻を迎えたのね」


 氷棺に封じられていたからこそ、モレイネーメは魔霊鬼ペリノデュエズの浸食をまぬかれていた。それがけた今、モレイネーメの身体はすぐにでも魔霊鬼ペリノデュエズと化し、人としての心を完全に失う。


 そうなれば、目の前に立つ四人は狩るべき獲物えものとしかうつらない。


(そうなる前に、私ができることは)


 モレイネーメは意思を決めている。


 ジリニエイユの力によって、既に身体の半分以上が魔霊鬼ペリノデュエズと化している。人たる身体が急速に創り替えられていくのが分かる。残された時間はもはやない。


「何をほうけているの。目の前にかたきが立ってあげているのよ。早く殺しなさい。今のお前たちなら容易たやすいでしょう」


 魔霊人ペレヴィリディス衝動しょうどうよりも人の理性がまさっているゼーランディアとガドルヴロワに、モレイネーメを殺せるはずなどない。


 一方で魔霊人ペレヴィリディスとしての目は、彼女の身体が魔霊鬼ペリノデュエズ化していく様をとらえている。


 すさまじいばかりの葛藤かっとうが二人をさいなむ。


「真実を知った以上、私たちにお母さんが殺せるはずがないでしょう。そんな残酷なことを言わないでよ」


 ゼーランディアの言葉とは裏腹うらはらに、ガドルヴロワが空間に二本の剣を現出げんしゅつさせる。


(ごめんね。辛い想いをさせるわね。私に残された時間は尽きようとしているわ。私が魔霊鬼ペリノデュエズと化す前に、どうか殺して。最後のお願いよ)


 二本の剣を両手に握り締めたガドルヴロワの瞳には涙が浮かんでいる。想いは姉と同じだ。実の子供のように育ててくれたモレイネーメを、どうしてこの手で殺さなければならないのか。


「母さん、貴女の命を奪うこの罪は、私の命をもって償います。すぐに後を追います」


 ガドルヴロワの目は、モレイネーメの体内に定着しつつある核をはっきりと視認している。大きく振りかぶった二本の剣が、まさに核めがけて振り下ろされようとしている。


めて、ガドルヴロワ。どうして、どうして」


 ゼーランディアの絶叫も届かない。モレイネーメは慈愛じあいこもった瞳を二人に向けた後、ゆっくりと閉じた。


「愛しているわ、ゼーランディア、ガドルヴロワ。さようなら、私の可愛い子供たち」


 二筋ふたすじ剣軌けんき交差こうさするがごとく、左右斜め上部から核をっていった。


 魔霊鬼ペリノデュエズの特徴たる黒きもやが寸断された核よりき上がる。


 ガドルヴロワは残心ざんしんくことなく、モレイネーメの様子をうかがっている。


「お母さん、お母さん」


 走り出そうとするゼーランディアをあわてて制止する。


「駄目だ、ゼーランディア姉さん。母さんの様子が、おかしい」


 核が破壊された以上、身体の崩壊はけられない。このままちりかえっていくだけだ。


「どういう仕組みなのですか。信じられません」


 場違いなつぶやきはビュルクヴィストだ。彼だけが至極しごく冷静に、モレイネーメのみならず、イエズヴェンド永久氷壁にただようあらゆる魔力の流れをていた。


「ビュルクヴィスト様、いったい何が起こっているのでしょうか」


 取り残された感の強いエランセージュが問いかけてくる。


「え、ええ、私も全て理解できたたわけではありません。できる範囲でエランセージュ嬢に説明しましょう」


 エランセージュにとって、神のごときレスティーは別格として、ビュルクヴィストもそれに近しい存在だ。


 ビュルクヴィストにさえ理解できないことがあるのだ。それを知って、内心で驚きつつ、安堵もするのだった。


「エランセージュ嬢は、何だか楽しそうですね」


 顔に出てしまっていたのだろう。エランセージュは慌てて首を横に振っている。


「まあよいでしょう。ガドルヴロワの二本の剣が、モレイネーメの体内に埋め込まれた核を寸断しました。視えていましたか」


 今度は首を縦に振る。エランセージュに視えていたのはそこまでだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズは核を失ったが最後、身体を維持いじできずに崩れ去っていく。モレイネーメもそうなるはずだった。


「黒き靄がき上がり、モレイネーメの身体も塵となるはずでした。しかしながら、そうはなっていません」


 モレイネーメを指差ゆびさす。彼女は崩壊からまぬかれ、ただ立ち尽くしている。ビュルクヴィストとエランセージュ、二人の視線が微動だにしない彼女にそそがれる。


 ゼーランディアもガドルヴロワも、何が起こっているのか理解できず、モレイネーメ同様に立ち尽くすばかりだ。


「ビュルクヴィスト様、どういうことなのですか」


 はやる気持ちをおさえつつ、ゼーランディアがたずねてくる。


 まだあきらめるには早い。モレイネーメを助ける可能性が残されているのではないか。彼女は一縷いちるの望みにけている。


 ガドルヴロワも同様、二本の剣を手にしたまま、ビュルクヴィストに懇願こんがんの表情を向けてきている。


「モレイネーメの体内で魔力循環が起こっています。私には理解できませんが、事実なのです」


 ゼーランディアが大きく息をむ。咄嗟とっさに魔力の目をモレイネーメに向け、ビュルクヴィストの言葉に間違いがないか確かめる。


 ビュルクヴィストがたのだ。間違いなどあるはずがない。それでも自分の目で確かめないと気がまない。


「う、うそ、本当に魔力循環が。どうして、ありないのに。それなら、お母さんは」


 黒き靄の完全消失は、すなわち邪気じゃき喪失そうしつだ。魔霊鬼ペリノデュエズの全ての力を失ったことと同義であり、モレイネーメは人としての心臓もジリニエイユに破壊されてしまっている。


 人としてのせいを終えている彼女に、この段階で魔力循環が発生する余地は皆無かいむなのだ。


「ゼーランディア姉さん、どうすれば、どうすれば、母さんを生き返らせる」


 私が聞きたいぐらいだとばかりに、ゼーランディアが激しく首を横に振っている。


 やはり、最後に頼りになるのはビュルクヴィストしかいない。ガドルヴロワはすがるような目で彼を見つめた。


「考えられることは唯一です。我々の理解を越えた魔力がモレイネーメに注がれている。それも外部からです。私が知る限り、これほどまでの力を振るえる」


 言葉をさえぎる形で、ビュルクヴィストが手にする時空の王笏ゼペテポーラスが強烈な光を発する。


 目がくらむような強烈な輝きは、根元色パラセヌエを構成する八色をまとって空間をいろどっていった。


「何事ですか。私は何もしていませんよ」


 珍しくビュルクヴィストが冷静さをいている。

 

≪案ずるな、ビュルクヴィスト。そなたは時空の王笏ゼペテポーラスを握っているだけでよい≫


 レスティーの姿はない。声だけがここにいる者たちの脳裏に響き渡る。


 神の姿が拝めないことで、エランセージュが落胆らくたんしている。ビュルクヴィストはそれどころではない。


≪レスティー殿、このまま何もしなくてよいのですね。今の状況は、私の手に負えませんよ≫


 今度はレスティーではない。別の声が語りかけてくる。


≪我が神が案ずるなとおっしゃったではないか。そうであろう、先代スフィーリアの賢者ことビュルクヴィストよ≫


 その声は等しく他の者にも伝わっている。モレイネーメを除く三人の視線が一斉いっせいに注がれる。


 いまだかつて聞いたことのない声に、ビュルクヴィスト自身も戸惑いを隠せない。


 イエズヴェンド永久氷壁内を美しく彩る根元色パラセヌエが上空へとけ、八色が混じり合う。輝きが収束すると同時、一つの人影を創り出していった。


≪子供たちよ。おそれ多くも偉大なる我が神に代わって、聖域の管理者たる我がそなたたちを導こう≫


 根元色パラセヌエまとって、人影がゆっくりと大地に降り立つ。間近でその姿を見たビュルクヴィストもエランセージュも驚きを禁じ得ない。


「ど、どうして、レスティー殿が。いえ、レスティー殿ではありません。それにしても」


 ビュルクヴィストが即座に魔力の目をもって、その人物をた。対するエランセージュは無意識下の反応とでもいうのか、その場にひざまずいている。


「立つがよい、我が子エランセージュ。そなたの成長を嬉しく思う」


 エランセージュの故郷たるシャラントワ大陸の伝わる伝承さながらに、銀と青をたずさえた姿形すがたかたちまぎれれもなくレスティーと瓜二つだ。


 纏う魔力質からして、全くの別人だった。何よりも、その人物は実体ではなかった。

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