第319話:藍碧の輝きがもたらすもの

 姉弟の断末魔だんまつま木霊こだまとなって響き渡る。


 ゼーランディアもガドルヴロワも、うつ伏せで倒れたまま微動だにしない。ただ一ヶ所、視覚を除いて、全ての機能が停止している。


 姉弟の目だけが何かを求めて彷徨さまよっている。はたから見れば異様な光景だ。


他愛たわいもないわね。大口を叩いて出ていったお前たちの実力など、所詮しょせんはこの程度よ」


 モレイネーメにしか見えないクヌエリューゾが姉弟の眼前に、右手人差し指を突きつける。


「今から十ハフブルの猶予ゆうよの後、あらゆる機能が停止するわ。お前たちが最後に目にするのは愛しい母の姿よ。さようなら。もうきなさい」


 無情にも十ハフブルが経過する。


 完全なる死にまれた姉弟は、全ての機能を喪失そうしつした。同時、モレイネーメの絶叫が空間を震わせていった。


「心配はりません。あの二人は貴重な実験体です。丁重ていちょうに扱うことをお約束いたしましょう。貴女と同じく、魔霊鬼ペリノデュエズの核を埋め込んでね」


 魔霊鬼ペリノデュエズの核と言っても、大別するだけで、なりそこないセペプレ低位メザディム中位シャウラダーブ高位ルデラリズの四種がある。


 上位になればなるほど、扱いは困難になる。さらに、同位でも優劣が存在する。魔霊鬼ペリノデュエズであった時の強さや知性、固有能力などで大きく左右されるのだ。


「貴女は実験対象外でした。持ち合わせがなりそこないセペプレしかなかったため、それを使わざるをませんでした。しかし、あの二人は違います」


 ジリニエイユは魔霊鬼ペリノデュエズそのものの完全制御と並行して、もう一つの重要な課題に取り組んでいる最中さなかだった。


 魔霊鬼ペリノデュエズをも超越する存在を創り出す。魔霊鬼ペリノデュエズとしての残酷なまでの暴虐性ぼうぎゃくせいを有し、それでいて姿形すがたかたちは人族と全く変わらず、さらに知性をもあわせ持つ。


 ジリニエイユが魔霊人ペレヴィリディスと命名した、人族の中に溶け込んでも気取けどられない、ある種の究極生物だ。


 いまだに完成体として確立できたのは一体しかいない。この一体目は特殊すぎるがゆえ、成功事例とは言いがたい。


 二体目と三体目は実験途上で、ゼーランディアとガドルヴロワ姉弟が四体目と五体目になる。実験を着実に重ね、一刻も早く数十体の魔霊人ペレヴィリディスを創り上げなければならない。


「当初の計画より遅れています。あの二人は資質が高そうで先々が楽しみですよ。さて、貴女の魔霊鬼ペリノデュエズ化も随分と進みましたね。共に参りましょうか」


 愛する二人を助けるために、辛うじてつなぎ止めていたモレイネーメの精神力はもはや限界だ。精神力の喪失は魔霊鬼ペリノデュエズ化の促進でもある。


 埋め込まれているのはなりそこないセペプレの核だ。侵攻は遅いながら、既にモレイネーメの半身以上が変異している。


「まもなく、心臓部分に核が定着します。そうなれば、晴れて魔霊鬼ペリノデュエズです。貴女は私の忠実なる下僕しもべとなるのです」


 ジリニエイユの高笑こうしょう耳障みみざわりでならない。それが次第に心地ここちよさへと変わりつつある。モレイネーメに残されたものは何もない。


「もう生きる意味もないわ。だから、ここで殺して。お願いよ」


 モレイネーメの嘆願たんがんは届かない。


「ええ、ええ、殺して差し上げますとも。ただし、ここではありません。そして、貴女を殺すのは私ではありません」


 モレイネーメの瞳の奥をのぞきこむ。そこには隠しようのない恐怖心が浮かんでいる。ジリニエイユは満足げにうなづくと、言葉をいだ。


「実験が完成したあかつきには、魔霊人ペレヴィリディスと化したあの二人が貴女を殺してくれますよ。何しろ、貴女はにくかたきなのですからね」


 ここでの用事は全て終わった。ジリニエイユの全身から、再び漆黒しっこくを帯びた魔力がき放たれる。


「モレイネーメ、これが私の慈悲じひというものですよ。さあ、死体のかたわらに行くとしましょう」


 右手がゆるやかに動き、小さな長方形を描き出す。


(こうなることが私の運命だったのね。ゼーランディア、ガドルヴロワ、こんな母を許して)


 長方形は漆黒をまとって広がり、空間を切り取っていった。


 ジリニエイユによる魔術転移門だ。鈍色にびいろの輝きはなく、全てが禍々まがまがしい漆黒に染められている。


「先に入りなさい」


 命令をこばめない。半分以上が魔霊鬼ペリノデュエズと化した今、モレイネーメはジリニエイユの言葉にさからえない。意思とは関係なく、勝手に身体が動き出す。


 あと数歩で魔術転移門に吸い込まれてしまう。モレイネーメは絶望の中、もはや最後かもしれない、二人の顔を思い浮かべた。


(ゼーランディア、ガドルヴロワ、心から愛していたわ)


≪諦めるのはまだ早い。我が子よ、力を貸そう≫


 全く聞き覚えのない声が、突如として心の中に響き渡る。


 モレイネーメの足元を中心にして、爆発的な魔力がき上がった。淡く美しい藍碧らんぺきが魔術陣を構築し、強烈な凍気とうきともなってモレイネーメの全身をまたたく間におおっていく。


「何だ、この異様なまでの魔力の高まりは。この私より、いや、そのようなことはありぬ」


 ジリニエイユは無意識のうちに後退あとずさりしている。あり得ないことが、まさに目の前で起こっている。


 凍気の波は魔術陣を覆い尽くし、藍碧のきらめきで満たすと、さらに陣の外側へと拡大していく。


 最初にぶつかるのは、ジリニエイユが創り出した漆黒の魔術転移門だ。


「馬鹿な。この私よりも優れていると言うのか」


 強弱よりも優劣を気にする。ジリニエイユにとっては、魔力よりも断然知力なのだ。知の優劣こそが重要であり、ジリニエイユの論理の根幹こんかんす。


 その証拠に、ジリニエイユの目は魔力ではなく、魔術の構築要素だけをている。


「私の知らぬ魔術論理によって構築されている。何と言うことだ」


 あまりの衝撃にジリニエイユは気づいていない。後退あとずさりできない壁際かべぎわまで来ていながら、なおも脚を動かし続けている。


 藍碧の光と漆黒の闇が衝突、勝敗は一瞬で決した。


 光の浸潤しんじゅんによって、闇はことごとくり替えられ、まばゆい藍碧の輝きが空間をいろどっていく。


まぎれもなく藍碧月スフィーリアの力、まさかビュルクヴィスト殿が。いな、似ているようで彼の魔力とは異なる。では、これはいったい」


 ジリニエイユは一度た魔力なら、それが誰のものか瞬時に判別できる。


 今、眼前で展開されている藍碧らんぺきの力は、間違いなく藍碧月スフィーリアの力の一要素だ。


 スフィーリアの賢者たるビュルクヴィストは、モレイネーメのかつての師でもある。モレイネーメの知らないところで、魔力的な細工をしていたとしても何ら不思議ではない。


 錯覚しそうになったものの、すぐさま彼の力ではないと気づくあたり、やはりジリニエイユは優秀だ。


「この私が、あらがえぬというのか」


 屈辱くつじょくのあまり激怒げきどしながらも、押し寄せる藍碧の力を前にしては、モレイネーメをあきらめざるを得ない。


 き上がったすさまじい凍気は、モレイネーメを完璧なまでに包みこみ、彼女自ら行使した凍結界とうけっかいの威力を数十倍、数百倍に高めていく。


 もはや、何人たりとも手出しできない状況だ。


 足元に描き出された藍碧の魔術陣が美しい輝きを散らす。魔力が波打ち、陣内に五芒星ごぼうせいが走る。


 ジリニエイユは何もできないながら、尻尾しっぽを巻いて逃げるなどというおろかな真似まねはしない。


 己の知らない新たな知を前に、垂涎すいぜんの的のごとく、ただただ凝視ぎょうししている。


 一際ひときわ強烈な藍碧の光が放たれ、室内が極低温に支配されていく。


 さすがに生身なまみではえきれない。ジリニエイユは即座に短節詠唱で防御結界を展開、かろうじて凍気の伝播でんぱを防ぐ。


 ジリニエイユを除く、あらゆるものがてついた世界で、藍碧の魔力のみがわずかにれた。


≪この子はわれがもらい受ける。そのほうは大人しくしているがよい≫


 結界で身をまもるのが精一杯なのだ。他に何ができようか。


 ジリニエイユは歯ぎしりしながら、魔力の出所でどころを必死に探し出そうとこころみるものの、己の限界を知らされるばかりだった。


≪仕方がありません。その者はあきらめましょう。その代わりに、一つだけ教えていただきたい≫


 少なくとも、現段階では相手が一枚も二枚も上手だ。知力も魔力も遠く及ばない。ここまでの相手に出逢であうのは、いったい何百年、何千年ぶりだろうか。


 己を高めるためなら、何だってしよう。そして、手段も選ばない。


≪賢明なその方だ。薄々うすうすかんづいているであろう。始源しげんの力、とだけ言っておこう≫


 魔力感応フォドゥアおぼしきものが途切れる。これ以上の説明は拒絶されたということだ。


≪ま、待たれよ≫


 藍碧の魔力はさざ波となり、次第に小さくなっていく。


 ジリニエイユはあきらめきれずに魔力感応フォドゥアを飛ばすも、むなしく木霊こだまするだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る