混沌の騎士と藍碧の賢者

水無月 氷泉

第001話:カルネディオ城消失

 澄み切った冷涼な天に、三連の月が輝いている。


 藍碧月スフィーリア紅緋月レスカレオ槐黄月ルプレイユと呼ばれる三連月は、美しい彩色さいしきを地上に放っていた。


 柔らかな光は城塞じょうさいを優しく照らし、反射する明かりが放射状につらなる家々にも光を投げかけている。


 ここはカルネディオ、難攻不落なんこうふらくの代名詞が与えられた城塞じょうさい都市だ。リンゼイア大陸北部に位置するラディック王国にあって、西の拠点をつかさどる重要な都市の一つでもある。


 代々、アムンゼン家によって統治されるカルネディオは、いまだかつて敵の侵略を許したことがなかった。


 預かるのは現城主ヴェイリーン・ザラード・アムンゼン、伯爵の称号を許されている。


 都市の中心部にそびえ立つのが、象徴たるカルネディオ城だ。当代における技術のすいを集めた城は、他諸国から憧憬しょうけいの念をもって、白麗城はくれいじょうと称されていた。


 白と黒、表があれば、必ず裏がある。カルネディオ城も例外ではない。


 ヴェイリーン・ザラード・アムンゼン、この男の評判はすこぶる悪かった。


 都市を治める領主としての威厳など微塵みじんもない。でっぷりと太った身体に、あぶらぎった皮膚、つやを失った栗色の髪は無造作に肩近くまで伸びている。


 まとっている衣装といえば、しわだらけで無頓着むとんちゃく極まりなく、異臭を放つ始末だった。


 暴飲暴食の果て、歩くことさえいとうようになった怠惰たいだな男は、移動台座を常備し、自身が任命した屈強な護衛隊に運ばせている。


 短気で我がまま、気に入らないことがあれば、誰彼構わずに怒鳴り散らし、挙げ句は剣を振り上げる。武力も魔力もほとんど持ち合わせていない男だ。威嚇いかく程度にしかならない。


 当然のごとく、臣下からの信も薄かった。いや、薄いどころではない。いつ弑逆しいぎゃくされても不思議ではないほどだ。


 その抑止になっているのが護衛隊の存在だった。中でも、四人の精鋭は貴族ではない。金のためなら何でもする傭兵ようへい出身の男たちだ。常時、ヴェイリーンのそばに控え、その生命を守っている。


 十余年における統治において、この男が挙げた功績は、と問われると、皆無かいむと答えるしかない。


 世襲貴族の典型とも言うべき、愚昧ぐまいな領主だった。受け継がれてきた伯爵という地位だけが矜持きょうじであり、それに固執こしゅうすること以外に関心はなかった。


 民がどのような生活をしているか、都市産業がどうなっているか、都市運営に関わる金銭の流れや納税がどうなっているかなど、彼にとっては些末さまつな問題だ。心底、どうでもよかった。


 唯一、ヴェイリーンが興味と関心を向けるものがある。


 それこそがカルネディオの裏の顔、都市を栄えさせている錬金術だった。


 ラディック王国が固く禁じている奴隷売買だ。ヴェイリーンは、実父から地位を承継すると同時に奴隷売買に手を染めた。


 彼にとって、金は目的ではない。欲しいのは、己の欲望をただ満たすためだけの無抵抗な女だ。己よりもはるかに弱い立場の者を虐待ぎゃくたいする残忍性、これが彼の裏の顔だった。


 奴隷売買は各大陸の国々によって制度が異なる。公に認めている諸国もかなりの数ある。


 ラディック王国において、奴隷売買は最もむべき犯罪に位置づけられている。実行者とその関係者は厳罰をもって処断される。


 国法で定めた禁止事項の中でも、奴隷売買はその筆頭格であり、法を犯せば称号剥奪はくだつでは済まされない。


 本人には、最重罰となる公開死罪が課され、領地と財産没収のうえ、一族永久追放が待っている。無論、地位の承継など許されるはずもない。


 それを承知でなおヴェイリーンは奴隷売買を続けてきたのだ。彼の頭には、手を引くという考えは毛頭なかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ヴェイリーンがいるのはカルネディオ城内、主塔最上層に位置する私室だ。


 ここからは、さえぎるものなく、美しいカルネディオの街並みが俯瞰ふかんできる。


 今はそれさえわずらわしい。苛立いらだちを隠せないまま、先ほどからグラスを手に琥珀こはく色のスコーシュを立て続けに何杯もあおっている。


 執務机には、黄金塊おうごんかいが幾層にも積み重ねられていた。それらには見向きもしない。金には関心がないのだ。


忌々いまいましい」


 舌打ちがれる。不機嫌を隠さず、扉付近へ視線を投げた。


 奴隷女が左右に分かれて並んでいる。総勢八人の女が、ぼろ布同然の衣服をまとって立たされていた。


 彼女たちがなぜ奴隷だと分かるのか。奴隷錠と呼ばれるかせが首、両手首、両足首にはめられているからだった。


 裂けた衣服からのぞく傷だらけの身体が痛々しい。血を流している者もいる。つい先ほどまで、激しい拷問を受けていた結果だ。


 皆が皆、能面のような表情を貼りつけ、うつむいたまま微動だにしない。


 顔を上げて、ヴェイリーンと視線が合おうものなら、どんな仕打ちを受けるか。彼女たちを支配しているのは、ただただ恐怖と絶望のみだった。


「ちっ、忌々しい」


 吐き捨て、またスコーシュをあおる。普段であれば、三杯も飲めば気持ちよく酔えるはずが、一向に酔いが回ってこない。


 今宵こよいは主塔に何人も近づけないよう、執事長に厳命している。


 現在、城内にいるのはヴェイリーンと執事長、警護隊の精鋭四人を含めたりすぐりの者が十名程度だ。それら以外に静寂を破るものは何もない。


 ヴェイリーンはおもむろに呼び鈴を手にして二度振った。硬質の響きが広がっていく。


「お呼びでございますか、旦那様」


 執事長フルトゥナ・エベレントが扉の外からすぐさま反応、うやうやしく声をかけた。


「入れ」


 両扉を押し開いてフルトゥナが入ってくる。深々とお辞儀をして視線を上げる。両側に並ぶ奴隷を一瞥いちべつ、表情を一切変えず、次の言葉を待った。


「手はずに抜かりはないな」

「万事抜かりはございません。後は」


 言葉を切って、フルトゥナは再度、奴隷たちに視線をやった。


「ここにいる奴隷を、処分するのみでございます」


 かすかに、息をむ音が聞こえた。無力な彼女たちに何ができようか。


 執事長フルトゥナの役目は、ヴェイリーンが行う悪事の全てを取り仕切ることだった。奴隷売買の目的は二つ、女と金だ。


 ヴェイリーンは奴隷女を、フルトゥナは金を求めて、思うがままにそれらを手に入れてきた。二人の欲望はどこまでも増長していった。


 片方が欠けるだけで崩壊する不安定な関係が、今まで露見ろけんせずに続いてきたのはある種の奇跡と言ってもよいだろう。


 それが突然終わりを迎えようとは、いったい誰が想像できただろうか。


 事態が急変したのは数日前のことだ。


 王都ラセニヨンに放っていた間諜かんちょうから、緊急の報告が届けられた。法執行機関コラプリズより査察官がカルネディオに派遣されるという。


 年に一度行われる定期視察は、つい先だって終了したばかりだった。にも関わらず、今回は抜き打ちでの派遣という。


 奴隷売買は露見すれば一巻の終わりだ。徹底した情報統制を行い、外部に一切れないよう、慎重にも慎重を期す必要があった。そのために、フルトゥナは至る所に間諜を放っていた。


 抜き打ちであろうと、コラプリズが相手なら何ら問題はない。過去、幾度も調査にやって来ているからだ。その都度つど、あらゆる手段を用いて未然に、あるいは視察途中で防いできた。


 時には大金を握らせ、時には脅迫や暗殺まがいのこともやってのけた。全てはフルトゥナの策謀さくぼうだった。


 今回だけは、それが一切通用しない。なぜなら、スフィーリアの賢者がやって来るからだ。


 ヴェイリーンもフルトゥナも焦燥しょうそうの色を隠せなかった。


 魔術高等院ステルヴィアは、別名賢者の院とも呼ばれる。全大陸にその名をとどろかせる魔術師が集う場所であり、魔術の真髄しんずいきわめんとする者たちの学びだ。


 とりわけ、月名を冠する三人の賢者は、あらゆる面において抜きん出た存在だ。その発言力は国王にも匹敵するとさえ言われている。


 賢者とは、それほどまでの相手なのだ。何故なにゆえに、一地方都市の領主に会いに来るのか。


 ヴェイリーンはとぼしい知恵を絞りに絞って考えた。講じるべき手立ては、全く思いつかなかった。


 潮時だ。そう判断せざるを得なかった。そこに至る頭が残っていたのは、意外だった。フルトゥナが懸命に説得した結果でもあった。


 賢者がやって来るまでの数日で、全ての証拠、取引時の証文、蓄財してきた黄金塊おうごんかい、何よりも奴隷そのものを葬り去る以外に生き残る道はない。


 いかに巧妙に隠滅いんめつ工作を行ったとしても、賢者の眼からのがれることはできないだろう。


 ラディック王国の法を熟知している賢者に見破られ、そこからコラプリズに突き出されることなど、あってはならない。この地を捨てて、他大陸へ逃げるしかない。


 ヴェイリーンは悲惨な死を迎えたくなかった。最終的には、フルトゥナの言を受け入れざるを得なかった。あらゆる手を尽くして、逃げ落ちる算段をつけたのだ。


「忌々しい。今頃になって、なぜ賢者がやって来るのだ」


 愚痴ぐちを言ったところで、どうなるものでもない。分かっていても、つい口に出てしまう。


「密告者がいたのでしょう。気づけなかったのは私の責任です。誠に申し訳ございません。このつぐないは、いかようにも」


 慇懃無礼いんぎんぶれいとはこのことだ。フルトゥナは無能かつ小心者のヴェイリーンを領主と思ったことは一度もない。今も変わらず、軽蔑の対象でしかない。


 互いの利害が合致しているからこその割り切った主従関係に過ぎない。それさえなければ、とうの昔にこの地を離れていただろう。


「まあよい。おまえには随分と働いてもらった。これで最後になるのだからな」


 気怠けだるそうにグラスを置いたヴェイリーンが立ち上がる。


 ゆっくりとかたわらの剣に手を伸ばす。魔術付与もされていない、ただの長剣だ。非力な奴隷相手にはこれで十分だった。


 フルトゥナは静かに目を閉じた。これから奴隷たちに起こる悲劇を想像し、一瞬あわれみを感じた。それもすぐに消え去っていった。


 ヴェイリーンが剣を手に、時間をかけて奴隷たちに歩み寄っていく。死ぬ間際まで徹底的に恐怖心を刻み込む。それがこの男の嗜好しこうだ。


 おびえた八人が後退あとずさりしようとするも、後ろは壁だ。もとより逃げ道などない。


 分かっていても、近づいて来るみにく肉塊にくかいの恐怖から逃れたい。その一心で後退を試みる。


「これ以上、お前たちを可愛かわいがれないのは残念至極しごくだ」


 残忍な笑みを浮かべ、一番のお気に入りだったエルフ属の女の前に立つ。


 ヴェイリーンはこれでもかというほど緩慢に右手に持つ剣を振り上げた。左手は女の細い首をしっかり握り締めている。


「お前は、最高だったぞ」


 彼女は心から思った。これでやっと解放されると。


 運命は気まぐれなのか。異なる方向へ転がった。天秤に乗せられた彼女の生命は、死と釣り合わない。そういうことなのだろう。


 大地を揺るがすすさまじい振動が襲った。身体がいとも簡単に吹き飛ばされ、激しく壁に叩きつけられる。


 直後、全ての感覚が失われていった。


(ああ、私、これで死ぬのね。もう少し)


 急速に意識が閉ざされていく。彼女は心に浮かんだ言葉を手放し、深い闇に沈んでいった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 漆黒の中に人影が浮かび上がった。


 男か女か分からない。闇に溶け込むように全身を黒でまとったその影は、視線をカルネディオ城に向けている。


 浮かんでいる位置、そこは最終城壁の内側だ。すなわち、容易にカルネディオ城を攻撃できることを意味する。


 誰もが、その存在に気づけないでいる。


 確かに、ヴェイリーンの命令で城内にいる人間が極端に少ないこともあるだろう。それを差し引いても、月明かりを浴びて影も残さず、気配さえつかませないのは異常だった。


 くちびるかすかに震える。


 ささやくようなそのつぶやきが、風をわずかに揺らした。


爆ぜよエプテクシィ


 刹那せつな双尖塔そうえんとう中央部に小球の炎が一つ生じた。


 小球は連鎖的にき起こり、次々に分裂しながら、分裂した小球が幾重にも重なり、厚みを増し、熱量を高め、爆音をとどろかせる。


 一つの小球が生じてから五フレプトにも満たない時間で、三千五百ルシエにも達した高温の巨大炎塊えんかいが一気に弾け飛んだ。


 全方位に散った炎塊が、あらゆるものを紅蓮ぐれんの世界へと変えていく。


 荒れ狂う炎は奔流ほんりゅうとなって全てを飲み込み、飲み込むと同時に全てを無にす。


 もはや、生ある者の存在を問うことは無意味だった。


 この夜、難攻不落をうたうカルネディオの神話は崩れ去った。カルネディオ城を中心に、最終城壁内部は跡形もなく破壊し尽くされたのだ。


 原型をとどめるものは、何一つとしてなかった。


 事は一瞬のうちに終わった。

 

 起こったことはまぎれもなく現実、それを民が知るのは明朝になる。なぜなら、彼らが暮らす最終城壁の外には一切の音も色もれ出ていない。


 全ては隔絶かくぜつされた結界内で行われた、魔術という名の超絶破壊だったからだ。


 全てを見届けた影は、一人の女を抱きかかえたまま、物悲しげな声でうたい始める。


「夜を覆う深きなげきの調べよ

 ミィディ・エジヌゾア・ラ=アーン・ルクル

 星々の輝きに導かれて幽冥プルメシスに眠れ」


 二人の姿が、次第に闇に溶けていく。


 同時に、夜のしじまが戻ってくる。


 その様子を静かに見守るのは、三連の月だけだった。

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