第002話:ラディック王国の苦悩

 太古の学術書を紐解ひもとけば、世界は九界から構成される、との記述がある。


 実際に九界の存在を確かめた者はいない。複数界に足を踏み入れた者もいない。


 ここは主物質界と呼ばれる一界だ。人型種が命をつむぐために、なくてはならない唯一の界でもある。


 八つの大陸を中心に大小様々な群島が取り巻き、人型種の住処すみかを形成していた。


 広く出回っている航海図を見ると、ほぼ中央に位置するメグレイド大陸が八大陸中で最大の面積を誇っている。


 次いで大きいのが、西端のリンゼイア大陸だ。その北端に建国されたのが、リンゼイア大陸の盟主とも称されるラディック王国だった。


 王都ラセニヨンは大河アーレトゥールの中流域に形成された交易拠点だ。人口は約三百万を数え、人族、獣人族、妖精族など、多種多様な人型種から成り立っている。


 最も人口比の多い人族はヒューマン属、エルフ属、ドワーフ属、巨人属などに分かれ、各々が独立しながら交流を行っていた。時には争いも生じるが、おしなべて平和な営みが長年にわたって続いている。


 王都で一際ひときわ目立つのが、国王が住まうファルディム宮だ。


 今、玉座の間は重苦しい沈黙に支配されていた。玉座に見えるのは、ラディック王ことイオニア・ラディアス・フォン・エーディエム二三世その人だ。御前ごぜんに控える騎士と文官をよそに、無言のまま頭を抱えている。


 モルディーズ・ドゥ・カルディアット、文官最高位の宰相さいしょうから受けた報告はありない内容だった。


≪カルネディオ城消失、魔術行使による破壊、詳細不明≫


「いったい、どのような術を用いれば、これほどの破壊を生み出せるというのだ」


 カルネディオで奴隷売買が行われているという秘密裏の報告を受けた国王イオニアは、モルディーズに徹底調査を厳命した。事実なら、王命を待たずしてすみやかなる処断をも許諾したほどだ。


 モルディーズは法執行機関コラプリズを動かした。自身の腹心ふくしんとも言うべき優れた査察官二人をカルネディオに派遣することにしたのだ。


 時を同じくして、イオニア宛の書簡しょかんが届く。差出元は魔術高等院ステルヴィアだった。


 親書と異なり、本来であれば、この手の書簡は宰相がまず内容を確認した後、重要度の高いもののみを国王に届けるのが通例となっている。


 差出元が差出元なだけに、モルディーズは内容を確認するまでもなく、イオニアに直接届けた。


 四日前のことだった。


 王都から西の拠点都市カルネディオまでは、蒸気船でアーレトゥール河を下り、支流サンレージ川を経て、港湾都市サタ・ローチェで下船した後、陸路を進むことになる。


 陸路は馬を使う。急ぎの場合は、有翼獣ゆうよくじゅうに乗るという方法もある。一般的な人族は二つの条件から断念せざるを得ない。


 相応の費用と魔力だ。査察官には十分な金銭が与えられている。金銭面での問題はない。一方の魔力だ。人族は誰しもが少なからず魔力を有している。


 魔力は血流のごとく、全身を巡っている。その力も量も非常に限定されたものでしかない。生活に最低限必要な程度と考えるとよいだろう。


 力を望むなら、素質のある者に限定されるが、高等魔術の教育機関で長年学ぶしかない。


 騎乗用の有翼獣は、いくら優れた御者のもとで訓練されているとはいえ、背に乗せる者の魔力を敏感に察知する。魔力が乏しい者、その質がいびつな者を決して乗せようとはしない。


 結局のところ、時間がかかるものの、歩くか馬かの二者択一にならざるを得ない。


 上述の手段を用いて、カルネディオまでは最短三日の道程となる。モルディーズはすぐさま二人を送り出した。


 査察官は出立から三日目の夜、遅滞なくカルネディオに到着していた。


 二人は早々に宿に落ち着くと、訪れてきた下級貴族たちの相手もそこそこに、食事を済ませ、深い眠りに落ちた。


 疲れ切っていたこともある。明朝からの査察に備えて、身体と頭をじっくり休める必要もあったからだ。


 結果的に、査察が行われることはなかった。


 夜が明けた。


 三連の月は姿を隠し、代わって陽光が降り注いでいる。


 二人が宿泊したのは第一城壁内に建つ宿だ。第一と第二の城壁間は民が暮らす、いわゆる一般区画と呼ばれる場所だった。身分を問わず、誰でも自由に出入りできることから活気に満ちている。その分、犯罪などの厄介事も多く、危険度が高い。


 第二と第三の城壁間は下級貴族が暮らす特別区画だ。第三と第四の城壁間は上級貴族が暮らす重要特別区画で、第四城壁がすなわち最終城壁となっている。


 査察官は王都から派遣された者たちだ。特別区画または重要特別区画で宿泊できる権限を有する。彼らが査察で訪れることは、カルネディオの貴族たちの間に知れ渡っている。二人はあえて一般区画に宿泊した。


 市井しせいの暮らしぶりを見て、現状を把握しておくこと、訪れてくるであろう貴族たちを観察することが主な理由だった。モルディーズから受けていた命だ。


 案の定、幾人かの下級貴族が一般区画まで馬車を使って訪問してきた。大半が何らかの不正に手を染めている者、あるいは有力な伝手つて、つまりはモルディーズにつないでもらうための賄賂わいろを持参してきた者たちだった。


 出世を強く望む下級貴族たちは、一地方都市ではなく、王都での生活を夢見ているからだ。もちろん、彼らの願いはかなうはずもなかった。


「これはどうしたことだ」


 宿を出た二人は、そろって怪訝けげんな表情で前方を見上げていた。


 どこにいようが目に入ってくる普遍的な光景、それが全く見えてこないのだ。二人は誰もがやるように、まず目をこすってみた。何も変化もない。


「よからぬことが起こったのだ」


 カルネディオ城に向けて歩を進める二人には、民の間に広がる動揺が感じ取れた。彼らは一様に城の方を指し示し、談義に花を咲かせている。


 二人ははやる気持ちをおさえつつ、一目散に最終城壁を目指す。


「王都より派遣された、コラプリズの査察官である。すぐさま開門を」


 第二城壁、第三城壁、いずれもこの言葉だけで足りた。


 城門を守る衛兵は、コラプリズと聞いただけで反応、迷わず開門したからだ。不審者の取り締まりという面では一抹の不安が残るものの、今はそれを脇に置いておくしかない。


 二人はさらに急いだ。


「いったい、何が起きたというのだ」

「私の眼がおかしくなったのだろうか。ここにはカルネディオ城があるべきではないか。美しい白麗城はくれいじょうは、どこに消えてしまったのだ」


 最終城壁を守る門は開け放たれたままだ。本来、いるべきはずの衛兵の姿も見られない。


 二人は門の向こうにただよう不気味さを前に戸惑い、それ以上に恐怖を感じていた。城壁内に足を踏み入れる勇気は、もとよりなかった。


 城壁内は、完全ながらんどうと化していた。最初から何もなかったかのように、見渡す限り人工的にならされたかのような平面が、ただただ広がっている。


 立ち尽くすこと束の間、二人は何とか気持ちを落ち着かせると、次の行動に移った。


「こうしてはおられぬ。この惨状を一刻も早くお知らせしなければ」

「宰相様より預かってきた、これを使う時だな」


 取り出したのは緊急通信魔導具だ。起動しようと魔力を込めかけたところで、その動作を止めた。


 二人の上方、聞こえてくるはずのないところから声が降ってきたからだ。


「届きませんでしたか。何かが足りていないのでしょうね」


 独り言のつぶやきだった。そこには、やるせない感情がめられている。


 二人は驚きを禁じ得ず、声の出どころに視線をやる。空に浮かぶ、その人物に向けて。


「コラプリズの方ですね」


 視線を向けられていることに気づいた男が静かに下りてくる。


「スフィーリアの賢者様」


 そう呼ばれた男は、一人が手に持つ通信魔導具を指し示す。


「起動して、このように伝えてください」


 二人に断る理由はない。


「お二人の魔力量ではこれぐらいが限界でしょう」


 起動に成功すると同時、緑の明滅が始まった。すぐさま魔力をめて、伝達すべき情報を言霊ことだまに乗せる。


 スフィーリアの賢者から伝えられた内容は以下のとおりだった。


≪カルネディオ城消失、魔術行使による破壊、詳細不明≫


 言霊を受け取った魔導具は赤の明滅に変わり、伝達完了と共に消えた。


「スフィーリアの賢者様、無事に魔電信できました」


 二人の呼吸が少し荒くなっている。相応の魔力量を消費した結果だ。


「ご苦労様でした。私はもうしばらくここを見てから戻るつもりです。貴男たちは、どうしますか」


 二人は互いに顔を見合わせてから即答した。


「我々の使命は達せられなくなりました。かくなるうえは、すぐさま王都に戻ろうと考えております」


 スフィーリアの賢者は一瞬考え込むような仕草を見せたものの、すぐに続けた。


「私もイオニア殿に話しておきたいことがあります。共にラセニヨンに戻りましょう」

「賢者様、共にと申されましても、王都まで最短で三日はかかります。賢者様のお邪魔をするわけにはまいりません」


 柔らかな笑みをもって答えを返す。


「問題ありません。調べ物が終わるまで、待っていてください。それ程に時間はかかりません。この先にカティージャ家の屋敷がありますね。そこで待っていてください」


 二人の表情が一変した。


「心配無用です。彼は私の協力者でもあります。急な訪問でも、私の名を出せば歓迎してくれるでしょう」


 彼というのが当主ジャクシン・ラダン・カティージャだということは、二人にもすぐ分かった。


 カティージャ家は城塞都市カルネディオにあって、アムンゼン家に次ぐ力を有する。さらに、ヴェイリーンを最もうとましく思っている貴族の代表格だ。


 当主ジャクシンは世襲ではない一代貴族だ。爵位も男爵のため、貴族としての身分は低い。


 国王イオニアが直々じきじきにその武功を認めたことで一躍知名度が上昇、国内でも一目置かれる存在になっている。


 ヴェイリーンとの対立は、カルネディオの者なら知らぬ者がいないほどに有名な話でもあった。


「では、後ほど」


 言い残すと、スフィーリアの賢者は早々に最終城壁内へと消えていった。


「こうなっては、スフィーリアの賢者様をお待ちするしかあるまい」

「だが、あのカティージャ家、ジャクシン様なのだぞ」


 二人が当主ジャクシンを苦手としているのは明らかだ。


 ジャクシンはもともと平民出身、大の貴族嫌いでもある。鋭い眼光の持ち主で、貴族と言えどにらまれたら、たちどころに身がすくんでしまうだろう。


「スフィーリアの賢者様は、お名前を出せば歓迎してくれるとおっしゃった。ここで突っ立っているわけにもいかないだろう」


 しばしの黙考後、二人は足取りも重く、カティージャ家の屋敷に向かうのだった。

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