第345話:思いを乗せて次なる戦場へ

 ルシィーエットが幾つもの複雑な思いを抱えたままレスティーを、ヒオレディーリナを見つめている。


(ディーナ、本当に不器用だね。昔から変わっていないじゃないか)


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを抱きしめたまま、ヒオレディーリナは立ち上がらない。いや、立ち上がれないのだろう。


 レスティーは決して振り返らない。ヒオレディーリナも今の自分をられたくないだろう。


 上空では第一解放状態でイェフィヤ、カラロェリ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアが主の次の言葉を待ち受けている。


≪まずはそなたたちの意向を聞こう≫


 イェフィヤの思いは聞くまでもない。カラロェリも当然のごとく、イェフィヤと共に行動するだろう。


 問題は皇麗風塵雷迅セーディネスティアだ。自分を使いこなせない者を主と認めたくないうえ、互いに互いを認め合っての関係でもない。


 そもそも、皇麗風塵雷迅セーディネスティアはセレネイアが気に入らないのだ。もちろん夢魔マレヴモンの影響も大きい。そのためにまともに魔力を、意思を通わすことができなかった。


 早速とばかりに二人の姉を飛ばして我先にと魔力感応フォドゥアを飛ばそうとする末妹まつまいを姉二人が、主にその役目はカラロェリだ、たしなめる。


 カラロェリの発する熱がうねりながら皇麗風塵雷迅セーディネスティアを揺さ振る。


≪姉様、何するのよ。私が、ちょっと≫


 人化している皇麗風塵雷迅セーディネスティアが不自然なほどにふらつき、意識も覚束おぼつかなくなっている。カラロェリの力によって急激に熱せられた皇麗風塵雷迅セーディネスティア熱酔ねつよい、人でたとえるなら一種の酩酊めいてい状態におちいっている。


≪貴女はしばらく寝てなさいね。我らが主様に願い出るなど、そうね、数千年は早いわね≫


 カラロェリの辛辣しんらつな言葉が皇麗風塵雷迅セーディネスティアの脳裏をかすめて消えていく。


 レスティーは三姉妹のやり取りを眺めている。感情は全く読み取れない。


≪よかったのか。叶えるかいなかはさておき、末妹の願いは聞くつもりであった≫


 イェフィヤとカラロェリがそろって首を横に振っている。完全に意識を失った皇麗風塵雷迅セーディネスティアをカラロェリが横抱きにしながら、いとしげに見つめている。イェフィヤものぞきこんでいる。


≪悔しそうな顔をしているわね。これはこれで可愛いのだけれど、もう少し感情を抑制しないといけないわね≫


 イェフィヤのつぶやきにカラロェリもうなづいている。


≪我らが主様、大変お見苦しいところを申し訳ございません。この子のしつけは私たちがしかと≫


 姉二人がそこまで言うならとばかりにレスティーは苦笑しつつも、問題なく了承の頷きを返す。


≪そなたたちはどうするのだ。聞くまでもなかっただろうが≫


 イェフィヤの心は既に決まっている。


 主の前で応えれば、カラロェリは断らないだろう。それでは意味がない。イェフィヤにとって、カラロェリは一心同体にも等しい。


 なぜなら、イェフィヤとカラロェリは魔剣アヴルムーティオの中でも極めて稀な双子剣なのだ。カラロェリはわずかに先に誕生したイェフィヤを姉と仰ぎ、逆らったのは片手で足りるほどだ。


 イェフィヤはいささか複雑な想いをいだきながら姉妹で共に過ごしてきた。カラロェリにも意思があって当然だ。それを殺してまでイェフィヤに従う必要など、どこにもない。


 イェフィヤの想いはレスティーにも伝わっている。


≪先にそなたに聞こう≫


 レスティーの目はいつもと異なり、イェフィヤではなくカラロェリに向けられている。真の主たるレスティーの視線にまともにさらされたカラロェリは明らかに狼狽ろうばいしている。


 助けを求め、伺いを立てるかのように身体ごとイェフィヤを視るも、姉は黙って首を横に振るだけだ。


「イェフィヤ、カラロェリ」


 トゥウェルテナが二人の名を呼びながら勢いよくけてくる。イェフィヤとカラロェリの心の動きは、今の一時的な所有者たるトゥウェルテナにも感じ取れている。


「真の主たるレスティー様、お願いの儀がございます」


 目の前に来るや、すかさずひざまずいたトゥウェルテナが魔力感応フォドゥアではなく、あえて口から言葉を発する。


「私はイェフィヤとカラロェリと今しばらく一緒にいたいのです。この戦いが終わるまで、私に預けていただけないでしょうか」


 居ても立っても居られなかったのだろう。トゥウェルテナの瞳からは二人を信頼する強さが光となってあふれている。さらにその奥には幾ばくかのあきらめもひそんでいる。


 トゥウェルテナは理解している。レスティーがこばめば、あるいはイェフィヤかカラロェリのいずれかが拒んでも、その時点で所有者ではなくなる。


 頭を下げたままのトゥウェルテナにレスティーが言葉と共に右手を差し出す。


「立つがよい。跪く必要もない。そなたの意向は承知した。そして、決めるのは私ではない。この二人の意思次第だ」


 イェフィヤの目がカラロェリに語りかけている。貴女の好きなようにしなさいと。


 姉に先んじて、おのが意思をはっきり表に出すことのなかったカラロェリだ。明らかに戸惑っている。その証拠に視線がイェフィヤ、レスティー、トゥウェルテナと一定の場所に留まらず、彷徨さまよい続けている。


≪カラロェリ、迷っているなら私にもう少しだけ時間を与えてほしいの。私はレスティー様やヒオレディーリナ様と違う。貴女の力を十分に発揮させてあげられないわ。でも、必ずできるようになってみせるから≫


 イェフィヤはもちろん、レスティーでさえ感心しつつ、トゥウェルテナの心の動きを察している。


≪そなたが気にかけるのも頷けるな。この娘は頼りなく、はかなげに視えて、心の芯が強く、強さを持続できる。砂漠の民の巫女頭みこがしらたる者の秘めたる力だ≫


 レスティーはイェフィヤを見つめ、さらにその深淵の影に思いをせている。


≪我らが主様、あの娘もまた一時的ではありましたが、私と妹を手にしておりました。巡るえにしとは何とも不思議でございますね≫


 レスティーに言葉はない。同じ思いだからだ。


 あの娘にイェフィヤとカラロェリを一時的に授けたのはレスティーであり、もちろん仮初かりそめの契約名は今とは異なっている。


(まだまだそなたには及ばぬが、そなたの子孫は着実に成長している)


 混沌の輪還りんかんで魂だけになろうとも、レスティーには視えている。記憶の全てが洗い流されようとも、魂に刻まれたものまでは失せない。


 何よりも、カイラジェーネを混沌に還す前後でトゥウェルテナは大きく変わっている。彼女自身は全く気づいていない。視る者が視てこそ分かるものだ。


 トゥウェルテナの全身を二つの大きな力が愛をもって包みこんでいる。


(混沌の輪還より見守っているのであろう、エトリティア)


 レスティーの目は、エトリティアの魂が嬉しそうに明滅している様をとらえている。魂の響きがレスティーの心に流れこんでくる。


≪レスティー様、あの子はいまだ成長途上です。いずれ私を追い越していくでしょうが、それまでは私とカージェで見守っていきたく存じます≫


 砂漠の民が安寧の地を得るのは悲願であり、その使命はトゥウェルテナに託されている。エトリティアとカイラジェーネが力を貸したいというなら、レスティーに異論はない。


 レスティーの意識がエトリティアの魂から離れると同時、差し出した右手にトゥウェルテナの左手が重なる。レスティーは力を一切入れることなく、静かにトゥウェルテナの身体を持ち上げる。


 まるで羽一枚が宙に浮かんでいるかのごとく、トゥウェルテナは軽やかに立ち上がった。


≪トゥウェルテナ、貴女の思いは受け止めたわ。その言葉を信じて、もう少しの間だけつき合ってあげる≫


 カラロェリの思いを受けて、トゥウェルテナには喜色満面きしょくまんめんの笑みが広がっている。今にもカラロェリに抱きつきそうな勢いだ。


 レスティーの頷きをもって、第一解放状態のイェフィヤとカラロェリ、二人の姿が蜃気楼しんきろうのごとく揺らぎながら炎に、熱に戻っていく。


≪私も貴女の成長を楽しみにしているわ≫


 イェフィヤの言葉を最後に、トゥウェルテナの一対の湾刀に溶けこみ、一切の気配が感じられなくなった。


 二人の姉がいなくなり、一人残された皇麗風塵雷迅セーディネスティアが降下を始め、その身体をレスティーが優しく抱き止める。


 残念ながら、皇麗風塵雷迅セーディネスティアは意識を失っている。もしも意識が覚醒していたなら卒倒間違いなしだろう。


≪そなたには不本意かもしれぬが、今はあの娘の面倒をみてやってほしい≫


 レスティーは直接皇麗風塵雷迅セーディネスティアの心の中に言霊ことだまを刻んでいる。真の主の言葉だ。皇麗風塵雷迅セーディネスティアいやおうもない。


”Tierjev bessazo arkadhez.”


 唇に乗せた言霊によって、第一解放状態の皇麗風塵雷迅セーディネスティアもまた魔剣アヴルムーティオの状態へと還っていく。


「この剣をあの娘に」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアをトゥウェルテナに差し出し、歩を踏み出そうとしたレスティーに思わず声をかける。


「レスティー様、セレネイアにひと言だけでも」


 トゥウェルテナにしてみれば最大限の譲歩だ。それでなくとも恋敵こいがたきが多い中、ひそかにセレネイアを最大級の敵だとも思っている。


(はあ、私、何をやっているのかなあ)


 立ち止まったレスティーの視線が遠くでたたずむ三姉妹の中心、セレネイアに傾く。それも刹那せつなの間だ。視線を切ったレスティーが再び歩み出す。


「今はその刻ではない。全てはこの戦いが終わってからだ。剣はそなたに託す」


 トゥウェルテナはみこむしかない。


 なぜか受け取った皇麗風塵雷迅セーディネスティアが重く感じられる。レスティーにはレスティーなりの考えがあるのだろう。これ以上は他人が首を突っ込むような話でもない。


「承知いたしました」


 レスティーは振り返らず、ルシィーエットのもとへ近づいていく。


「見事な灼火重層獄炎ラガンデアハヴであった。そなたの努力の結晶だ。確かに視せてもらった。願わくば時空の王笏ゼペテポーラスの力を使わずして終わらせたいものだ」


 ルシィーエットの前でケーレディエズとニミエパルドの変態を視せてしまった。三人の願いを叶えるためのやむを得ない方法だったとはいえ、レスティーにとって明らかに失策だ。


 当然ながら、ルシィーエットも考えただろう。だからこそくさびを打ったのだ。


「レスティー殿、私は」


 ヒオレディーリナ同様、ルシィーエットもまた失いたくない存在だ。最後まで言わせない。


「ルシィーエット、ディーナを頼む。託せるのはそなたしかいない。高度八千メルクで待っている」


 告げるなり、レスティーの身体が上空へと舞い上がる。勢いのまま滞空しているフィアの細い腰を抱き、さらに高くけ上がる。


 二人の間に言葉は要らない。


(私の愛しのレスティーは、最後には必ず私のもとにかえってきてくれる。それだけで十分よ)


 闇を切り裂きながら二つのきらめきが天を美しくがしていく。


 見上げていたルシィーエットの視線が見下ろしに変わる。


「立ちな、ディーナ。哀しみにひたっている時間は今はないよ。向かうよ、高度八千メルクに」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る