第346話:戦線離脱と最後の稽古

 はるか上空、二つの光の軌跡が遠くけていく。消え去るまで見つめ続けていたトゥウェルテナの視線がようやく戻る。


 その先にはザガルドアをはじめ、十二将の二人、三姉妹がいる。さらにセレネイアの背後、初めて見る顔が一つある。グレアルーヴに声をかけて以来、沈黙を守り続けている。セレネイアが驚きの表情をもって頭を下げていたことから顔見知りなのだろう。


 トゥウェルテナは一対の湾刀を背に負い、右手で預かった皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握っている。


 本来、所有者でもない者が手にするなど許されない。レスティーから手渡されたこと、それ以前にカラロェリの力で眠らされているために反応できないのだ。


(預かったものね。仕方がないわよね。それにあんな表情をせているんだものね)


 損な役回りだ。トゥウェルテナは苦笑しつつ、ゆっくりと皆の待つ場所まで帰っていく。


「セレネイア、レスティー様からの預かりものよ。確かに返したわよ」


 真っ先にセレネイアに声をかけ、様々な意味で重荷になっている皇麗風塵雷迅セーディネスティアを押しつける。


「そんな顔は似合わないわよ。ここに何をしに来たの。しっかりしなさい」


 気が気でないマリエッタとシルヴィーヌに視線を移し、小さくうなづいてみせる。安心させるためだろう。トゥウェルテナ自身、その気もないのに何だかんだと世話を焼いてしまう。彼女らしい一面だ。


「小娘、よく言った。その方はよく分かっているではないか」


 納刀のうとうするセレネイアの背後から急に声がかかる。トゥウェルテナは怪訝けげんな表情を浮かべ、声を発したその者へと視線を転じる。


(小娘って、私のことよね。ちょっと待って。私って、そんな子供じゃないわよお。それに私とそう変わらない、近しい年齢だと思うんだけど)


「小娘と言われて不服か。私からすれば、ここにいる者は小娘、小僧に過ぎぬ。まだまだ足りなさすぎる。これから高位ルデラリズと戦うのであろう。お前たち、確実に死ぬぞ」


 おどしでも何でもない。事実をそのまま突きつけているだけだ。その威厳ある堂々とした立ち居振る舞いに誰もが言葉を失っている。


「助言だけしておく。それをどうとらえるかはお前たち次第だ」


 まずは相対しているトゥウェルテナからだ。


「小娘には一対の魔剣アヴルムーティオがある。今以上に強く意思を通わせろ。魔剣アヴルムーティオと所有者は一心同体だ。繋がりが強ければ強いほど、魔剣アヴルムーティオは確かに応えてくれる」


 次に十二将で獣騎兵団の二人、グレアルーヴとディグレイオに向けて言葉を発する。


「お前は血縛術サグィリギス秘奥義最後の使い手であろう。必ず開花させろ。それができれば高位ルデラリズあらがえるであろうな」


 グレアルーヴが驚愕の眼差しを向けてきている。獣人族に伝わる血縛術サグィリギス秘奥義は究極の力でもあり、誰にも語ったことはない。それをこの者は知っている。驚いて当然だった。


「お前はこの男の秘奥義行使までの時間稼ぎに徹しろ。そのためだけに全ての力を注げ」


 誰よりも負けず嫌いのディグレイオが初めて言葉を返す。


「俺の力では高位ルデラリズに通用しない。あんたはそう言いたいのか。俺を」


 容赦なく途中でさえぎる。問答自体が時間の無駄だと言っているようなものだ。


「お前自身がよく分かっているであろう。秘奥義でなければ倒せぬ相手だ。すべきことを成せ」


 残ったのはザガルドアと三姉妹だ。ザガルドアを先に済ませる。もとより言葉など不要だからだ。


「その方にはヒオレディーリナ様がいらっしゃる。あのようなお姿を視るのは私も初めてだが。従って私の助言など無用だ」


 わずかに視線をヒオレディーリナに動かし、すぐに戻す。ザガルドアもならっている。


 最後に三姉妹だ。


「妹二人はここで離脱だ。はっきり言おう。足手纏あしでまといだ。この先、お前たちをまもりながら戦えるほど甘くはない。高位ルデラリズとはそれほどの存在なのだ。父上のもとへ戻れ」


 マリエッタもシルヴィーヌも蒼白そうはくになっている。力不足は二人共に認識しているし、足手纏いになるであろうことも重々承知している。その事実をあからさまに上から断言されたのだ。二人が受けた衝撃は大きかっただろう。


「貴女が誰かは知りませんが、指図されるいわれはありませんわ。私がどのような行動は取るかは私自身が決めます。そうですわね、シルヴィーヌ」


 すぐさま同意の言葉が戻ってくるだろうと思っていたマリエッタが戸惑っている。珍しくシルヴィーヌが口をつぐんだまま反応しない。


末妹まつまいの方が物分かりはよいのだな。当然だな。お前をかばったあの小僧がどうなったか。さらには崖下がいかへ落下したお前たちはあの獣人族の男に助けられた」


 言外に、死んでいても不思議ではない。ここまで無事なのは奇跡に近いと告げているのだ。


「私は無知蒙昧むちもうまいではありません。認めるのは業腹ごうはらですが、この方のおっしゃるとおりです。私もマリエッタお姉様も圧倒的に力不足です。ザガルドア殿、グレアルーヴ殿がいらっしゃらなければ、私は二度死んでいるのです」


 シルヴィーヌがセレネイアに向かって深々と頭を下げる。


「セレネイアお姉様、最後までご一緒できないシルヴィーヌをお許しください。これ以上、ご迷惑をおかけするわけには参りません。ここで離脱したく存じます」


 思いもよらないシルヴィーヌの姿を前に、マリエッタは無言だ。必死にくちびるを噛み締めて感情を押さえこんでいる。


「シルヴィーヌ、貴女」


 セレネイアも言葉が喉に詰まって、うまく発せられない。


「第三王女、お前はここまでよくやった。誇ってよいぞ。何よりもお前のたぐまれな才能は、ここで散らすには惜しすぎる。第二王女、それはお前にも言えるのだ」


 その言葉を受けて、シルヴィーヌの涙腺るいせんが崩れる。


「セレネイアお姉様」


 シルヴィーヌを抱きしめ、優しく背をでる。


「こんなにも小さな身体で本当によく頑張ったわね。シルヴィーヌ、私も貴女を誇りに思うわ」


 セレネイアの視線が無言で立ち尽くしたままのマリエッタに移る。何とも複雑な表情をしている。第一王女として、一人の姉として何と言葉をかけるべきか。迷っているところで、またもや背後の者からの声が飛ぶ。


「魔術師たる者、いかなるときも冷静さを失わず、大局を見定め、適切な術を行使する。お前は望んだな。第二王女でありながら魔術師であらんとするのであろう。ならば、いついかなる刻も引き際を見誤るな」


 マリエッタは心の中で盛大にため息をついた。意地でも表には出さない。


(憎たらしいけど正論よ。分かっていますわよ。この人が言っていることに何ら間違いはない。ただただ、私がかたくなになっているだけ)


「セレネイア、お前の妹は面白いな。特に第二王女だ。あれはお前以上に大物になる可能性を秘めているな。だからこそ、ルシィーエットが可愛がっているのであろう」


 そう言って、マリエッタの背後を指差す。釣られたマリエッタが振り返る。


「ルシィーエット様」


 口からこぼれた敬愛する師の名にマリエッタの思いの全てが詰まっている。


 ヒオレディーリナを伴ってゆっくりとルシィーエットがやってくる。


「マリエッタ、その女の言ったとおりだよ。意地を張っている場合じゃないんだ」


 初めてルシィーエットに頭をでられたマリエッタも、シルヴィーヌ同様に遂に感情が振り切れてしまった。いきなりの号泣ごうきゅう、セレネイアではなく、ルシィーエットに抱きつく。


 セレネイアは何とも言えない表情を浮かべ、一方でルシィーエットは苦笑しきりだ。それでもマリエッタの背を軽く叩きながらあやすところなど、まるで母娘のようでもある。


「これはまた珍しいものを視せてもらった。ルシィーエット、変わったな」


(いや、もともと心根の優しい女だ。それを表に出すかいなかの差でしかない。賢者を引退して以来、初めて逢うが、本質は何も変わっていないな)


 うらやましいとはいささかも思わない。生き方はそれぞれ、その価値観も同様だ。


「あんたは相変わらずだね。七年ぶりになるかい。久しいね、ヨセミナ」


 ここに集った者で、その名を知らぬ者はいない。


「なるほど、俺たちを小僧、小娘と言うはずだ。貴女はヴォルトゥーノ流現継承者にして三剣匠が一人、ヨセミナ・リズ・バリエンナ殿だったか」


 ザガルドアのつぶやきに誰もが納得している。


「随分と来るのが遅かったようだね。他の二人は既に高度三千メルク以上の地で暴れているだろう。合流しなくてもいいのかい」


 ヨセミナが苦虫にがむしを嚙み潰したような表情を浮かべ、愚痴ぐちを零す。女同士、さらには相手がルシィーエットだからこそできることだ。


「そうしたいのはやまやまだがな。私には大師父だいしふ様よりおおせつかった重要な役目がある。まずはそれをこなしてからだ」


 ルシィーエットに向けていた視線を横に移す。即座にひざまづく。


「ヴォルトゥーノ流歴代最強にして元継承者ヒオレディーリナ様、ご尊顔そんがんを拝し恐悦至極きょうえつしごくに存じます」


 あえて一段階控え目な言葉にしている。ヨセミナにとって、レスティーは別格として、ヒオレディーリナもまた最大の敬意を向ける相手だ。


「ヨセミナ、久しぶりね。大きくなったわね。醜態しゅうたいさらしてしまって恥ずかしいわね」


 ヨセミナは頭を下げたまま、静かに首を横に振る。


「いえ、ヒオレディーリナ様だけではございません。大師父様の御前では誰もが必然的にそうなりますゆえ、恥ずべきことなど何もないかと存じます」


 ザガルドアは茫然自失ぼうぜんじしつていで目の前の光景を見つめている。


(現継承者でさえ、ディーナの前で跪いている。しかも、ヴォルトゥーノ流歴代最強と言った。俺はそんなディーナに稽古けいこをつけてもらっていたのか)


 遠くに浮かんだ情景に手を伸ばしかけた瞬間だ。ザガルドアの苦痛に満ちた絶叫が響き渡る。両手で頭をかかえて崩れ落ちていく。


 咄嗟のことで誰もが動けない中、真っ先に駆け寄ったのはヒオレディーリナだった。即座に右指が宙に走り、エルフ語による魔術文字が金色のきらめきを発しながら描き出されていく。


「私の可愛い坊や、大丈夫よ。私がそばにいるから。安心して眠りなさい」


 抱き止めたザガルドアの頭上、煌めきが弾け、ゆっくりと光が降り注ぐ。


(よくない兆候ね。あの者が坊やの記憶の封印を解いたことで、私のほどこした封印にも影響を及ぼしている。このままでは)


 ヒオレディーリナは悟っている。真実を語らねばならない刻が近づいている。告げたが最後、これまでのような関係ではいられないだろう。


(仕方がないわね。あの子との約束でもある。それを叶えるのが私の役目)


 十二将の三人が心配そうにのぞきこんでいる。ヒオレディーリナは彼らに視線を移し、ザガルドアを託す。


「しばらくは魔術の眠りの中よ。坊やが目覚めるまで頼んだわよ」


 グレアルーヴが進み出て、ザガルドアを丁重にかかえる。


「承知いたしました、ヒオレディーリナ殿。陛下のことは我ら十二将にお任せください」


 立ち上がったヨセミナがルシィーエットと話しこんでいる。


「それにしても見事な魔術だったな。当代賢者二人を相手にして、敵もなかなかにやるようだ。奴を仕留めつつも、小僧たちを助けたのであろう。ああ、私の馬鹿弟子も世話をかけたようだ。感謝する」


 ヨセミナが軽く頭を下げる。


 ルシィーエットの放った灼火重層獄炎ラガンデアハヴは最終的にジリニエイユを仕留められなかった。一方で窮地に立たされていた者たちを救ったのも事実だ。


「あの子たちも同じさ。ここで死なせるわけにはいかないよ。老いた者が若い者の盾になって死んでいく。そうだろ、ヨセミナ」


 ヨセミナに異論はない。


「私はいささかも老いていないがな」


 互いに苦笑で頷き合い、別々の方向に進んでいく。


「セレネイア、お前だけ残れ。最後の稽古を直々じきじきにつけてやる。腕一本ぐらいは覚悟しておけ。それで高位ルデラリズに殺されないなら御の字であろう」


 本気とも冗談とも取れるヨセミナの言葉に対して、セレネイアの躊躇ためらいは一瞬、瞳に強い意思を宿して首を縦に振る。


 実際、直弟子じきでしで序列筆頭のワイゼンベルグは高位ルデラリズに近しい中位シャウラダーブとの戦いにおいて、右腕のひじから下を失っている。あながち冗談でもないのだ。


「ヨセミナ様、よろしくお願いいたします」


 ヨセミナの動きを横目でとらえながら、ルシィーエットはマリエッタとシルヴィーヌを呼び寄せる。ルシィーエットの指が宙に長方形を描き出すと同時、硬質音を響かせながら空間に亀裂が入っていく。


「ディーナ、行くよ。ゼンディニアのお前さんたちも一緒に来な。いったん高度二千メルク地点まで戻るよ」


 空間を切り取って展開された魔術転移門が闇よりも深い漆黒を広げて、皆を待ち受けている。


 ヒオレディーリナが先頭で入っていく。続いてザガルドアを抱えたままのグレアルーヴたち十二将が続き、ルシィーエットに背を押される形でマリエッタとシルヴィーヌが足を踏み入れる。


 寸前に振り返る。もちろん視線の先にいるのはセレネイアだ。


「セレネイアお姉様」


 二人とも、それ以上は言葉にならない。様々な思いが胸の内に詰まっている。その中から最適なものが選べないのだ。


「マリエッタ、シルヴィーヌ、必ず戻るわ。私を信じて、待っていてね」


 場違いでありながらも、アーケゲドーラ大渓谷で初めて見せる二人そろっての満面の笑みに、セレネイアも同じ笑みをもって返す。


「さあ、早く入りな」


 ルシィーエットに促され、二人は渋々しぶしぶといった様子で魔術転移門に背を向けたまま入っていく。最後にルシィーエットが僅かにヨセミナに視線を動かした。


≪その娘をくれぐれも頼んだよ≫

≪ああ、任せておけ。ルシィーエット、死ぬなよ≫


 右手を軽く挙げて応えるルシィーエットが門内に消えていく。再び漆黒に染まった魔術転移門が鈍色にびいろに輝き、空間が元どおりに戻っていった。


「私たちも行くぞ。ついてこい」


 足早に歩を進めるヨセミナの後を慌てて追ってセレネイアもけ出す。


(マリエッタ、シルヴィーヌ、貴女たちの無事を願っているわ)

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