第351話:三百二十四年の周期を経て

 ジリニエイユが魔力感応フォドゥアを切る。


 両のまなこがエレニディールたちを無感情のままに眺めている。睥睨へいげいにも近い。眼中になしといったところだろう。


 最高位キルゲテュールと同化しつつあるジリニエイユの力は、エレニディールとコズヌヴィオという当代二賢者に加え、ヴォルトゥーノ流の筆頭剣士を相手にして、なお余裕なのだ。


「予定が狂いました。ルシィーエット嬢の炎は想像以上でした。サリエシェルナの魂を奪い返すつもりでしたが、今しばらく預けておきましょう。エレニディール、貴男もまた私の標的であることに変わりはありません。次を楽しみしておいてください」


 エレニディールたちの前に立っていたジリニエイユの姿が漆黒しっこくの闇に溶けこんでいく。あふれ出していた膨大な魔力が急速に弱まっていく。


「ジリニエイユ」


 エレニディールが口にすべき言葉に迷っている。待てというのもどこか違う。そもそも、待てと言ったところで無駄でしかない。思案の中、ジリニエイユの魔力の減衰が止まった。


「まもなくしょくが始まります。魔術師にとっては致命です。その間にどれだけの者が死ぬでしょうね」


 そこに一切の感情が乗っていない。無機質な声だけが不気味に響いてくる。


「よいことを教えておきましょう。忌々いまいましくも、最高位キルゲテュール復活のための三つの条件は満たせなくなりました」


 当然だろう。


 そもそも大量のにえが戦場には存在しない。ザガルドアとイオニア、両国王の英断とも言える。


 高貴なる血、すなわちサリエシェルナの魂も幽星界ゆうせいかいより取り戻した。分離された肉体だけでは意味を成さない。


 三つの条件中、二つが成立しないことから復活はあり得ない。だからといって、エレニディールは全く安堵できないでいる。相手はあのジリニエイユなのだ。


 しかも、秘術をもって最高位キルゲテュールを制御しているとはいえ、おのが身体を依代よりしろとしている。これで終わるはずなどない。嫌な予感しかしない。


「まさか、最高位キルゲテュール復活のための方法が他にもあるというのですか」


 エレニディールたちに背を向けたジリニエイユの表情は分からない。想像はできる。間違いなく、ほくそ笑んでいるだろう。


「知りたくば最終決戦場、高度八千メルクまでいつくばってでものぼってくることです。そのときこそ、真の恐怖というものを体感できるでしょう」


 ここで聞けるとは思っていない。それでもエレニディールは尋ねざるを得なかった。


「ジリニエイユ、貴男の真の目的は何なのです。最高位キルゲテュール復活、エルフを頂点とする新王国樹立、いずれも主たるものとは思えません」


 ジリニエイユの全てを理解するなど到底不可能だ。エレニディールは封印されてからというもの、ジリニエイユの思考を何百、何千回と分解しながら彼の深層心理を見極めようとした。


(このようなことになるなら、キィリイェーロ殿にもっと詳しくうかがっておくべきでした)


 ジリニエイユの過去を深く知らなければ、真実には辿たどり着けない。レスティーに尋ねれば教えてくれるかもしれない。


(それは許されません。レスティーの力をもってすれば、最高位キルゲテュールを滅ぼすだけなら既に終わっているはずです。それをしていない。我々主物質界の者がやらねばならぬことが残っているというあかしです)


 先ほどから足を止めているジリニエイユは黙したままだ。エレニディールの問いに応える気があるのか否か。


 両者の間に動きはない。ようやくのこと、聴き取れないほどの小さな音が返ってくる。


「それを知ってどうするのです。知ったところで結末は変わりませんよ。ここはルシィーエット嬢に敬意を表し、いったん退きます。エレニディール、次に会う刻が最後になるでしょう」


 この場からジリニエイユの魔力が完全に失せた。


「いったい何を考えているのか。つかみどころのない不可思議な男ですね」


 コズヌヴィオが誰にともなくつぶやく。隣に立つワイゼンベルグも同じ思いだ。


「スフィーリアの賢者殿の固有魔術をもってしても仕留められなかった。あの青き炎がなければ危なかったな。それよりも、なぜなのだ」


 ワイゼンベルグが何を言いたいのか。ヨセミナの直弟子であり、ヴォルトゥーノ流筆頭剣士たるる者、腕だけでなく頭も切れなければ務まらない。


「あ奴の力は我らを凌駕りょうがしていた。腕一本失ったとはいえ、余力はあったはずだ。もしも見逃みのがされたとしたら、我らにとって屈辱でしかない」


 コズヌヴィオに明確な答えが分かるはずもない。


「エレニディール、貴男はどう思われますか。あの男のことなら、私たちよりも詳しいでしょう」


 コズヌヴィオの問いにエレニディールは即答をもって応じる。


「私もジリニエイユの全てを知っているとは言えませんが。我々を見逃したのでしょうね。真意までは分かりません。恐らく、見逃さなければならない理由があった」


 コズヌヴィオとワイゼンベルグが顔を見合わせ、エレニディールの言葉を反芻はんすうしている。


「見逃さなければならない理由ですか」


 ようやくエレニディールが振り返り、二人に微笑みかける。


「ジリニエイユは自らの身体を最高位キルゲテュールの依代としています。これは本来の計画が頓挫とんざしたからです。恐らく彼は危険なけに出ています。同化が成れば自我を失います。その速度を少しでも遅らせるため、私たちとの余計な戦いをけたのでしょう」


 全てはエレニディールの推測にすぎない。


「確証はありませんが。的をているはずです。しかしながら、最高位キルゲテュールの復活は、自らを依代として同化することと同義です。そこにいったい何の意味があるのか」


 コズヌヴィオもワイゼンベルグも首をかしげながら思案している。


「スフィーリアの賢者殿、同化してしまえば自我を失うのでしたな。聞けば、このジリニエイユという男、魔霊鬼ペリノデュエズを制御する秘術を有しているとか。ならば、同化しても自我を保てるのではあるまいか」


 当然の疑問だった。ワイゼンベルグはなおも言葉を続ける。


「そうであるなら、ジリニエイユは主物質界最強と言えよう。先ほど、エルフを頂点とする新王国樹立とおっしゃったが、あやつは国王として世界をべようとしているのではないか。最高位キルゲテュールの力を自在に振るえるなら、やりたい邦題であろう」


 単純に物事を考えれば、それが至極妥当のように思える。エレニディールはに落ちない。何しろ最大の障壁が待ち構えているのだ。


「それは無理な話でしょう。レスティーが最高位キルゲテュールを野放しにするはずなど決してあり得ないのです。ジリニエイユはそのことを誰よりも理解しています」


 ワイゼンベルグが驚愕きょうがくしている。


「スフィーリアの賢者殿、だ、大師父だいしふ様を敬称もなく呼び捨てとは、いささか乱暴ではあるまいか」


 ワイゼンベルグは良くも悪くも女神ことヨセミナ至上主義であり、彼女の行動は絶対だ。彼女が最大限に敬意を払う大師父は、まさしくワイゼンベルグにとって雲の上の上の存在にも等しく、女神以上に敬意を払わなければならない。だからこそ呼び捨てなど考えられない。


「ワイゼンベルグ殿でしたね。まずは此度こたびのご助力に心より感謝申し上げます。そのうえで、貴男のお気持ちはよく分かりますよ。レスティーは我々の次元では語れないほどの超越者です。肩を並べるのもおこがましいというものです」


 淡々と語るエレニディールの口調には多分にあきらめが含まれている。気づいたからこそワイゼンベルグも黙したまま聞き続けている。


「かつて、私も呼び捨てにするなどもっての外とばかりにかたくなに抵抗しました」


 ではなぜ、と目で問うてきている。


「コズヌヴィオ、貴男同様に私もレスティーの洗礼を受けています。対峙たいじしたからこそ分かるでしょう。私はレスティーの魔術に完全に魅せられました。少しでも自分のものにしたい。その一心で弟子入りを志願しました。もちろん、ビュルクヴィストも快諾してくれました」


 弟子といっても、ビュルクヴィストのように師となって魔術の手解てほどきをするわけではない。レスティーが主物質界にる刻のみ、共に行動し、その中から自ら学ぶというものだ。


 同行を認める条件をレスティーはエレニディールに提示した。敬称で呼ばないこと、そして決してひざまずかないことの二点だ。


「なるほど、そういうことであったか」


 ワイゼンベルグは思い返している。初対面時、ヨセミナの言葉を受けて条件反射的にひれ伏した。自身よりも先に跪いていたヨセミナに対して苦々にがにがしい表情を浮かべていたレスティーの顔が鮮明に蘇る。


(我が女神よりお聞きした大師父様は、今でいう初代三賢者と三剣匠にその力を授けられた御方であり、悠久の刻を生きられる超越者でもある。そのような御方と対等に接するなどあまりにおそれ多い。だが)


 ワイゼンベルグが思考に入っている。エレニディールはこの話はここまでとばかりに、コズヌヴィオに目を向ける。


「コズヌヴィオ、遅くなりましたが貴男にも感謝しています。完全詠唱の時間を稼いでくれました。礼を申します」


 コズヌヴィオは控え目に首を横に振っている。


「お互い様ですよ。貴男はともかく、私もミリーティエも先代賢者に遠く及びません。困難な状況におちいったなら、助け合うのは当然です」


 エレニディールは驚きを隠しつつ、コズヌヴィオの言葉にうなづいてみせた。


(私もまだまだビュルクヴィストには及びません。それにしても、コズヌヴィオからこのような言葉が聞けるとは、彼も成長しているのですね。この戦いを生き抜けば、さらなる成長へと繋がるでしょう。私が賢者を退しりぞいても、安泰かもしれませんね)


「それよりもエレニディール、まもなくですね。特に私たち魔術師にとって、最も危険な刻を迎えようとしています」


 二人して空を見上げる。


 美しく輝く三連月、紅緋月レスカレオ藍碧月スフィーリア槐黄月ルプレイユの順に同じ位置かつ同じ高さでほぼほぼ一直線に並んでいる。


 三百二十四年の周期を経て、いよいよ蝕が始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る