第062話:明かされていく真実 前編

 ビュルクヴィストは立ち上がると、深々とレスティーに頭を下げていた。


「申し訳ございません。私には、とても言えませんでした。エレニディールは、私が手塩にかけて育てた大切な弟子なのです。みすみす死地に追いやるなど、師である私にはどうしてもできません」


 エレニディールがすかさず問い質す。


「ビュルクヴィスト、どういうことですか。レスティー、これがシュリシェヒリで私に確認したことなのでしょうか」


 対照的な動きだった。ビュルクヴィストは答えられないという意味合いで首を横に振り、レスティーはそうだという意味合いで首を縦に振った。


「そなたの気持ちは分かった。では、私が伝える。それで、よいな」

「私としては、伝えないでいられるなら、それに越したことはありません。ですが、避けては通れないのでしょう」


 ビュルクヴィストは、もはやあきらめの境地だ。ここで議論をしても、何も始まらない。ましてや、私情をはさむなど言語道断だ。


「エレニディール、そなたには、サリエシェルナと同じ血が流れている」


 単刀直入、真実のみを告げた。それ以上は不要だった。エレニディールのことだ。意味するところはすぐに察するだろう。


「私を名指しで、戦場の最前線に立たせるようにとのことでした。不思議に思っていたのです。なるほど、こういうことでしたか」


 至って、冷静に見える。無論、内心までは分からない。


 キィリイェーロは彼を気の毒に思いつつも、ここからは自分の役目だとばかりに言葉を引き継いだ。


「エレニディール殿、貴男を戦場におもむかせるよう仕組んだのは、恐らく兄ジリニエイユでしょう。その意を受けたパレデュカルが、かの国の王を取り込み、宣戦布告に盛り込ませた。我らはそのように推測しております」


 エレニディールの視線を受けて、キィリイェーロは首を縦に振る。シュリシェヒリの里で、彼はエレニディールを前に告げたのだ。パレデュカルがジリニエイユと手を結ぶなど、想像できないと。


 その後を引き取ったのはトゥルデューロだ。


「エレニディール様、私も長老と同じ考えです。パレデュカルの目的は、サリエシェルナを無事に救い出すことのみです。今はただ表面的にジリニエイユと手を結んだふりをしているのです。ジリニエイユも承知のうえ、お互い様でしょう」


 ジリニエイユとパレデュカル、二人がエレニディールを戦場に迎えたい理由は明白だ。


「私を、サリエシェルナの代役に立てるということですね。肉体と魂が分離された状態の彼女に、万が一があった場合、ジリニエイユの宿願はかないません。一方、パレデュカルには何の益もないように思えます」


 場は静まり返っている。当事者以外、誰も言葉を発しない。いや、発せられない。あまりに重すぎる内容が次々と飛び出してくるからだ。


「エレニディール、それはあくまで従の方だ。主の目的は別にある。ビュルクヴィスト同様、告げずに済むならそうしたい。いかに残酷であろうとも、告げねばならぬ。それが私の使命だからだ」


 ここにいる者たちの中で、主たる目的を知るのは、レスティーを除けば、キィリイェーロしかいない。事の発端ほったんは自分の兄だ。そこにサリエシェルナ、パレデュカルが、さらに最悪なことに魔霊鬼ペリノデュエズまでもが絡み、事態を複雑化させていた。


 戦いの局面を二つに分離してしまえば、もう少し単純化できる。さらに紐解ひもといていけば、細分化も可能だろう。


 レスティーに承諾を得たうえで、キィリイェーロはジリニエイユの問題をエルフ属のみで対応する決定を下している。王国の戦乱などに関心はない。


 彼らは、彼らの正義にのっとって、粛々しゅくしゅくと処理すればよい問題だ。正直なところ、エルフ属にしてみれば、彼らがどうなろうと知ったことではなかった。


 ただ、パレデュカルが何故なにゆえに、ヒューマン属の王国まで巻き込んで、彼らを戦場に集結させようとしているのか。そこが分からない。王国同士の戦いともなれば、双方合わせて数千から数万の人が動くことになるだろう。


 それほどまでの数を集める目的は、そこまで考えたところで、キィリイェーロは戦慄せんりつを覚えた。


(ま、まさか、パレデュカル、お前は。数千、数万というヒューマン属の者たちを。それだけは、断じてならぬぞ)


 自らの途方もない思考に、血の気を失ったキィリイェーロが咄嗟とっさにレスティーをあおぎ見た。


 いつの間にか、レスティーは立ち上がっている。その手には、複雑な意匠がほどこされた一本の矢が握られていた。


「これは三つ月の矢スレプユアレ。あの者たちを招集するのですね」

此度こたびの戦いには、彼らの力が必要となる」


 カランダイオは、短く告げるレスティーから矢を丁重に受け取ると、すぐさま座を立った。


「エレニディール、聞く覚悟ができたら言ってくれ。それまで待とう。私も一つ用事を済ませてくる」


 魔術転移を発動、レスティーとカランダイオの姿は消えていた。


 二人の姿は、ファルディム宮主尖塔しゅせんとういただきにあった。


 頂上部分は斜度のきつい円錐えんすい状で、非常にすべりやすい構造だ。しかも、身体が持っていかれそうなぐらいの強い北風が吹いている。


 レスティーもカランダイオも、足場の悪さは全く気にならない。むしろ、吸いつくかのごとく、安定して立っていた。


 王都ラセニヨンが全方位にわたって見渡せる。まさに絶景だった。大河アーレトゥールの蛇行する姿が印象的だ。中流域の川幅は十分に雄大で、流れも比較的おだやかに見える。


 大河をはさむようにして広大な農地が広がり、夕陽ゆうひを浴びて色とりどりに輝いている。農地を囲む形で形成された町や村には住居が並び、ところどころから夕煙ゆうけむりが立ち上がっている。人々の営みがまざまざと感じられた。


「あの戦乱から、よくぞここまで立ち直った。願わくば、この平和が永遠に続いてほしいものだ」


 レスティーが誰にともなくつぶやく。


御意ぎょいにござります。しかしながら、人とは愚かな生き物なれば、幾経いくふる歳月、平和を享受しつつ、そこに満足を覚えず、んだ者たちが今また戦乱に赴こうとしております」

「まるで詩人のようだな。めているのだ。そなたが、そのような感情を吐露とろしてくれたこと、私は嬉しく思う」


 二人は強風を浴びながら、夕陽に輝く都市の全景をその目に焼きつけていた。


「では、始めよう。頼む」


 カランダイオの左手は、魔術で作り上げた光の弓を握り締めている。つる三つ月の矢スレプユアレをあてがい、おごそかに引き絞る。


 この瞬間、全ての風がいだ。


 カランダイオは光の弓を天に向け、三つ月の矢スレプユアレ静謐せいひつのうちに射た。


 天頂へと疾駆しっくする三つ月の矢スレプユアレは、まるで意思を持ったかのように、途中で三つの軌道に分かたれる。


 藍碧らんぺき紅緋べにひ槐黄えんこうの光彩を放ち、尾を引きながら進む優美な三筋の矢は、夕陽に負けないぐらいの輝きを残し、やがて視界から消えていった。


 戻ったレスティーとカランダイオを、決意を固めたエレニディールの強い目が迎えた。


「全てそろったな。その前に、キィリイェーロ」


 キィリイェーロが促されるように、レスティーの近くまでやって来る。彼はおもむろに床を見つめると、エルフ語で命を下した。


「アギュミィ・ヴィ・ナヴァウ・ハスゥリ・クヴァソヌ」


 何の変哲もない床面が波打ったかと思うと、浮かび上がるように影が一つ現れる。


「プレズジト・ラウグ・ロメレン、レジィ・ディリニッツ・コウェイ・ニレベ・ウェネフェン」


 影が発した言葉の一部を聞いて、真っ先に反応したのは宰相モルディーズだ。エルフ語に精通しているわけではない。だが、その単語だけははっきりと聞き取れた。


「ま、待て、ディリニッツと言ったか。確か、ゼンディニア王国の十二将にその名前があったと記憶している。もしやと思うが、そこもとは」


 二人の視線が交差した。


「さすがはラディック王国の頭脳、モルディーズ殿ですね。いかにも。私はゼンディニア王国が誇る十二将序列九位にその名を置く者、イプセミッシュ殿下の最後の盾にして隠密兵団団長を務めております。ラディック王国の皆様、どうぞお見知りおきのほどを」


 モルディーズとのやりとりはエルフ語ではない。リンゼイア大陸の標準語だ。


 ディリニッツはその場から動かない。対して、騎兵団団長と副団長は一斉いっせいに立ち上がると、各々が武器を構えた。


めよ。その者は、あくまでもキィリイェーロ殿の関係者だ。我らと敵対関係にはあるが、今ここで戦いを望んでいるわけではあるまい。そうであるな」

「イオニア陛下、おっしゃるとおりです。私は十二将として来ているわけではありません。シュリシェヒリの長老の要請を受けて来たに過ぎません。今、ラディック王国の皆様と敵対する意思はありません。信じるかどうかは、皆様次第ですが」


 今度はディリニッツとイオニアの視線が交錯する。


 ディリニッツは瞬時にイオニアの値踏みを行っていた。イプセミッシュが毛嫌いする理由もよく分かる。まさに水と火の関係だ。


 騎兵団にも目を向ける。よく統率されているうえ、十二将の敵にはなりえないものの、何人かは目を見張るものがある。


(陛下が気にしていた、セレネイア第一王女の姿が見られないな。どういうことだ。この重要な場にいないとは、何とも不可思議だな。そして、あれが二人の妹王女か)


 思考を他に向けていたせいか、すぐ背後に一人の男が立っていることに全く気づかなかった。いや、そのような言い訳は通用しない。


 これがイプセミッシュを狙った暗殺者だったら、そう思うとディリニッツは恐怖で凍りついてしまった。まるで金縛りにでもあったかのように身体が動かない。


≪ば、馬鹿な。こうも簡単に背を取られた挙げ句、身体も動かせぬとは≫

≪エルフ属としては珍しいな。操影そうえい術師か。なかなかによい腕をしている≫


 背後に立つのはレスティーだ。ディリニッツは、レスティーの存在を知っている。それは伝説的な話の中でのことだ。相対するのは、これが初めてだった。


≪キィリイェーロに呼び出してもらったのは他でもない。頼みたいことがあったからだ。キィリイェーロの横にいる男を知っているな。あの者の娘がいるところへ連れて行ってくれぬか≫


 ディリニッツは躊躇ためらった。もちろん、トゥルデューロは知っている。パレデュカルがかくまっている娘ラナージットが、彼の実娘であることもだ。


 パレデュカル同様、ディリニッツもまたラナージットを陰から見守り続けている。それが長老の命だからだ。


 彼女の容体はかんばしくない。直接、ラナージットの姿を見てきた十二将のヴェレージャから聞いたのだ。ラナージットは、生きることを放棄しているという。その状態では、いくら治癒術を行使しても回復は望めない。


「ディリニッツ、お言葉に従え。お前の後ろに立つ御方こそ、我らシュリシェヒリの大恩人でもあるレスティー様だ。レスティー様のお言葉は、私の言葉だと思え」

「こ、この御方がレスティー様、道理で泰然たいぜんとされながら、これだけの圧を。承知いたしました」


 レスティーからの圧が消えたことで、ディリニッツは、ようやく自由を取り戻していた。全身が汗で濡れている。大きく息をついた。


「手間をかける。ここの話はまもなく終わる。しばし、待っていてほしい」


 レスティーがもとの位置に戻る。それを受けて、カランダイオが長卓中央の空間上に魔術地図を展開した。これを見れば、リンゼイア大陸全体が把握できる。


「ビュルクヴィスト、宣戦布告に記された初手一撃の日時はいつだ」

「宣戦布告には、こうあります。


 当布告発布より十日後、三連月が天頂に輝きし刻をもって初手一撃を放つものとする。

 大陸歴七八三年 雷聲発する旬 中の三日


 雷聲発する旬 中の三日に発布され、そこから十日後ということで、日は、雷聲発する旬 後の四日で確定です。時は、三連月が天頂に輝きし刻となっています。すなわち、今を起点にすれば八日後になります」


 レスティーの視線が、一人の少女に向けられた。


「では、第三王女、そなたの考える決戦場所を披露してもらえぬか。熟考した結果、そなたが導き出した答えを知りたい」

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