第063話:明かされていく真実 後編
いきなりのレスティーからの指名に、シルヴィーヌが
「わ、私の熟考と申しましても、皆様のお役に立つようなものではないかと」
「そんなことはありませんよ。私も是非、シルヴィーヌ第三王女の考えた場所を聞きたいものです」
ビュルクヴィストの真摯な言葉に続き、マリエッタがお返しとばかりにシルヴィーヌを軽く
もはや外堀を埋められ、逃げるに逃げられない状況だ。
「頑張ってきなさいな、シルヴィーヌ」
素直に応援と受け取ったシルヴィーヌは、覚悟を決めて立ち上がる。魔術地図に近寄って、説明を始める。
「ラディック王国王都ラセニヨン、ゼンディニア王国王都ポルヴァートゥ、まずはこの二点を直線で結びます」
シルヴィーヌの言葉に応じて、地図上に場所が
「中間地点に目を向けてください。カランダイオ、申し訳ございません。ここに、現在の国境線を描くことはできるでしょうか」
カランダイオは、お安い御用だとばかりに
「ここです」
シルヴィーヌが小さな指で示したのは、ラディック王国領土内であり、メドゥレイオ、エランドゥリス各国との国境付近、さらに永世中立都市シャイロンドのすぐ北に当たる場所だった。
「ここは、どういった地形をしているのだ」
レスティーの言葉に反応したのは、シルヴィーヌではなく、モルディーズだ。
「
ラディック王国の地形、地質をほぼ完璧に把握しているモルディーズが
「アーケゲドーラ
アーケゲドーラ大渓谷は、およそ二百キルクと広大で、切り立った
「深く
モルディーズの悪い
レスティーは、シルヴィーヌ、モルディーズに感心の目を向けた。
「第三王女、そして宰相、素晴らしい説明だった。そなたたちに心より賛辞を贈りたい」
特に、モルディーズにしてみれば、地形や地質の説明を始めた途端、イオニアや騎兵団の面々から嫌な顔を向けられるばかりだ。これほど褒められるとは予想外だったのだろう。
「見るがよい」
シルヴィーヌに向き合っていた魔術地図が、再び長卓と並行に展開された。
レスティーが軽く指を振ると、魔術地図の上空に三つの月、
「これが今日の月の位置だ。ここから一日ずつ動かしていく。太陽の動きと共に追っていこう」
レスティーの指が振られる
皆が、地図上を動く三つの月と太陽の動きを、ただただ凝視し続けている。
「これが決戦当日、つまり八日目の各々の位置だ」
間違いなく、ここに
それまでばらばらに動いていた三つの月と太陽が、今この瞬間、
等しく満月を迎えた三連月の光は、等しくアーケゲドーラ大渓谷を、いやもっと正確に言うなら、大渓谷の底を真上から照らし出している。
「三百二十四年の周期をもって、この日を迎える」
「で、では、レスティー様、まさか、三連月が一度に、そんなことが」
キィリイェーロが驚愕している。残念ながら、彼の驚愕は三百二十四年前の出来事を知らない者には伝わらなかった。
「キィリイェーロ、そのとおりだ。そして、ある一定時間、こうなる」
レスティーは、一日単位で動かしていた三つの月を、一直線に並んだその時からフレプト単位で動かして見せた。
「ば、馬鹿な」
声が裏返っている。
突然の変化に、イオニアをはじめ、誰もが戸惑いを隠せない。それもそのはずだ。一直線に並んだ三連月の投げかける光が、次第に弱々しくなり、遂には完全に失われてしまったからだ。
漆黒の闇が訪れた瞬間だった。
「これは、皆既
思わず大声が出ていた。第五騎兵団副団長のムリディアだ。
副団長唯一の女騎士で、彼女は大小の二刀を用いた戦いを得意とする。小柄な彼女の特徴は、何と言ってもその身の軽さであり、並んで疾走する馬から馬へと飛び移り、たった一人で敵数十人を斬り倒したことがあるほどの腕前だ。
レスティーの視線をまともに浴びて、礼を失したかと思い、慌てて頭を下げる。
「構わぬ。皆既月蝕という言葉を知る者がいるとは驚きだ。そなた、天文学に明るいのか」
「い、いえ、明るいというほどではありません。少しかじった程度です。昔から夜空を見上げて、星の動きを眺めるのが好きだったものですから」
騎兵団の皆から様々な視線が向けられることには、もう慣れた。今、レスティーから受ける視線は、これまでと全く異なっている。ムリディアは少しばかり居心地の悪さを感じていた。
「では、そなたにこの現象を説明してもらいたい。任せてよいか」
「私ごときで、よろしいのでしょうか。自信もありませんし」
気後れしているムリディアの背中をいきなり叩く。チェリエッタだ。第五騎兵団の上司に当たる。セレネイアが第一騎兵団団長に就任するまで、彼女もまた団長として紅一点、誰よりもムリディアの苦労を承知している。
「行ってきなさい。これは名誉ある指名よ。戦場だと思って、堂々としなさい」
それはちょっと違う、と思いつつ、チェリエッタの言葉に後押しされたムリディアが、魔術地図のちょうど光を失った三連月に手が届く位置まで近づいた。
「南北に長く伸びるアーケゲドーラ大渓谷、その底を照らし出している三連月は、この時、
ご覧になってください、と皆に三連月の位置を示しつつ、次の言葉を発した。
「太陽が東から西へと移動しながら、真北に位置する直前より蝕が始まるのです。同時に、三連月は徐々にその輝きを失っていきます」
魔術地図上では、太陽、主物質界、
「天文学では、この現象を月蝕と呼びます。中でも、皆既月蝕とは、主物質界が太陽と三連月の間に入り、その影が月全体にかかることで、完全に見えなくなってしまう自然現象なのです」
レスティーがムリディアに問う。皆既月蝕の時間だ。
「恐らくですが、
大役を終えたムリディアは、恐る恐るレスティーの顔色を
「私の知識では、この程度しか説明できないのですが、よろしかったでしょうか」
レスティーは笑みをもって応えた。
「第三王女、宰相に続き、そなたの説明も素晴らしかった。そなたのその知識は、
「あ、有り難うございます」
深々と頭を下げるムリディアを、背後から見つめるチェリエッタの表情は優しさに満ちている。きっと、自分のことのように喜んでいるに違いない。
「彼女が言ったとおりだ。食そのものの始まりから終わりまで、およそ二ハフブルあるが、皆既月蝕、すなわち三連月が完全に光を失い、漆黒に包まれる時間は一メレビルもない。たかだか一メレビル、しかし、そなたたちには致命的だ」
さすがに元賢者だけのことはある。ビュルクヴィスト、ルシィーエット、オントワーヌは、レスティーの言わんとしていることが理解できていた。
「まさしく、天国から地獄へ突き落される、ですね。満月から、疑似的にとはいえ、新月状態に陥ってしまうのですから。対策をしっかり考えなければなりませんね」
いつになく真面目なビュルクヴィストの言葉に、レスティーは
「そなたたちに任せる。ビュルクヴィスト、万が一の時は、そなたに預けているあれを使用する許可を与えておく」
ビュルクヴィストの表情がさらに厳しくなる。
「願わくば、使わずに終わらせたいところです。ですが、万策尽きた際は、魔術高等院ステルヴィアの威信にかけて、
いよいよ大詰めだ。レスティーは居並ぶ者の顔を一とおり見渡すと、総括に入った。
「決戦場所は、第三王女が推察したとおり、アーケゲドーラ大渓谷で間違いないだろう。三百二十四年の周期で迎える皆既月蝕がそれを示している」
アーケゲドーラ大渓谷以外の地点で、三連月が皆既月食となる場所はない。先ほどの魔術地図から、その日時も判明している。
「ジリニエイユとパレデュカルは間違いなくやって来る。
ジリニエイユを押さえるのはキィリイェーロたちエルフ属だ。パレデュカルに対してはエレニディール、
レスティーはいったん言葉を切った後、思案しているのか、しばらく沈黙を保ったまま動かない。その様子をじっと見つめているルシィーエットは、気が気ではなかった。
(私たちに言えないようなことがあるのね。ビュルクヴィストはともかく、私もオントワーヌも、貴男のためなら、この命、どうなってもいいと思っているのに。そういうところは、百年前から変わらないのね)
「レスティー殿、どうかなされましたか。随分と考え込んでいるようですが。我々のことなら気にする必要はありません。遠慮なく
ルシィーエットの思いの
「ルシィーエット、感謝する。では、遠慮なく言おう」
レスティーは、
「
レスティーは少しの間を置くと、エレニディールに問いかけた。
「エレニディール、私がそなたとここに降り立ち、正面の絵画を破壊した際に言った内容を覚えているか」
突然、名を呼ばれたエレニディールは、あの時の記憶を呼び覚まそうと静かに目を閉じた。
「このように言ったように思います。『あの愚か者と共に王家の血そのものを滅ぼしておくべきだったか』と。それに、いつ正面の絵画を掛け替えたかも聞かれましたね。私が『六日前です』と答えたところ、貴男は『遅かったかもしれないな』と
その際、エレニディールには、何が遅かったのか理解できなかった。今になって、この話題に触れたということは、
レスティーは問いには直接答えず、さらに疑問を積んでいく。
「不思議に思わなかったか。ラディック王国の最も重要な場所、王宮に
短期間のうちに、三体の
「ま、まさか、レスティー殿。あの絵画の、真の意味とは」
ビュルクヴィストが、ここまでおののく姿を人前で見せるのは初めてだ。エレニディールはもちろん、ルシィーエットもオントワーヌも、心配そうにビュルクヴィストを見つめている。
「
六日もあれば、封印されたものが目覚めるに十分な時間だっただろう。それぐらい、直接見ずとも分かるというものだ。
「レスティー様が『滅ぼしておくべきだった』と仰ったことからも、
理路整然と語ったのはキィリイェーロだ。疑う余地もない説明に、ラディック王国の皆は顔面蒼白になっている。
ビュルクヴィストにしても、エレニディールにしても同様だった。彼らのラディック王国における立ち位置は監視者だ。
レスティーは、彼らを監視者に指名した際、一切をつまびらかに説明したわけではない。それでも、
「私があの時、
ルシィーエットが涙している。正面の絵画を、じっと凝視したままだ。そんなルシィーエットの様子を、心配そうにマリエッタが見つめていた。声などかけられる状況でもなかった。
「私は、本気でそれを
(将来の
死者は
(でもね、生者が死者に支配されてはいけないのよ。そうよね、私の親友でもあり
「昔話はこれぐらいにしておこう。封印がどれほど
慰めではない。事実を淡々と述べたにすぎない。レスティーは締めくくった。
「蘇った時には、封印などと
こうして八日後に迎える決戦の刻に備えるべく、ラディック王国が、魔術高等院ステルヴィアが、シュリシェヒリのエルフ属が、そしてレスティーが新たな行動に移るのだった。
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