第116話:新たな魔剣

 フィアはセレネイアを止めるべきか迷った。


 彼女の決意は固い。くつがえりそうにもない。そもそも、簡単に覆るようなら話はすぐに終わっている。迷う余地もない。


 民たちのために、おのが命を懸けるという意思は確かにとうとい。反面、王族とはいえ十五歳の小娘だ。生き急いでいる気がしないでもない。


 フィアは、この姿になってからというもの、悠久ゆうきゅうの時を生きてきたのだ。その中で、ありとあらゆる人族のようをつぶさに見てきた。セレネイアはそのどれにも当てはまらない。


≪どう思うかしら、カランダイオ。私の愛しのレスティーからは、最終判断は任せると言われているのよ。これを授けるべきか迷っているわ≫


 問われることが分かっていたのか、カランダイオは自ら考えていた思いをフィアに告げる。


≪彼女が戦いにおもむいたところで邪魔になるだけです。魔霊鬼ペリノデュエズは弱い者を見分け、真っ先に狙います。彼女には、いまにおいがつけられたままです。我が主に同行し、あの男にも確認してきました≫


 フィアはわずかに思案した後、おもむろに言葉を発する。


≪私の愛しのレスティーからは、迷いのない覚悟ならば授けても構わないとだけ言われているわ。今のセレネイアを見る限り、そうよね≫


 フィアは、さらに左手も伸ばした。


≪フィア殿の心の内で決められたなら、ご随意ずいいに。私が口を挟む余地はありません。ただ、あの娘は死なせたくない。そう思っているだけですよ≫

≪ふふ、珍しいわね。セレネイアに対しては随分と優しいのね。分かるような気もするわ。少し守ってあげたくなるものね≫


 上向きに開いた両の手のひらに、風が凝縮していく。透明な風が、色を帯び始め、徐々に淡緑たんりょくへと染まっていく。


 フィアの口から、おごそかに言葉がつむぎ出されていく。


"Piyeirrаk-qtujwepl."


 セレネイアもカランダイオも、初めて耳にする言語だ。


 フィアの手のひらの上で、凝縮された風がうなりを発し、四方からさらなる流れを呼び寄せている。吹きすさぶ大気は今や烈風と化し、周囲の風を次から次へと巻き込んでいく。


 その勢いに、セレネイアも吸い込まそうになっている。


「セレネイア殿、身体をしっかり支えなさい。今のフィア殿に私たちの声は一切届きません」


 風の唸りがひどすぎる。いくら大音量で叫ぼうとも、途切れ途切れになってセレネイアには伝わらない。


 仕方がない。マリエッタやシルヴィーヌに行ったのと同様、意思を直接脳裏にきざむしかない。


 セレネイアは残念ながら三姉妹の中で、基礎的保有魔力が最も低く、従って魔術適正も期待できない。上手うまくいくかは分からない。


≪セレネイア殿、聞こえますか。早く身体を支えなさい≫


 セレネイアの視線が向けられた。どうやら、無事につながったようだ。セレネイアからの言葉は返ってこない。今は、気にする必要もない。


≪私の声が聞こえているなら、うなづいてください≫


 動作が返ってくる。カランダイオは急ぎ二の句をセレネイアの脳裏に送った。


≪このままではフィア殿の風に巻き込まれてしまいます。その辺のものにつかまって、しっかり身体を守りなさい。吸い寄せられてしまったら、五体がばらばらに砕けますよ。今のフィア殿には一切の言葉も通じません。急ぎなさい≫


 セレネイアは理解したようだ。すぐさま、二メルク先に立つ白鉱石カルツェンの彫像にしがみつく。


 名も知れぬ彫刻家が、精魂せいこん込めて製作したもので、双頭鷹そうとうようが羽を休めた姿をしている。台座がおよそ一メルクの立方体、その上に鎮座した高さおよそ二メルクの彫像だ。


 羽を広げていないことが幸いした。セレネイアは力を緩めることなく、双頭鷹に両手を回してしっかりと抱きつく。


 風の勢いは衰えるどころか、なおも増していく。


"Kinynitujoimne."


 四方の風が渦を巻き、フィアの手のひらの上で高速回転を始めた。その激しさが頂点に達する。


 刹那せつな、全ての風が嘘のようにぐ。そこにあるのは、ただただ静謐せいひつだ。


「セレネイア、こちらに、来なさい」


 フィアが、肩で息をしている。かなり消耗しているように見える。言われるがまま、セレネイアは恐る恐る近づいていく。


「貴女に、授けるわ。私の愛しのレスティーからよ。貴女のためだけに鍛えた、ウズ、いえ魔剣アヴルムーティオめい皇麗風塵雷迅セーディネスティアよ」


 フィアの手のひらの上には、さやに納まった一振ひとふりの美しい剣が静かに横たわっている。


「これを、レスティー様が、私に」


 手に取るのが躊躇ためわれる。容易に視覚でとらえられる。四方にあふれた神々こうごうしい輝きが、大気を揺らめかしている。


「ねえ、私の愛しのレスティーから、直接手渡されたかったかしら」

「え、は、はい。あ、い、いえ、そんなこと」


 珍しく、セレネイアが墓穴ぼけつを掘っている。目の前の魔剣アヴルムーティオに集中するあまり、フィアの言葉を受けて生半可なまま返答してしまった結果だ。


 あたふたしているセレネイアの様子を、楽しそうに見つめるフィアの表情は、柔和にゅうわで優しさに満ちている。


 背後でカランダイオが、全く何をやっているのやらとあきれた口調でつぶやいている。フィアはあっさり無視する。


「正直ね。貴女が持っているのはどの感情かしら。私の愛しのレスティーが好きなの、それとも愛しているの」


 セレネイアはいまだその答えが出せないでいる。これまでの人生、ずっと男が苦手だったのだ。好きという感情は分かる。愛するという感情も分かる。


 その感情は二人の妹や父、さらにはこの国の民に向けたものだ。ただ一人の男に向けた者ではない。セレネイアにとって、初めて直面した悩ましい心乱される問題なのだ。


「フィア様、私自身、その感情が分からないのです。好きか、嫌いかと問われると、好きです」


 セレネイアは男の欲望の対象でしかなかった。これからも変わらないだろう。女であり、王族、しかも第一王女という身分は羨望の的でしかない。


 これまでセレネイアは男に触れられるのを苦手とし、むしろ嫌だと思う感情しか持ち合わせていなかった。


 ディランダイン砦でレスティーに命を救われ、わずかに触れられた時、初めて不思議な気持ちを抱いたのだ。今も肌身離さず着ている羽織を通して、全てを包み込むような温かさが全身に沁み渡った。


「レスティー様はその強大な御力はもちろんのこと、他の殿方とは異なる次元に存在なさる御方なのだと、漠然ばくぜんと感じました」


 気持ちを整理しながら、一つ一つの言葉を丁寧に紡ぎ出すセレネイアに、フィアは好感を抱きつつある。


「今の気持ちを大事にしなさい。杞憂きゆうで終わってよかったわ。軽々しく愛しているなんて答えていたら、らしめてやろうと思っていたところよ」


 真顔で答えるフィアが怖い。セレネイアは改めてフィアの強い思いを実感するのだ。そのうえで、あえて確かめてみたかった。


「フィア様は、レスティー様を」


 考えるまでもない。即答だ。


「愛しているわ。心の底からね。私の命は、私の愛しのレスティーのためだけにあるの。望まれるなら、喜んでささげるわ。だから、私の愛しのレスティー以外の者のために命をけるつもりなど一切ないわ」


 それほどまでに言い切れるフィアが、恐ろしく思う反面、羨ましくも思う。


「全ての者が死に絶えようとも、私の愛しのレスティーさえいてくれるなら、私は幸せよ」


 迷いの一切ないフィアが、あまりにもまぶしい。


「どう、私が恐ろしいかしら」


 セレネイアは、ただ首を横に振った。すさまじいばかりの愛という名の感情に圧倒されている。


「愛という感情はね、すぐ手の届くところにありそうで届かないものなの。貴女の思いが真の意味で熟した時、初めて手にすることができるのよ。それまでは、しっかりとその気持ちを温めておきなさい」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアがフィアの意思に従って、おもむろに宙に浮かび上がる。


「さあ、受け取りなさい」


 セレネイアは両の手のひらを上に向けて開く。皇麗風塵雷迅セーディネスティアが静かに下りてくる。セレネイアの手のひらに乗ると同時、眩い輝きが鞘に収束、さらに大気の揺れも消えていった。


「セレネイア、これだけは私と約束しなさい。勝ちなさい。そして、生きて戻りなさい。よいわね」

「はい。必ず」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを手にしたセレネイアが力強く答える。


「カランダイオ、お邪魔したわね。私の用事は終わったわ。後は任せるわね」

 

 フィアの姿が大気に溶け込んでいく。風にかえると、上空高くへとけのぼっていった。


「さて、前置きが長くなりすぎました。私の用事も手短に済ませておきましょう。ディランダイン砦に行って、クルシュヴィックと会ってきました」

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