第126話:風爆閃迅竜皇滅

 悲嘆の咆哮アンデムノン魔霊鬼ペリノデュエズを貫く。


 咆哮ほうこうは、八芒星はちぼうせい内で反響を起こす。八体それぞれの咆哮が中心点に立つ魔霊鬼ペリノデュエズの位置で重なり合い、さらに増幅されていく。


 物理的に視認できる攻撃でなくとも、効果は見て取れる。魔霊鬼ペリノデュエズのおよそ三メルクまでふくらんだ身体が、上下左右に激しく揺さ振られているからだ。


 目下の最大の懸念けねん点は、この魔霊鬼ペリノデュエズ低位メザディムなのか、中位シャウラダーブなのかということだった。


 低位メザディムならば、同化する前に依代よりしろとなった暗黒エルフの男を確実に仕留めることが肝要だ。


 中位シャウラダーブならば、暗黒エルフの男がたとえ死んだとしても、すなわち同化できなくとも魔霊鬼ペリノデュエズは死なないということだ。


 なぜなら、中位ペリノデュエズ以上は、人で言うところの心臓たる核を複数持つからだ。


(悲嘆の咆哮アンデムノンが発動中は一切手出しできない。亡者どもが消えると同時、低位メザディムなら滅んでいるだろう。滅んでいなければ、ヴェレージャにけるしかない)


 ディリニッツは目の前で展開されている光景を凝視ぎょうし、事の成り行きを見守り続ける。ヴェレージャも同様だ。ディリニッツとの意思疎通は万全、いつでも魔術が発動できるよう、その時を待ち続ける。


 朧影おぼろかげ灰黒色かいこくしょくが次第に薄まっていく。まもなく、亡者が腐界サロプスアンへと戻っていく頃合いだ。


≪ヴェレージャ、朧影が無色透明になりきった時が勝負だ≫

≪分かっているわ。私に任せておいて。必ず仕留めてみせる≫


 朧影が無色透明と化した。亡者たちも、八芒星も、ゆっくりと消え失せていく。中心に立つ魔霊鬼ペリノデュエズは、微動だにしない。


 ディリニッツもヴェレージャも固唾かたずんで、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを注視している。


 束の間の静けさが、何とも不気味ぶきみだ。動きを全く見せない魔霊鬼ペリノデュエズを前に、二人が安堵感をいだきつつある中、異変は突然にやってきた。


 魔霊鬼ペリノデュエズがもがき、苦しみだしたのだ。依代がこうむった精神破壊による影響が、ようやく現れたか。ざらつきのある奇声を発しながら、粘性液体が作り出した二本の手で、喉をきむしるような仕草を見せている。


「やはりこうなったか。命をけたあの男の切り札が、低位メザディムというわけにはいかないか」


 悪い方の結果に転んだことで、ディリニッツは不満と諦観ていかんを言葉に乗せて吐き出した。


 魔霊鬼ペリノデュエズは両手をしきりに動かしている。既に喉もとの粘性液体が大量にこぼれ、大地にばらかれている。首と思しき部位はせ細り、今にも頭が落ちそうな勢いだ。


 頭と言っても、粘性液体がそのように見せているだけで、実際に頭部の機能が備わっているかは疑わしい。


「な、何をしているの。あれでは」

「ヴェレージャ、観察している暇はない。今すぐに、お前の魔術で滅ぼせ」


 ついに頭部がげ、大地に落ちた。落ちた途端、粘性液体がき散らされ、大地に広がっていく。すぐさま収束を始めている様子を見て、ヴェレージャは両手を高くかかげた。


風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレ


 天が荒れる。すさまじい勢いで、一点に向かって風が集結していく。風はかたまりとなし、さらなる風を呼び寄せ、また集結、そして形作られるはまごうことなき風竜そのものだ。


 無論、風によってかたどられた竜であり、正真正銘の竜種ではない。人ごときの力で、竜種を使役するなどおそれ多く、到底不可能だ。


 基本的に、竜種は他種との接触を好まず、孤独を愛する。ゆえに、人前に姿を見せることは滅多にない。また、人知が及ばぬ力と知識を有している。だからこそ、人が憧憬しょうけいしてやまない存在なのだ。


 ヴェレージャが行使した風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレは、魔術を用いることで竜種の特徴のみを作り出している。


 威力を見れば、竜種のそれに遠く及ばないものの、通常の風系最上級魔術をはるかに上回る。その分、魔力消費量が過大になるのが唯一の欠点と言えるだろう。


 天高く、とぐろを巻いた風竜が魔霊鬼ペリノデュエズを敵と定めた。呼応して、ヴェレージャの両手が一気に振り下ろされる。


 風竜の両眼が、きらめいたかのように見えた。顎門あぎとが大きく開かれる。吐息は渦巻く風、しかも大気を行き交う無尽蔵むじんぞうの風、その全てが魔霊鬼ペリノデュエズを滅ぼすための巨大な剣と化す。


 一気に駆け下りる。


 対して、魔霊鬼ペリノデュエズは大地に落ちた頭部を一顧いっこだにせず、空洞となった首の中に左手を突っ込む。透明に近い白濁の粘性液体で構成された全身だ。異様なまでに伸びていく手のうごめさまが見て取れる。


「何を、するつもりだ」


 粘性液体の手が、何かを鷲掴わしづかみにしたように見えた。人の姿で言うなら、ちょうど心臓の位置だ。今度は、握った手を強引に引き戻す。


 粘性液体が、息をするかのような音を立てながら波打つ。首から入った左手が引き抜かれた。その手に握られているもの、間違いなく暗黒エルフの男の人としての心臓だった。異物は用なしということだ。


 黒いもやに浸食された時点で、その機能はそこなわれ、時間をかけて核へと変貌を遂げていく。魔霊鬼ペリノデュエズの格によって異なるものの、中位シャウラダーブであれば三日程度だ。


 ディリニッツの絶妄嘆叫執滅獄ドゥヴロディニダによって核化は防げたものの、この中位シャウラダーブが有する本来の核を破壊しなければならない。


 それはヴェレージャの魔術次第だ。


 核化を妨げられ、用済みとなった心臓を無造作に投げ捨てる。頭部を形成していた粘性液体が身体をい上がってくる。


 そこへヴェレージャの最強魔術たる風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレが襲いかかった。


微塵みじんも残さず、すりつぶしてしまいなさい」


 強大な剣となった風竜が、轟音ごうおんとともに魔霊鬼ペリノデュエズみ込んでいく。すさまじい威力、速度と圧力をもって、瞬時に穿うがつ。


 幅十メルクにも及ぶ風竜剣は、粘性液体の存在を一切許さない。


 液体が次々と蒸発していく。狙いは粘性液体などではない。魔霊鬼ペリノデュエズを、魔霊鬼ペリノデュエズたらしめる核だ。核を破壊できなければ、いくら粘性液体を蒸発させたとしても、全てが徒労とろうに終わる。


 シュリシェヒリの目を持たないヴェレージャにもディリニッツにも、正確な核の位置はもちろん、数も分からない。だからこその全身すり潰しなのだ。


 ヴェレージャの渾身こんしんの一撃、風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレは、刹那せつな的な威力で敵を殲滅せんめつする魔術であり、持続時間は限りなく短い。


 まもなく、風竜が自然の風にかえる。その時になって、なおも魔霊鬼ペリノデュエズが生存できていたなら、この戦いはヴェレージャたちの敗北に終わる。


 ヴェレージャの身体がわずかにふらついた。


「倒せたのか」


 ディリニッツが影にもぐり、ヴェレージャのそばに移動、再び地上に出て彼女の身体を支えている。


「そのはずよ。中位シャウラダーブとはいえ、私の魔力のほぼ全てを使った風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレの直撃を受けて、生存しているとは思えないもの」

「そうだな。倒せていることを願っている」


 風竜剣の威力が減衰げんすい、地表面に近いところから自然の風へと還っていく。最後の風が大地を優しくなでで、そして風竜は消滅した。


 二人が見つめる先、そこには微細びさいなまでに砕かれた核の破片が残されていた。双三角錐そうさんかくすいの原形をとどめたままの核は、見当たらない。粘性液体は全てが蒸発、意思をもって動くものもない。


「終わったわよね。倒せているわよね」


 ヴェレージャはそれでも半信半疑だ。核を破壊することで魔霊鬼ペリノデュエズを倒せる、という事実は知っていても、二人はこれが初の魔霊鬼ペリノデュエズとの戦闘なのだ。


「恐らくな。この状態から復活でもしようものなら、もはや勝ち目などない」


 二人の危惧きぐは、杞憂きゆうに終わった。


 魔霊鬼ペリノデュエズが復活する気配はない。全ての核を砕いたということなのだろう。それゆえに、この魔霊鬼ペリノデュエズに核が幾つあったかは分からずじまいだった。


「これが魔霊鬼ペリノデュエズ中位シャウラダーブなのよね。完全体とは言いがたいのよね。あの男と同化しないままで、この強さよ。常軌じょうきいっしているわ」


 ヴェレージャもディリニッツも、中位シャウラダーブ一体、それも同化前の魔霊鬼ペリノデュエズを相手に最上級魔術の行使を余儀よぎなくされている。


 完全体の中位シャウラダーブが複数、あるいは格上の高位ルデラリズを前にして戦力になりうるのか。その前に、立ち向かえるのか。戦って、初めて痛感させられたのだ。


「このままでは駄目だな。魔術で勝負するとして、さらなる奥の手を持たねば足手纏あしでまといになるだけだ」


 ディリニッツの真剣な言葉に、深くうなづくヴェレージャだった。

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