第125話:依代と化す男

 暗黒エルフの男は左手を心臓の真上に持ち上げた。最後に残された力で、手にしたそれを握りつぶそうとしている。


 漆黒に染まった双三角錐そうさんかくすいの結晶体だ。禍々まがまがしい気に満ちあふれている。


≪奴を止めろ、ヴェレージャ。させるな≫


 ディリニッツから焦燥感にられた最大の警告が届く。エレニディールなら即座に見抜けただろう。


 ヴェレージャもディリニッツも、双三角錐の結晶体の正体を知らないのだ。れ出た禍々しい気から、即座に放置すべきものではないと判断したことはめられるべきだ。


 ヴェレージャは大きく飛び退くと、男の左手を切断すべくまとった風を鋭利なやいばに変え、すぐさま空に走らせる。


「間に合って」


 ヴェレージャの祈りが通じたか、風の刃が暗黒エルフの手首を音もなくり落とす。あまりの鋭利さに、血も吹き出ない。


 男の顔がわずかに持ち上がる。互いに視線が絡み合う。


 確かに見たのだ。男が、勝利を確信した笑みを浮かべたことを。


「まさか、わざと、切断させたというの」


 双三角錐の結晶体を握り締めたままの手首が、心臓の真上に落ちる。刹那、結晶体が粉々に砕け散った。


「我を食らうがよい。我が主のために」


 最後の言葉を残し、男の全身が脱力した。


 結晶体の中から溢れ出した黒いもやが、ゆっくりと心臓内部へと溶け込んでいく。動かないはずの男の身体が、幾度となく大きくねる。


 ヴェレージャはその様子を目の当たりにして動けない。動きたくとも、動けないのだ。


≪ヴェレージャ、何をほうけている。奴を滅ぼせ。風では駄目だ。炎で焼き尽くせ≫

≪無理よ。私が火炎系を苦手としているのは知っているでしょう≫


 焦燥に焦燥で返す。ディリニッツもヴェレージャも、高度な魔術を行使する。その中で、得意系統と不得意系統があるのは仕方がないだろう。


 ディリニッツが光系魔術や精霊魔術を苦手とするように、ヴェレージャもまた火炎系魔術を苦手としているのだ。


≪どうするのよ、ディリニッツ。何かできることはないの≫


 あせれば焦るほど、良案は浮かばない。二人ともに行き詰まっている。


 その間にも黒い靄は広がり、男の全身を包み込むに至っている。靄のうごめきは、まるで意思を備えているかのようだ。


≪まずい。禍々しい気が心臓部分に集中している。間違いない。こいつは魔霊鬼ペリノデュエズだ≫


 ヴェレージャは言葉が出ない。靄のうごめきが止まると同時、心臓部分から徐々に靄が引き始め、代わりに薄い粘性液体に覆われていく。まさに男の身体を作り変えている最中さなかなのだ。


≪魔力を気にしている余裕はないぞ。完全体になる前に、ここで仕留める≫


 ディリニッツは覚悟を決めた。操影術では、魔霊鬼ペリノデュエズの動きを封じられるかもしれないが、倒すまでには至らない。強力な魔術をもって破壊するしかない。


 影にもぐったままでは到底不可能だ。地上に姿を見せた瞬間、クヌエリューゾに気取けどられるだろう。やむを得ない。


≪分かったわ。やるしかないわね≫


 ディリニッツが影から出る。暗黒エルフの男を中心に、対称位置に立つ二人が詠唱に入った。


 完全詠唱の時間はない。刻一刻と魔霊鬼ペリノデュエズの変態が終わろうとしている。


 暗黒エルフの男は、自らを依代よりしろとすることもいとわず、魔霊鬼ペリノデュエズかせたのだ。この男が躊躇ちゅうちょせず実行した事実を見れば、他の三人の取り巻きも同じことをするに違いない。


 魔霊鬼ペリノデュエズ四体、里を壊滅させるに十分すぎるほどの戦力だ。この一体だけは、何としてでもここで倒しておくべき。二人の共通認識だった。


「レグー・アレノウ・ルジェヴィレー

 シスリオ・レミティー・フィニ・エピシヴィエ

 万物ばんぶつ一切ちりとなす偉大なる風竜神アラネモドゥスン

 天よりおんくだり来たりて我が剣となりたまえ」


 ヴェレージャが有する最大の魔術だ。彼女の力をもってしても、短節詠唱では完全詠唱に比べて、半分程度の威力しか発揮できない。


「それで十分よ。私の最上級魔術、全身で浴びるがよいわ」


 ディリニッツも、最も得意とする闇系魔術の展開に入っている。


「ダーヴ・ルーブ・ドルウ・ディーリ

 ラドゥ・ダ=ルヴリオ

 ち果てし腐界サロプスアンの底の亡者もうじゃどもよ

 そこなわれて戻らぬ肉と血の痛み

 でて悲嘆ひたんの声を響かせよ」


 二人の短節詠唱が成就じょうじゅする。ともに最上級魔術だ。


 ヴェレージャのそれは敵を完全に駆逐するための直接攻撃、対するディリニッツのそれは敵の動きを封じつつ、精神的に内部から破壊する間接攻撃だ。相克そうこくを起こす心配もない。


 風系を得意とするヴェレージャと、闇系を得意とするディリニッツ、十二将として互いを知り尽くしている二人だからこそ可能となる連携魔術だ。


 暗黒エルフの男は、いや全身が粘性液体で構築された今、だった男、と言った方が相応ふさしい、立ち上がり、両手を持ち上げつつあった。


 そのたびに、透明に近い白濁はくだくの粘性液体が大地にしたたり落ち、白煙を上げている。


「先手は任せろ。奴の動きを封じる」


 集中状態のヴェレージャにもディリニッツの声は届いたのだろう。首を縦に振り、了承の返事とする。


絶妄嘆叫執滅獄ドゥヴロディニダ


 粘性液体をばらきながら、ヴェレージャに向かって一歩ずつ、遅々ちちと進んでいく魔霊鬼ペリノデュエズの動きが止まった。


 取り囲むようにして、灰黒色かいこくしょく朧影おぼろかげと化した亡者が地下より次々とき上がってきたからだ。その数、八体だ。


 ディリニッツが持つ闇系最強の魔術は、肉体も血も失った亡者を使役する、操影術そうえいじゅつと組み合わせた固有魔術だ。


 死して魂は混沌にかえるものの、肉体と血はくさり、朽ち果てる。亡者たちは、その悲嘆を気が済むまで叫び続け、終われば再び地に戻る。


 この間、術者のディリニッツでさえ亡者の制御は不能となる。まさに諸刃もろはつるぎ的魔術なのだ。


 実体を持たない朧影が、魔霊鬼ペリノデュエズを取り囲む。動きを止めた魔霊鬼ペリノデュエズが、鬱陶うっとうしいものでも見るように、八体それぞれに視線を向けていく。


 人ならば、絶対あり得ない動作だ。正面の朧影を見つめ、そこから右回りに首を一回転、再びもとの位置に戻ってくる。緩慢かんまんな動きで、両手をかかげる。


 目標も定めないで、ただ無造作に振り下ろす。両手を構成する粘性液体が、分裂する。数は把握できているようだ。むちのごとく、しなった八筋の粘性液体が亡者を次々と打ちつけていく。


 亡者は朧影だ。粘性液体の鞭は何ら効果を生み出せず、むなしくすり抜けていき、勢いのままに大地を激しく打擲ちょうちゃくする。何度、繰り返そうとも同じことだ。


 そのたびに白煙が生じ、異臭が周囲に立ち込める。ディリニッツが呼び出した亡者に実体は存在しない。実体なきものに対して、いくら物理攻撃を加えようとも効果がないのは明白だ。


 揺れ、揺られ、かき消されたかのように見えても、実体を持たない亡者はもとの状態へと構成されていく。彼らが満足するまで、決して消えることはない。


「ヴェレージャ、仕上げは頼むぞ」


 亡者による悲嘆の咆哮アンデムノンは、特定の対象者にのみ効果を発揮する。物理防御も魔術防御も不可能だ。いかなる結界をも通り抜ける。直接、対象者の精神に作用、破壊してしまう恐ろしい咆哮なのだ。


魔霊鬼ペリノデュエズ本体にどこまで効果があるかは未知だ。完全に同化できていない今ならば、依代よりしろは確実に破壊できるだろう」


 ディリニッツの狙いは、あくまでも依代となった暗黒エルフの男だ。魔霊鬼ペリノデュエズは、同化してしまうまでに倒すのが最善だ。だからこそのシュリシェヒリの目なのだ。


 ディリニッツはその目を有していない。シュリシェヒリの里で、レスティーから授かる選択肢もあった。彼はクヌエリューゾを倒す使命を優先した。それゆえに知識しか持っていない。


 彼は知識と想像、その二つだけで的確に魔霊鬼ペリノデュエズの本質を見抜きつつある。


 八体の亡者が、悲嘆の咆哮アンデムノンをいっせいに吐き出した。朧影のいったいどこからこれほどまでの咆哮がとどろくのか。魔霊鬼ペリノデュエズは逃げ場を完全に失っている。


 八体の亡者は、やみくもに出現したわけではないのだ。亡者たちの位置するところを見れば、一目瞭然いちもくりょうぜんだろう。


「お前に逃げ場など与えるはずもなかろう。八芒星はちぼうせいの中で、すみやかに滅びるがよい」


 八芒星の中心に立つ魔霊鬼ペリノデュエズに、なすすべはない。


 むやみやたらに粘性液体をばら撒き、鞭状にして打擲ちょうちゃくし続けるも、無駄な攻撃でしかなかった。

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