第197話:二千余年の生涯に悔いなし

 坑道出口の封印をき放ち、ようやく永久凍土に満たされた谷底に到達した。


 一行が目にしたのは、地形のいびつさ、そこから受ける強烈な寒さ、魔霊鬼ペリノデュエズの姿などではない。


 空をも貫いて天頂まで果てなく伸びる粒子路エネイエスだった。


 等しく皆が見上げる中、ただ一人、トゥウェルテナだけが微動だにしなかった。呼びかけられたのだ。


 粒子路エネイエスの中に金色の輝きが見える。輝きは微笑む二人の姿を明瞭めいりょうに映し出している。


 他の者には見えていないのか。気づいているのはトゥウェルテナだけだ。


「ああ、カイラジェーネ、エトリティア、ようやく出会えたのね」


 涙と言葉が自然とあふれ出る。二人の思いがトゥウェルテナの心の中に浸透してきた。


≪トゥウェルテナ、有り難う。リティとまた巡り合えたわ。これも貴女のお陰よ。貴女の美しい舞いに心を奪われた甲斐かいがあったというものね。感謝しているわ≫


 カイラジェーネの声が響いてくる。言葉の端々はしばしから気持ちが伝わってくる。


≪砂漠の民を託したわよ。貴女なら、きっとできると信じているわ。もしも貴女に何かあった時は、必ず私たち二人が力になるわ。そばにいることはできないけど、遠くからずっと見守っているから。貴女の幸せを心から願っているわ≫


 カイラジェーネに続いて、エトリティアのいつくしみの心が強く伝わってきた。二人が見せる心からの笑みは、気持ちをおだやかにさせてくれる。


 金色のきらめきを放つ二人の姿が、次第に一つに溶け合っていく。


≪砂漠の民は私に任せて。二度とこのような不幸が起きないように頑張るから≫


 二人がうなづいたように見えた。融合した二人の姿が改めて分離、強烈な輝きとともに、今一度寄り添い、別々の方向へと飛び立っていく。


≪さようなら、エトリティア、カイラジェーネ。私、貴女たちの分まで頑張るから。そして、幸せになってみせるから≫


 そして、光が爆散した。


 あまりのまぶしさに、皆は両手で目をおおっている。わずか十メレビルにも満たない出来事は、心を奪うに十分すぎる光景だった。


 光と輝きが消え去った後も、トゥウェルテナは呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。さびしそうにしているその肩に、セルアシェルが優しく手をかける。


「お別れは無事に済んだの、トゥウェルテナ」


 十二将内で、セルアシェルとトゥウェルテナはとりわけ仲がよい。セルアシェルはカイラジェーネとの戦いで、ほとんど役に立てなかったことをやみ、また恥ずかしくも思っていた。


 突き抜けた感のある十二将だ。二人は比較的、無難ぶなんな強さしか持ち合わせていない。だからこそ、共に過ごす時間も多く、お互いを気遣きづかい合う関係が築けているのだ。


「ええ、みんなのお陰で済ませることができたわよ。セルアシェル、いつも気遣ってくれて有り難う」


 ようやくトゥウェルテナらしさが戻ってきたか。振り返って見せる笑みにうれいはなかった。


 少し離れたところから見守るヴェレージャやディリニッツたちも、一様に安堵している。


「何とか谷底まで辿たどり着けたな。上にいる仲間たちも、まもなく下りてくるだろう。この程度の寒さだ。影響も思った以上にないな」


 谷底は永久凍土だ。周囲の岩石にまで分厚ぶあつい氷がまとわりつき、極めて低い温度を維持し続けている。


 寒さが苦手な者にとっては、こくな環境なのは間違いない。その中で、エランセージュだけが快適さを享受きょうじゅしている。


「エランセージュ、寒くはないの。貴女のことだから、慣れているのでしょうが」


 ヴェレージャも本気で心配しているわけではない。寒冷地育ちのエランセージュが寒さに強いのは、十二将の間で周知の事実だ。


 普段は分厚く着込み、顔の一部を除いて一切肌を見せない彼女が上着を脱いでいる。上着の下はかなりの薄着だ。美しい肌が透けて見えている。いささか目のやり場に困る状況でもあった。


「あらあ、エランセージュ、珍しいわね。でもお、これはちょっと反則かしらねえ」


 目敏めざとく見つけたトゥウェルテナが、早速からみ始める。エランセージュは恥ずかしげに、慌ててヴェレージャの後ろに隠れる。


 からかい半分、同じ女として嫉妬半分といったところか。これもまた十二将の日常茶飯事、誰も気にしていない。


 嫌がるセルアシェルの腕を引っ張りながら、トゥウェルテナはエランセージュの薄着の上から、その透明感溢れる肌を凝視、何かにつけてさわろうとしている。


 トゥウェルテナとエランセージュは、生まれも育ちも好対照の二人だ。まさしく火と水、正反対すぎて合わないと思いきや、意外に相性がよかったりする。


 ここが人の摩訶不思議なところでもある。


 戦場とは思えないほどに和気藹々わきあいあいとしている。その様子を感慨深く眺めつつ、坑道出口に陣取る一同から遠慮がちに声がかかった。


「ご談義中にかたじけない。我らの先導はここまでとなります。お役に立てず、恥ずかしい限りです。皆様方を見て、この時代も捨てたものではないと実感いたしました。戦いはここから苛烈かれつさを増すでしょう。ご武運を願っております」


 ギリエンデスを先頭に、死霊の軍団が整然と居並んでいる。既に彼らの姿は透明度を増しながら薄れていっている。


「ギリエンデス殿、私たちこそ感謝しています。伝説の魔人族たる貴方たちに出会え、共に戦えたことは誇りです。時間さえ許されるなら、ゆっくり語り合いたかった。その思いでいっぱいです」


 感謝の気持ちを伝えるヴェレージャに続いて、ディリニッツが言葉を発する。


「ここまでと言わず、この先も共に戦えないのでしょうか。魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いには、貴方たちが有するその目が必要なのです」


 ディリニッツの思いは切実だ。


 中位シャウラダーブでも、より高位ルデラリズに近い魔霊鬼ペリノデュエズなら擬態ぎたいをはじめとした様々な特殊能力を有している。


 さらに戦いが激化していく中、魔霊鬼ペリノデュエズの正体を見抜き、核をも見つけ出せる目があるとないとでは、大きく戦況を変えてしまう。それほどまでに重要なものなのだ。


 坑道組には、この目を有する者は一人もいない。それが現実だ。


「貴殿のお言葉は我らにとって望外ぼうがいの喜びです。しかしながら、我が心の主よりおおせつかった使命は坑道出口まで。残念ながら、ここでお別れとなります。我らも混沌にかえる時が来たのです」


 それ以上の言葉は必要なかった。かなわぬ望みだと承知したからだ。


 互いの思いを刻み込み、見つめ合う。自然と胸が熱くなっていく。


「ギリエンデス殿、身体が」


 見つめる者たちの声が重なる。ギリエンデスの全身が、死霊団の一群が金色の光にゆっくりと包まれていく。


「お別れです」


≪ギリエンデス、よくぞ最後の使命を果たしてくれた。刻は満ちた。そなたを解放する。配下の者たちも同様にだ。混沌に還るがよい≫


 レスティーの言葉がみ渡っていく。ギリエンデスは涙をこらえきれなかった。


 ギリエンデスを中心にして、粒子路エネイエスが立ち上がった。カイラジェーネとエトリティアを還した時とは異なる粒子路エネイエスだ。


 白氷シュヴランジュ黒炎ノムフレルの色彩が創り上げたものではない。粒子路エネイエスそのものが金色に染まっている。


 死霊の軍団が粒子路エネイエスと同化していく。一人残ったギリエンデスは、見送る者たちに深々と頭を下げる。


「ギリエンデス殿、別れの言葉はあえて言いません。いつかまたどこかでお会いできると確信しています。それまで安らかに」


 皆の気持ちを代弁したのはディリニッツだ。


 ギリエンデスの身体も仮初のもの、姿がゆっくりと薄れ、粒子路エネイエスへと溶け込んでいく。


≪我が二千余年の生涯に悔いはございません。我が心の主レスティー様、貴男様に最大限の感謝を捧げます≫

≪ギリエンデス、これまで大儀であった。安らかに眠るがよい≫


 金色に輝くギリエンデスの姿が完全に粒子路エネイエスと一体化した。


≪Menre-kaaosen ymupyrin poaljusen.≫


 粒子路エネイエスそのものが凄まじい速度をもって天頂へと翔けていく。


 さながら彗星のごとく、盛大に光の尾を散らしながら、瞬く間に視界から消え去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る