【2周年読み切り】兄弟となる二人 後編

 辺り一面が闇に包まれている。光など、どこにもえない。それでもくじけず、必死に手探りしながら生き抜いてきた。ザガルドアも、ファルディオと名乗り続けたイプセミッシュも、今やたくましい青年へと成長をげている。


 この十年間、苦楽を共にしたザガルドアを長兄とする少年警護団の四人もそろって強くなっている。


 ダルタス、ベネレイド、ミルジェリオは、ザガルドアの三銃士とさえ呼ばれるほどに武器の扱いがたくみだ。


 紅一点たるシェルラはただ一人、魔術適性があった。とりわけ水氷魔術にけ、師事さえできたならば、ひとかどの魔術師になれたに違いない。残念ながら、この環境がそれを許さなかった。


「いよいよだな。そして、仮初かりそめの名、ファルディオともここでお別れだ。イプセミッシュ、お前をゼンディニアの第一王子として王宮まで連れて行く。俺たち五人で必ずな」


 今にも泣き出しそうなイプセミッシュを見つめ、ザガルドアはため息混じりに言葉を吐き出す。


「全くお前は相変わらずだな。だが、今は泣くなよ。泣くべき場所はここじゃないんだ。お前には、俺たちと違って帰る場所がある。そうだろ」


 イプセミッシュを除く、誰もが大きくうなづいている。彼らは等しく知っている。イプセミッシュの父がゼンディニアをべる国王であり、掛け替えのないたった一人の肉親であり、そして最愛の者であることを。


 ザガルドアをはじめ、ここにいる者は両親の顔さえ知らない。だからこそ、両親の愛を知るイプセミッシュを必ず生きて連れ帰ると固く誓っているのだ。


「この十年、本当にお前たちには世話になった。改めて心から礼を言うぞ。ダルタス、ベネレイド、ミルジェリオ、シェルラ、そしてザガルドア、俺が王宮に戻っても、お前たちとの兄弟のきずなは決して切れない。それだけは約束する」


 簡素な鎧を着込んだイプセミッシュの胸をダルタス、ベネレイド、ミルジェリオの三銃士が握りこぶし小突こついていく。


「イプセミッシュ、俺たちとの約束、忘れんなよ。楽しみにしてるんだぜ」


 三人は満面の笑みを見せ、イプセミッシュの返事を待つまでもなく離れていく。次はシェルラの番だ。


「イプセミッシュ、この十年、よく頑張ったわね。でも、本番はこれからよ。王宮に辿たどり着くまで決して油断しないで」


 十年前、初めて出逢った時と同じだ。握手を交わし、シェルラもまた離れていく。


「イプセミッシュ、意識のないお前をあのごみ捨て場でこいつらが見つけ、すぐさま俺を呼びに来た。それ自体が俺たちの運命だったんだ。お前と俺たちは出逢うべくして出逢った。兄弟となって十年だ。いろいろあったが楽しかった。お前の本当の人生はここから始まる。俺たちがその一部になれて嬉しいぞ」


 ザガルドアの言葉を受けて、また泣き出しそうになる。イプセミッシュは必死に涙をこらえ、わずかにかすむ目でザガルドアを直視する。


「ああ、強い目だ。出逢った時から全く変わらない。俺もまたザガルドアをはじめ、お前たちにきつけられた。まさしく運命だったな。俺は必ず生きて王宮に戻る。戻った暁には、お前たちを俺の臣下に取り立ててやる。散々にこき使ってやるからな」


 普段、冗談の一つも言わない真面目一辺倒のイプセミッシュの言葉に、誰もが一瞬呆気あっけに取られている。それは張り詰めた緊張をわららげるためだったのだろう。突然に弾けた皆の笑いが、心を少しばかりおだやかにしてくれた。


「よし、準備しろ。この夜陰やいんまぎれて王宮まで一直線に進むぞ」




 イプセミッシュが現体制派の反対勢力、すなわちイプセミッシュを頂点とする王位奪還派の貴族たちの協力を得て、六人は秘密裏に開発していた地下通路を通り抜け、ようやく王都ポルヴァートゥの守護門こと建国門の前に立っていた。


 ここに至るまで、まさしく激戦続きだった。継母ままはは三人を中心にした現体制派が送りこんできた数多あまたの刺客によって、多くの者たちが命を散らしていった。


 ザガルドアの遊軍も、ほぼ壊滅状態に陥っている。死なずとも、負傷して動けない者が続出している。


 そんな中で、ザガルドア、イプセミッシュ、シェルラに三銃士も、ある程度の負傷は避けられないものの、いまだ健在だ。ザガルドアが剣を握る右手に力をめる。


「ようやく王宮が見えてきたな。お前たち、ここからが真の意味での正念場だ。一瞬たりとも気を緩めるなよ」


 息を整えたザガルドアが改めてかつを入れ直す。


「イプセミッシュ、ここからどう進むべきだ。王都には抜け道が張り巡らされていると聞くが、間違いなく待ち伏せされているだろう。あえて死地に飛びこんでみるか、あるいは王宮まで最短で突っ走るか」


 どちらにせよ戦闘は避けられない。しかも、王都にはこれまで倒してきた戦力とは比べようもないほどに強力な手練てだれが待ち受けているに違いない。


 正規の訓練を受けた重装備の騎士に魔術師といった、一筋縄ではいかない連中が虎視眈々こしたんたんと罠にかかるのを待ち構えているのだ。


「あの地下通路で待ち伏せを受けたのは、紛れもなく内通者がいたからだ。ここでも同じだろう。戦闘必至の現状、小細工は無用だ。一直線に王宮まで突っ走る」


 イプセミッシュの冷静な言葉を受け、ザガルドアは場違いにも笑い出してしまう。


「はっ、お前のことだ。そう言うだろうと思っていたぜ。いいだろう。乗ってやるよ」


 ザガルドアがイプセミッシュを、そしてここまで共に突き進んできたダルタス、ベネレイド、ミルジェリオの三銃士を、そしていとしいシェルラを見つめる。


「三銃士、先頭を行け。シェルラはその後ろだ。それからイプセミッシュ、お前だ。俺が殿しんがりを務める。文句は受けつけんぞ」


 ダルタス、ベネレイド、ミルジェリオがそれぞれの獲物を握り直し、シェルラもまた魔術杖まじゅつじょうをしっかりと両手で握りしめる。


「問題はこの馬鹿でかい門だな。俺たちを安全に招き入れてくれるなど、あり得んだろうしな」


 そのつぶやきが天にまで届いたのだろうか。巨大かつ荘厳な建国門が音もなく静かに開いていく。まるでザガルドアたちを歓迎しているかのようでもあった。


「おいおい、これはどういうことだ。まさか俺たちを歓迎してくれているとでも」


 半信半疑のザガルドアが躊躇ためらいを見せている。さすがに都合がよすぎる。姿を現した途端に王都を守る門が勝手に開いたのだ。罠と考えてしかるべきだろう。


「ザガルドア、もはやこの期に及んでは、罠だろうと何だろうと全てつぶして、前に進むだけだ。迷いはすきを生む。だから迷うな。日頃からお前が口をっぱくして言っていることだぞ」


 ザガルドアは感慨深げにイプセミッシュを見つめ、心の想いをそのまま吐き出す。


「弟に説教されるとはな。兄としてまらないぜ。ああ、イプセミッシュ、お前の言うとおりだ。今この瞬間、迷いは捨てた。何が待ち受けていようと全て斬り伏せる。行くぞ、お前ら」


 ザガルドアの言葉を合図に、三銃士を先頭にして一斉に駆け出した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 王宮に辿たどり着くまでに、いったいどれほどの討手うって退しりぞけてきただろう。もはや数えるのはあきらめている。それほどまでの猛攻にさらされ続け、何とか耐えしのいできた。


 結果として、ザガルドアたちは満身創痍まんしんそういの状態を余儀なくされている。ザガルドアたちが身につけている鎧など、ゼンディニアの騎士たちがまとうそれに比べれば紙程度のものだ。耐久性など、ないに等しい。


 ザガルドアはイプセミッシュを、そしてシェルラを守りながら戦ってきたせいか、他の者たちに比べて傷の度合いがひどい。両腕、両脚からの出血はもちろんのこと、特に背中に受けた裂傷がザガルドアの体力を奪いつつある。


「ザガルドア、もういい。シェルラと共に退いてくれ。ここからは俺一人で玉座まで向かう。これ以上、お前たちが傷つくのを」


 イプセミッシュに最後まで言わせるザガルドアではない。


「馬鹿野郎、何度も同じことを言わせんじゃねえよ。俺はお前の兄貴だぞ。どこの世界に弟を見捨てる兄貴がいるんだよ。ふざけたこと、二度と言うんじゃねえぞ」


 肩で苦しそうに息をしながらザガルドアが怒鳴っている。言葉は乱暴だ。その中にザガルドアの優しさがにじみ出ている。イプセミッシュは天をあおぎつつ、大きく息を吐き出した。


 僅かの気の緩みも許してくれない。敵もしたたかだ。確実にイプセミッシュを殺害する。目的を達成してこそなのだ。手段がどうこう言っている場合ではない。


 突如、玉座へと向かう一本道の通路に魔力が弾けた。感知できたのはシェルラだけだった。


「魔術が来る。逃げて」


 大声で叫ぶも、既に遅すぎる。


 魔術師は物陰に身をひそめながら詠唱を成就じょうじゅさせている。生じた隙を逃すことなく、即座に解き放ったのだ。


 襲い来たるは風刃ふうじん、それもかたまりとなって四方八方より迫る。狭小空間で行使するような魔術ではない。周囲にいる者全てをなりふり構わずに殺害する。明確な意図をもって放たれた魔術だった。


「お前たちはせろ」


 ダルタスがザガルドアを、ベネレイドがイプセミッシュを、ミルジェリオがシェルラをそれぞれ押し倒し、自らがたてとなって立ちはだかる。


 隙間を作らないよう三銃士が一塊ひとかたまりとなったところへ、豪速で風刃が容赦なく襲いかかった。うなりを上げて突き進む風刃の塊を前にしては、魔術師でもない三銃士にあらがすべなど皆無だ。


 三銃士の血飛沫ちしぶきが盛大に舞い散る中、大気を激しく揺さぶっていた風刃が次第に効力を失い、自然の風へとかえっていく。


「ダルタス、ベネレイド、ミルジェリオ」


 それぞれが己をかばった者の名を叫ぶ。それはまさしく咆哮ほうこうでもあった。比して、三銃士は決して態勢を崩さず、ましてや苦悶くもんの声すらあげずに楯となり続けた。


 ダルタスとミルジェリオが遂に倒れこむ。最後まで立っていたベネレイドが最後の力を振り絞り、勝利を確信したかのごとく姿を見せた魔術師に向けて、決して離さなかった長槍を投擲とうてきする。


 それが限界だった。力尽きたベネレイドは始末を見届けることもなく、うつ伏せとなって自らの全身から溢れ出す血の海に沈んでいった。


「ベネレイド」


 イプセミッシュの悲痛な叫びも、もはやベネレイドには届かない。長槍を投擲した時点で既に事切こときれていたのだ。


「ザ、ザガルドア、俺たちは、ここまでのようだ。イプセミッシュを、必ず、必ず、頼んだ、ぞ」


 ダルタスがかすんでいく瞳でザガルドアを見つめ、想いを託す。安堵の笑みを浮かべてみせたダルタスも、ここで若い命を散らした。全身血まみれになりながらも、なぜか死に顔は安らかだった。


「ダルタス、目を開けろ。こんなところで死ぬんじゃねえ。お前は、三銃士はここでイプセミッシュの臣下になるんだろ。寝てる場合じゃねえぞ」


 シェルラがザガルドアの肩に手を置き、子供をあやすようにささやく。


「ザガルドア」


 何だよ、とばかりに視線を向けてくるザガルドアに、シェルラはただただ黙して、首を横に振るだけだった。


「イプセミッシュ、無事で、よかったぜ。お、お前は、俺たちの、光だ。絶対、死ぬ、なよ」


 ミルジェリオもまたその言葉を残し、イプセミッシュの腕の中で最後を迎えた。イプセミッシュの慟哭どうこくが通路を揺さ振らんばかりに響き渡る。


「ダルタス、ベネレイド、ミルジェリオ、俺のせいで、俺のせいで、お前たちを死なせてしまった。お前たちのこれからの人生を俺が」


 何とか立ち上がったザガルドアが冷酷なまでに静かに告げる。


「イプセミッシュ、立て。死者に用はない。行くぞ」


 珍しく激情にられたイプセミッシュがザガルドアに突っかかっていく。


「ザガルドア、三銃士は俺たちを庇って死んでいったんだぞ。そんな言い方はないだろ。お前には人の心が」


 そこでイプセミッシュは口をつぐまざるを得なかった。ザガルドアは必死にくちびるを嚙みしめ、そして両拳を強すぎるほどに握りしめている。


 そこかしこから出血しているザガルドアだ。それでもイプセミッシュにははっきりと分かった。噛みしめた唇から、握りしめた両拳から新たに出血している。


「ザガルドア、お前は。ああ、わかった。事が全て片づいたら、三銃士を丁重に葬ってやろう。だから、ダルタス、ベネレイド、ミルジェリオ、今は許してくれ」



 とうとう三人になってしまった。


「ここから玉座の間までどれぐらいだ」


 剣を持つ手が重い。身体中から出血している。痛みで今にも意識が飛びそうだ。ザガルドアは何とか歯を食いしばって、イプセミッシュに尋ねる。


「玉座は最上階だ。どれほど急いだとしても十メレビルはかかる。しかも、俺たちの体力も限界に近づいている」


 言われずとも分かっている。三人とも既に限界を迎えている。最も動けるであろうイプセミッシュでさえ、立っているのがやっとという状況なのだ。


「上等だ。この程度の死線、これまでに何度もくぐり抜けてきてるんだ。俺たちならできる。このまま一気に行くぞ」


 今のザガルドアを支えているのは、イプセミッシュを無事に玉座まで届けるという想い、そしてシェルラだけは絶対に守り抜くという想いだけだ。己の生死など二の次、それが長兄として成すべきことだ。


(あきらめてたまるか。ここで諦めたら全てが台無しだ。何が何でもイプセミッシュを送り届け、シェルラと俺は、いや余計なことは考えるな)


「ザガルドア」


 前に進もうと歩を踏み出した途端にふらつき、倒れかけるザガルドアをシェルラがすんでのところで受け止める。


「無理をしないで。少し休もう。イプセミッシュ、それでいいでしょ」


 休んだところで回復の余地はない。むしろ、休んだことにより、相手方に戦力を整えさせてしまう。イプセミッシュは葛藤しながらも、訴えかけてくるシェルラの強い瞳にはあらがえない。


「あ、ああ、シェルラの言うとおりだ。玉座の間は目前だ。少し休んだところで」


 即座に否定の言葉が返ってくる。


「そんな暇などない。相手に余裕を与えてどうするんだ。シェルラ、お前の気持ちは嬉しい。だが、駄目だ。進むぞ」


 突然、シェルラがしゃがみこむと同時、胃の中のものを吐き出してしまった。あまりの急変にザガルドアもひざを落とし、心配そうにシェルラの背をゆっくりとでる。


「シェルラ、大丈夫か。緊張しすぎたか。済まない、お前に気をつかってやれなくて」


 優しく背をさするザガルドアに、シェルラはまるで非難するかのような目を向けてくる。訳の分からないザガルドアは戸惑うばかり、その異変の正体にイプセミッシュだけが勘づく。


(いや、緊張などではない。シェルラ、まさかお前)


「ザガルドア、シェルラは俺たち以上に限界が来ている。彼女のためにも、ここに置いていくべきだ。それに何よりシェルラの」


 てつくような視線に射貫いぬかれ、イプセミッシュは言葉を完全に封じられてしまった。


「イプセミッシュ」


 言外に告げてくる。それ以上、余計なことを口にすれば、たとえお前でも殺すと。生唾なまつばみこんだイプセミッシュは、渋々ながらも頷くしかできなかった。


「何やってんだ、お前ら。相変わらず仲が悪いな。まあいい。ところで、シェルラ、あとどれぐらい魔力が残ってる」


 ここから先はたった三人で切りひらいていくしかない。ザガルドアもイプセミッシュも余力など残っていないも当然だ。剣を持つ力さえも弱まっている。


 この土壇場に来て、何とも情けない限りだ。ザガルドアもイプセミッシュも忸怩じくじたる想いを抱えながら、シェルラの魔術に頼らざるを得ない状況なのだ。


「シェルラ、本当に済まない。最後の最後まで、お前に迷惑をかける」


 イプセミッシュが深々と頭を下げてくる。シェルラは一瞥いちべつしただけだ。


「勘違いしないで。私が行動を共にしているのはザガルドアのためよ。だから、イプセミッシュが気にする必要などないわ」


 初めて出逢った頃からシェルラに対する印象は変わっていない。まさしく、闇の中でも輝きを失わずに咲き誇るりんとした華だった。華は十年経って、さらに美しさにみがきがかかっている。


 ザガルドアの恋人でもあり、許嫁いいなずけでもある華を、こんなところで散らすわけにはいかない。だからこそ、シェルラには離脱してほしかった。イプセミッシュは想いを心の中に封じこめ、シェルラを見つめる。


 シェルラもまたイプセミッシュに対して、複雑な想いを抱えながらの十年だった。イプセミッシュが現れるまで、シェルラだけがザガルドアの心の中に住んでいた。その比率が年を追うごとに変わっていく。


 恋人と友人、さらには女と男、その間に差異はあるのだろうか。シェルラとイプセミッシュ、二人に共通点があるとすれば唯一だ。


(ザガルドアの夢をかなえる。その一点でのみ私は協力してきただけよ)




 いよいよ玉座の間の扉が視界に入ってくる。濃密な戦闘を潜り抜け、ようやく目的の場所に辿り着こうとしていた。


「あと少しだ。お前たち、最後まで油断するなよ」


 激戦を繰り広げてきた三人に油断などあるはずもない。


「若様、立派に成長なされましたな。お久しぶりでございます」


 宙から降り注ぐ男の声に、三人は完全に動きを封じられてしまった。直後、甲高い硬質音が響き、空間に亀裂が入っていく。


「魔術転移門」


 シェルラのつぶやきには恐怖心がにじんでいる。魔術転移門はごく一部の優れた魔術師にしか扱えない高度な魔術だ。無論、シェルラには扱えるはずもない。


 亀裂によって切り取られた空間が漆黒に染まっている。その中から男がゆっくりと姿を現す。


「マンドラーゼ、お前がここに来たということは」


 慇懃無礼いんぎんぶれいに頭を下げたマンドラーゼの顔には、うすら笑いが浮かんでいる。


聡明そうめいさは変わりませんな。イプセミッシュ殿下、いや反逆者イプセミッシュ、貴男にはここで死んでいただきます」


 右手人差し指をイプセミッシュに突きつける。既に唇が震え出している。


「来るわよ。私の後ろに下がって」


 シェルラが一歩踏み出し、魔術杖を胸前で構える。シェルラもまた即座に詠唱を開始している。成就はほぼ同時だ。


 マンドラーゼの指先に浮かび上がるは炎熱小球えんねつしょうきゅう、それも一つや二つではない。およそ十に及ぶ数だ。対するシェルラも魔術杖先端に魔力を集中、炎熱小球と同規模の氷結球ひょうけつきゅうを現出させる。


「ほう、小娘にしてはやりますね。では、小手調べといきましょうか」


 二人が魔術を解き放つ。ちょうど二人の中間点、炎熱小球と氷結球が衝突した。炎と氷はほぼ互角、打ち消し合おうと激しい水蒸気を周囲にき散らしていく。


「視界がさえぎられる。気をつけろよ」


 声はすれど、ザガルドアの姿は水蒸気に包まれて全く視認できない。


「初級魔術とはいえ、よく耐えました。めてあげますよ。では、これならどうでしょう」


 

 王宮魔術師の一人たるマンドラーゼは、イプセミッシュの身の回りの一切を取り仕切っていた執事長にして王宮魔術師筆頭リーゲブリッグの一番弟子だ。明らかに余裕をもって対応している。


 シェルラはここまで戦闘続きだった。魔力が既に底をつきかけている。次の攻撃が初級魔術なら、何とかしのげるかもしれない。中級魔術以上となれば、もはや勝ち目はない。


(どうやら、私はここまでのようね)


「ザガルドア、次の魔術が最後になるわ。発動と同時、二人は全速力で玉座の扉まで走って。必ず私が守ってみせるから」


 シェルラは覚悟を決めている。それはザガルドアもイプセミッシュも同様だった。


「マンドラーゼ、武器を捨ててお前のもとへ行く。その代わり、この二人の命は保証しろ」


 下卑げびた笑いを顔中に貼りつけたマンドラーゼが大袈裟おおげさに頷いてみせる。


「よろしいでしょう。私がほしいのは貴男の命です。そこの二人の命になど興味はありません」


 ザガルドアが後ろからめろと叫んでいる。僅かに振り返ったイプセミッシュが寂しげな笑みを浮かべ、首を横に振った。


 その行為は敵を前にして致命的でもある。マンドラーゼがこの絶好の隙を逃すはずもない。両手を突き出し、今にも魔術を解き放たんとしている。


「逃げて、イプセミッシュ」


 シェルラは残された全ての力を籠めて魔術杖を握り直すと、対抗できないと分かっていながらも詠唱に入る。


(炎熱の中級魔術が来る。私には対抗するすべがない。ならば、取るべき手段はただ一つ、己の命を燃やして魔力を限界まで増強する)


 シェルラが行使できるのは初級魔術のみだ。それでは中級魔術を相殺そうさいできない。


「我が命をもってここに願いたてまつ

 氷結ひょうけつを束ねて偉大なる凍楯ウクリイェージュとなし

 いとしき者たちを守護したまえ」


 既に集中状態に入ったシェルラの耳には、ザガルドアとイプセミッシュの叫声きょうせいなど届くはずもない。


「シュレーディ・アグルア・エデ・ナレヴィ・エーレ」


 詠唱は速やかに成就、手にする魔術杖がまばゆいばかりの青藍せいらんの染め抜かれていく。


「命に代えてここに発動せん。水藍凍氷結護壁フォーリオーロワ


 シェルラの生命力をもって底上げされた魔術が解き放たれる。


 水藍凍氷結護壁フォーリオーロワは自身を守るための魔術ではない。術者が真に愛する者を守護するためだけの魔術であり、すなわち己自身を犠牲にしたうえで成り立つ魔術なのだ。


 水藍凍氷結護壁フォーリオーロワによって守護されたザガルドアとイプセミッシュが全速力で駆けていく。二人の振るう剣がマンドラーゼを斬り裂いたところでシェルラの視界は閉ざされた。


 マンドラーゼの行使した炎熱の中級魔術を何の防御もなしに真正面から食らったのだ。豪炎ごうえんに包まれたシェルラがどうなるかは自明の理だろう。



 マンドラーゼを一刀両断で切り捨てたザガルドアだけが慌てて駆け戻ってくる。シェルラと二人きりにしてくれと懇願こんがんした結果だった。


「シェルラ、死ぬな。俺を残してくな。頼む、目を開けてくれ」


 シェルラを抱き起こしたザガルドアが必死に声をかけ続ける。


 あれほどの威力の炎を全身に浴びたのだ。ひどい火傷を負っていると思いきや、なぜか皮膚の表面、僅かに薄皮一枚を焼いた程度でしかない。いや、今はそんなことなどどうでもよい。


「二人は無事なのね。よかった。ザガルドア、お別れよ。私はここまでのようだわ」


 ザガルドアが流す涙を視るのは、いったいいつ以来だろうか。涙がしずくとなってシェルラの頬を濡らしていく。シェルラは残された力で右手を何とか持ち上げ、ザガルドアの頬に触れた。


「ザガルドア、お願いよ。私の命の炎はまもなく消え去るわ。だから、私の最後の息を貴男に吸い取ってほしい。私は貴男の一部になって、ずっと見守り続けるわ」


 頬に触れたシェルラの右手におのが左手を重ね、ザガルドアはゆっくりと顔を近づけていく。


「シェルラ、ああ、これからもずっと一緒だ。俺にとっての女は、お前だけだ」

「嬉しいわ」


 二人の唇が重なり合い、ザガルドアはシェルラの最後になるであろう息を吸い込む。


「ザガルドア、貴男の妻に、なりた、かった」



 シェルラの命の炎は、通路内を満たす恐ろしいほどの冷気と共に消え去っていった。ザガルドアはシェルラを抱きしめたまま微動だにしない。


「シェルラ、俺の中で生き続けろ。俺は絶対にお前を忘れない」


 ゆっくりと別れを惜しむ時間は許されていない。ザガルドアはシェルラの亡骸を静かに床に横たわらせると、丁重にひとみを閉じてやった。


「済まない。全てを片づけたら必ず戻ってくる。シェルラ、それまで休んでいてくれ」


 悲嘆の叫びを胸の中に押し込み、ザガルドアが立ち上がる。



 ようやく戻ってきたザガルドアを見て、イプセミッシュは決断した。何度同じことを言われようとも構わない。


「ザガルドア、これが最後だ。お前はここに残って、シェルラのそばにいてやれ。父上のもとへは俺が一人で行く。既に満身創痍まんしんそういだ。これ以上の出血はお前の命にも関わる」


 突き放すように告げるイプセミッシュに対し、ザガルドアは考えることなく反論した。


「何度同じことを言わせんだよ。イプセミッシュ、俺はお前の兄貴だぞ。弟を放って一人逃げ出すなんざ、死んでもごめんだ。俺たちは兄弟だ。どこまでも一緒に決まってるだろ」


 イプセミッシュは心臓の鼓動の激しさを感じつつ、胸が熱くなって仕方がなかった。この男に、ザガルドアに出逢えて本当によかった。心から実感していた。


(ザガルドア、もはや残ったのはお前だけだ。絶対に死なせるわけにはいかない。そして、お前の夢をかなえることこそが俺の責務だ)


 ザガルドアの夢、それは大それたことに他ならない。


「イプセミッシュ、お前の父さんを助け出し、そして俺たちが生きていたら、俺を王にしてくれよな。永遠に、なんて言わないさ。あの玉座に座る正当な権利があるのはお前だけだ。俺はほんの少しだけ座らせてくれたら満足なんだ」


 ザガルドアが照れ笑いを浮かべている。


「この先、あの掃き溜めのような場所で、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる弱き者を救うために。弱き者が弱き者として虐げられない世界を作るために。俺はそのために生きていきたい」


 その言葉を聞いて、イプセミッシュは思わず涙がこぼれそうになっていた。



「ああ、もちろんだ。さあ共に行こう、兄貴。ここで必ず決着をつける」





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 【2周年読み切り】5作、いかがでしたでしょうか。


 【1周年読み切り】も5作でしたが、全くテイストが異なってしまいました。


 1周年は5作とも主要キャラが異なっていましたが、2周年はイプセミッシュとザガルドアの二人だけという極端な展開になってしまいました。

 

 4部作となった「兄弟になる二人」は、第088話「再び兄弟となる二人」へと続いていく物語です。


 総文字数2万5000字を越える中編になってしまって、本当にすみません。調子にのって描いていたら、予想外に長くなってしまいました。これでも相当に削って短くしたつもりなのですが。


 まだまだ描き切れていない部分が多くあるので、本編完結後はいろいろとスピンオフ的な物語を公開していきたいと考えています。


 

 カクヨムを始めたのは2021年2月21日、三年目に突入しました。


 拙作『混沌の騎士と藍碧の賢者』はアーケゲドーラ大渓谷の最終決戦が佳境に入り、全500話程度でいったん完結予定です。まだ150話以上もありますね。


 最新となる第325話はザガルドアがメインとなります。そして、あの人もあの人も登場です。


 長らく間を開けてしまっているので、内容を忘れてしまった方のために簡単な振り返りを作っておこうと思います。



 これからも応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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