第087話:記憶の封印と付与

 イプセミッシュは、ザガルドアに求められるまま、記憶の魔女と呼ばれる妖精王女に代償を求められたところまでを話し終えていた。


 今やほぼ完全に記憶を取り戻し、立ち位置が逆転している。二人は対峙たいじしながらも、会話を続けている。


「それでイプセミッシュ、結局のところ、お前は代償に何を支払ったんだ」


 心配そうな表情を浮かべて尋ねてくるザガルドアに、イプセミッシュは微笑ほほえんで見せた。


「私が妖精王女様に願ったのは、記憶の封印、それに加えて新たな記憶の付与だった。妖精王女様はおっしゃったよ。付与は、封印以上に難しく、より高度な魔術が必要だ。その代償は命以外にない、とな」


 ザガルドアの悲痛な顔を見て、イプセミッシュが慌てて補足する。


「安心してくれ。命といっても、死ぬわけではない。数年か数十年、寿命が短くなるだけだったんだ。私はそれでも受け入れるつもりだった」


 ザガルドアは思わず天を仰ぐ。何を勝手なことを、と言いたいのだろう。


「ヨルネジェアの懇願もあってか、妖精王女様は譲歩なさってくださった。そして、寿命の代わりとして、私の記憶を所望しょもうなされた」


 ザガルドアはさとった。悲痛にも悲痛を重ねた表情が、全てを物語っている。


「俺がお前を知らなかったように、お前は俺と過ごした記憶を全て失った。そうなんだな、イプセミッシュ。だが、なぜだ。なぜ、お前はそんなことを望んだんだ」


 ザガルドアは理解できないとばかりに、何度もかぶりを振っている。


「お前は命をけてまで私の夢をかなえてくれた。再び、父のもとへ戻り、この王国を立て直すという途方もない夢をな。だからこそ、今度は私がお前の夢を叶えてやりたかった」


 ザガルドアは幾度となくイプセミッシュに言っていたことがある。一度でいいから国王になってみたい、と。


 何よりも、イプセミッシュは再び王宮に戻って以来、父ウェイリンドアの看病しながら、ずっと考えてきたことがあるのだ。


「私は、国王という重責には耐えきれぬであろう。国王とは、それだけ孤独で、しかも王国に暮らすあらゆる者たちの命が、この小さな双肩そうけんにかかっているのだ」


 ザガルドアは込み上げてくる感情を制御できず、思ったままを正直に口にした。


「この大馬鹿野郎が。あんな戯言たわごとを、真に受けやがって」


 ザガルドアには、まだ分からないことがある。記憶が入れ替わる前だ。もともと孤児のうえ、育ちも裏路地のめだった彼には、王宮内に知り合いなど一人もいない。


「お前は俺と違う。お前は王宮で、少なくとも七年間暮らしていたのだ。お前を知る者はそれこそ数多あまたいる。その全てをだましとおせるとは到底思えない」


 イプセミッシュは、苦笑しながらも安堵していた。細部にまでこだわって、しっかり詰めてくるザガルドアのくせが出ている。この辺は昔から変わっていない。


「記憶の操作でどうなるかと心配していたが、杞憂きゆうに終わったよ。確かに、お前の指摘どおり、それが一番の問題だった」


 ザガルドアを、イプセミッシュとして次期継承者にする。それを成功させるには、真のイプセミッシュを知る者がいてはならないのだ。一人でもいれば、この計画は水泡すいほうに帰してしまう。


「困り果てた私に、妖精王女様が手助けしてくれたのだ。つまりは、こうだ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「仕方がないわね。ヨルネジェアが君を気に入ったこともあるし、力になってあげるわ」


 妖精王女が、まずヨルネジェアを、それからイプセミッシュを見る。


 ヨルネジェアにしてみれば、どうして妖精王女がイプセミッシュのために、ここまで譲歩するのか理解できなかった。一方、イプセミッシュは最大の難関をこれで超えられると安心しきっている。


「一つずつ確認していきましょう。まずザガルドアの記憶を封印するわ。封印する期間は、物心ついた時から次に目覚める時までよ。封印と同時、新たな記憶を付与することで、目覚めた時、彼はザガルドアではなく、イプセミッシュになっている」


 記憶の変遷へんせんは完璧ではない。王族の者たるイプセミッシュが、どうして親元を離れ、一人裏路地で過ごすことになったのか。理由づけが必要になる。


 イプセミッシュは集中するため、目を閉じて妖精王女の言葉に耳をかたむけている。一つの筋書が数多の中に浮かんでいた。黙って、うなづく。


 母亡き後、王宮に入った継母ままははたちに命を狙われ続けてきたイプセミッシュだ。継母たちの魔の手から逃れるため、重臣に守られつつ、王宮を脱出したのは紛れもない事実だった。


 っ手の攻勢が激しく、ついに追い詰められてしまったイプセミッシュは、重臣たちが最後の力を振り絞り、ザガルドアが育った裏路地の粗末な小屋にかくまわれた。


 彼らは己自身の命を盾にして、幼いイプセミッシュを守り切ったのだ。その後、討っ手は必死に捜索そうさくするものの、イプセミッシュを見つけ出すことはできなかった。


「自分が正真正銘、真のイプセミッシュだということが、後々のちのちになって思い出せるあかしがあればよいかと思うのです」


 妖精王女が両手を重ね、その上にあごを軽く乗せて思案している。


「少し弱い気もするけど、それぐらいがちょうどよいのかもしれないわね。記憶は曖昧あいまい、特に混迷極まる幼少期のものとなればなおさらね。その話で進めてみましょう。君が言った証については、何か心当たりがあるのかしら」


 イプセミッシュが肌身離さず、首からかけている小ぶりの宝石を取り出す。


「母の形見の宝石です」


 もはや周囲をいろどる美しい装飾は全て失われている。楕円だえん形の石を妖精王女の前に差し出す。


焔光玉リュビシエラね。これは他人の前で出さない方が君のためよ。くれぐれも大切にしなさい。では、この記憶を付加しておくわ」


 テアラモントを一口含んで、妖精王女が言葉を続ける。釣られるように、イプセミッシュもヨルネジェアもテアラモントをきっした。


「君が支払うべき代償の説明をする前に一つだけ忠告しておくわ。私の力をもってしても、ザガルドアの自我そのものは変質させられない。封印前までのそれをそのまま引き継ぎことになるわ。彼の幼少期は問題だらけね。それも仕方ないことね」


 イプセミッシュは黙って頷くしかなかった。


 当時のザガルドアは、誰も寄せつけず、誰も信じなかった。信じれば、必ず裏切られる。かたくなに人を憎み、自身をも憎んできた。


 それが変わったのは、イプセミッシュと出会って、しばらくってからだ。記憶の封印、付与がもたらすのは、決して恩恵だけではないのだ。


「本題よ。君には、ザガルドアの記憶操作と同一期間の人生を提供してもらうわ。すなわち、君にも記憶の封印、付与をほどこすということよ」


 ザガルドアがイプセミッシュとして生きるように、イプセミッシュはこれからザガルドアとして生きていくことになる。言葉にはしないものの、妖精王女はその瞳で、イプセミッシュに答えを求めた。本当に、これでよいのか、と。


 イプセミッシュには一切迷いがない。ゆっくりと首を縦に振る。


「決意は固いのね。君が抱いている杞憂は、私が妖精の黄昏オルムラクヴィユを用いることで解消できるわ」


 イプセミッシュが怪訝けげんな表情を浮かべている。妖精王女はわずかな笑みをこぼし、説明を加えた。


「君がここを出て、王宮に戻ったと同時、妖精の黄昏オルムラクヴィユが自動発動するわ。その瞬間から、君たち二人は入れ替わり、互いを認識できなくなる。さらに、君とザガルドアを知る者たちも、その認識が反転するの」


 こういうことだ。イプセミッシュを知る者は、その姿を見てザガルドアだと信じる。その逆もまた然りだ。


妖精の黄昏オルムラクヴィユからは、たとえ肉親でも決して逃れられないわ。私の言っていることが理解できるわね」


 ヨルネジェアがたまらず立ち上がる。


「貴男はそれでよいの。父上がまだ生きているのでしょう。貴男が王宮に戻っても、貴男だと分からなくなるのよ。貴男の父上が亡くなるまで、妖精の黄昏オルムラクヴィユは絶対に解けないのよ」


 ヨルネジェアの目には涙が浮かんでいる。彼女の思いがけない感情的な行動を前に、イプセミッシュは言葉に詰まってしまった。


「貴女の気持ちは、大変嬉しいです。既に決めたのです。これを行うことこそが、私の義務なのです。覚悟は、できていますよ」


 ヨルネジェアに返す言葉はなかった。そのまま、腰がくだけたように座り込んでしまう。


「妖精王女様、十分に理解しております。そのうえで、妖精の黄昏オルムラクヴィユを、どうかお願いできますでしょうか」


 妖精王女がイプセミッシュの瞳の奥をのぞき込む。


「君の覚悟を聞かせて、そしてせてもらったわ」


 静かに立ち上がる。妖精王女は、真剣このうえない表情で告げた。


「今から記憶の封印、そして新たな付与、さらには妖精の黄昏オルムラクヴィユと、一連の魔術を行使するための儀式を執り行うわ。二人はしばらく外に出てくれるかしら」

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