第112話:それぞれの葛藤

 黒皇三頭破覇龍クドゥスドゥヴロニの姿は既にない。るべき界にかえっていったからだ。


 閉塞空間はアーケゲドーラ大渓谷から、草花咲き誇る緑なす平原に構成し直されている。


 純白の円卓を囲んで、四人が着座している。それぞれの前に置かれた飲み物からは、高貴な香りが漂っていた。


香露麗茶プレティンソよ。私たちには何の効能もない、ただの飲み物にすぎないわ。レスティーもフィアもほぼ同じね。わずかばかり、失った魔力の回復ぐらいにはなるでしょう」

「創造主様、お尋ねしても、よろしいでしょうか」


 飲み物を口にしてから、フィアが許可を求めた。


「もちろんよ」

「とても美味おいしくいただきました。この香露麗茶プレティンソは、主物質界で万能薬ゼリオンと呼ばれている希少薬ではありませんか」


 フィアの言葉に即座の返答はない。


 香露麗茶プレティンソを数千倍に希釈きしゃくしたものが、主物質界においては万能薬ゼリオンと称されている。


 姉のやや焦り気味の顔を見て、応じたのはレスティーだ。


「フィア、仮にそうであったとしても、主物質界に持ち帰ることはできない。香露麗茶プロンティソンは姉上、兄上のもとで厳重に管理されている。私とて持ち出せぬ」


 レスティーは過去の悲惨な出来事を語って聞かせた。


「かつて、万能薬ゼリオンの小瓶一本を巡って、諸国間で大戦が勃発した。多くの命が無駄に散っていった。その悲劇があって以来、姉上も兄上も、主物質界に万能薬ゼリオン下賜かししなくなったのだ」


 万能薬ゼリオンは、人族に対して、まさに万能の効果を発揮する。一滴飲むだけで、死以外のあらゆる状態を完全回復させるのだ。それもたちどころに。人族が喉から手が出るほどに欲するのも無理はない。


「それほどの薬なのだ。殺し合いをしてまで、奪いたくなるのも道理であろう」


 迂闊うかつだった。創造主であろうと、些細ささいなことで油断もする。特にレスティーが絡んでいると、姉は途端とたんに甘くなる。


 ここに戻ってくるたびに、姉は香露麗茶プロンティソンを供してくれる。だからこそ、レスティーが細心の注意を払わなければならなかった。供された時点で、香露麗茶プロンティソンだと分かったはずだからだ。


 フィアは、飲めば確実に気づく。


 なぜなら、あの時、フィアの命を救ったのが、何を隠そう香露麗茶プロンティソンだったからだ。しかも、フィアには希釈なしの状態で与えている。逆に、気づかない方がおかしいというものだ。


「今、主物質界でごくまれに見つかっている万能薬ゼリオンは」

「過去、姉上と兄上が下賜されたものの残滓ざんしだ。もはや、完璧な状態で発見されることはないであろう。残滓でさえ、人族にとっては過ぎたるものだ」


 レスティーは言外に告げていた。此度こたびの戦いにおいて、特例として姉と兄の許可が出たとしても、人族の彼らに万能薬ゼリオンを与えるつもりはない。


 生きるか、死ぬかは、その者の持つ運命にすぎない。死すべきは、生あるものの定めであり、死して混沌に還り、果てなき輪環りんかんを巡り、新たな生を受ける。


「それこそが、母上様の摂理なのだ」


 フィアが悲しそうな瞳を向けてくる。気持ちは、痛いほどに分かる。


「フィアの気持ちは嬉しい。その気持ちだけ、有り難く受け取っておこう」


 この話はここまでとばかりに打ち切る。


「ファレンフィア、その優しさをいつまでも忘れないでほしい。そなたは、私たちやレスティー以上に、人族の弱さ、もろさといったものを知っている。一方で、彼らはかくも愚かな族でもある」


 創造主にとって、だからこそ見ていて飽きないのだ。主物質界とは、そのような存在であり、たとえ創造主といえども、気紛れに手を加えてはならない。


「私たちは、常に傍観者であり続けなけらばならない」


 レスティーの後を引き取った創造主の言葉が、温かさをもって、フィアの心にみ渡っていく。


「フィア、兄上のお言葉で心の雪は解け去ったか」

「ごめんなさい。我がままを口にしてしまって」


 言葉の代わりに、フィアのほおを優しくでた。


「最後に、一番よいところを持っていくのが私の弟といったところだな」

「レスティー、私にも同じことをしてよいのよ」


 妙なところで納得している兄と、半ば強制的に迫る姉、この場をなごませるためか、かきき回すためか。いずれにせよ、切り上げる頃合いだ。


おそれ多きことです。姉上、兄上、主物質界に戻ります」


 立ち上がったレスティーを見て、フィアが追随する。


「レスティー、また戻ってこい。待っているぞ」


 兄から手渡されたラ=ファンデアを軽く握り、新たに創造された剣身をつめる。


「兄上、これは」


 それ以上の言葉が出ない。魔剣アヴルムーティオラ=ファンデアではない。


 この先、レスティーにしか扱えない絶剣ウズロガーティオラ=ファンデアの優美な姿が、そこにあった。


 仮初かりそめやいばは、薄青碧はくせいへきに揺らめき、剣身に刻み込まれた象徴が薄碧はくへきの輝きを放っている。


 レスティーは迷うことなく、己の魔力を握った手を通して剣身へと流し込む。刹那せつなまばゆい光が剣身を包む。薄碧はくへきの輝きは、光の中へと吸収されていった。


「私が創造した九振りの絶剣ウズロガーティオ、その中でもレスティーとの相性は、やはりラ=ファンデアが随一だな」

「有り難うございます、兄上」


 ラ=ファンデアを右腰に収め、レスティーは姉のもとへ歩み寄る。


「姉上、必ず戻ります。此度こたびの戦い、姉上が快く思わぬこと、承知しております。お許しください。これが私の戦い方なのです。本来、私の存在自体が」


 創造主として、意思をもって、レスティーの口を閉ざすなど造作もない。そうはしなかった。


「それ以上の言葉を、決して口にしては駄目よ。レスティー、私の可愛い弟、貴男は私たちにとって、何ものにも代え難い存在なの」


 姉に抱き締められたまま、レスティーはしばし身を委ねていた。ここまで、姉に言わせてしまったことを恥じるしかない。


「姉上、ご心配をおかけして申し訳ございません。私にとっても、姉上、兄上は掛け替えのない存在です。惜しみない愛情を注いで、育ててくれた姉上を悲しませてしまいました」


 血の繋がりなど必要ない。それほどまでに強固に結ばれているのだ。


「分かってくれたらよいのよ。私たちは、何があろうとも常に貴男のそばにいるわ。さあ、行ってきなさい。見送りはしないわ。全てを片づけたら、戻って来るのよ」


 ようやく解放してくれた姉から離れ、今度はレスティーから姉を抱き締める。


「姉上、すぐに戻ります」


 離れていくレスティーを、思案のうちに呼び止める。


「言わずとも分かっていると思うけど。動いてはなりませんよ。たとえ、ティルフォネラが関わっていたとしてもね」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「私たちの弟が心配か。そなたもたのであろう」


 短い言葉の中に、全てが凝縮されていた。


「ええ。貴男も視たのでしょう。もどかしいわね」


 レスティーがいなければ、決して持ち得なかったであろう様々な感情が、今はうとましい。


「可愛い弟の考えを否定するつもりはないのよ。でもね、そうではないと思うのは、傲慢ゆえの罪なのかしら。どうして、あそこまで主物質界、とりわけ人族に肩入れするのか、私には理解に苦しむわ」


 その考えこそが、創造主たる姉兄とレスティーとの決定的相違なのだ。


 実際、此度の戦いでもそうだ。最上位キルゲテュールが何体いようとも、レスティーがその真の力を発揮さえすれば、瞬殺できる。主物質界の誰もが、苦しまずに済む。


「それなのに、あの子は茨の道を進もうとする」


 傍観者として、俯瞰ふかん的に界を眺め、その存続を流れのままに任せる立場の者が前者だ。そして、実際にその界に降り立ち、そこで暮らす者たちとの交流の中で、界を存続させる方法を切り開く立場の者が後者だった。


 そこには埋めようのないへだたりが横たわり、決してまじわることもない。


「私たちは、可愛い弟のためのみに助力はすれど、決して干渉はしない。己で己を縛るかせを外すわけにもいかない。最悪の場合、私たちがおもむかねばならぬかもしれないな」


 自ら課した枷のため、勝手に異界に降り立つことはできない。その力があるにも関わらずだ。唯一、その許可を与えられる存在がある。彼らにとっての、母上その御方だ。


「そうね。私たちが異界に降り立つべきかもしれないわね。母上のお考えをお聞きしたうえで、お許しを頂戴するしかなさそうね」


 互いにうなづき合う。


 次の瞬間、周囲の光景が一変した。これまでのものは全て見せかけにすぎない。無論、レスティーは承知している。


 本来の姿が浮かび上がる。二人がまとう衣装も変わっている。


 息をのむむほどに美しい、前面十本および両側面三十五本の巨柱で構成された純白の神殿がそびえ立つ。


 二人はそろって神殿内へと入っていった。

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