第128話:フィヌソワロを覆う魔力柱

 既に勝利を確信しているのか、クヌエリューゾは動きを見せない。右手に持った双刃剣テピンシュルヴを構えもせずに下げている。


 エレニディールの魔術が容赦ようしゃなく襲いかかる。


舞凍嵐氷牢結獄パルフィ=キュイレ


 大気に含まれる水がこごえ、細氷さいひょうを無数に作り上げていく。


 凍嵐氷舞パラスフィーユよりも極小範囲で舞い踊る細氷は、自然界のそれとは全く性質を異にする。


 エレニディールの意思に基づき、細氷は幾層もの渦状と化し、猛烈な勢いをもって吹き荒れる。クヌエリューゾは無防備のまま、細氷渦さいひょうかが生み出す氷舞輪ひょうぶりんの中に取り込まれていった。


 美しい氷の舞いは、すなわち滅びへの導き、細氷が触れたところから凍結が始まり、全身に及んだ時、氷白麗ひょうはくれいという名の死を迎える。


 苦痛は一切ない。体温が瞬時に奪われ、心臓、脳、その他の臓器の一切が機能を失う。


 クヌエリューゾの体表面が凍りつくかのように思われた。エレニディールは異変を感じ取っていた。


 いつまでっても、その時が訪れないのだ。それどころか、クヌエリューゾの魔力が異様に高まっていく。


(これは。クヌエリューゾにここまでの魔力はないはずです。考えられるとすれば、魔霊鬼ペリノデュエズの力ですか。人であることを捨ててしまいましたか)


 氷舞輪の勢いが目に見えて減衰げんすいしていく。


 熱による融解ゆうかいではない。輪の内側、すなわちクヌエリューゾと接する位置から氷が消えていくのだ。


 クヌエリューゾは何ら行動を起こしていない。氷舞輪の中に閉じ込められたまま、ただたたずんでいるだけだ。その姿が次第に鮮明になっていく。


「エレニディール、さすがですよ。私の仕かけが完成していなければ、凍結させられていましたね。実に危うかったです」


 危うかったと口にしたものの、表情は余裕の色を濃くした状態だ。上半身の氷舞輪は全て消え失せ、残る下半身も徐々に氷が薄れていっている。


 エレニディールの目が、その足元、そして両手に持つものに注がれる。


「なるほど、貴男の仕かけの一つは重力操作でしたか。大地を注視していましたが、フィヌソワロの里全域を力場にするとは、恐ろしい力ですね。これも魔霊鬼ペリノデュエズ四体に依存したものでしょうか」


 クヌエリューゾが語ったとおり、東西南北に配置していた取り巻き四人衆は捨て駒だ。彼らを依代よりしろにして、魔霊鬼ペリノデュエズりつかせる。


 そのうちの一体は、同化する前にヴェレージャたちに倒されたものの、むしろ好都合とはクヌエリューゾの言葉どおりだ。


 死は、単なる呼び水にすぎない。滅びゆく魔霊鬼ペリノデュエズの血と肉は、大地を侵食していった。里全体を包み込む巨大な力場を作り上げるためのいしづえとなったのだ。


「目のつけどころはよかったですよ。香術師こうじゅつしとしての力だけなら、到底貴男の魔術にかないません。だからこその幾重もの備えなのですよ」


 魔霊鬼ペリノデュエズ死骸しがいは大気を、大地をけがし、浸食していく。浸食させない唯一の手段は、核もろともに完全に消滅させることだ。


 ヴェレージャの行使した風爆閃迅竜皇滅ノヴィシフィニエレは、確かに魔霊鬼ペリノデュエズを滅し、その身体を構築する粘性液体を蒸発させていった。


 核はどうか。完全消滅には至っていない。微細びさいなまでに砕くのみ、破片が残されている。結果的に浸食は防げなかったのだ。


「あの四体は大規模な力場を構成するにえなのです。全てが神よりさずかりし中位シャウラダーブです。強力な力場を作り上げてくれました。そこに私の香術師としての力が上乗せされます」


 クヌエリューゾが右手をゆっくりと持ち上げる。エレニディールの後方を指差す。


「最後の仕上げにかかります。しかとご覧なさい、エレニディール」


 姿を見せたのはロズフィリエンだった。樹宝呪生刃バラゴームつらかれた右手の甲から血を流している。まるで夢遊病者のような足取りだ。


 クヌエリューゾに向かって、ゆっくりと歩を進めていく。一歩進むたびに、甲から流れ落ちる血が大地を点々と赤に染めている。


「ロズフィリエン、止まりなさい」


 エレニディールの制止する声は全く耳に入っていない。吸い寄せられるかのように、クヌエリューゾめがけて一直線だ。


 クヌエリューゾから離れること三歩手前、ロズフィリエンはようやくにして足を止めた。


「ロズフィリエン、よく来てくれました。義弟である貴男を生贄いけにえにするのはしのびないですね。これもフィヌソワロのためです。さあ、死んで私のかてとなるのです」


 エレニディールが注視していたもう一つ、クヌエリューゾが両手で広げ持つ書物から負の魔力があふれ出す。


「クヌエリューゾ、やめなさい。それをここで読み上げるなど狂気の沙汰さたですよ」


 押しつぶされそうな圧を間近に感じながら、エレニディールが叫びにも近い声を上げる。


 書物は縦三十セルク、横二十セルク、幅五セルクにも及ぶ。クヌエリューゾは書物に目を走らせ、唇を震わせた。


なんじら愚者に狡猾こうかつなる死という定めを与えよう。

 見せかけの善なる知をもって背信者はたぶらかさん。

 あやまちこれすなわち神より授かりし真なる知恵なり。

 ここに去りゆく大地とともに砂と灰と塵にかえらん。

 哀れな生者に怒りの裁きをもちて等しく滅びを授けよう」


 一節を朗々と読み上げる。


 その瞬間、全ての時が止まったかのように思えた。風はぎ、地は眠り、うつろなうつろいの中、クヌエリューゾだけがえつっていた。


 二重に音が響き渡る。


 一つは書物を閉じる際に発せられた音、もう一つはロズフィリエンの身体が木っ端微塵こっぱみじん破裂はれつする音だった。


「ロズフィリエン」


 大量の血を噴き上げながら、ロズフィリエンがくずおれる。エレニディールはわずかに手を差し伸べたものの、何もできない。


 操られたうえ、喉から手が出るほどにほっしたヴェレージャには返り討ちにい、挙げ句は用済みとばかりに生贄に捧げられる。


 ロズフィリエンの人生とは、いったい何だったのか。エレニディールは今ほど、己の無力さを痛感したことはなかった。


「全ての準備が完璧に整いました。ロズフィリエンの血と肉と贓物ぞうぶつ供物くもつです。さあ、受け取るのです。満足したなら、発動しなさい」


 フィヌソワロの里が、大地が揺れた。激しさを増していく揺れを前に、立っているのもままならない。


 里の周囲、東西南北で贄となった魔霊鬼ペリノデュエズを起点に、漆黒の魔力柱まりょくちゅうがそびえ立つた。四本の魔力柱が里を覆い尽くしながら、円陣を描いていく。


 ロズフィリエンが頽れた位置、それも重要な要素だった。なぜなら、その位置こそがフィヌソワロの里の中心点なのだ。


 円陣が完成すると、東西南北から漆黒の軌跡きせきが走る。ロズフィリエンだったものが大地に溶け込み、そこで二筋ふたすじの軌跡が交わった。


 中心点からもう一本の魔力柱がそびえ立つ。計五本となった魔力柱は、それぞれが意思をもったかのようにはるか上空で結びつき、フィヌソワロの天に巨大なふたを作り上げていった。


「エレニディール、覚悟はよろしいですね。ああ、どうかご安心を。命までは取りません。我が神より厳命されておりますのでね」


 既に発動している魔術効果半減、精霊の眠り、強力な重力場に加え、最後の仕かけが発動、そして成就じょうじゅを見た。


 絶望がエレニディールを襲う。最後まであきらめるつもりは毛頭なかった。


「諦めが肝心ですよ。外からの援軍は一切頼れません。この魔術陣が構築されている間、外部からの侵入は一切不可能なのですから。それほどまでに強固なのですよ。何しろ、中位シャウラダーブ四体と人一人を贄としていますからね」


 身体が異様に重い。いくら重力場の影響があるとはいえ、ここまで極端に動けなくなるものなのか。


 エレニディールはかぶりを振りつつ、冷静さを失わず、状況を確認していく。この力場が発生する以前より、身体の重さは徐々に感じ取っていた。


 クヌエリューゾと対峙たいじして、行使した魔術は二つのみだ。一つはヴェレージャを守るための防御結界、一つはクヌエリューゾを倒すための水氷系上級魔術だった。


 魔力を温存しつつの発動であるがゆえ、効力は犠牲にしている。残された魔力で少なくともあと二つ、三つの上級魔術を行使できるだけの余裕はある。


「おかしいですね。ここまで身体が重くなるとは。それに呼吸が乱れてきています。風をまとっている以上、香術による香を吸い込んではいないはず。いえ、そうではありません。これは」

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