第044話:召喚の黒焔

 完全体でないのが不幸中の幸いだ。


 なりそこないセぺプレは動きが遅い。魔力量を調整しつつ戦うパレデュカルにとって、敵の速さを気にせずに戦えるだけでも有り難かった。


(こいつらを灰と化しても、また復活するのか。しかも、固体を増やしながらとはな。やはり、ジリニエイユの持つあの結晶体を破壊するしかない)


 このままなりそこないセペプレに時間をかけていたら、パレデュカルの魔力が枯渇してしまう。ジリニエイユを倒すための切り札となる最上級魔術のために、魔力をこそ確保しておかなければならない。


 その前提で考えると、残された魔力で唱えられる魔術は上級がせいぜい二つといったところだ。それ以上の魔力を無理矢理に引き出すことは、自身の命にも関わってくる。ここで死ぬわけにはいかないのだ。


「ダナドゥーファ、もう一度だけ言おう。私の手を取れ。お前には私の右腕となるだけの力がある。ともに来ると誓うなら、今ここでサリエシェルナ姫をお前に渡そう」


 パレデュカルは無視を決めこむ。ジリニエイユがさらに魅惑的な提案をしてくる。最大限譲歩したものであることは明らかだ。


魔霊鬼ペリノデュエズを従えるすべも、惜しみなく伝授しようではないか。お前にとって損はないであろう」


 誘惑に負けそうになる。正直なところ、シュリシェヒリの里での暮らしに、よい思い出などないに等しい。エルフ属による新王国樹立などにも興味はない。里がどうなろうとも知ったことではない。


 それでも、このまま黙って見過ごすことはできない。里には親友トゥルデューロや姉の友人ミジェラヴィアなどがいる。彼らを見殺しにしてよい理由などない。


 何よりも、ジリニエイユを野放しにしておくわけにはいかないのだ。


「なかなかに魅力的だな。だが、俺をなめるなよ」


 パレデュカルが掌底を強く叩き合わせ、炎花ファラメアを全て消し去った。


 ここで勝負に出る。


 この最上級魔術が通じなければ、そこで終わりだ。パレデュカルは全神経を魔力に集中、ジリニエイユを彼が手にする核ごと滅ぼす覚悟を決めた。


"Sinvejugi onminu vijugi,

Rtegsid suuir dreekonni mustava,

Jleaig kehaltusen vqegaree.

Teset maalmatt zule ohsuur tures judiise.

Muutgi perrgu tulek neelb nezlab kikaaro.

Lasziga vaenl aneenn paardb tagasio lematukiu."


☆☆☆☆☆詠唱翻訳☆☆☆☆☆

「汝が力こそ我が力

 ここに乞い願うは御身が力

 我が名のもとに召喚せん

 異界より来たりて偉大なる顎門を授けたまえ

 全てを飲み込む黒き破焔となりて

 眼前の敵をことごとく無へと帰せ」

☆☆☆☆☆詠唱翻訳☆☆☆☆☆


「その詠唱、主物質界の魔術ではないな。エルフ語でもない。精霊語でもない。この私でさえ初めて耳にするものだ」

「異界より召喚せし炎だ。今の俺ではまだ半分も使いこなせない。それでもお前を、魔霊鬼ペリノデュエズの核を滅ぼすには十分だ」


 パレデュカルにとって、大きな賭けでもあった。この最上級魔術は膨大な魔力量を要するだけでなく、自身の肉体をも犠牲にする危険極まりないものだ。


 当然であろう。異界より、全く異なる力を主物質界に顕現けんげんさせるのだ。対価が必要なのは言うまでもない。そして、この場合は術者の肉体の一部、つまり召喚規模によって支払うべき部位に差異が出る。


 パレデュカルは、今の自分にできる最大最高の力を召喚しようとしていた。その対価は、恐らく両脚になるだろう。身体の一部欠損はまぬかれないのだ。


 ジリニエイユと魔霊鬼ペリノデュエズの核を同時に、しかも完全に滅ぼせるなら安いものだ。失敗した時のことは考えない。考えても仕方がない。


 パレデュカルの背後に、漆黒の中に漆黒を塗り込めた巨大な空間が広がっていく。


 主物質界とは全く異なる、息苦しささえ感じる濃密かつ皮膚を突き刺すような空気があふれ出してくる。空間の奥から、獣にも似た咆哮ほうこうとどろく。


魔黒顎門獄滅焔ドゥヴルグ・ラ=デューヴ


 魔術の発動とともに、漆黒で塗り潰された空間より巨大な顎門あぎとが顕現する。


 顎門から吐き出される息は炎、しかも黒く染まっている。すさまじい熱を伴った炎の影響で、周囲の木々はおろか、ここら一帯が完全に蒸発してしまいそうなほどだ。


 パレデュカルにも時間をかけている余裕は皆無だった。顕現状態を保つだけで魔力を持続的に、しかも大量に奪われているのだ。


「我を召喚せし魔術師よ、あの者をちりも残さず滅する。それが望みか」


 顎門が炎と共に言葉を吐き出す。人族のそれではない。かの者の真体が存在する界の言語だ。


 パレデュカルが顕現させた顎門は、真体しんたいではない。主物質界に異界の者の真体を顕現させるなど、人族の持つ魔力量では到底不可能だ。今、この場で目にしている顎門は仮初かりそめ虚体きょたいと言われるものだ。


「そうだ。あの男を滅することができるなら好きに暴れてくれて構わない」


 虚体を維持するだけでも、相当の魔力を食われ続けている。


「よかろう。久方ぶりの主物質界での顕現だ。今の我はすこぶる機嫌がよい。よって贄は、その方の右脚一本、それで許してやろう。さあ、我にい願うがよい。我の力を存分に使うのだ」


 ジリニエイユも黙って見ているわけではない。


 会話の内容は分からないものの、顕現した黒焔こくえんには自身を滅ぼすだけの力が内在していることを理解していた。


 主物質界の炎なら防ぐこともできようが、異界の炎を防ぐ手立てはない。さすがのジリニエイユも焦りの色を隠せなかった。そして、そのような状況下で迅速じんそくに行動できるのがジリニエイユの強みでもあった。


「その黒焔は私を軽々と滅するであろうな。それは困るというもの。ゆえに、こうするしかあるまいな」


 すぐさま目の前に盾を立てた。


 パレデュカルが異界の炎という切り札を使うなら、ジリニエイユもまたサリエシェルナという最強の盾を最終手段として用いてきたのだ。


「いつまで待たせるのだ。さあ、我に願うのだ。さすれば、その方の望みはかなうのだぞ」


 顎門からの圧が凄まじい。暴れたい衝動にられているにも関わらず、いつまでも許諾の命が下されないからだ。


 召喚しておきながらその力を行使せず、ある意味、放置状態にしている。最も危険な状況でもある。


 顎門と黒焔は召喚主たるパレデュカルの魔力が続く限りにおいて、一時的にその支配下にあるものの、魔力が途絶えた瞬間、召喚主に襲いかかり全てを食らい尽くす。


 いつまでもこの状態を維持し続けることなどできない。パレデュカルも十二分に理解していた。


(姉さんを犠牲にするなど俺にはできない。もはや、残された手はこれしかない)


 パレデュカルは自らの命を犠牲にしてでも、サリエシェルナだけは守ると心に決めた。


「俺の右脚一本くれてやる。あの男を滅せよ。行け」

「待ちくたびれたぞ。魔術師よ、その方の願い、しかと聞き届けよう」


 顎門が大きく開かれた。嬉々ききとして吐き出された黒焔が、サリエシェルナを盾にして密着状態のジリニエイユの逃げ場を封じるように四方八方から突き刺さる。


 命令を下すやいなや、パレデュカルは残り全ての魔力を注ぎ込み、詠唱を始めていた。


「エグズ・ブレーヴァ・レケーネ

 ヴァラスウィ・オーリ=ジィ

 光壁盾をかの者に授け守りたまえ」


 パレデュカルが行使する魔術は結界魔術、しかも光絶結幕隔壁ポーレダントを短節かつ改変詠唱したものだ。


多重光防壁護盾プレミネンシオ


 黒焔の攻撃対象はジリニエイユのみだ。しかし、密着状態のサリエシェルナを巻き込まない保証はない。残った魔力を全て使い切って、姉サリエシェルナを守るための結界を展開したのだ。


「頼む、間に合ってくれ」


 パレデュカルの祈りが通じたのか。黒焔がジリニエイユを飲み込んでいくのとほぼ同時、多重光壁がサリエシェルナを優しく包み込んでいった。


 これで安心できるわけではない。魔力がほぼ枯渇状態に陥っているパレデュカルには、最後にしなければならないことがある。


 姉サリエシェルナの無事を確認すること、そして召喚した黒焔を本来あるべき界へとかえすことだ。もちろん、対価を払った後にだ。


(サリエシェルナ姉さん、どうか無事でいてくれ)


 暴れ回る黒焔にさえぎられ、ここからではサリエシェルナが無事なのか、何よりもジリニエイユと手にする魔霊鬼ペリノデュエズの核を滅ぼせたのか、全く分からなかった。

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