第073話:セレネイアの修業
セレネイアの姿が
カランダイオが行使した魔術は、ごく簡易な認識
「中には一人で入ってください。私のことは気にせずに」
「カランダイオ、貴男には私を守る義理などないというのに、本当に申し訳なく思います。このお礼はいつか必ず」
丁寧に頭を下げてくるセレネイアに、カランダイオは照れ隠しもあったか、すぐに背を向ける。
「無用ですよ。私の判断でやっていることです」
その姿が通りの向こうへと消えていく。セレネイアはカランダイオの背をずっと見つめていた。
完全に見えなくなったところで、深呼吸を一つ、
途端に空気が一変する。門から稽古用の道場に至るまで、およそ五十メルクだ。
美しい石や岩、砂だけで構成された庭園が広がっている。
いつもなら、多くの門下生が思い思いの場所で剣を振るうなどして賑わっている。常に心地よい緊張感が漂っているものの、ここまで張り詰めた感覚を持つのは初めてだった。
今日に限っては、セレネイアのたっての希望で師匠ソリュダリア・ギリエンヌと二人きり、というのも要因の一つだろう。
それ以上に、もっと濃密な殺気とも言うべき圧迫感が充満している。嫌な予感がする。
セレネイアは、その場で
道場に近づくほどに、殺気が強まっていく。セレネイアは道場の引き戸に左手をかけたところで、思い
まずは冷静さを失わないことだ。二度の深呼吸の後、意識を引き戸の奥に向けて集中させる。
「おかしいですね。あれほど充満していた殺気が消え去っています。私を試しているのでしょうか」
いささかの不快感を持ちつつ、セレネイアは剣を構えたまま、今度こそ左手で引き戸を引き開けた。
道場内は
四方およそ二十五メルク、高さおよそ十メルク、標準的な貴族の館に当てはめると、三階建て相当の広さだ。
両脇は一階部分が空洞の二階建て構造で、上から稽古が眺められるようになっている。高さ七メルクのところに格子窓がはめ込まれ、そこから薄明かりが差し込んでいる。
真正面には床からおよそ五十セルク、その両横には床からおよそ二十セルク、高く作られた特殊床が
基本的に真正面は師範が、その両横は師範補佐が着座する。師範補佐の格づけは、師範の右手が
今、師範たるソリュダリアの姿は真正面になかった。セレネイアから見て右手、すなわち序列的に三番手の位置にある。
セレネイアは
師のソリュダリアは
セレネイアは引き戸をゆっくり閉めると、道場内へ足を踏み入れた。道場の中央を歩くのは無礼だとされている。セレネイアは中央から数歩右にずれ、ソリュダリアと相対する形で歩を進めた。
それは突然やってきた。濃密なる殺気を
セレネイアもある程度は予期していたか。即座に抜刀、上段からの重々しい一撃に剣を合わせ、辛くも防いでいた。
「なかなかやるではないか、小娘。今の一撃を
目の前に、一人の女が悠然と立っていた。美しい銀髪を後頭部のやや高い位置で一まとめにして、
瞳の色は透き通るような青紫色だ。
年齢は全く判断がつかない。二十代の若さとも言えるし、もっと
ややもすれば、上品さを
「何者ですか。殺気を
セレネイアは両手持ちで剣を正眼に構え、この不審な女と相対した。不審には違いないが、違和感は消えない。
ソリュダリアが先ほどから瞑目したまま一歩も動かず、この女の好きにさせているからだ。さらには、ソリュダリアが着座している位置も気になる。
「これは、これは気の強いお姫様なことで。だが、次の一撃は凌ぎきれるかな。その
(明らかに楽しんでいますね。しかも、右手の痺れを隠すための両手持ちも見抜かれていました。何者なのでしょうか。かなりの
「その真剣で好きな時に打ち込んできてよいぞ。ああ、一つだけ言っておこう。甘ちゃんのお姫様のことだ。正々堂々とか、真っ向勝負とか考えているのであろう」
隙だらけの恰好のように見えて、一切ない。そして図星だった。セレネイアは全く動けなくなっている。
「そんなくだらない考えは捨て去れ。どう
完全に上から目線の物言いだ。さすがのセレネイアも怒りを覚えていた。
「馬鹿にしないでください。正々堂々のどこが悪いのですか。勝つためにはどんな汚い手を使っても構わない。貴女はそう
セレネイアは気づかない。女に試されているのだ。どれほど冷静さを欠かずに心を保てるか。それを見極めるために。セレネイアは既に女の術中だった。
(まだまだ子供だな。温室育ち
がむしゃらに突っ込んでくるセレネイアに対し、女は構えることはおろか、右手に持った剣を力なく垂らしたままの姿勢を維持している。
正眼に構えた剣の切っ先が、女の喉元に迫る。女はなおも動かない。
「えっ」
セレネイアは何が起こったか、理解できなかった。
「いつまで寝ているつもりだ、お姫様。立ち上がって剣を取れ。これで理解できたか。真っ向勝負など何の役にも立たないことが。さあ、もう一度だ。構えろ」
繰り返すこと十数回、変わることなくセレネイアは剣を飛ばされ、背中から落ち続けていた。
そろそろ、背中の痛みが全身に回りつつある。一回、一回の痛みはさほど感じなくとも、それが蓄積していくと、様々な部位に影響を及ぼす。
「お姫様、そろそろ限界だろう。この辺で
よろけながらも、何とか立ち上がったセレネイアが再び剣を構える。剣を握る手に力が入らない。切っ先が定まらず、震えている。
「お姫様と呼ばないでくださいと言ったはずです。それに、これしきのこと何でもありません。私は、私は強くならなければならないのです」
「ほう、見上げた根性だ。お姫様のその姿、馬鹿な貴族どもに見せてやりたいものだ」
力が入らなくなってきた足を無理矢理に動かし、セレネイアはまたもや女に向かって突っ込んでいった。
足がもつれる。身体が不自然なまでに前のめりになり、
セレネイアはほとんどの力を失っている。もはや、剣を握るのが精一杯で、あらゆるところから力が抜けている状態だ。まさしく、不自然が生み出した自然の流れだった。
「見事だ、お姫様。
今まで、かすりもしなかった剣の切っ先が女の右脇腹辺りに届いていた。結果として、女の道着は
セレネイアは意識を失う寸前、切っ先を通して得られた感触を
「いつもこんな感じなのか、ソリュダリア」
セレネイアを抱き止めた女が、座したままのソリュダリアに首だけ向けて尋ねる。
「はい、これがセレネイアなのです。私が最も買っている優秀な弟子です」
「なるほどな。なかなかに面白いお姫様だった。手当てをしてやれ」
ようやくにして立ち上がったソリュダリアは、女の前まで近づくと、最大限の敬意を込めて座礼した。
「承知いたしました、師父」
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