第074話:三剣匠が一人
セレネイアは、全身に痛みを感じながら目を覚ました。どれほど眠っていたのだろうか。
何度も床に叩きつけられた背中はもちろんのこと、身体の至るところが悲鳴を上げている。半身を起こすだけでも一苦労だった。
「私、どうして、このようなところで」
ここは道場奥に設置されている医務室だ。常日頃は、
「セレネイア、目が覚めたか」
部屋に入ってきたのは、師匠ソリュダリア・ギリエンヌだ。その顔からは罪悪感が見て取れる。ソリュダリアも、本心では望むところではなかったのだろう。
「師匠、私は」
少し身体を動かすだけで、激痛に襲われる。
「無理はするな。今は休め。それから、済まなかった」
セレネイアは、ゆっくりと首を横に振った。
「謝らないでください、師匠。いったい、あの人は」
言いかけたところで、当の本人が顔をのぞかせた。
「お姫様、ようやくお目覚めか。さしずめ、全身筋肉痛といったところだろう。だが、休んでいる暇などないぞ。すぐに道場に戻れ。これから私が直接、稽古をつけてやる。構わぬな、ソリュダリア」
異様なまでの圧を感じる。その有無を言わせぬ口調を前にして、セレネイアはもちろん、ソリュダリアも黙り込むしかなかった。
意を決して、セレネイアが口を開く。
「待ってください。その前に、貴女は誰なのですか。師匠を呼び捨てにしているところから見ても、かなりの位置に立つ方のようですが」
女が
ソリュダリアは
「セレネイア、黙っていて悪かったわ。貴女に先入観を持ってほしくなかったから。いえ、それは言い訳ね。やはり先に伝えておくべきだった。この御方は、私の師父にして、三大流派が一つ、ヴォルトゥーノの頂点に立たれる御方、現継承者ヨセミナ・リズ・バリエンナ様よ」
今のセレネイアの顔は誰にも見せられない。それほどまでに間の抜けた、
それも当然だろう。三大流派の頂点に立つ現継承者は、
三剣匠は、その名前だけが独り歩きしているきらいがある。
実際、流派直下の門下生であっても、大半の者が顔さえ見たことがないのだ。三剣匠は、年数回の
その間、剣術道場の切り盛りは直弟子が務めている。ソリュダリアも、もともとはヨセミナの直弟子であり、面識があるからこその今回の実現だった。
「そういうことだ、お姫様。自己紹介は済んだな。互いに、ソリュダリアを通じて、ということだが」
「は、はあ」
「おいおい、お姫様、そんな調子で大丈夫なのか。この私が直接、稽古をつけてやると言っているんだがな。ああ、ソリュダリア、もちろんお前も共にな」
「えっ」
突然、
「遠慮するな、ソリュダリア。昔のように可愛がってやる。お姫様一人では
セレネイアを横目で
「貴女がヴォルトゥーノ現継承者ヨセミナ様であることは分かりました。ですが、私は貴女の稽古を受ける気はありません。私の師匠はただ一人、ソリュダリア様ですから」
思いがけないセレネイアの発言に、ソリュダリアは腰を抜かしそうになった。頭を抱えながら、すぐさま説得を始める。
「セレネイア、何ということを。しかも、ヨセミナ様に向かって。よく聞きなさい。このような機会はもう二度とないかもしれないのよ。いえ、二度とないわ。貴女が強くなるためには、私ではなく、ヨセミナ様にご指導いただくのが最善なのよ」
ソリュダリアの真剣な言葉にも、セレネイアは決して頷かなかった。
「よせ、ソリュダリア。お姫様に聞けば済む話であろう。私の稽古を断るその理由をな。教えてくれないか、お姫様」
ヨセミナはセレネイアの無礼とも言える発言を聞いても、怒るどころか、むしろ面白がっている。
(気の強いお姫様だな。私の名前を聞いて、即座に頭を下げてくるなら、どやしつけてやろうとも思ったが。いきなり拒否してくるとはな。馬鹿なのか、それとも大物なのか。しかし、あの御方も面倒なお姫様を押しつけてくださるものだ)
内心の苦笑を隠しつつ、ヨセミナはセレネイアからの返答を待った。
嘘を言っても仕方がない。セレネイアは正直に答えることにした。
「不意打ちとはいえ、私の弱さを明確に見抜き、徹底的に打ちのめしてくれたことに対しては感謝しております。お礼を申し上げます」
まずは、素直に礼を述べる。そのうえで、セレネイアが最も忌避するところを述べる。
「ヨセミナ様は、私を一人の剣士、一人の女としてでなく、お姫様として扱いました。今もなお、です。さらには、私が弱すぎることもありますが、手加減のうえにも手加減されていました」
ヨセミナは内心の苦笑を消し去り、セレネイアに質問で返す。
「お姫様は、一撃で終わらせてほしかったのか」
あくまで、セレネイアと呼ぶ気はなさそうだ。セレネイアはなおも諦めず、最後の言葉を口にする。
「ヨセミナ様は、私が本当に恐れているものが何かをご存じのはずです。なぜ、そこに触れてこないのでしょうか。お聞かせください」
ひたむきな眼差しを向けてくるセレネイアが、何とも
「礼は受け取っておこう。では、一つずつ答えていこうか」
ヨセミナから見れば、セレネイアは弱すぎるのだ。とにかく、弱い。それも圧倒的にだ。
「私にお前自身の名前を呼んでほしいなら、強さを示せ。私の直弟子で、最も若い奴が八歳だ。今のお前は、それにも勝てぬ。私がお前の強さを認めるまで、永遠にお姫様のままだ」
セレネイアは己の弱さを十分に自覚している。ヨセミナの言葉の全てに
「手加減せず、一撃で終わらせるのは簡単だ。そうしてしまえば、お姫様の剣の技量が全く分からないだろう。まあ、私ぐらいになれば、たった一撃受ければ全て分かるのだがな」
不敵な笑みを浮かべ、セレネイアを
「師父、また意地の悪い顔になっていますよ。全く何が面白いのやら」
独り言に近い
「何か言ったか、ソリュダリア」
勢いよく首を横に振りながら、ソリュダリアはしっかりヨセミナから視線を外している。
「最後の問いだ。答える前に聞いておこうか。なぜ、私が知っていると思った。私が知っていたとして、お姫様はどうしてほしいというのだ」
セレネイアが即答する。
「ヨセミナ様のもとには、あらゆる情報が集まってくるとか。我が王国が誇る王の耳グ=ゼンディをも上回ると聞いています。ならば、ディランダイン砦の戦いについて、お聞きになっていることでしょう。それで十分ではありませんか」
ヨセミナはセレネイアの瞳の奥を
確かに、セレネイアが言ったとおりだ。ディランダイン砦における
セレネイアに関わる、それ以上の情報も
「もう一つだ。私の前で、強くならなければならないと言ったな。お姫様は、
セレネイアにとって、最大の難問だった。答えが見つからないのだ。正確には、見つけられないのだ。強さを得て、どうしようというのか。そもそも、強さとは何か。
「聞き方を変えようか。お姫様にとって、強さとはいったい何だ。強くなることが目的か。それとも、別の目的があって、そのために強さが必要なのか」
セレネイアは、思わず息を
(考えろ、お姫様。考えて、考えて、考え抜くのだ。答えは、誰も与えてくれないのだからな。己の力で導き出すしかない。さあ、もうすぐ手が届く)
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