第176話:死霊たちの使い道

 レスティーの圧倒的な力は、骨の一群にとって脅威以外の何ものでもない。


 アーケゲドーラの坑道に幽閉ゆうへいした張本人であり、ギリエンデスは仕上げに封印をほどこしたにすぎない。


「あの時、私はお前たちに言った。『お前たちに永遠の死は与えぬ。絶えた肉と血の痛みを永劫に味わいながら、己が罪を悔い改めよ』と」


 もう一歩踏み出す。呼応するかのように死霊たちは一歩後退する。


「私は、ギリエンデスのように甘くはない。悔い改めていたならば、一考の余地もあっただろう。お前たちは混沌にかえさぬ。この場で一切を残さず、無に帰す」


 左手を上向きにして開く。具現化するは黒獄炎こくごくえん、彼らが最もおびえる強大な炎だ。


「レスティー様、この者たちの始末、どうかお待ちいただけないでしょうか」


 魔術方陣が解封された時点でギリエンデスの役目は終わっている。本来なら、速やかに混沌に還るべきところ、複合的な要因が重なったか。僅かの時間、主物質界に留まっている。


 これはひとえにレスティーの魔力を受けていることが大きく関わっていた。


「二度目はない。本来であれば、あの時、他の部族の者どもと同様、無に帰すところであったが、そなたに免じて温情を与えた。今、再びそなたの気持ちは裏切られることとなった」


 死霊たちの足元には、黒の魔術陣が描き出され、彼らを囲い込んでいる。脱出は不可能、黒獄炎に包まれるや跡形もなく消え去るのみだ。


 開いた手のひらが魔術陣に向かって動く。


おっしゃるとおりです。反論の余地さえございません。そのうえで、これが最後と今一度の慈悲をお与えいただけないでしょうか。この者たちも、心の奥底では後悔しているはずなのです」


 レスティーは黒獄炎をかざしたまま、その奥に立つ死霊の一群に目をやった。


≪レスティー、よいのではなくて≫


 即座にひざまずこうとする。柔らかな口調がたしなめた。


≪その必要はないわよ。貴男が跪くと、周囲が怪訝けげんに思うだけよ≫


 姉の配慮に感謝しつつ、レスティーは言葉をつむぎ出す。


≪姉上、この者どもに再び機会を与えてもよろしいのですか≫


 感情を廃しているとはいえ、姉には通用しない。苦笑が伝わってくる。


≪反対なのね。気持ちは分かるわ。可愛い弟の決断をないがしろにするつもりもないわ。でもね、このように考えてみなさい≫


 姉から示唆しさされた内容は想像を超えていた。今度はレスティーが苦笑する番だった。


 そして、改めて思うのだ。まだまだ足元にも及ばないと。


≪さすがは姉上です。その思慮深さに感服するばかりです。この者どもの使い道にこそ相応ふさわしいでしょう。ギリエンデスともども、配置にかせたく思います≫


 レスティーの手のひらに浮かぶ黒獄炎の揺らめきが止まった。


謙遜けんそんは要らないわよ。貴男ならこの程度、考えていたでしょう。そこの魔術師にも働いてもらうなら、混沌に還るまでの時間的猶予をもう少し引き伸ばしておきましょう。レスティー、私たちは常に貴男を見守っているわ≫


 姉や兄が常日頃、何を考えているか。そして、その考えを絶対的立場から実行できないもどかしさを、レスティーは誰よりも熟知している。


 代行者として一部を担うレスティーは、まだまだ足りないものがあることを痛感しているのだ。


≪私の可愛い弟レスティー、貴男が気にむ必要は皆無かいむよ。貴男の思うようになさい。私たちは貴男を信じているから≫


 姉の意識が脳裏より消えた。レスティーは再び眼前の者たちに視線を向ける。


「お前たちに最後の慈悲として、今一度の機会を与える。二者択一だ。好きな方を選ぶがよい。ギリエンデス、そなたが混沌に還るまでの時間を引き伸ばしていただいた。この者たちの指揮をるがよい」


 二者択一、すなわちここで速やかに滅ぶか、あるいはギリエンデスの命に従うかだ。


「レスティー様、慈悲深きご判断、このギリエンデス、心より感謝を申し上げます」


 レスティーは揺らめきのない黒獄炎を軽く握り潰した。同時に足元に描かれていた黒の魔術陣が消失する。


 これで拘束するものはない。死霊たちは自由に動けるようになった。


「奴ら、なぜ動かない。大師父様の御前おんまえなるぞ。無礼にも程があるだろう」


 レスティーを前にして、ただ立ち並ぶ死霊たちの姿がヨセミナには我慢ならない。今すぐにでも細切れにしたい。魔剣アヴルムーティオつかに手が伸びる。


 その時だ。死霊の一群が、いっせいにその場で跪いたのだ。


「魔人族の誇りを取り戻す機会を与えていただき深く感謝いたします。我ら、レスティー様の配下にて、此度こたびの戦いに参戦したく、全力を尽くす所存です」


 答えたのは、もちろんギリエンデスだ。


 既に戦いまで一日を切っている。明日、天頂に三連月が姿を現した刻、火蓋ひぶたが切られる。この坑道が導火線の一つになることは間違いないところだ。


「ここを通り抜けようとする者たちを守護し、谷底の坑道出口までいざなうのだ。数多あまた魔霊鬼ペリノデュエズが襲い来るだろう。遠慮は要らぬ。殲滅せんめつせよ」


 髑髏どくろに浮かぶ黒の空洞に、光がともる。決意を固めたあかしでもあった。一同がうやうやしく頭を下げる。


「我が期待に応えよ。さすれば、混沌に還る道も開けよう。行け」


 ギリエンデスを除いた死霊たちが混沌に還れる補償はない。レスティーでさえ、こればかりはどうにもできないのだ。


 今回の坑道における行動によって、あるいは可能性が生まれるかもしれない。その程度にすぎない。


 坑道へと戻っていく死霊たちの後姿を見送りながら、レスティーはギリエンデスを呼び止める。


 振り返ったギリエンデスが再び跪く。


「分かっていると思うが、二度目はない」

「承知しております。彼らも重々理解しているでしょう。黒獄炎がもたらす結果は、身をもって知っておりますゆえに」


 レスティーは思案しつつつ、僅かに頷いてみせた。


魔霊鬼ペリノデュエズにとって、あの者どもは天敵にも等しい。限られた者にしか与えられていない魔霊鬼ペリノデュエズる目を、期せずして持つのだ。そして、毒されることなく、的確に核の位置を見抜き、破壊できる」


 ここまでお膳立てをするつもりはなかった。結果的には、そのようになってしまっている。


「レスティー様、我ら魔人族にとっても奴ら魔霊鬼ペリノデュエズまわしき仇敵きゅうてきでございます。必ずや殲滅してみせましょう」


 坑道を行く者たちはそれなりの人選になっているだろう。さらに、その内の何人かは、レスティーからの武具を手にしているかもしれない。


 そうなれば、その者たちだけで坑道を突破できる可能性が高い。果たして、死霊と化した魔人族の助力が必要だったか。


 レスティーは頭を切り替えた。姉の助言を受けて決めたことだ。もはや思考自体が意味なきことだった。


「そなたは苦労を背負い込むばかりだな。それも最後だ。期待している」

「必ずや。それでは私も失礼いたします。あの者たちを放っておくわけにもいきませんので」


 深々と頭を下げた後、ギリエンデスも先に行った死霊たちの後を追って坑道へと消えていった。


「大師父様、あの者たちを信頼してもよいのでしょうか」


 姿の見えなくなったギリエンデスと死霊たちをおもんばかり、ヨセミナが危惧きぐの声を上げる。


 間違いなく裏切るだろう。彼女は確信をもってレスティーに尋ねたのだ。


「私も危険だと感じます。彼らは長年の封印でうらみだけをつのらせてきたのでしょう。いくらレスティー殿の力を恐れていようとも、いざとなれば、また裏切る可能性が高いかと」


 オントワーヌが後を引き取るように、自身の考えを述べる。二人の意見は悪い意味で合致していた。


「私は、二度目はないと言った。その意味をギリエンデスは十二分に理解している。もしもそうなれば、千余年前以上の地獄を見るだろう」


 魔術方陣を失った坑道の入口は静まり返っている。


 この先、どうなるかは明日の決戦を待つしかない。吉と出るか、凶と出るかは誰にも分からない。


 いずれにせよ激戦必至なのだ。それだけが唯一、確実に言えることだった。

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