第177話:決戦の朝、それぞれの思い

 かげが去り、が昇る。


 朝を迎えたアーケゲドーラ大渓谷は、静謐せいひつたたえている。


 最終決戦当日、それぞれが思惑をもって動き出す。


≪理解しているであろうな。貴様に渋々しぶしぶ従属している理由だ。すぐにでも貴様ごとき食い殺せるのだ。今一度だけ問うぞ≫


「朝からうるさいですよ。最高位キルゲテュールともなれば、おしゃべりも得意なのですか」


 ジリニエイユはいやみたっぷりに言葉を返す。


 完全復活を果たしていないとはいえ、魔霊鬼ペリノデュエズの頂点に立つ最高位キルゲテュールだ。依代よりしろとされた者は、すみやかに吸収し尽くされ、存在そのものを否定される。


 ジリニエイユだけは違った。依代となった今も、自意識を完璧に保ったまま生きているのだ。


 反動は途轍とてつもなく大きい。かつてジリニエイユであった姿は、もはやない。


 最高位キルゲテュールを取り入れた時から、常に変貌へんぼうし続け、原形をとどめている部分は皆無だ。あらゆるところが作り替えられている。


 姿形すがたかたちは人でさえない。


「私も忠告しておきますよ。今、貴方が生きていられるのは、私を依代としているからです。努々ゆめゆめお忘れなく」


≪言われずとも分かっておるわ。貴様は見得みえを切った。我を完全復活させるとな。だからこそ貴様に手を貸しているのだ。そのうえで問うぞ≫


 問われる内容は、言われずとも嫌というほどに分かっている。魔霊ペリノデュエズ鬼とは切っても切れない、あの御仁の存在だ。


≪我とあの男は、表裏一体なのだ。完全復活できぬ我では、万に一つの勝ち目もない。ましてや、貴様など≫


「重々承知しています。シュリシェヒリの者たる私にとって、あの御方はまさに神にも等しい存在なのです。そのような御方に対して、私は弓を引いたのです。後戻りはできません。私の長年にわたる計画を実現するためにもね」


 この二人が誰のことを言っているかは明らかだ。ジリニエイユには当然ながら計画がある。最大の障害になる、かの御仁を排除するための施策だ。


「安心してください。ここまで私が何もしてこなかったと思っているのですか」


 ジリニエイユがいつになく熱くなっている。言葉の節々ふしぶしから感じられる。


 彼を依代として以来、居心地は悪くない。想像以上に強く、たくましい。驚くべきはその知識量だった。


 魔霊鬼ペリノデュエズは、依代として取り込んだ者の知識を蓄えていく。最高位キルゲテュールともなれば、下位の魔霊鬼ペリノデュエズを含め、その数は計り知れない。


 ジリニエイユのそれは、かつて吸収し尽くした全てをはるかに凌駕りょうがしているのだ。


≪我が最も知りたい知は、貴様の心の最も深きところに封じられている。今の我にそれを破ることはかなわぬ。貴様は忌々いまいましい奴だが、やむを得まい。この奇妙な共存関係も、互いの目的達成のためだ≫


 それまではつき合ってやるという姿勢が見え見えだ。


 ジリニエイユが心の奥底に封じたもの、それこそが最高位キルゲテュールでさえ共存やむなし、と認めるほどの知識だった。


「あの御方の恐ろしさは誰よりもこの私が知っています。最大の障壁となるあの御方を倒すことなど不可能です。しかし、倒せないからこその手段もあるのです。大いに期待してくださって結構ですよ」


 不気味な笑い声が広がっていく。


 今や、ジリニエイユに逆らう者など、それが魔霊鬼ペリノデュエズであろうと誰もいない。全てが彼の支配下に置かれている。ぬかずき、今や遅しと号令を待っている。


ときは満ちました。いよいよです。我らが新王国を築き、主物質界に住まう劣等種を支配下に置くのです。抵抗する者は皆殺しです。全軍出撃しなさい」


 熱を帯びた叫声きょうせいき起こる。


 ただ一人を除いては。樹上にいるパレデュカルは、異様に冷めた目つきでジリニエイユが命を下した全軍を睥睨へいげいしている。


 全軍と言っても、人族は一人もいない。魔霊鬼ペリノデュエズのみで構成された軍なのだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズにとって、ジリニエイユが掲げる新王国樹立など全く興味がない。心底どうでもよい。本能を満たすための殺戮だけが目的なのだ。


 パレデュカルにも、ジリニエイユと最高位キルゲテュールとのやり取りは耳に入っていた。ジリニエイユがあえて聞かせていたと言った方が正しい。


(お前がそこまで新王国にこだわる理由が俺には理解できない。何がお前をり立てたのだ。かつての師だった面影はない。今のお前は狂人以外の何者でもない。だが、俺とてお前と何ら変わりはないだろう)


 パレデュカルも自覚しているのだ。サリエシェルナのために、ジリニエイユという悪魔に魂を売ってしまった。そこは泥沼だ。決して抜け出せない。ヴェレージャ、ディリニッツと戦った際に、それを認めてしまっている。


 ジリニエイユの視線がこちらに向けられた。


 ほんの一瞬だ。わずかに見せた笑みの中に、それが笑みと言えるかはともかく、同属意識としての強い繋がりと哀れみが含まれていた。


(ここまで来たのだ。俺も後には引けぬ。たとえ、あの御方と敵対することになってもな。目的のために全力を尽くすだけだ)


 既に巨大な魔術転移門がそびえ立っている。ジリニエイユの命を受けた魔霊鬼ペリノデュエズの一群が、次々と転移門に中に吸い込まれていく。


 最後にジリニエイユが悠々と転移門内へ入っていく。


「ダナドゥーファ、私を信じよ。お前の願いは、この私が叶えよう。決して悪いようにはせぬ。私にはお前の力が必要だ。待っているぞ」


 ジリニエイユの言葉は全く響かない。それでよかった。ここで後悔しても仕方がない。パレデュカルは無言のままジリニエイユを見送ると、自身もまた魔術転移門を展開した。


「最後までつき合ってやるさ。お前が死ぬまでな。その時は、間違いなく俺も生きてはいないだろう」


 パレデュカルが転移門をくぐる。


 にぶい硬質音とわずかのきらめきを残し、門が消え失せた。


 全ての気配が断たれた断崖絶壁の地ノーディケネロを包む音は、激しく打ちつける海水と吹きすさぶ強風だけだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 陽が昇りつつある早朝、ゼンディニア王国玉座の間にザガルドア、フィリエルスを除く十二将、エンチェンツォと一部の文官が顔をそろえていた。


 玉座は空席だ。ザガルドアは他の者たちと同じ場に立ち、目を閉じている。物音一つしない。


 十二将はザガルドアを中心に右手に六人、左手に五人という配列だ。その後ろにエンチェンツォたち文官が控えている。誰しもが片膝をついたまま、ザガルドアが口火を切るのを待っている。


 最初に盛大なため息がれる。これで場がなごむ。


「一人も脱落者がいないとはな。俺の気持ちは変わらないが、お前たちの意思を尊重する。こうなった以上、お前たちには死に物狂いで戦ってもらうぞ。よいのだな」


 十二将の誰からも返答はない。必要がないからだ。彼らから立ち昇る覇気はきから一目瞭然、戦いを心から待ち望んでいる。


「俺から言えることは、ただ一つだ。絶対に死ぬな」


 言い切った。視線をエンチェンツォに転じ、緩やかにうなづく。


 立ち上がったエンチェンツォが朗々と述べていく。


僭越せんえつながら、陛下に代わって布陣を発表いたします」


 五将の名を読み上げる。ヴェレージャ、エランセージュ、ディリニッツ、トゥウェルテナ、セルアシェルだ。モルディーズの意を受けての起用となっている。この五将をもって、アーケゲドーラ大渓谷高度二千メルク地点にある坑道入口から谷底を目指す。


 残りの六将をもって、高度二千メルク地点にて敵を個々撃破、谷底の出口が開いたと同時、空騎兵団と共に谷底へ降下する。降下中の戦闘も不可避だ。従って、万能型に近い六将が選ばれている。


「残念ながら、中位シャウラダーブ以上が有する能力は判明しておりません。申し訳ございませんが、その場で最適解を見つけていただくことになります。皆様のご武運を祈念いたします」


 エンチェンツォが敷く布陣は至って単純だ。具体的な戦術などは一切指定しない。その必要性もない。


 彼らは十二将なのだ。歴戦の雄、戦術指定はかえって彼らの動きを疎外してしまう。そもそも、十二将を戦術に組み込むこと自体、間違っているのだ。個々別々、単騎で戦うからこその十二将でもある。


「エンチェンツォ、十二将は集団戦闘を得意としない。個々の裁量で敵を撃破する。谷底で総勢が結集したとしても、各々が好きなように戦うであろう。それこそが十二将なのだ」


 イプセミッシュの言葉は、まさに正鵠せいこくを得ている。ここでエンチェンツォが事細かく戦術を定めていたら、猛反対が起こっただろう。エンチェンツォもそこまで馬鹿ではない。十二将の本質を理解したうえでの判断なのだ。


「陛下とイプセミッシュ様は、いかがなさいますか」


 ヴェレージャが問いかける。布陣の中には、ザガルドア、イプセミッシュの二人が入っていない。


「俺たちは高度二千メルク地点で待機だ。エンチェンツォの目つけ役も必要だしな。無論、そこでも戦闘はあるだろう。ラディック王国、とりわけイオニアの出方次第ではあるが、共闘することになるだろうな」


 ヴェレージャは理解したとばかりにうなづく。


「よし、他に聞きたいことはあるか」


 誰からも声は上がらない。既に皆の意識はアーケゲドーラ大渓谷の戦場に飛んでいる。


「エランセージュ、準備を頼む」

かしこまりました。魔術転移門を開きます」


 立ち上がったエランセージュが玉座の間に、即座に魔術転移門を展開する。これもビュルクヴィストのもとで修業した成果の一つだ。


「行くぞ。俺たちの未来を切りひらくためにな」


 静かながらも熱のこもったザガルドアの言葉に、誰もが決意を新たにしている。


「ベンデロット、エンチェンツォから聞いている。留守の間、王国の一切を任せる。頼んだぞ」


 ザガルドアの言葉を受けて、ベンデロットが深々と頭を下げた。


「御意にございます」


 最後にザガルドアとエランセージュが魔術転移門をくぐる。甲高い硬質音と美しいきらめきだけを残し、門が消え失せた。

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