第178話:ラディック王国の出陣

 早朝、ラディック王国ファルディム宮の玉座の間に大勢の者がつどっていた。ゼンディニア王国以上のにぎわいを見せている。


 既に国王イオニアは玉座に腰を下ろしている。右手には皇太子ヴィルフリオと宰相モルディーズ、左手には三王女も揃っていた。


 イオニアたちの正面には、第一騎兵団を除く第二から第九までの騎兵団団長と副団長が控えている。


 一同を見回した後、イオニアがおもむろに立ち上がる。


「いよいよ魔霊鬼ペリノデュエズとの決戦だ。王国の未来が、全ての人の未来が、この戦いにかかっている」


 静まり返った玉座にイオニアの声だけが響く。これから告げることは非情だ。それでも、国王として言わねばならない。


「そなたたちの中に、不幸にも戦いで倒れる者がいるやもしれぬ。失うようなことになれば、まさに断腸だんちょうの思いである。だが、それも未来のためだ。我らはそのいしづえとならねばならぬのだ」


 戦いに犠牲はつきものだ。しかも敵は魔霊鬼ペリノデュエズなのだ。どれだけの者が生きて帰れるか。保証は全くない。


「恐れてはならぬ。退いてはならぬ。そなたたちこそ、余と王国が誇る勇猛な戦士なのだ。正義は我らにこそある。武運を祈る」


 イオニアの言葉が全ての者の胸にみ込んでいく。


 片ひざをついたままの彼らは、一言一句をみ締め、静聴し終えるとともに深々とこうべを垂れた。涙を流している者さえいる。


 戦いに赴くのは団長と副団長総勢十六名、さらに各騎兵団から団長が認めた数名のみだ。モルディーズが布陣を発表しようとしたところで、意外な人物が声を上げた。


「父上、いえ陛下、このような時に申し訳ございません。先に述べてもよろしいでしょうか」


 イオニアはモルディーズに目配せをすると、すぐ右手に立つヴィルフリオに向かって重々しくうなづいてみせた。


 ヴィルフリオが一歩進み出る。いつもと様子が異なっている。まずは殊勝にも皆に向かって頭を下げる。


「少しの間、私の我がままにつき合ってほしい。いや、今さら取りつくろっても仕方がないな。率直に言おう。俺の弱さから、お前たちにはさんざん苦労をかけてきた。つけを払うべきはこの俺なのに、今またお前たちに頼らざるを得ない。心から謝罪する」


 あり得ないことが起こっている。傲慢ごうまん極まりなかった、あの皇太子ヴィルフリオが騎兵団の面々を前に、今一度深々と頭を下げているのだ。驚いたのは彼らだけではない。三姉妹たちも同様だった。


「どうしたことでしょう。兄上は気が触れてしまわれたのでしょうか。あのような姿、いまだかつて見たことがありません」


 辛辣しんらつな言葉を平然と投げかけているのは第三王女シルヴィーヌだ。横から第二王女マリエッタがたしなめる。


「シルヴィーヌ、実の兄に向かって、そのようなことを言うものではありませんよ。心境の変化があったかもしれないではありませんか。あの兄に限って、とは思いますが」


 結局のところ、マリエッタもシルヴィーヌと思いは変わらないということだ。二人の目を見ればよく分かる。これまでのことを思えば当然だった。二人は、実の兄とはいえ、ヴィルフリオを全く信用していない。


「セレネイアお姉様、父上から何かお聞きになっておられますか」


 何も聞かされていない。セレネイアはシルヴィーヌの問いかけに、黙って首を横に振るだけだった。


(先手を打たれてしまったかもしれませんね。父上のことです。考え抜いた末に結論を出されたのでしょう)


 父イオニアが思い悩んでいたことは承知していた。結論を出すのは、この戦いが終わってからだ。そう考えたセレネイアは、自身の考えを父に伝えないまま今に至っている。


(兄が何を語るかは想像がつきます。まずは聞くしかありませんね。それからです)


 頭をようやくにして上げたヴィルフリオが続ける。


「我、ヴィルフリオがこの場で宣言する。ここに立太子の地位を国王陛下に返上申し上げ、さらに混乱を招いた一切の責任を取り、王族籍からも離脱する」


 立太子ともあろう者が、いったい何を言っているのか。集った全ての者が混乱を来たしている。


「国王陛下より承諾も頂戴している。これからのラディック王国は国王陛下、そして妹たち三王女に委ねられる。皆もそのつもりでいてほしい」


 内容があまりに衝撃的すぎる。


 確かに、ヴィルフリオの評判は地に落ちたも同然の状態、今や次期国王にはヴィルフリオではなく、第一王女セレネイアをす声が優勢だ。


 情勢は情勢として、この重要な局面で立太子返上の話を持ち出してくるとは。さすがのセレネイアも予測できなかった。


(やはり、ですか。やられました。兄の決意もですが、父上が既に承諾なさっていたなんて)


 セレネイアはわずかに天をあおぎつつ、すぐ左にいるマリエッタとシルヴィーヌに目を向けた。


 二人の反応は予想どおりだ。事あるごとに口にしていたからだ。互いに手を取り合って喜びをあらわにしている。


 セレネイアは苦笑を浮かべ、次いで視線をモルディーズに移す。目が合う。モルディーズは初耳です、とばかりに、しきりに首を横に振っている。


(父上と兄だけの秘密だったようですね。もう少し早く気づくべきでした)


 待ったことで裏目に出てしまった。今さら悔いても仕方がない。それ以上に重要なことが目の前にあるからだ。


「済まなかった。皆の貴重な時間を奪ってしまった。俺からは以上だ。モルディーズ、後はよろしく頼む」


 言うだけ言って、すっきりしたか。周囲の困惑をよそに、ヴィルフリオはそれ以降、一切口を開かなかった。黙って玉座の後ろで控えるだけだった。


 下がったヴィルフリオに代わり、モルディーズが進み出て布陣の説明を始める。


 坑道を進むのは、ザガルドアに答えたとおり五名だった。すなわち第三騎兵団、第八騎兵団の団長ならびに副団長、第四騎兵団団長だ。これでゼンディニア王国十二将の魔術師五名と併せて総勢十名となる。


「坑道を通り抜け、いかに早く谷底まで降り立てるか。それがこの戦いの鍵になると私は考えています。質問はありますか」


 真っ先に代表して声を上げたのは騎兵団の重鎮ホルベントだ。


「坑道の中はどのようになっているのだ。説明がほしい。かずの扉だと聞いておる。無謀に突っ込むのは愚策だ。しかも、ゼンディニア王国の十二将は魔術師なのであろう。坑道内での魔術は危険と隣り合わせではないか」


 ホルベントがいだ危惧きぐは、すなわち坑道を行く他の四人といつだ。坑道内部の情報が一切ないのだ。


 坑道そのものの構造から温度や湿度、さらには他の生物が存在するのかなど、何も知らないまま突っ込むのは、まさしく自殺行為に他ならない。そのうえ、坑道内で強力な魔術を行使すれば、岩盤崩落などの危険性も格段に跳ね上がる。


「内部詳細は私にも分かりません。長らく使われないまま、閉じられていた坑道です。高温多湿は想像できますが、地質構造までは残念ながら。しかし、それらは些末さまつな問題でしょう」


 いぶかしげにうなるホルベントが、さらなる説明を求めてくる。モルディーズももとよりそのつもりで、とある一節をそらんじてみせる。


「古い文献を紐解ひもといたところ、このように記されていました。


≪愚者どもをかの地に封じ込めん。

 絶えぬ苦しみを永劫えいごうに与えん。

 死という甘美な解放は決して与えぬ。

 贖罪しょくざいの刻が満ち、封を解く者現れん。

 大いなる力≫


 破損がひどゆえ、この先に何が書かれているかは分かりません。これらが待ち受けている可能性が高いでしょう」


 ホルベントを除く四人が色めき立っている。騎兵団の団長、副団長と言えども、戦闘能力は人の域を超えることはない。未知の敵が待ち構えている想定で、なおかつ魔霊鬼ペリノデュエズとも戦う。まさに死地に向かうことになるのだ。


「ほう、面白いではないか。まだ見ぬ敵がいるとは胸が躍るというものだ。のお、皆の者よ」


 壮絶ともいえる笑みをもって、ホルベントが他の四人を均等に眺める。本来なら、第一騎兵団団長でもおかしくないホルベント老だ。彼の前では、誰もが子供みたいなものだった。


「ホルベント、それからハクゼブルフト、ペリオドット、ノイロイド、エヴェネローグ、任せてもよいのですね。貴方たちが気後れするのあれば、第一騎兵団団長として私が代わって坑道を行きます」


 セレネイアの言葉は、いわゆる殺し文句でもある。奮起しないわけにはいかない。ホルベントはもちろんのこと、他の四人も目の色が変わった。


「セレネイア姫、お心遣い、誠にかたじけなく。無論、我ら五名にお任せいただきたい。姫はどうぞ高みの見物にて」


 二人の妹が横で、さすがはセレネイアお姉様と、しきりに感心している。セレネイアはあえて聞こえないふりをした。さすがに出しゃばった感もあり、妹たちの言葉も相まってか、いささか恥ずかしい。


 モルディーズが坑道組とセレネイアの様子を確かめ、こちらは片づいたと判断、次の説明に移る。


「続けます。坑道を行く五名以外は、高度二千メルク地点を中心に展開してください。私が調査した限りでは、急峻きゅうしゅん崖伝がけづたいに、およそ千二百メルク地点まで降下が可能です」


 すぐさま質問の声が発せられた。第二騎兵団団長のタキプロシスだ。魔霊鬼ペリノデュエズとの初遭遇で、彼は一気に株を下げている。恐ろしさのあまり、身体が動かなかったのだ。ここで名誉挽回とばかりに張り切っている。


「急峻な崖伝いへの降下、あれしか方法を思いつきませんが」


 モルディーズは一度だけ首を縦に振った。


「さらには、足場も悪く、およそ狭いともなれば馬が使えません。そのような場所で戦う以上、我らに利点があるとお考えでしょうか」


 もっともな質問だ。ラディック王国騎兵団の基本戦術は、騎兵による集団撃破であり、個々の能力に頼るものではない。


「個々撃破を目指す必要はありません。谷底へ叩き落とすだけでよいのです。戦場からの一掃です。魔霊鬼ペリノデュエズは落下程度では死なないでしょう。とどめを刺すのは、坑道を抜け、谷底に行きついた精鋭十名に委ねられます」


 この戦いは、まさに時間との戦いでもある。坑道組と高所組は呼吸を合わせる必要があるのだ。


 後を引き取ったのは、やはりホルベント老だ。


「タキプロシスよ、戦場においては臨機応変、最も適した戦略をその場で考えていくしかない。我ら坑道組も全力で谷底を目指す。お主たちも抜かりなく、総がかりで魔霊鬼ペリノデュエズどもに当たってくれ」


 一とおりの説明が終わったところで、イオニアが言葉をつむぐ。


「刻は満ちた。ラディック王国の、そして全大陸に住まう人のために、これよりアーケゲドーラ大渓谷に向かう。必ず勝って戻るぞ」


 ファルディム宮を大歓声が満たしていった。


「準備ができた者から魔術転移門をくぐるのだ。カランダイオ、頼む」

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